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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●日記を書いていないときは何も考えていません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
●こんな日記を読むより、最上の日々や最尤日記や研修用資料やactive galacticや科学と技術の諸相の方をお勧めします。
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カネゴン昨日まで、レッドツェッペリンの曲にはパクリがごろごろあるということを知らなかった【ロック博士とおれカネゴン】。
他のアルバムも大体この調子らしい。
そもそもカネゴンは大昔にツェッペリンをテープでもらったきりで、それも勝手に編集されたものなので、たとえば "How many more times" がどんな曲なのか未だに知らず、それ以前にどんなジャケットなのかすら知らない。うう。
昨日書いた自由意志に対する欧米人の異常な入れ込み方がどこから来たのか謎だったのだけど、信仰厚い生物学者のFrancis Collinsがナショナルジオグラフィックのインタビューで「神が自由意志を私たちに下さった」と語っていたのを見かけて、少しだけわかったような気がする【ナノミリグラムのおれカネゴン】。
ただ、カネゴンは聖書の最初の方しか読んでないので甚だ怪しいのだけど、神が人間に自由意志を与えたという描写を見た覚えがない【征伐されるおれカネゴン】。もしかしたら詰め合わせセットの片隅に入っていたのかもしれない。
奴隷主義者(=ほとんどの人間は奴隷としての幸せを追求すべきというか既にそうなっている、奴隷でない人は奴隷の分まで苦労と責任と孤独と非難と恥辱を背負うべきというか既にそうなりつつある)のカネゴンにはさっぱり理由がわからないのだけど、欧米の人々にとっては「自分に自由な意志がある」かどうかというのが何だかとても重要なことらしい。
かれこれ400年も前にぼくスピノザ先生が「自由でない(必然の)意志ならあるが自由な意志などない」「一見自由意志に見える現象は、単に身体がそれを欲しているだけだ(身体の奴隷になっている)」と第一ヒントでずばり本質を見抜いてゴンドラが2つ上がったことが今になって続々と裏付けられていることが、どうやら欧米の人々にとって何やら屈辱的かつ実に嫌な部分を衝いているらしく、日ごろ何一つ浮かばれることのないカネゴンの溜飲がナイアガラの滝のように轟音蹴立てて下がりまくる【ルサンチ男のおれカネゴン】。カネゴンは自分に自由意志がなくても痛くも痒くもないです。
いっそのことこれを機会に「意志」という言葉はすべて「欲望」に検索置換した方が未来の子供たちのためになると思うのだけど【常に「いっそ」のおれカネゴン】、それをやると意志と欲望を両方説明した文章の文意が通らなくなってしまうので、機能を持たないレガシー用語として意志という言葉を残すしかなさそう【骨も残らぬおれカネゴン】。
年輪から過去を探る--年輪年代学入門。地球温暖化の重要な根拠となっている学問のひとつ。途中で誰かひとりでも社会保険庁クオリティで研究していたら(そういう噂が立っただけでも)学問全体が一気に崩壊して最初から全部やり直しになりそうなほどの、針の穴を通すような精密さと地味さ【お呼びでないのはおれカネゴン】。
この研究で重要な標準年輪曲線について、手元の新書「科学はこうして古代を解き明かす」(1996)では「アメリカではヒッコリーマツを使って8200年前までの、ドイツではナラ材で約1300年前までの暦年標準パターンが作られている」とあるが、Wikipediaでは「完全な標準年輪曲線としては、ドイツ南部地方(マイン川・ライン川流域)のリバーオークについて約10000年前まで、米国南西部(カリフォルニア州ホワイトマウンテン)のブリストルコーン松(イガゴヨウ)について約8500年前まで遡れるものが作成されている」とあり、10年の間にアメリカは300年しか増えていない一方でドイツの躍進が著しい。ワールドビジネスサテライトか何かで、ここ数年ソーラー発電関連製品がドイツで爆発的に売れていて工場の建設が追いつかないと報道されていたけれど、ソーラー製品の売り上げがドイツの研究チームに続々と還流し、それがさらなる温暖化データをはじきだしていたりするのだろうか【フィードバックとおれカネゴン】。
教えて欲しい。
そこで若かりし頃のさんま師匠は、「Hの四十八手以外で技を知っている人?」という質問(大喜利?)に「逆さ十文字落としです」と答えて爆笑をさらいますが(インタビュアーは後の上沼恵美子)、ただ一人、藤本義一さんの逆鱗には触れたようで、CM明けるまで待ってからさんま師匠にダメ出しして恥をかかそうとする藤本義一。曰く、「さんまかいわしか知らないが、テレビでやっていいことと悪いことは知っておきなさい」。
http://d.hatena.ne.jp/TheMan/20060220/yantan
さんまの回答がなぜ失礼にあたるのか、カネゴンいくら考えてもわからない。何か重大な見落としがあったりするだろうか。
最近になればなるほど、カネゴンは「近頃なぜかチャールストン」の岸田森のごとく呆けてしまう【座り小便おれカネゴン】。もうたぶん、前頭葉はスカスカ。
ドラゴン桜が終わってしまう【ちびっと泣いたおれカネゴン】。
何度でも書くけど、ドラゴン桜の三田紀房は絵はうまくないのに表現力は漫画界で一、二を争うほどレベルが高い。その点でカネゴンの中では諸星大二郎と同格に扱われている【そんな扱いおれカネゴン】。二人とも、表現したいものを表現するための技術には何ら困っていないにもかかわらず、「絵が下手だ」という不当な評価が常に付きまとっているのがカネゴンとしてはじれったい。
もう一度書くけど、題材が受験であることは全然重要ではなかったりする。かくして、表現力と技術は独立した事象であることが証明された【QとEDおれカネゴン】。逆に言えば、技術が凄くても表現力がプアであることもありうるというか、そっちの方が断然多いというか【ポアもやむなしおれカネゴン】。
何だか、すべてが遠くに行ってしまう。
玄関でドアを開けてドアを背にして立つ。風はかなり強く玄関の外から吹き込んでいる。にもかかわらず、台所でソーセージを炒めている匂いが伝わってくる。ということは、匂いは風に逆らって伝達されるということになる。
カネゴンが幼虫(子供)の頃は匂いの正体は不明ということになっていたのだけど、いつの間にか正体が突き止められていたことをついでに知る。
と思いきや、玄関の外の換気扇の吹き出し口から台所の匂いが排出され、それが玄関から風に乗ってカネゴンの鼻に届いたのではないかと直後に気が付く【還流するとはおれカネゴン】。
気の利かないカネゴンはこれまで生きていて配慮あるアクションを取れたことなど一度もないのだけど、最近その気の利かなさが四国のダムのごとく危険水域にまで低下していて、自動改札に定期を差し込み忘れて通ろうとするなど日常生活が意図せずコントになってしまう【許しを乞うのはおれカネゴン】。
文章がどんどん読めなくなっている。
リンボは天国と地獄の中間にある。ここでは地獄の苦しみはないが、神を見ることはできない。
http://www.osoushiki-plaza.com/anoyo/shukyo/christ.html
Wikipedia「野坂昭如」より:
三木鶏郎事務所で経理として勤務するが、度々計算が合わずクビになる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%9D%82%E6%98%AD%E5%A6%82
【ソ、ソ、ソクラテスとおれカネゴン】
Wikipedia「あしたのジョー」より:」
1994年、ニッセイがテレビコマーシャルに『あしたのジョー』を起用したが、「ジョーや力石が生命保険になんか入るはずがない」というクレームが殺到し、CMは短期間で打ち切られた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC
スペースが【圧迫されるはおれカネゴン】。
ここは【閉所の恐怖とおれカネゴン】。
ぽ【ここから先はおれカネゴン】。
ウッホッ ウホウホ ウッホッホッ
ウッホッ ウホウホ ウッホッホッ
大きな山をひとまたぎ
キングコングがやってくる
こわくなんかないんだよ
キングコングはともだちさ
嵐も地震も恐竜も
キングコングにゃかなわない
たたかえキングコング
ぼくらの王者
頭を雲の上に出し
キングコングがやってくる
逃げなくっていいんだよ
キングコングはともだちさ
××も××も怪獣も
キングコングにゃかなわない
たたかえキングコング
世界の王者
例のレジデント初期研修用資料を何度も読んでしまう。
切れ切れの文章の一つ一つの打撃力が大きく、詩として完成されつくしている。しかもよく読むと内容も毎回素晴らしい【それが後とはおれカネゴン】。雑誌サイズのエッセイにありがちな無用なヘッダ(枕)とフッタ(オチ)がないところがまたたまらなく好き。もうカネゴンはこれより下の文章は読みたくありません。
イギリス政府の主任科学アドバイザー、ロバート・メイは1995年、「大衆がまじめな科学研究を笑いものにする恐れがある」と、イグノーベル賞の運営者に対しイギリス人研究者に今後賞を贈らないよう要請した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E8%B3%9E#.E6.89.B9.E5.88.A4
笑われたぐらいで吹っ飛んでしまいそうなぐらいにひ弱な科学研究というのはどんなものなのかということもさることながら、うっかり「イギリス人だけ免除ね」と言ってしまったあたりにブリティッシュな中華思想というか他所の国なら笑われても痛くも痒くもないというか何というかそういうものを感じてしまう【小馬鹿にされるおれカネゴン】。
カネゴンも最近すっかり忘れていたのだけど、久しぶりに生命の定義を見直してみた【突発痴呆とおれカネゴン】。
自分と同種のものを増やすことで近縁種を排除・殲滅しようし、しかしそのために全体として多様性が生じてしまうあらゆる事象を生命と呼ぶ。
カネゴンとしては、たんぱく質でできていなくてもこの条件さえ満たせばガンプラでもオーディオでもソフトウェアでも生命と呼んであげたい【お水をやるとはおれカネゴン】。
ついでながら、いじめの問題を解決するにはこの定義まで遡る必要があります。
カネゴンが卵(幼児)のころ、一軒家の外壁などがよくザラザラ粒粒しているのは、外壁にいたずらをする子供を痛い目に遭わせるためのものなのだろうかと思っていた【身をもて知るとはおれカネゴン】。
今から思えばたぶんモルタル吹付のことなのだろうけど、今でも外壁をザラザラ粒粒させる理由がよくわからない。
それは夢か幻なのか
オレンジ色のライトを浴びて
心はいつでもウキウキ
ちょっと踊ってみましょうか
それは流行りのメロディ
ボクの唄なんです
カスタネットにギターと
まるでサンバのリズム
???
???
???
そしてボクはそのうち
バカになってしまう
???
???
またもやボクはスターです
ボクは唄い続けます
さても今夜は楽しい
みんな楽しいはずなんです
さあさあ今夜は楽しい
みんな楽しいはずなんです
さあさあ今夜は楽しい
みんな楽しいはずなんです
(Fade out)
甚だ中途半端にしか覚えていないのだけど、歌詞がまったく耳に入らないカネゴンとしては珍しく、BUZZ「東京サンバ」の歌詞がこの上なく好きだったりする。特に最後の「みんな楽しい『はず』なんです」と唄うふっきれなさは、馬鹿騒ぎの後の空しさをピンポイントで衝いているような気がして秀逸【今度のカラオケおれカネゴン】。
art of the statesは、米国の近代/現代の音楽をあれこれ聴ける。コンポラもあるけどそうでないようなものもある。
ところでこのサイト名はいかにもstate of the artのもじりっぽい。確かElements of Styleという本だったと思うのだけど、「state of the artという言葉を使うと陳腐になるからやめておけ」と指導していた【指導届かぬおれカネゴン】。
そのコンポラ先生であるジョン・ケージは:
彼の生活は猛烈に貧しく、50歳過ぎでも幼稚園児の送り迎えのアルバイトをしていたと言われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B8#.E3.82.A8.E3.83.94.E3.82.BD.E3.83.BC.E3.83.89
もうまったくもって今更なのだけど、「1=0.9999....」と「数列の極限」は、一見似ていて実は全然違う話だということに突然気付く【車輪を発明おれカネゴン】。
追伸: やはり寝ぼけてました【やはりお主はおれカネゴン】。
hyuki
> 「1=0.9999....」と「数列の極限」は、一見似ていて実は全然違う話
最近の結城には、とても気になる話題です。全然違う話ではなく、まさに同じ話のように思うのですが…。(無粋なコメントご容赦)
うりかねぐん
>hyukiさま
いえいえ、これはきっとまた私の勘違いです。明け方飛び起きてこんなこと書いて...
たざき
ぼくの数学の本の (2.2.19) (45 ページ)に、まさに同じ話と考えるべきだということが書いてあります。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/mathbook/
うりかねぐん
>たざき先生
ありがとうございます。PDFだと表示ページと実ページが違っているのでちょっと迷ってしまいましたが、表次ページ=31、実ページ=45のところですね。
たざき
あ、そうです。すみません。どっちで書くのがいいかなあと迷って実ページを書きました。30.9999999.... ページです。って、ベタ過ぎ。
とおりすがり
0.9999... にどういう意味持たせるかっていう定義の問題だけなんじゃない? wikipedia の書き方はなんだかオーソドキシーを押し付けてるみたいに読めちまうよ。
たざき
もちろん、ぼくが説明しているのは、1 = 0.9999... についての標準的な意味づけです。右辺に自分なりの定義を与えるのは、もちろん自由です。ただし、ぼくの経験では、「この等式が納得できない」と言っている人は、標準的な意味づけを知らない事が多いみたいです。
うりかねぐん
「1=0.999...」はOKです。1つの値を複数の方法で表現しているという説明でナットクです。
極限がこれとは違うのかなと思い込んでしまっていたのは、微分でおなじみの接線を考えていたときでした。接線が定まるには2点が必要(1点だと定まらなくなってしまう)なので、2点は好きなだけ接近してもいいけど1つになってしまってはいけない、だから「1=0.999...」みたいに同値になってはいけないのかな、と。も少し落ち着いて考えます。
arakik10
こんにちは。(もし混乱を助長したら申し訳ないのですが)「極限」でも厳密に議論を進めるときは「2点が必要」「2点は好きなだけ接近してもいいけど」というセンスは「コーシー列」と言って大事な感覚です。むしろ「「1=0.999...」みたいに同値」の部分が「同値」の意味次第ではちょっと危ういかなと感じます。
うりかねぐん
>あらき様
ありがとうございます。私も極限の落とし穴に片っ端から足を突っ込まないと気が済まないのかと。たざき先生にあらき先生と、普通に質問したらいくらかかるかと思うと...。
これまではたまたま、ディスクが飛ぶ前に別のPCに乗り換えていたせいか、自宅で使用中のハードディスクが飛ぶ経験がなかったことに今頃気づく。
幸いにしてバックアップ用に使っていた古いディスクだったので、飛んだのはiTune用のCDデータと辞書データのみ。もらいもののiPod miniに入っていた大量のラップ音楽も消えてしまったけれど、ほとんど聴いたことがなかった。
以下は復旧の際にダウンロードしたアプリケーションたち:
- MameFile
- QCAM_Buffaro_Driver
- AdbeRdr80_ja_JP.exe
- beycomp_062808.exe
- caldix.exe
- dmt120.exe
- Firefox Setup 2.0.0.4.exe
- hm518_signed.exe
- hmmail476_signed.exe
- ipmsg206.lzh
- iTunesSetup.exe
- Jam396.exe
- lhaca075.exe
- Lunascapesetup.exe
- mayu-3.30-xp.exe
- O2kSp3.exe
- o2ksr1.exe
- RealPlayer10-5GOLD_ja.exe
- win2k_xp1417.exe
- WZ400F.exe
- WZ4FE.LZH
- xyzzy-0.2.2.235.lzh
子供たちは誰一人として、ドラゴンボールやアンパンマンやミッキーマウスやクレヨンしんちゃんや峰不二子やプリキュアや萌え柄の秋葉っぽい絵を描くことはなく、当学園の情報統制が鉄壁であることを伺わせる【懲罰室にはおれカネゴン】。
数日前から左の奥歯に違和感が生じ、左側だけ上の奥歯と下の奥歯が噛み合わなくなる【わしらの仕業よおれカネゴン】。おそらく、これまで一本も抜いていない親知らずがついに蠢きだしたと判断【素人診断おれカネゴン】。年を取ってから親知らずを処置すると、骨が硬くなっているので手術の手間と時間が余分にかかるとのこと。うう【恐怖の叫びとおれカネゴン】。
どろどろになって呑んだ後、明け方近くのカラオケでキリンジを7曲ほど立て続けに耳にし(全部知らない曲)、キリンジが駆使する対位法的なサウンド構成(既に「コード進行」とは呼べない)と精密な情感が最早J.S.バッハの域に達していることを痛感。カラオケでもくっきりと伝わる凄さに、カネゴン自分が歌う曲を入れるのをすっかり忘れてしまって呆然とオケを聴いてしまう。それでいてジャズやフュージョンの手垢のついた響きがまったく登場せず、ピチカートファイブみたいに何かのパロディにもしないところから考えて、まったく違う経路でこの境地に到達したと推測。
普通の人間が対位法を駆使すると、どうやってもバッハのパロディみたいなものしかできないのだけど、こんな形で対位法が突破されるとは思いもよらなかった【直後に爆睡おれカネゴン】。
ところで、最近のカラオケはデータ転送量が増えたせいか、かつてのMIDI丸出しのチープサウンド時代からすると信じられないぐらい音質が向上していることにもついでに気付く。息遣いまで伝わってきそうな見事な演奏がカラオケでじゃぶじゃぶ消費されるときが来ると誰が思っただろう。
- 芸術的な技量を要するけれど高機能な技術
- 芸術的じゃなくて機能に需要がある
この2つの要素が揃っている場所には、「芸術から機能要素だけ取り出して、それを無様な技術を使って力づくで再現する」パラダイムシフトがおきる可能性がある。
思いついてしまえば誰もが笑うような「無様な技術」、芸術家肌の技術者が眉をひそめるような「力づく」のやりかたというのは、技術の再現から芸術要素を排除して、大量生産によるコストダウンを実現するやりかた。
それはたいてい美しくないし、芸術品に比べれば明らかな欠点さえあるんだろうけれど、コントロールが可能な欠点というのは、実は欠点でも何でもなくて、使いどころの判断さえ間違えなければ、「完璧でない」ということは問題にならない。
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/06/post_500.html
カラオケはまさにこのプロセスを経由し、既に次の段階として、キリンジがカラオケ経由でカネゴンに衝撃を与えたようなことが起きつつある。
しつこく訊かれて私は言った。「じゃあヒントだけね。一番上が『ど』で一番下が『こ』。全部で五文字」。
http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20070423#p01
カネゴンにはどうしても特定できない【さんざんググっておれカネゴン】。
《神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。(創世記2:16)》
その直後に、制約事項も示されていることは「自由意志には制約が伴う」という意味で興味深いです。
《しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:17)》
「制約」というよりも「安全」のためかも。
昨日のエントリに関連していえば、「欲望」は多次元なのに対して「意志」はその多次元空間の中から一つのベクトルを選び出しているような感じがしますね。
制限を加えられる前のものが「欲望」、制限を加えられたものが「意志」と考えることもできるかなと今思いました。