これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

『効率化=幸せ』ではないんだよなぁ

日曜日は整体に行く日だったんだけど、いつもは16:00に予約しているところを、その日はたまたま15:30に予約していた。んで、ばっちり時間を勘違いしてしまい、家を出た時間が開始時間というどうにもならない状況。仕方がないので、電話で遅れる旨を伝えて、急いでダッシュした。
で、途中でタクシーが信号待ちしているのが目に入った。前に回りこんでみてみると、「空車」の文字。ラッキー、と思い手を上げて乗り込んだのであった。
が、結果として移動時間は電車とあまり変わらなかったというオチw なんであんなに混んでるんだよw 1300円ほど、無駄な出費をしてしまった・・・・のだが、全く後悔はない。何故かというと、車内での会話が楽しかったからだ。

タクシー暦うん十年のおじーちゃんとの会話

私が乗ったタクシーの運転手は、その道○十年というベテランのおじーちゃんだった。で、まぁ、幾つかの話をしたわけだが。

  • 最近のタクシー事情
    • タクシーの台数を増やした
    • 結果、主要駅の周辺にタクシーが固まり、周囲の迷惑に・・・
    • で、ローテーションで行ける駅が指定されるようになったらしい
    • 実際、横浜駅と新横浜駅を隔日でローテされている表を見せてもらった
  • 癌の話
    • おじーちゃん、癌で手術して、一時期入院していたらしい
    • 胃を全摘出とか大変そうだった
    • 家系的に癌が多いらしく*1、癌を告知されたときは意外と平然としていたとか
    • 今はフルタイムで働くのは無理なので、時間を融通させて働かせてもらっているとか。ええ会社や。


で、一番興味深かったのがトラック運転手時代の話。
昔、トラック運転手やってたこともあったんだよ〜と仰ってて、人生長いと色々経験してるもんだな〜と。それで、昔はトラック運転手は二人ペアでやることになってて、比較的ゆとりもあったんだとか。例えば、地方に配送に行ったときに、行った先でついで観光したりとかやってたらしいw でも、今は一人で運転しないといけないし、時間もきっちり管理されているので、ちょっとさぼっちゃえなんてことは出来ないんだとか。辛いよね〜なんて話をしていた。
私自身は、トラックの運転手の仕事は「すっげーきつそう」というイメージを持ってて、それは間違ってなさそうだなとも思ったんだけど、昔はそうでもなかったのかもしれないなぁ〜なんて。件のおじーちゃんは、トラック運転手時代に本州で行かなかった県はなかったとか言ってたし、そこそこ時間にゆとりもてるんなら、あちこち観光できたりして悪くもないのかもしれない。キツイのはキツイんだろうけど。

効率化は手段だから、幸せになるようにしないとね

効率化って大切だと思うんですよ。仕事であれば、ダラダラと時間をかけて作業していると、単に無駄があるだけじゃなくって、周囲に迷惑がかかる場合がある。自分の段取りが悪いせいで、他の人の時間も奪ってしまうことがある。だから、目の前の作業に関して効率化を模索すること自体は悪いことじゃない。
というか、効率化は手段なので、良いも悪いもないんだよね。目的があって、それに沿うように効率化すればいいわけで。
ところが、その目的によってメリットを得られる人が一部に偏っていると、効率化が不幸を生産することになる。犠牲になるのは、代替可能なところを担当している人たちだろう。代替可能ということは、同じスキルを持っている人が多数いるのだから、希少性の高い人と比べて報酬が下がるのは仕方のないことだ。しかし、だからといって、そういった人たちがどんどん不幸になる仕組みであってはいけないのだと思う。
社会の仕組みはゼロサムゲームではないと、私は思っている。誰かの幸福のために、誰かが不幸になる必要なんかない。どうせ効率化するなら、それで幸福の総量が上がるようにしたいものだ。

*1:この辺に科学的根拠があるかは知らない