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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●日記を書いていないときは何も考えていません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
●こんな日記を読むより、最上の日々や最尤日記や研修用資料やactive galacticや科学と技術の諸相の方をお勧めします。
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昨日カネゴンが定義した名曲の条件に、我ながら感心してしまった【うぬに惚れるはおれカネゴン】。そのときは全然気が付かなかったのだけど、この方法であれば、まったく異なるジャンルの名曲同士を、それらの具体的な音楽性や内容にまったく言及することなく比較することができる。
よく、「私と仕事とどっちが大事なの」とか「MacとWindowsのどっちがいいか」などという、比較のしようもない事物を比較せねばならないことがしばしば発生するけど、そこに機会費用という概念を導入することで、本来比較不可能な事物を比較できるようになる。または数学でしばしば行われるように、対象を大胆に抽象化し、本質的な情報をあえて捨て去ることで逆に豊穣な成果を得られたりする。続きはまた今度。
カネゴンの日記が常に舌足らずで説明不足なのは、そうしておかないと危険だからだったりする。本当はカネゴンは、この100倍ぐらいのペースで書きたくて仕方がないのだけど、それをやって世間をドン引きさせるようなことはもうしたくない【もうとはつまりおれカネゴン】。
人は、非合理的信念をただの一滴たりとも持ち合わせずに生きることはできるのだろうか。
大地震というものは強く願えば願うほど来ないことが経験上判明【よろずの災いおれカネゴン】。日本人が一人残らず「今すぐ大地震が起きて学校に行かなくても済みますように」と毎日生贄を捧げて願ったら地震が来なくなったりするだろうか【念力頼みのおれカネゴン】。
今月の日経サイエンス「朝永振一郎特集」を読んでてやっと思い出したのだけど、あまりに定番な重力の法則において
http://ja.wikipedia.org/math/7/5/2/7525e490216a403e417db09b6cb85696.png
「距離dが0だったらFは無限大になるのか」という(おそらく初歩的な)ツッコミはどうやってかわせるのだろう【猪突と猛進おれカネゴン】。
このツッコミに対する切り返しを高度にしたものが「くりこみ理論」という理解でいいのだろうか。
名曲の条件とは「オナニーのときにかけると物凄く邪魔に感じること」。
これにより、初めて名曲を統計的に判定することができるようになったと後の人は語ってくれたりするだろうか【歴史を汚すおれカネゴン】。どうか皆様には、オナニーのたびに名曲を、名曲に触れるたびにオナニーを思い出していただきたい。
svnseeds
d=0の場合は定義により解無しだよね。
で、dが非常に小さい場合は2つの物体は衝突するほど引かれ合う(だから大きさは問題にならない)、ってことでいいんじゃないかなあ。どうか知らん。
うりかねぐん
d=0とまでいかなくてもdが極小なだけでFが莫大な値になっちまうのだけど、どうやって言い訳するんだろう、と。
yoira
dが0に近づくと、距離の3乗とか6乗とかに反比例する力の方が重力なんかよりずーっと顕著になるので、重力が引き合うのは問題にならないっていう話では。
とつぜん関係無い話をして申し訳ないのですが、ここを御覧のみなさんはこういうのお好きなんじゃないかと思います。
「孤島からビンを流す会」
http://b.pira.jp/
メッセージを送るとランダムな相手に届く。興味をもってくれたら返信をくれるかもしれない。返信に返信もできるからやりとりできる。
でも、やりとり中も返信がくるまで相手に何も言うことはできない。だから、やりとりをやめたくなったら返信するのをやめれば、相手から自分への連絡手段は絶たれてしまう。そんなしかけです。
うりかねぐん
なるほど、返信する以外に通信の手段がないというのが一風変わってますね。
うりかねぐん
>yoiraさま
核力が扱われるよりずっと前の、ニュートンがこしらえたばかりの頃はどうやってツッコミをかわしていたのかなと思います。事実、電磁気学では電子についてこの困難は発生していたと書かれていました。同時に、ニュートン力学は既に完成されていたとも書かれていたので、このツッコミを回避する方法はきっとあるに違いないのではないかなと。
hal_tasaki
ちゃんと答えます。でも掲示板みたいには書けないですね。
ニュートン力学は、基本的に、マクロな物体のあいだの重力についての経験則です。ここでいう「距離」 d は、ふたつの物体の間の距離ではありません。仮に二つの物体が一様な球であれば、d は球の中心間の距離です。だから、球をふたつぴったりとくっつけても、力が無限大になることはありません。
(ニュートンの時代にむしろ問題だったのは、無限の宇宙に星が一様に分布していると、遠方からの重力の総和が無限大になってしまうという別の「発散の困難」でした。この問題変ニュートンの解答(あらゆる方向からの重力がつりあって発散は打ち消す)は、的を外しています。)
それでも、この問題、とくに、それの電磁気力バージョン、が「くりこみ」と関連しているという理解は正しいです。
もし電子が大きさを持たない電荷だとしたら、自分のすぐそばに無限の電場を作るはずで、電子が動いたとき、自分のつくった無限の電場から力をうけてしまうではないか! というのが、出発点となる困難です(電子が有限の大きさをもつとるすと、さらに面倒なことになり、けっきょく、(実験結果ともあわせて)電子は大きさをもたないと考えられている)。
hal_tasaki
後半のパラグラフの「この問題」というのは、かねごんさんが最初に議論した d=0 の困難のことです。
うりかねぐん
あ、たさき先生だ!ありがとうございます。「電子が大きさを持たない」とか、行きがかり上とはいえ「電子がこっそり無限の電荷を持つとみなすと発散を防げる」というのはどきどきしてしまいます。
yowa
> レーティング
予測のたつ理論があると言うよりも、
・75%の確率で勝利するならば、ずっと対戦を繰り返せば200ポイントの差がつくようにデザインされている。
・が、実際のところは、そううまくは予測できてない。(参考: http://www10.plala.or.jp/greenstone/content3_1.html )
という話のようです。
麻雀だと、ネット麻雀の東風荘でレーティングシステムが導入されていて、実力を反映した値が出ているらしいですが(伝聞)、定量的な予測に使えるかどうかについては未知数のようです(予測向けにデザインされてないのと、勝ち負けをどう定義するかが難しいので)。
うりかねぐん
>yowaさま
なるほどですね。確率につきまとう本質的な困難は他のものと変わらないということですね。
yoira
>ニュートンの時代にむしろ問題だったのは
地球の受ける重力が大きくても、対応する加速度で地球が動けば、地球に乗っている人にはわからない気がします。(それとも、宇宙全体の天体から地球が受ける重力を計算して発散した時点で、嫌なのだろうか。)
地球が受ける光の量についても同様の議論ができるはずで、夜空が暗いのだから重力についても大丈夫?というおおざっぱなことを考えてしまいます。
どちらかというと、地球の部分ごとにかかる重力が違うと、地球が砕けてしまうのだろうか、ということが気になります。
車中で読んだ本の中に、北野武「余生」があった。同書は北野武の薄ら寒い人生観に満ち満ちたロングインタビューで、大昔のロッキングオンで松村雄策が「たけしには死の匂いがする」と漫才ブームの頃にずばりと見通したことを今頃になって裏付ける内容。
気になったのは、北野武が実は「ディスカバリーチャンネル」のような番組が大好きで、科学をギャグにする番組企画を何度も出していながら、TV局関係者にまったく理解されず、「ぼく科学のことよくわかんないから」という口調ですべて没にされたという記述。殊能さんだったか最上さんのどちらかが以前、文系と称する人たち(確か小説家)が科学についてこれっぽっちも理解を示そうとしないことについて心底がっくりしたと書いていたことがあったのを思い出す【理解と言えぬおれカネゴン】。
北野武は本質的にデストラクタであり、コンストラクタではないことを一方的に確信。普通の人が無意識に大事にしていることを大事にしないし、したくてもできない。カネゴンは正直、この人に近寄りたくない。
今後革新的なお笑い芸人を目指す人は、まず間違いなく経済学が必須になることを確信。かつて筒井康隆が心理学をギャグに転じ、北野武が工学をギャグに転じたように。問題は、経済学を学んだだけでそういうものを作り出せるようになるわけではないことだったりするのだけど。
オタク・イン・USAのあとがきにあった、町山さんによるパトリックへのしごき:
「ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する」を読み始めてみて、カネゴンもまったくこれと同じ感想を持ってしまった【人の意見でおれカネゴン】。
関係ないのだけど、英語圏のこの種の本はやたら分厚く、前書きと後書きの分量を何とかして増やそうとする傾向があるような気がする。本を分厚くさせるインセンティブとやらがあるとしか思えないのだけど、主張をコンパクトにまとめると10ページにしかならないのがバレないようにするためだとしたらどうしよう【どうもせぬとはおれカネゴン】。
yomoyomo
不惑ですね。おめでとうございます。
svnseeds
おめでとうございます!!
うりかねぐん
ありがとうございます。「大人皆殺し」を合言葉にがんばります。
旅先のホテルのロビーのPCより。
UltraKitchen
おめでとうございます。SATSUGAIせよ。
no-name
おめでとうございます。Shiroさんのアンテナの中で、カネゴンさんの更新を一番楽しみにしています。
http://a.hatena.ne.jp/practicalscheme/
ちなみに自分の中でほぼ同率一位なのがこちら。
http://alohakun.blog7.fc2.com/
偶然にも、こちらの管理人さんも誕生日を迎えられたようです。
書店で見かけて衝動買いした「先端科学技術要覧―OHM HEADLINE REVIEW〈2006〉」がむちゃくちゃ面白い【読んでる途中でおれカネゴン】。コンピュータ技術のみならず、石油の産出や各種化学工業にまで言及されており、全部が専門家によって厳しくレビューされている(らしい)。「朝日少年少女理科年鑑」を大人向けにしたような趣でもあり、「日経サイエンス」を高濃度に圧縮したようでもある。寝る前に読むには最高の一冊【科学と心中おれカネゴン】。
オーナーラー オーナラー
アーラーリーヨーン
アーラーラー ツーララー
アーチューラーラー
アーラーリー ラーヨホー
オートーパーニー
アーレーレー アーレレー
アレートーセー
エーイヤー イーイヤー
エンナーヤー アーレホー
ヨーバナー コーバナー
ナーヨーハーサー
電車に乗っている若い衆を見ていてカネゴンが一方的に思うのは、びっくりするぐらい「呪い」とか「恨み」とかそういうものに縁がなさそうだということ【呪いに満ちたおれカネゴン】。人類史上、これほどまで呪いや恨みと無縁でいられたことはかつてなかったのではないかと【年をとったらおれカネゴン】。カネゴンの悪い癖で、そこにあるものより、そこにないものの方が気になってしまう。
しかしながら、呪いや恨みは本当にすべて人の心から完全に排除し、人の心は春のごとくのどけからましくあるべきなのだろうか。何の科学的根拠もないのだけど、有毒な金属元素もごく微量ないと人体が正常に機能しないように、誰も見ていないところで他人を心底から呪い倒し、無力な自分を徹底的に恨んで恨みぬくというプロセスをどこかで通過しないと、満面の笑顔で遠くの民族を浄化しまくることにまったく抵抗を覚えなくなってしまいそうでカネゴンいらぬ心配をしてしまったりする【浄化の近いおれカネゴン】。
この辺をおおっぴらに教育することは、性教育などよりも遥かに大きな技術的および社会的困難にぶちあたるはずなのだけど、あまり後回しにするとよりいっそう面倒が増えそうな予感【間もなく四十のおれカネゴン】。
思い出しました
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%97%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0&lr=
うりかねぐん
一瞬何のことかと思いましたが、そういうことだったんですね。キャプテンフューチャーにこんな話があったとは。
kmiura
>春のごとくのどけからましく
いやー、だから私はなんか善男善女がこわくてしかたないのだったりします。
今日の頭音は
大長今 ですか?
わたしはあれがオナラって聞こえるのが
ちょっと面白いと思ってました。
しょむもない話で立ち寄ってすんませんでしたー
うりかねぐん
>kmiuraどの
子供のときに見た「タイムマシン」の1シーンを思い出してしまいます。未来人は極限まで個人主義が徹底してしまい、近くで人がおぼれていても誰も助けようとしない、という描写に戦慄してしもうたです。
>とおりすがりさま
はい、もっのすごくいい加減ですが、チャングムです。歌詞は韓国の古語だそうで、韓国でも「何と言っているのかわからん」と話題になったそうです。
片方のまぶたが痙攣するとき【ストレスアピールおれカネゴン】。
今猿島にいます。
「さるまん 21世紀愛蔵版」を読みふけり【腹を抱えるおれカネゴン】、カネゴンの文体の源泉はまるっきりここにあったことを今更のように思い知る。真顔で言うジョークに勝るものなしであることを痛感。
読み返してみて、たけくま先生の細かいギャグを半分も読んでいなかったことに気付き、まだ半分も読めるのかと楽しみが増える。以前「ゴールデン ラッキー」という漫画の単行本を何回読み返しても、読んだ覚えのない話が必ず見つかるという怪奇現象がおきたことがあったけど、それに近いのかもしれない。放射性物質の半減期のように、半分が頭に入る、残りのまた半分が頭に入る、そのまた残りの半分が頭に入る...ということを繰り返しているのかもしれないのだけど。
生きています【スティルアライブおれカネゴン】。
右まぶたのけいれんが止まらない【助けが来ないおれカネゴン】。
ナム・ジュン・パイク(白南準)が亡くなって半年も経ってからカネゴンそのことを知る。そのことを書こう書こうと思っていながら忘れ続けていた【忘れを忘れるおれカネゴン】。
作品はNHK教育の「日曜美術館」とかでしか見たことがないけど、ずっと昔に白南準はこんなことをどこかに書いていたことだけは覚えている:
天下りをはじめとする、官僚制の問題点をスカッとすっきり解決したら世界の王になれるのではないかと思ってあれこれ考えてきたのだけど、カネゴンにはどうやっても突破口が見出せない【休むによく似たおれカネゴン】。
最大の障害は、人間が人間を支配する限り、共有リソース(お金など)の私物化ないしは横流しが避けられないことだったりする。
ここで、幾何学が「ベース」と「モデル」の二本立てになっていることからヒントを得、考え方も好みも食べ物も人間とまったく違うものによって人類が完膚なきまでに征服されればよいのではないかとカネゴン突然気付く。彼らが人類を理路整然と奴隷化し、システマチックな奴隷管理を行えばすべてが解決することに気付く【それが狙いのおれカネゴン】。仮にこの者たちを神Aと呼ぶことにする。
しかしながら、他人の心配をしている場合ではないのだけど、今度はこの神Aたち同士の間で、やはり官僚制と同じ問題が必然的に持ち上がることになる。とすれば、この神Aたちの問題は、やはり考え方も好みも食べ物も神Aとまったく異なる神Bによって征服され、奴隷として神Bにかしずくことでしか解決できない。
そして今度は神Bの間でやはり官僚制と同じ問題が持ち上がり...となり、これを無限に繰り返せば、ありとあらゆる知的生命体が揃って真の安らぎを得ることができる【安らぎないとはおれカネゴン】。
ついでに、最上位の神∞が実は巡り巡って人類のすぐ下に位置する家畜だったりしたら、完全な「うらみっこなし」の巨大な因果の円環が構築され、晴れてカネゴンは宇宙で最も巨大なシステムを設計した者として世界の王になれたりしないだろうか【法螺とラッパとおれカネゴン】【貧しさ治らぬおれカネゴン】。
みなさんは、食物連鎖でいうとどの辺ですか。
あと関係ないようなあるかもしれないような、極個人的な生理感覚なのかもしれませんが、オナニーし終わった瞬間にものすごく音楽が聴きたくなるのはなぜなんでしょう。
大昔に読んだ「クォーク」か何かで、オナニーの疲労はほとんどが精神的なものだそうで、身体が疲れると甘いものが欲しくなるみたいに、精神が疲れるとそういうものが欲しくなるということなのでしょうかね。
オナニーは精神のスポーツという事ですね。ということは普段から脳を使っているようなひとほど凄まじく高度な内容のオナニーを脳内で展開していそうですが、たとえば棋士のオナニーの内容とかちょっと興味あるけど、きいてしまうと自分のオナニーの拙さに絶望してオナニーができなくなると困るなあ。
ちなみにオナニーの邪魔になるならないという計測方法は男女で事情が違うのかもしれないとも思いました。でも同じなのかもしれない。
あと、これも関係あるようなたぶんないような、日本のAVではセックスの場面ではBGMはかからないんだが、洋物(たぶんアメリカ)では常にBGMつきなんだなあ、という話も思い出しました。