インターネットの世界が、東から西へと開拓が進む西部劇の世界だとしたら、目には見えないが確実に存在する仮想西海岸にまでいつかは辿り着き、開発の余地がまったくなくなってしまったりするのだろうか。カネゴンは読んだことないけど【読む気もないとはおれカネゴン】、色川武大によると、西海岸まで開拓されつくしてしまったために身の置き所も希望も失ってしまったフロンティア家族のいかんともしがたい悲しみをスタインベックという小説家が描いているとのこと。これと同種の悲しみを、今後いったい何人の日本人が共有することになるのだろうか【よくて一億おれカネゴン】。

その立花ハジメが一皮向けた瞬間は、2枚目のソロアルバムHmだったとカネゴン信じている【出し抜け野郎のおれカネゴン】。このアルバムは前半はともかく、ラストの4曲だけは仕上がりが別格に素晴らしく、そのうち2曲がカバー(坂本龍一冨田勲の曲)だったりする。カネゴンの勝手な想像に過ぎないけど、無理して曲を作らなくてもいいと気付いた瞬間さらに力が抜け、逆にいい曲が書けるようになったのではないかと。
その後の快進撃(長くは続かなかったけど)の後、「Replicant J.B」(「Mr.TECHIE&MISS KIPPLE」に収録)で頂点に達する。この曲自体リミックスの産物(当時は恐ろしく高価だったFairlight CMIで制作)にもかかわらず、他人によるリミックスが多数存在していることをカネゴン今頃知り、またしてもヒマラヤ山脈の麓に立ったかのごとく輪廻を感じてしまう【くらくらするとはおれカネゴン】。

論文やレポートを書くときの文献リストのスタイルガイド
この種の文献リストはXML形式で、たとえば<entry lastname="ore" firstname="kanegon" title="aketekure" ...>などのように書き、提出先ごとにスタイルシートを用意しておけば、作成後の作業が物凄く楽になったりしないだろうか。それとも既にそういう規格はあったりするのだろうか【あると思えいおれカネゴン】。

BSをつけていたら「千のナイフ」の分数コードがピアノの音で聞こえてきたので何かと思ったら坂本龍一のライブだったのでそのまま見る。相変わらずアンディ・ウォホール好きであることを確認。見ているうちに久しぶりにむずむずと人前で演奏したくなってしまった【懲りておらぬかおれカネゴン】。
カネゴンが繭(高校生)の頃に「千のナイフ」の譜面を購入して学校のピアノであれこれピアノで弾いていたことをふと思い出す。当時は坂本龍一に入れ込んでいたあまり、「千のナイフ」のライナーノーツの一言一句まで丸覚えしていたことも思い出す【丸出しさんとはおれカネゴン】。譜面をピアノ室にいつも置いていたところ、ある日あっさり盗まれてしまったことも思い出す【失くしただけではおれカネゴン】。全部覚えた後だからよかったようなものの。うう。

カネゴンが以前送り込まれていた会社の片隅に【当時も奴隷のおれカネゴン】、恐ろしく古びたPC-9800が置いてあった。もう必要ないのかと思いきや、構造計算の重要なルーチンが動いているので撤去できないとの由。しかもソースコードが失われていて、外部仕様から再作成したりすると計算結果が異ってしまうので手も足も出ないとも。たぶん今でも動いているに違いないと推測。
あと何世代か経過した後、現在までに開発された夥しいプログラムたちが、子孫たちにとって捨てるもならず、更新するもならない忌々しい負の遺産と化す日が来たりするのだろうか。

ジャンプ系にあまり思い入れのないカネゴンはついコミック乱を買ってしまう【ロートル趣味とはおれカネゴン】。職業病か、セリフ(ネーム)の一貫性をついチェックしてしまう。セリフの巧拙が時代劇だとはっきりわかってしまうので怖い。江戸っ子弁がとても上手な漫画家がいて、絵はほのぼのしているけど毎回感心。みなもと太郎風雲児」や、仕事そっちのけで趣味に走る兄を諌めるかのように淡々と仕事をするとみ新蔵もいい。
どちらが先かは知らないけど、コミック乱と張り合うかのように小池一夫時代劇マガジン・刃というのを出していてこっちも読んでしまうのだけど【死んでも治らぬおれカネゴン】、小池原作が多すぎて、手柄を独り占めしているように見えるのは損かもしれない。後、横尾忠則の表紙デザインの色使いはあんまりだと思う。