これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

継続可能な関係には良い循環がある

「継続可能」とは今世紀の日本にとって一つのキーワードだろう。そして、継続可能な関係には良い循環がある。


自分と他人、自分と会社、自分と物事、自分と社会。何でもそうだが、その関係が永続的に続く場合、そこには何らかの良い循環があると思う。
まぁ、win-winの関係というやつ。
win-winとは、双方がそれぞれの相手に対して何らかのメリットを提供している関係だ。情動のエネルギーの観点で言えば、その関係からポジティブなエネルギーが自分の中に生み出され、そしてそれが相手へのポジティブな反応を強化する。好循環がそこにある。そんな関係は双方にとって快いので、自然と継続していくことになる。


継続できない関係とは、他方が一方的にもう片方に犠牲を強いる関係だろう。win-loseあるいはlose-winの関係だ。
この場合、犠牲になっている方がどこかで何かを枯渇させ、関係の継続が困難になる。続いている場合でも、犠牲を払っている方は健全な状態ではなくなる。少なくとも、「良い関係」を継続するのは不可能だろう。
一方的に(あるいはアンバランスに)メリットを享受しているwin側の、lose側への歩み寄りが改善のポイントだろうか。win側にその意志さえあれば、継続可能な関係に発展していくことは可能だろう。
lose側からみると、関係を断つという選択肢があるが、まぁ、相手(社会や組織、肉親など)によってはなかなか難しい場合もあるだろうか。でも逃げられるなら逃げてもいいんじゃないかと思う。


lose-loseの関係は何とも厄介に思える。そもそも、そこに続くべき要因は見あたらないのに、何故か関係が継続してしまうことがある。
本来、デメリットなものがメリットになっていると勘違いしたり、デメリットの要因への依存などがあるのだろう。共依存なども、ここに含まれるだろうか。
それがlose-loseの関係であることに気づけるかどうかがポイントか。
気づくことができれば、そこから改善の可能性が生まれる。あるいは、その関係から脱出できる可能性が生まれる。


さて。
結局のところ、良い関係を周囲と築いていくには、7つの習慣でいうところの「win-win or no-deal」を貫くことなのだろう。
互いにwinを得ることができないならば、関係をつくらない。
日本社会で自分のwinを主張するのは、なかなかにやり辛いことではあるが、無理して関係を持ってもどうせ継続できないのである。あるいは継続するかもしれないが、どこかで取り返しのつかない事態になるのではあるまいか。
貴重なエネルギーと時間は、「継続可能な関係」を中心に注ぎたいものだ。