2011年10月2日 (日) コメダ珈琲 新浦安店で『フューチャー・オブ・ワーク』を読みはじめ

礼拝のあと、近所のローソンに留め置きにした『フューチャー・オブ・ワーク (Harvard business school press)』を引き取る。その後、コメダ珈琲 新浦安店に行って読みはじめる。
フューチャー・オブ・ワーク (Harvard business school press)
- 作者: トマス・W.マローン,高橋則明
- 出版社/メーカー: 武田ランダムハウスジャパン
- 発売日: 2004/09/28
- メディア: 単行本
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- ジャンル:コーヒー専門店
- 住所: 浦安市入船1-5-1 MONA B館2F
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- (写真提供:連続お食事件)
この本を読みはじめたきっかけはid:Chikirin氏の『なんで全員にリーダーシップを求めるの?』というエントリ。
たとえばちきりんがよく受ける質問のひとつは、「欧米ではなぜ全員にリーダーシップを求めるのか?」というものです。
質問の意図は、「組織を率いるのはごく少数の人のはず。彼らだけがリーダーシップをもてばいいのに、なぜ大学入試や採用面接で全員にリーダーシップを求めるのか?」とか、「10人のチームで10人が強いリーダーシップを持っていたら、チームとしては巧く動かないのではないか?」といったところでしょう。
これらの質問はごく常識的なものだと思います。そして答えはシンプルです。
「全員にリーダーシップがある組織は、一部の人にだけリーダーシップがある組織より圧倒的に高い成果がでやすい」んです。だから学校も企業も、欧米では(&外資系企業では)全員にリーダーシップを求めるのです。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110927
欧米の教育機関や外資系企業が求めているのは、リーダーシップそのものだけではないのです。彼らは「組織が高い成果を達成するためには、各メンバーはいかに振る舞うべきか」を、体験的に理解している人を求めています。そのために「全員に豊富なリーダーシップ体験が必要だ」と考えているのです。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110927
以上の2箇所については異論はない。そして、この2箇所に異論がなければこのエントリ自体に対しても異論はないはずなのだけれど、少しひっかかったのは、id:Chikirin氏のいうところの「リーダーシップ」が書かれていなかったところだ。というのも、「リーダーシップ」という言葉は人によって思いの他意味がずれてくるのではないかと僕は考えているからだ。「リーダーシップをとること」イコール「的確に命令をくだせる人間であること」と思われたりもするのだけれど、僕はそうは思っていない。
たぶん、冒頭の「組織を率いる」という言葉の使い方にあらわれているように、「的確に命令をくだせる」かどうかをリーダーシップの全体像だと思っている人からの質問と、そうは思っていないであろうid:Chikirin氏の答えとの間で「リーダーシップ」の意味が微妙にずれているのではないかと思うのだ。ところがid:Chikirin氏は意図的かどうかは別として、その違いにふれていなかった。そこに僕はひっかかった。
で、そういう話をFacebookの中でしたところ、すすめられたのが『フューチャー・オブ・ワーク (Harvard business school press)』だったのだ。
読んだ感想はあとで書くとしても、本書の31ページを読んで、「わが意を得たり」という気分になった。その箇所はこれ。
この新しい展望を要約するとこうなる。われわれは〈命令と管理〉から〈調整と育成〉に考え方を変える必要がある。
僕は「リーダーシップをとること」イコール「的確に命令をくだせる人間であること」とは思っていない。リーダーシップをとれるということは、ステークホルダーたちを支援し、ステークホルダーたちの必要を満たし、ステークホルダーたちを支援する用意があること、そしてそれを実践できるということだ、と思っている。もちろんそれは「人はリーダーシップ体験を積むことにより、『高い成果を出せるチームの構成員』になれるのです。そのために、全員にリーダーシップ体験が必要」というid:Chikirin氏の言うことと通じていると僕は思う。リーダーシップのある人はフォロワーであってもリーダーシップを発揮できる。的確に命令をくだせるかどうかというのは、リーダーシップの一面にすぎない。
意見はこのへんで。
…ところでコメダ、何店制覇したっけか。





