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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
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●敬称略。
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カネゴンが勝手に編み出した、エッセイ系の文章を手っ取り早く改善する方法【きっと誰かがおれカネゴン】:
他人に試したことがないのでわからないけど、たぶんたったこれだけで文章は確実に一皮むける。カネゴンがいろんな漫画を読んで研究したところでは、感想を述べることが主目的になっている文章が面白くなることはまずありえないのだけど、こうした感想文は高い頻度で、自己中心的な感想を述べる形容詞や形容動詞で終わっている。つまり、文末の形容詞や形容動詞をすべて見直して普通の動詞に書き改めるだけで、文章が凡庸な感想文になってしまうことをかなり防ぐことができる。
どう書き直しても形容詞や形容動詞で終わってしまう文が多数発生する場合、文章の内容そのものが薄っぺらであることを警告するサインなので、思い切って文章全部を廃棄する。
なお、プロのライターはこうした形容詞や形容動詞で終わる文であっても面白おかしく書く術を何らかの形で身に付けているのが普通なので、プロの文は逆に参考にならない。
うんちの世話と初入浴とご飯の支度でふらふら【母はもっとぞおれカネゴン】。
Jah Wobbleというベーシスト(元Public Image Limited)は若い頃ナタを持ち歩いていた。
クリムゾンの短縮版ベスト版。
クリムゾンに限らず、70年代の曲には間延びしたものが結構多く、ちょいと編集してあげるだけで曲の印象が俄然良くなることがある。Led Zeppelinの"Black Dog"など、実は後半1/3だけでよい。
デトロイト・メタル・シティというのも流行っていたらしい【またまた涙でおれカネゴン】。
うんちの世話の隙をついて読んだ「裸の自衛隊イラク派遣版―新聞、テレビじゃ絶対に見られない (別冊宝島)」の末尾に掲載されていた橋爪大三郎の論文が、実に明快かつ優れた内容と文章で、カネゴンびっくりする。カネゴン恥ずかしながら橋爪大三郎という人が何なのかこれっぽっちも知らなかったのだけど、これまで薄らぼんやりとしか考えていなかった憲法第九条だとか自衛隊や日米安保などについて、何が問題であり、そのために誰が苦しんでいるのかということが見事に示されていた。カネゴンこれまでこんな立派な論文を読んだことがない【ほとんど読まぬおれカネゴン】。
あの町山さんの編集だけあって(文中の「M編集者」はまぎれもなく町山さん)、「裸の自衛隊」の他の文章ももれなく読ませる。ほとんどの人間は自分でものを考えるより奴隷として外から命令を与えられる方が楽な生き方であることをカネゴンはこの本で学んだ。なお同書はバブル崩壊前の本なので現在とは大分状況が変わってます。
既に皆様お気付きのように、日本語の文法、特に横書きの日本語には相当程度英語の流儀が混じっている。疑問符(?)や感嘆符(!)など、最初から日本語だと思い込んでいる世代もあるかもしれないし、見出し語の後ろにコロンを置くなど、今や誰も疑問に思わないだろう。%や&、#などの記号やスラッシュ(/)の使用もすっかり定着している感がある。ダッシュ('―'の方)はまだ多少居心地の悪い感があるようだけど、日本語の縦書きにも縦棒というものがあるせいか、英語からの翻訳文で無自覚に残されてしまっていてもまだ何とか読める。
その中で、セミコロン(;)だけは頑固に日本語への導入が拒まれている。機能上の問題というより、縦書きにしたときにどうにもキマラナイというささいなレベルでつっかかっているのではないかと(続く)。
ここ一年というもの、自宅のPCのマウスが異常に使いにくくなっていたのだけど、この度もらいもののマウスと交換したら嘘のように軽快な動作に戻った。どうやら元のLogitec 3ボタンマウスのボタンが老朽化に伴ってチャタリングが発生し、そのために1クリックがダブルクリックやマルチクリックになってしまっていたと推測【一年ほっとくおれカネゴン】。
「面白いほどよくわかる 世界の軍隊と兵器―アメリカの世界支配と各国の勢力図を読む (学校で教えない教科書)」は、2000年以降の軍事情報を概観するのに非常によい。誤植が多いのが残念。日本の隣りの半島関連ニュースで一喜一憂する前にこれを読んでおきたい【騒ぎは得意のおれカネゴン】。遠からぬうちに、経済学と軍事が不可分なほどに強く結びつく日がくることを確信。
同書で見かけた以下のエピソードは本筋の軍事情報とは関係ないのだけど、ついこの間のできごとでありながら、そのまま旧約聖書に収録してやってもよいほど時代劇または昔話としてよくできた話【「やっても」などとはおれカネゴン】。おそらく、エジプト側が(嫌味も兼ねて)旧約聖書を参考に立てた作戦だと思う。意外かもしれないけど、旧約聖書は軍事情報もきわめて豊富で、熱心に描写されている。
1973年、イスラエルと敵対していたエジプトは、ナイル川流域で大々的な軍事演習を行う。軍事国家としては珍しく演習の様子を報道陣に公開し、多くの観客が見守る中、スエズ運河渡河訓練が実施された。演習が終わって夜になると、戦車隊は隊列を組んで駐屯地に戻った。
イスラエルはこの訓練をうかつにもまったく気に留めていなかった。
しかしエジプトは、演習のたびに駐屯地に戻る振りをして、実は少しずつ火砲や車両をスエズ運河付近に隠していた。戦車はわざわざ土に埋めるほど念を入れていた。
そして10/6にエジプト軍は不意を衝いて総攻撃をかける。土に埋められた戦車が続々と姿を現し、計2000門もの火砲がスエズ渡河を支援した。イスラエルは当初演習と誤認したため初動が大幅に遅れた。しかもエジプトは巧妙にもシリアと秘密裏に協定を結んでいて、同時刻にシリアもイスラエルに侵攻した。
かくして、エジプトのスエズ運河渡河は成功する。にもかかわらず、アメリカの支援を受けているイスラエルを屈服させることができなかったというオチがつく。
1971年、エジプトは爆撃機50機によるイスラエル侵攻を計画した。これを察知したイスラエルは国民に大動員をかけるが、結局エジプトは攻撃を行わなかった。
その後もたびたびイスラエル侵攻が計画され、そのたびに国民が動員されて大騒ぎになるが、一度もエジプトは侵攻してこなかった。
度重なる動員令にイスラエル人民は不満を抱き、イスラエル政府は1973年に動員方式を改定した。
その途端、今度は本当にエジプトが同年10月にイスラエルに攻め込む(上の総攻撃と同一らしい)。動員令を改定したばかりのイスラエルは見事に裏をかかれ、初動がまたしても遅れた。
これにこりて、イスラエルは再び動員令を元に戻す。
1991年の湾岸戦争時、イスラエルはイラクからのスカッドミサイル攻撃を受けたが、アメリカはイスラエルに「頼むからイランには反撃しないで欲しい」と打診。イスラエルが独自に戦闘行動を取ると、アメリカの戦術の邪魔になる可能性があったため。
そしてイスラエルは本当に我慢し、反撃を行わなかった。湾岸戦争終了後、アメリカは褒美としてF-16戦闘機を50機もイスラエルに現物支給した。
【とっぺんぱらりのおれカネゴン】
科学者は本当に自然の美を愛し、人工の美を敬遠するものなのだろうか【あまのジャックのおれカネゴン】。
カネゴンは、この世には人工の美しかないとこっそり思っている。人工の関与しないナマの美というものは、見たくとも見ることができない(もし見てしまったら莫大な情報に押しつぶされて発狂する)。イスラエルの民が、敵に作戦がバレバレであっても旧約聖書から離れてものごとを考えることができないのと同じく、カネゴンたちは自分たちを型にはめ続けている文化から逃げ出すことはできない。
「型にはめる」ということは情報量を劇的に減らすということであり、それによってカネゴンたちは情報の消化不良に陥らずに済み、近隣の民族をひとくくりにして考えるという思考の節約を行うこともできる。
自然の美だと思い込んでいるものは、実は銭湯の富士山の絵やら葛飾北斎やらの経験があり、その経験に合致するものをたまたま美と呼んでいるということでいいだろうか。カネゴンたちは、空間的には目に映るものの構図やキマリ具合をついつい考えてしまい、時間的にはあらゆるものごとをついついストーリーに仕立ててしまう。
若干の水虫が発見された【縁を切られるおれカネゴン】。
ふと気付いたのだけど【無駄な時間とおれカネゴン】、呪いは、その呪いが本当に効くかどうかというオカルトな側面はまったく重要でなかったりする。呪いは一種のメッセージ プロトコルであり、「自分が誰かに呪われている」という情報が最終的に相手に到着しないと意味がないし、「貴様を呪っているぞ」というメッセージが相手に知られてこそ意味がある。逆に言えば、仮に本当に呪いが効いたとしても、そのことが相手に伝わっていないのであれば、ただ死んだだけということになってしまう。
しかしこのメッセージング プロトコルには一つ大きな特徴があって、呪う相手がその呪いを相手や知人に直接言いふらして回ると、どういうわけかその効果は失われてしまい、単に馬鹿にされて終わってしまう。そのままでは、相手を気持ち悪がらせ、不快にさせ、怖れさせるという目的が達せられない。しかしながら、相手に知られなければ呪いに意味がない。
丑の刻参りで「呪っているところを他人に見られてはならない」と厳重に指定されているのは、演技の下手な素人さんでも効果的に呪いを演出できるようにするための、古人の知恵だったりするのかもしれない。三・七・二十一日もの間夜な夜な神社に出かけて釘の音を響かせれば普通誰かに見つかって勝手に言いふらしてもらえ、勝手に怖がってもらえるので。
このような、直接メッセージングを避けて間接メッセージングだけを利用するコミュニケーションが今後熱心に研究され、国家間の外交などで応用されて見事花咲いたりする日が来るだろうか【振って寝るとはおれカネゴン】。
何だかおかしいと思ったら、今週の予定表の書き込みが一日ずれていた【やはりおぬしはおれカネゴン】。うう。
今だから言えるのだけど、カネゴン実は新世紀になってからというもの、自己嫌悪と厭世的な気分が一瞬たりとも離れたことがなく、消えてなくなってしまいたいという気持ちに常につきまとわれていた【皆はとっくにおれカネゴン】。そういう状態のまま生活し、日記が書けてしまうのが我ながら不思議だったりした。
それが、出産前の数ヶ月の間にとんでもなく忙しくなった理不尽な仕事に押しつぶされそうになり、今にも叫びだしたくなるのを必死でこらえながらやっとのことで仕事を終えた後【倒れる寸前おれカネゴン】、何かがぷちっと頭の中で切れたか何かしたのか、どういうわけか厭世的な気持ちがふっとどこかに行ってしまった【バーチャル出産おれカネゴン】。
原因はわからないので、とりあえずカネゴンの先祖がさまざまなめぐり合わせを操って遠隔的心霊手術をカネゴン脳に荒っぽく施したと無理やり考えることにしておく【突貫工事とおれカネゴン】。お騒がせいたしました。
ついでに、ぼろぼろになったカネゴン脳を修復予定【腐臭を放つおれカネゴン】。
仕事があまりに苦しかったときに衝動買いしてしまったアーント・サリーの「アーント・サリー」は、曲よりも、戸川純のライナーノーツが近年まれに見るほどのびのびした悪文であることの方がおかしくて、思わず噴き出してしまう【脳をやられたおれカネゴン】。おそらくわざとだと思うのだけど、あまりに凄いので最初の部分を書き写してみる。
79年、関西のマニアックな音楽雑誌「ロックマガジン」から編集長阿木譲の英断によって500枚限定(ノーギャラだがレコーディング批評は低予算ながら「ロックマガジン」負担)という現在のインディーズの常識からもかなり遠く、当然入手困難な状況下でリリースされたこのアルバム「アーント・サリー」はその後84年、いきなり(メジャーから発売されたレコードとCDを主に置く)あちこちの店舗に堂々と店側がプッシュしていると一目で判るかたちで再リリースされたが、当時、あがた森魚氏が自らライナーで、その件にふれており、それが、Phewには(多分他のメンバーにとっても)全く不本意であったことに対して他人事と思えぬ怒りを表明しており、数年前にPhewは「あのレコードは、日本全国まわっても買い戻したい」と発言していた位だからその憤りは察するに余りある感を抱いたものであったが、今回、更に20余年もたち、UNDO RECORDSからCDとして復刻されるに至り、昨年のライブCD(未発表。再発物でないこれも貴重な)がリリースされたときに、かつての不本意な「アーント・サリー」再発のことを思い出し、懸念したところ、明快な声で「もう、昔のことだから」と笑みを交えながら答えたのにホッとして、しかし「昔のこと」の意は決して以前の発言の様に"初期の作品を否定したい気は変わらないが"というニュアンスは含まれているようには感じられず、むしろ、現在の彼女の精力的活動、--ユニットBIG PICTURE、パンクバンドMOST等のライブ、又それらのCDおよびアーント・サリーからMOSTまでPhewの活動の長い流れを集約させる試みのような、ビデオまでもリリース--から伺える、「今」のPhewの(若いファンによる支持が証明する様に)決して過去形で語られることのない自信あるいは信念、そういった強さに裏付けられた上での「昔のこと」という、いわばあの頃のPhewを知りたいという若いファンのニーズに答える意志(かつては考えられなかったPhewの姿勢である。ので、うがちすぎなら)が彼女のルーツを知ることで、今の(アーント・サリーを知らない)支持者への、理解を深めさせる意図なのか、又は、別に深い意味は特にないが(これが最も、このアーント・サリー時代からのPhewのイメージにそれこそ深い意味で、近いのだが)、とりあえず、Phewが最近の積極的な活動の一貫《原文ママ》のひとつとして不本意でないリリースであることを前提に、筆者の様なかつてからのファンと同じく、アーント・サリーの活動当時から、或いはバンド解散直後のソロから(海外アーティストとの共同作業による大いなる活動を含め)現在に至る間のいってみれば中期の、仙人のごとく悟りを開いたかのようなまるで「禅」の境地に達したかにみえた作品を発表していた頃からファンになった方にも、「そんな方向に私が行くわけないじゃない!!」とでも言わんばかりにパンク=テクノ=ニュー・ウェイヴのアグレッシブを再び発揮し出した「BIG PICTURE」「MOST」からの若いファンの方達にも、以上今回のリリースまでの奇跡を通してPhewと彼女を支えた人々と共に、この「アーント・サリー」CD化を、是非悦んで頂きたく、前フリ長くてすみません。
これで一文なのだけど、これでも愛情が伝わってくるから不思議。
tago
当時持っていましたがキモチ悪くてすぐ手放しました「阿木譲にだまされたー」気分でした、再発CDもキモチ悪くて後悔しそーなので買いませんでした。当時のライブは見たくないのによく見ていました。でも1stソロとモスト2ndの1曲目は傑作だし、インタビュービデオのPhewはめちゃくちゃ素敵ですね。「おはようどうでもいいわ」と「すべて売り物」でしたよね。若いファンはどーゆー感じでアーントサリー聞くんですかねー?行くライブ行くライブ全てにPhew居ましたから、みんな単なるパンク・ミーハーなんですよ、みーんな可愛いんですよ。
うりかねぐん
>tagoさま
これほどつぶさに現場を知ってるというのがいいですね。私は一度もそういうのを見に行ったことがないです。
今回は「マルセリーノの唄」というのがどんな曲かわかったのが収穫でした。ずっと前からタイトルがわからなかったあの曲でした。
先ほど、カネゴンに長男誕生【散々騒いだおれカネゴン】。
かくして本日ただいまより、カネゴンは先祖の一員に列せられ、陰にひなたにこの子を守護することになる【待っておったぞおれカネゴン】【仕事は山ほどおれカネゴン】。
「くすぐられても笑わない」ことが大人の条件だと思っていたカネゴンにやりとげられるだろうか。
hon
おめでとうございます。
akogina
おめでとうございます。
asano
おめでとうございます。おむつとおっぱいの世界にようこそ。
tago
おめでとございます、人生で一番ワクワクドキドキの楽しい時期ですね、でも13年経ったら飽きます。
ttakahasi
おめでとうございます。
nightintunisia
おめでとうございます. 子供はかわいいですよねー. 大変だけど本当に宝だと思います.
arakik10
おめでとうございます。おめでとうございます。やれ、鉦じゃ太鼓じゃ、鳴らせ鳴らせ。
rover
めでたいッ!
うりかねぐん
みなさま、寿ぎのメッセージありがとうございます!携帯からなのと病院なのであまりたくさん書けませんでした。
namcat
おめでとうございます。
hokuto-hei
> 「くすぐられても笑わない」ことが大人の条件
心配しなくても、大人→くすぐる側、子供→くすぐられる側です。
ドラゴン桜のみならず、「マネーの拳」においてもスーパー・プリーチャー三田紀房の類まれなる説教のうまさがさらに凄みを増しつつある。説教そのものがよいのであって、説教の内容は何でもかまわないことに注意。本人も、自分の長所が「説教のうまさ」にあることをちゃんと自覚しているのが素晴らしい。
この人はその気になれば、体重のずしりと乗った言葉の打撃力によって世を救う者になれるだけの素質がある【最後の敵とはおれカネゴン】。こういう人が、やがて言葉の飛び道具(=毒舌)と関節技(=駄洒落)と骨つぎ(=くどき文句)を会得したら、聖痕がすべて揃ってフィーバーし、救世主が出現するかもしれない【ジャンジャンバリバリおれカネゴン】。
こらえました。
何度シャッフルしても「キモイ」に分類されてしまう者は、いかにして生きればよいのか【】。
かつて常習的に「キモイ」に分類されたPHEWが後に結成したMOSTというパンクバンドのAmazonレコード評でたまたま以下の歌詞を目にしただけで、音をまったく聴かないうちからすっかり聴いた気になってしまった【】。
「誰にも解らない言葉でなら、思いっきり言いたいことが言えるのに」
「ノー・フューチャーなんて嘘っぱち 未来は嫌でも必ずやってくる」
「私は単なる一小市民 人目や噂が気になります」
あのPHEWの口からこういうセリフが出てくることに、なぜかほっとしてしまう。
カネゴンはここ20年ほど、こうしたサウンドに決して近づかないよう用心していたのだけど、このところ急速にその気持ちが萎えつつある【】。
知能の設計図は蛋白をコードしないDNA領域にある(最上さんの日記)。
有意義な情報がないと思われていたいわゆるジャンクDNAが、実はジャンクではないらしいという報道を最近よく見かけるのだけど、どう「ジャンクではない」のかということが少しわかってきたということらしい【ジャンクが栄養おれカネゴン】。
生物は近年になればなるほど江戸っ子のごとく、有性生殖とかでたんぱく質合成をちまちま進化させていられないほど気が短くなっていることを痛感。カネゴンはおのれの細胞レベルでこうした情報を一刻も早く隅から隅までデフラグしたいのだけどいつ叶うだろうか【業火で浄化のれカネゴン】。
極度に散らかっている部屋を片付けてあげようとすると「その配置に意味があるから今は触らないで!」と部屋の主に怒られた(または怒った)経験のある人は多いと思うのだけど【怒った方とはおれカネゴン】、知能のストレージももしかするとこの程度の造作だったりするのだろうか【コタツと合体おれカネゴン】。
大昔に何かで読んだところでは、ネズミの尻尾を何世代にもわたって切ってもネズミの尻尾が短くならなかったという実験結果から、(化学物質などの影響を除き)生物の環境が遺伝情報に直接影響を及ぼすことは否定されたそうなのだけど、その後カネゴンが気付かないうちにこの辺の説が変化していそうな予感。
で、そのグルダがビッグバンド(メル・ルイス・オーケストラなど)に挑戦した曲を聴いてみると、実に「リーチ一発ポン ドラドラハネ満単騎」感の漂う怪作【そいつはツモじゃとおれカネゴン】。
映画秘宝で「デストロイドロボット」というものを知り、最近盛り上がるロボットブームに乗れないカネゴンのもやもや感の原因が一気に明らかになった【隅が棲家のおれカネゴン】。TVやCMで見かける清潔なロボットたちより、官公庁がその存在を嫌悪しそうなこのデストロイドたちの方がはるかにカネゴンをドキドキさせるからだということを(翻訳調)。
官公庁が喜ぶロボットは、どう転んでも介護ロボットにしか分類されないことを痛感。そして現在精力的に発展中のロボットテクノロジーはすべて、今は可哀想なものとしてしか見てもらえないこのデストロイドたちの戦闘能力をいつかある日突然洒落にならないレベルに一気に押し上げ、この世界をマッドマックス化するために存在しているとカネゴン言い切ってしまう【かわいい予言のおれカネゴン】。
ワークショップもある。
synonymous
クラシックのディスカウントCDの場合は、自分で曲名入れなければならない場合がほとんどです。
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じゃぁ駄目なんでしょうか、ウムラウト。
(上、キーが間違っていたので修正しました)