これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

集合知によって自分の判断が左右されることも

この話には素直に感動しました。件の女の子は色々アイデア持ってそうだな〜、是非形にして欲しいな〜なんて勝手なことを思ったりも。
さておき。

そういう集合知によって発生する付加価値が、ネットにはほぼ必ず付いてきます。
Googleから検索するという、たったそれだけの行為でも、検索順位と言う付加価値が付いて回ります。

集合知によって発生する付加価値という話に「なるほど」と。集合知に触れるということは、良くも悪くも対象に対する自分自身の判断に変化を与えかねないですよね。


ホットエントリーに上がっている記事を読んで、もやもやっとした感想しか持てないとき、私は「はてブ」のコメント等を眺めることが多い。そこで納得できるコメントに出会うと、「ああ、そうそう、そうだよね〜」と同調させてしまう自分に気づく。もやもやっとしているものを自分なりにクリアにするんじゃなくて、「同調すること」で安易にそちらに自分の判断を偏らせている。こりゃ、思考停止だな〜。
一方で、今回参照させてもらったエントリの場合、私が感じたものは割りとクリアでハッキリしていた。そういう時に「はてブ」のコメントを見ると、「ああ、そういう視点もあるのか」と気づきを得ることが多い。
で、前者のパターンが癖になってしまうとマズイなぁ、と思うわけです。大勢に流されるとか、やっぱ嫌だし。自分で考え、判断した結果が大勢と同じならいいのだけど。だから、まず自分で考える。もやもやっとしたものを自分なりに結論付ける。その上で「はてブ」なんぞを眺めるようにしたいものだなぁ、と思った次第。