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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●日記を書いていないときは何も考えていません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
●こんな日記を読むより、最上の日々や最尤日記や研修用資料やactive galacticや科学と技術の諸相の方をお勧めします。
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こういうのを見ると反射的に川に突き落とすか塩水をかけて安全性を徹底的に確認したくなってしまう【放尿構えのおれカネゴン】。
来るべき未来社会のために、こういうスーツを装着した場合でも通用する礼儀作法およびテーブルマナーおよびベッドマナーの開発も急がれる【喧嘩の作法はおれカネゴン】。表と裏と武者小路が総動員される日も近い。
他にも自慰防止や、刑務所代わりに受刑者に強制装着し、最小限の日常生活を送らせながら立ち居振る舞いを逆にことごとく制限・拘束するなど、外骨格パワードスーツの応用は数限りない。そのためにも、装着したまま風呂に入れるまでに安全性を高めることが絶対的に必要【洗わず済ますおれカネゴン】。
やがて、世界各地の津々浦々であらゆる人がおはようからおやすみまで思い思いに飾り立てたりプリクラシールをべたべた貼ったりしたブランド品または特売品または闇製の外骨格パワードスーツに身を固めることが当たり前になる。ネアンデルタール人がもし現世にタイムスリップしたら現代人が一人残らず服を着ているのを見て驚きあきれるように【一緒にあきれるおれカネゴン】、現代人が外骨格パワードスーツの着こなしに馴染むまでには多少の時間は必要かもしれない。
言うまでもなく、未来社会での死に際しても、現代の携帯電話など目ではないほど重要な遺品となる。おじいさんが生まれた朝に、買ってきた外骨格パワードスーツ。今はもう動かないこの外骨格パワードスーツ【焼き場を困らすおれカネゴン】。
そしてまた言うまでもなく、現代の携帯電話など比較にならないぐらい、未来人のアイデンティティも誇りもプライドも勤労意欲も性的嗜好もこの外骨格パワードスーツに全面的に依存する【電池が切れるとおれカネゴン】。外骨格パワードスーツを取り上げられた未来人からは、それらのものが一瞬にして失われる。服装に金をかける人々を観察すれば、このことは容易に裏付けられる【かかってないとはおれカネゴン】。
というわけで、ある日突然未来から挑戦を受けた場合の対策は意外に立てやすいのかもしれない。
まだまだなんぼでも書けます【ひっそり壊れるおれカネゴン】。
「ひとつ積んでは親のため」の完全バージョンをネットで見つけたのでメモ。これほど心を打つ詩は久しぶり【もらって泣くのはおれカネゴン】。
親に先立つこの子らは、親を嘆かせ幾千日か
童にあれども罪深し
娑婆の双親 嘆き声 間近く聞きつつ石を積む
ひとつ積んでは母のため ふたつ積んでは父のため
歌うその声哀れかし
とまれこの世に生を受け 寿命をまっとうせずの罪
親に先立つ大罪は 子々孫々へと続くなり
なれは十にてまからむる
ありし日の服見て嘆くぞな
背負うた紐見て嘆くぞな
なれは五にてまからむる
墓に菓子盛る親心
食わさせよとて供える心
問うは 「何故」 にも哀れなる
ここは冥途の川原なり
罪を犯せし童ども 川を渡るを得るまじき
積善せざるその生に
遅れしことは目をつぶる
たった今から石積めや
虚空の塔をここに建て
積善供養をさせてやろ
娑婆においての布施とやら
土壇場でする川原なり
積む石の角手を切るか
寒き川原に震えるか
そは汝らの不徳ゆえ
ひと石ひと石積み上げよ
布施にならざる戯れは
この赤鬼が許すまじ
ひと石からのやり直せ
ここは娑婆と違うこと
賽の川原と心得よ
春も夏もないところ
冷たき風の通り路
涙流せど吹き散るや
アカギレの手に刺す痛み
それでも積めや親のため
いびつな塔を積むうちは
親の思いは離れまい
布施のひとつも出来るまじ
助けて、お地蔵さん。
大槻先生のブログを読んで何となく思ったこと【思うでないとはおれカネゴン】:
科学と対立するものはオカルトとか新興宗教とかニセ科学とか枚挙に暇がないのだけど【後者が故郷おれカネゴン】、前者が苦手とするものがあるとすれば、自分のちっぽけな人生に意味を与えてくれること、言い換えれば「(どんなしょうもない方法でも構わないから)その人の人生を特別扱いしてくれること」だったりする。
というのも、(発見者や発明者を除いては)何事であろうと何びとであろうと特別扱いしない/してはならないという方法論そのものが科学だったりするので、先祖の因縁や失業や痴話喧嘩やヤクザな身内や働かない旦那や働かない親や働かない子供や寝たきりの家族に苦しむ誰かを(何の努力も要求せずに)特別扱いして慰めてあげたり、思わずぐっとくるような優しい言葉をかけてやったりするというのはどうしても苦手にならざるを得ない【単に苦手のおれカネゴン】。
さらに、前者と後者の争いのレイヤはまったく違っていて、論争で勝った負けたとかやっていても実はどうしようもなく互いにすれ違ってしまっていたりする。
そういうわけで、科学がニセ科学やオカルトに本当の意味で勝利するためには、そうした連中などおよびもつかないぐらい人気と客とお金を集めまくり、それを元手に楽勝でグラビアアイドルやスチュワーデスや女子アナと結婚して彼らの頬を悔し涙で濡らす以外にないような気がするのだけど、また何か、まずいことを書いてしまっただろうか【カリスマバーゲンおれカネゴン】。
言い換えれば、科学に携わる者が彼らに対抗するのであれば、ほんのちょっとでいいから優しい言葉をかける練習をするだけでかなり違ってくると思う【足らぬ訓練おれカネゴン】。なお、優しい言葉をかけるべき相手は彼らではなく、客の方です。小島先生はまさにそれを実践している。
カネゴンの知る限りでは、古今東西で最も「科学の徒」にふさわしい人物といえばたぶん大村益次郎に尽きる。
カネゴンが漫喫で読んだ風雲児たちのみを資料とする限りでは、大村益次郎は「絶対に本当のことしか言わない」人物であったらしい。まるで白雪姫の継母が所有する鏡のように、さくさく淡々ずばずばと本当のことを言う。その徹底ぶりたるや、某バルカン人の比ではない。
この上野戦争の軍議で薩摩の海江田信義と対立、西郷が仲介に入る場面があった。この席上で大村が発した「君はいくさを知らぬ」の一言に、海江田信義が尋常ではない怒りを見せたこと等が、海江田による大村暗殺関与説の根拠となっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E7%9B%8A%E6%AC%A1%E9%83%8E#.E6.88.8A.E8.BE.B0.E6.88.A6.E4.BA.89
この「君はいくさを知らぬ」という発言も、きっと中傷でも讒謗でも軽蔑でもなく、そして何の悪気も悪意も茶目っ気もいたずら心もなく、単に「それが事実だから言ったまで」なのだろうと思う。そして相手の海江田某がそのことで怒り狂ったのも、それがずばり本当のことであり、大命中の図星金星のラッキーストライクのクリティカルヒットだったからなのだろうとカネゴン想像。
ああ大村益次郎ほど科学の徒と呼ぶにふさわしい人物が他にいるだろうか【ふさわしからぬおれカネゴン】。「本当のこと」ほど言われた相手を怒り狂わせ、第三者にとっては(言った本人にとっても期せずして)最も上質のギャグになりうるものは他にカネゴン思いつきません。
カネゴンの積年の大疑問は「人はなぜ本当のことを言われると怒るのか」なのだけど【たびたび実践おれカネゴン】、いつかそのうちここにも科学のメスが入るときがくると信じることにする【そして寝るとはおれカネゴン】。
統計解析とは基準値からのずれを本物とみなすべきか,統計的誤差範囲内とみなすべきかを客観的な基準によって判定する方法ですが,それに数値解析(ノイズによって歪められた情報の中からシグナルを検出する方法)の技法を組み合わせることによって,母集団分布が正規分布とならない場合においても精度保証が可能になります.これによって,データ解析の基盤をさらに拡大させることができます.
(中略)
正規分布の確率密度関数は複雑そうに見えますが,一般的な誤差の分布関数として導かれたものであって,自然界において普遍的な分布とされています.また,母集団分布が正規分布でなくても標本が大きくなると標本平均値の分布は次第に正規分布に近づく(中心極限定理)や正規分布をする変数どうしの和と差はまた正規分布になる(再生性)など,非常に扱いやすい性質をもっています.
(中略)
それでは「正規分布でなく,しかも分布形が違うときに,位置やバラツキ,形の違いを検出できる方法はないだろうか?」という問題が提起させるのは自然な成り行きでしょう.
このような状況に遭遇したとき,個人個人の性格がズバリ現れます.それは性格というよりもデータ解析に対するフィロソフィーといってもよいのですが,厳密に考えようとするひと,前提条件を無視して旧来の方法を無理矢理適用するひと,何も考えないひと・・
http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/koramu/toukei3.htm
この短い文章に、カネゴンの知りたかったことがぎっしり詰まっている。
その人間側の扱いのばらつきがこれまた正規分布していなかったりしたらどうしよう。
カネゴンが以前から疑問に思っていたにもかかわらず恥ずかしくて誰にも尋ねられなかったのが【いい年こいておれカネゴン】、「誰も実際には調べきれていないはずの母集団の分布が、どうして正規分布しているとわかるのか」ということだった。
対象データの量が多すぎたりデータをもれなく調べるのが極端に困難だったりするからこそ、統計という手段で部分から全体(母集団)を推測するしかないはずなのだけど【葦の髄からおれカネゴン】、カネゴンがこれまで見てきた統計の教科書では分布はもう正規しかありえないような感じで書かれていて、母集団が実は正規分布でなかったら便所に行って泣くしかないのだろうかとカネゴン不安で先に進めなかった。いずれにしろ統計という手法はまだまだ発展途上であることを痛感【止まった発展おれカネゴン】。
教えて欲しい。おせんをたまたま見ていて気になったのだけど、かつてコブラに「そのしゃべり方ががまんできん」とまで言わしめたこともある、カネゴンがこれまで漫画以外でまったく耳にしたことのない「〜でやんす」という言い回しは一体どこのバーチャル方言なのだろうか。
上州あたりの地元のやくざだけが使う方言がもとなのではないかと根拠もなく推測。
追記:ありました。
家人がHD録画したマリインスキー・バレエ団の「白鳥の湖」を途中まで見る。バレエをちゃんと見るのはこれが初めて【途中で言うとはおれカネゴン】。
バレエに台詞がないことに今更のように気付く。チャイコフスキーの音楽はクラフトワークのように輪郭が異様にはっきりくっきりしていて、そのメロディーがまったく中だれせずに次々と繰り出されることに驚く。途中でどうでもいいメロディで埋めてごまかさないところがクラシック好きから逆に「初心者向き」と小馬鹿にされているのかもしれない。
オデッタ姫より王子より、横ちょで小うるさく踊っているピエロの方が明らかに目立っていて、トウのたった男性バレリーナが余生を送るには恰好のポジションなのかもしれない。
米米CLUBの横で演奏せずに動き回っている人にそっくりな悪魔は、他の登場人物には見えないという設定になっているらしく、空席のはずの王座にどかっと座ったり自分の娘(黒鳥)の踊りを甲斐甲斐しくアシストしたりとやりたい放題なのがおかしい。
でも一番心配なのは、白鳥というより鶏がらとしか言いようがないほどやせ細ったオデッタ姫役プリマドンナの健康。踊りはため息が出るほど見事なものだっただけに、後の人生も息災であれがしと思う【要らぬ心配おれカネゴン】。
大槻先生が、そしてカネゴンが受けた衝撃を皆様にももれなくお届けします。
この東海林太郎の唄はその後も鳴り止まなかった。私にとってはうるさいどころか遠い昔の父の子守唄のように聞こえた。
夜中、ふと目が覚めた。それでも東海林太郎は歌い続けていた。
しかし、合間に人の泣き声が入った。
「くやしいなあ、くやしいなあ。。。。。」
その老人の叫び、慟哭だった。
「おれの青春を返せ。。。弟を帰せ。。。くやしいなあ。」
「お金をくれ。。。くやしいなあ、くやしいなあ。。。」
私は強い衝撃を受けた。もう眠れなかった。
隣の病室に行き、肩をさすってやりたかった。
この老人は、まもなく「くやしいなあ。」と叫びながら、死んでゆくのだ。
http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/44_723e.html
斑入り山吹
上州の地元やくざに知り合いはいませんが、
少なくとも上州の一般人で「〜でやんす」と言うのは、
聞いたことはないですね。
ちなみに栃木は行ったことがないです。
bo_rude
男の意地を見せるでヤーンス。とか、
なになにでゲシ。とか、
幇間(花柳界?)の言葉の印象があります。
うりかねぐん
斑入り山吹さま、
ありがとうございます。根拠もなく裏づけもなく書いてしまいました。
bo_rudeさま、
言われてみれば最初にこういう言葉遣いを見かけたのは山上たつひこ「喜劇新思想体系」のタイコモチの人でした。当時の業界用語だったんでしょうか。
osamu2001
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E5%BC%81
>「ございます」が訛った「がす・がんす・やす・やんす」は、
>今でも高齢者が使う。
こんな記述がありました。
うりかねぐん
osamu2001さま
ということは、これまたバーチャルにしか見かけない「ざーます」と似たような変化を遂げたのかもしれないですね。
osamu2001
「ございます」→「ござんす・ございやす」→「がす・がんす・やす・やんす」ですかね。たしかに「ざーます」と似てますね。
bunzo
僕の「やんす」原体験は、『もーれつア太郎』のケムンパスでした(語尾が「〜でやんす」)。
「キャラを立たせる」のに口癖という特徴は有効ですね。
うりかねぐん
>bunzoさま
ケムンパスといえば、その横にいつもいた「べし」の顔の真ん中の小さな2つの点を目だと思い込んでいました。鼻の穴だったんですね。
http://www.21style.jp/board/form11.cgi?action=res&resno=22154&id=7171
「ちゃんと人とつきあいたい」の後半の必要そうなところのみ読む。
もうまさにカネゴンをびしびし叱りつけるためにあるような本で、この日記の本来の目的に初めて到達したかもしれない。カネゴンがこの本をもっと早く読んでいれば悲しみのあまりやけ食いに走ったのだろうけど、年のせいか以前よりも恥知らずになってきてしまったような気もする【老いてますますおれカネゴン】。
この本の良いところは、発達障害であろうとなかろうとソーシャルスキルを身につける必要があるという視点で作られているところ。以前も書いたとおり、カネゴンは自分がそのナニであろうとなかろうとそのことは一切考慮しないことにします。
- Case3 たくさんの指示を聞きこなせない
- Case5 仕事や用事の優先順位をつけられない
目下これが最大の課題。今後カネゴンは何をするにも「それにはどのぐらい時間がかかるのか」を反射的に考えられるようになるまで訓練します。
- Case8 固執した会話を展開してしまう
- Case9 興奮したときに大声ではなしてしまう
- Case10 相手の表情や会話から意図を読み取れない
次の課題はこれ。カネゴンの秋葉っぽさの最大の要因でもある。
- Case4 無理なこと・嫌なことを言われたときに「嫌だ」と言えない
実はこれが一番問題なのかもしれない【士農工商おれカネゴン】。
- Case1 相手に失礼なことを言ってしまう
カネゴンは実は相手に失礼なことを言うのがどうしようもなく好きなので、これを封じられたら死んだも同然【不治の病とおれカネゴン】。
「オルガスムスのウソ (文春文庫)」という本の冒頭で見かけた「盲目の時計職人」という言葉の意味がどうしてもわからず、たまらずググるとあのリチャード・ドーキンスの本のタイトルだった。
ドーキンスはどうやら「目的を持たないのにものすごく精密なものを作り出す」進化というものを比喩で表そうとしているらしいのだけど、カネゴンの中では「盲目」と「目的を持たない」がどうしてもつながらないどころか、「盲目のハガキ職人」という全然関係ないことを思いついてしまう始末【いつでも迷走おれカネゴン】。
「盲目」ではなく「盲滅法」ならわかる。「盲滅法な時計職人」の方が賑々しくてカネゴンこっちの方がよいと思うのだけど、ドーキンスとしてはこういうのは許し難かったりするのだろうか【無礼で討たれるおれカネゴン】。
それとも本当は「白痴の時計職人」とか「自閉症の時計職人」としたかったのだけど、ちょっとしたことでキーキー騒ぐ世間の目を欺くためにしぶしぶ半端な比喩を選んだのだろうか。それなら無難なところで「ちょっとタリない時計職人」というのはどうだろう【激しく足りぬおれカネゴン】。
それともドーキンスを含む西欧の南蛮人たちは、数千年も続いた目的論(=あらゆるものには目的があるという考え方)にすっかり毒されてしまっていて、30年ほど生物学を研究したぐらいでは「目的を持たないのものが精密で壮麗な生命システムを構築する」という不気味な様を的確に比喩で表すことができず、生物機械論っぽいたとえから離れたくても離れることができなかったりするのだろうか。
こんな風に、ぼくは、「孤独な数学少年」になってしまったのだ。もうちょっと、詳しくいうと、「数学」と「レイブラッドベリ」と「キングクリムゾン」に首っ丈だけど、どこにも活路がみつからない孤独な少年、という感じである。
(中略)
そんなわけだからぼくは、数学書を書くようになってから読者として意識しているのは、「中学生のときのぼく」である。つまり、編集者用語でいうところの「想定読者」と考えているのは、「孤独な数学少年」たちであり、ぼくは常に、「中学生のときのぼくこそが読みたかったような本」を書くように心がけているのである。
ところが、最近、このスタンスに迷いが出てきてしまった。なぜなら、「孤独な数学少年」なんて、いったい世の中に何人いるんだろう、という疑問が浮上してきたからだ。ぼくの数学本を読んだ人のブログやアマゾンの評を読むと、ぼくが「孤独だったぼく」に向けて書いた部分について、「難しすぎて頭がくらくらする」とか「蛇足だった」とか「いったい誰に向けて書いているんだ」とか言われている。それで揺らぎはじめてしまったのだ。そうか、「中学生のときのぼく」のような読者は、ものすごいマイノリティなんだ、そういう対象に向けて書いても、マジョリティを満足させることができないじゃないか、などという迷いである。
http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20080430
ここにおります【マイナー確定おれカネゴン】。数学の喜びを知ったのは三十路半ばを超えてからですが、小島先生の記述に無駄を感じたことは一度もありません。
売れる本にするには、タイトルに「ガンに効く」または「やせる」を追加するだけでよいです。
で、今、次の新書を書いているんだけど、それは「数学を使って幸福・平等・自由を語る本」で、そして、「保守的な大人に反抗的で、その上焦がれるほどの数学ファンな中学生だったぼくだったら、きっとウハウハいって読むだろう」本なんだけど、ぐらぐらとその自信の土台が揺らいでしまっているってわけ。
それこそカネゴンが読みたい本であり、お釈迦様やジーザス・クライストやムハンマドに誰も数学を教えてあげなかったのが不幸の始まりだったと確信しているところでもあったりする。
以前も書いたように、小島先生の本は一見数学エッセイのように見えながら、もっと重要なものが常に根底に流れていて、見事に一貫している。このような特徴を顕す書物を、カネゴンは他に知らない。女子供がピーチクパーチクさえずって小島先生の足を引っ張るであろうことは間違いないのだけど、そんなものはどしどし蹴散らして驀進して欲しい【最もさえずるおれカネゴン】。
サラリーマンNEOで不気味な体操を指導している近藤良平を「からだであそぼ」でも見かけ、近藤氏が実は詩人として超一級の腕前であることに今頃気付く。カネゴンは現代詩のことなど知る由もないのだけど、現代詩の代表として近藤氏と「幸せについてチンコ出して考えてみた」を一方的に選ばせてもらう。
なおカネゴンは、昔も今もネタを盛り込んだ詩でないと読む気がしません【末期の症状おれカネゴン】。
同じく「からだであそぼ」の「踊る内臓」のコーナーで、これまで見たことがないほど抜群に舞踏のうまい人を見かけて度肝を抜かれる。既にファンになっている家人から「森山開次」という名前であると教えてもらう。
カネゴンはこれまで舞踏を隙間産業みたいなものと思い込んでいたのだけど、その先入観を思い切り恥じる【なんぼ恥じてもおれカネゴン】。身体の動きだけで見る人をもれなく魅了するその力量は、野球で言うならイチロー、相撲で言うなら千代の富士に匹敵。カネゴンはこの人になら金を払ってもよいと確信【魂奪わるおれカネゴン】。
推測するしかないのだけど、これほどの力量なら客を笑わせるも静まり返らせるも熱狂の渦に巻き込むも自由自在なはず。これも推測するしかないのだけど、絶世のイケメンと伝えられる一遍上人の踊念仏も、このくらい凄かったのかもしれない。
この人はなるべく早く新作のウルトラ宇宙人を演じて欲しい。森山氏ならあらゆる宇宙人を見事に踊り分けることができるはず。
追記:YouTubeでは「茶の味」という映画に出演したときのシーンしか見つからなかったのだけど、上記「踊る内臓」のパフォーマンスの方が断然素晴らしいので、この映像で判断しないようご注意。
日経サイエンス「宇宙の歴史が消える日」。
以前この日記でも似たような記事を引用したのだけど、今のままだとこの銀河まるごと引きこもりの運命が待ち構えているとは何とも寂しい限り。
記事中で、1000億年後の人類を哀れむ描写があった。
魂が飛んでいかないよう四苦八苦【飛んで終わりのおれカネゴン】。
専門家の予測や世論調査より、トトカルチョ市場の方が大統領選挙の結果を高い確度で予測できるとのこと。今では研究用だけではなく商用のさまざまなトトカルチョ市場が開かれているらしい。トトカルチョに参加しているのがほとんどの場合裕福な白人男性で、統計に持ち込むにはこの偏りが邪魔で仕方がないらしい。
調子に乗ってしまったのか、DARPAの偉い人がこれを応用して「テロが起きるかどうか」を賭けるトトカルチョ市場を開いてテロを予測するという計画を発表した途端「不謹慎だ」との非難が囂々押し寄せて撤回せざるを得なくなったとのこと【腹を抱えるおれカネゴン】。
面白いのは、トトカルチョ市場の方が専門家の予測や世論調査より確度が高い理由がわからないということ。研究者は誰も麻雀放浪記を読んだことがないらしい。
麻雀放浪記(だったか阿佐田哲也の他のエッセーだったか)によると、サイコロを振るだけという最もシンプルな博打であるチンチロリンにも必勝法(正確には勝つ確率を高める方法)があるとのこと。それは、「ツイていないプレイヤーと逆のことをする」といういたって単純なもの。人はどういうわけか自分自身に関する予測と自分自身の願望を区別するのが非常に苦手で、自分が今ツイているかどうかを正確に知ることは極めて難しいが、他人がツイていないことを知ることはこれに比べたら遥かに簡単だったりする。
ところで、朝から晩までテレビ漬けの人であれば誰でも【他の誰よりおれカネゴン】、TVに出ているお笑い芸人を見て「あ、この人もうすぐ落ち目になる」という唐突な予感を得、しかもそれが非常によく当たったりする。そして多くの人がなぜか同時多発的に同じ予感を抱き、実のところそれこそが原因で本当にその芸人が落ち目になったりもするのだけど。ともあれ、成功する人を事前に見極めるのはとても難しいのだけど、だめになる人を事前に見極めるのはそれに比べれば遥かにやさしい。
さらに、どこで聞いたのか忘れたのだけど「起業の9割は失敗する」のだそうで、成功と失敗の割合が1対9ぐらいとすれば、成功する人を見極めるより失敗する人を見極めてとっととそこから離れる方が生存の戦略として二重に有利なような気がする。戦国時代の家臣が、その全知全能を賭けて自分の主君がだめかどうかを一刻も早く見極めようとしていたように。
いずれ脳科学あたりでもこの辺が裏付けられそうな予感。
大統領選に賭けるトトカルチョのプロたちも、実際には「当選する人」を見極めているのではなく「当選しそうにない人」を見極めているような気がする【見極められたおれカネゴン】。博打で生き残ったプロであれば、この程度の認識は当然身につけているはず。この辺を自動化するアルゴリズムを設計するのであればこの方針にするのが吉【沼地に誘うおれカネゴン】。
ちょうど上と関連しているようなそうでないような感じなのだけど、「その数学が戦略を決める」をやっと読み終わる。原文がだらだらと長いので、人物名などのどうでもいい情報を省略してカネゴン向けに内容をダイジェスト、というかこうしないと頭に入らないありさま【コチコチ脳とおれカネゴン】。書いてないこともいっぱいあります。
- 統計の基本的なツールである「回帰分析」と「無作為抽出」、たったこれだけで、従来の専門家より遥かに信頼性の高い予測を立てることができる。今ではこれに「ニューラルネットワーク」も加わりつつある。本書ではこれらを独自に「絶対計算」と呼んでいる。
- 絶対計算は、一企業の金儲けだけではなく、政府の政策にまで影響を及ぼしつつある。
- 絶対計算は、今後間違いなく多くの専門家のお株を奪う。芸術家も危ない。
- 絶対計算に使うパラメータは、必ずしもギンギンにチューンアップされていなくてもよい。割と適当であっても大きな効果を得られる。その代わり間違えたら悲惨。
- 絶対計算がやりやすくなったのは、間違いなくPCのデータ量が莫大なものになったこととインターネットの普及による。CPUの速度はおまけ程度にしか影響しない。
「回帰分析(regression analysis)」という言葉は、最初にその分析が行われた対象がたまたま(平均への)回帰傾向を示したために付けられたもので、不適切。
回帰分析の例
- 熟成に時間のかかるワインの味の予測は、専門家よりも絶対計算の方が上。絶対計算で使われたパラメータは、平均気温と降雨量(冬と収穫期それぞれ)のみ。
- 野球のスカウトでも、専門家より絶対計算の方が、稼げる選手を確実に選び出した。重要視したパラメータは(四球を含む)出塁数のみ。
- レンタカー会社や保険会社は今や、クレジット会社の返済実績の低い人々へのサービスを拒否する。返済実績の低い人は事故も起こしやすいことが絶対計算で示されている。
- 航空会社は、フライトキャンセルの発生時に、絶対計算で割り出された「他の航空会社に乗り換えそうな客」を優先してなだめにかかる。つまり、乗り換えそうにないおとなしい客は放っておく。
- ロージャックという、盗難車の位置を知らせる装置は盗難防止/盗難車特定に非常に有効であるだけではなく、その地域の車の盗難を大幅に減らす効果がある。車泥棒には、どの車にロージャックが仕掛けられているのかわからない(実は車の持ち主にも車のどこに仕掛けられているのかは知らされない)ため、従来の一目でわかるような防犯装置と違って車を盗むこと自体を敬遠させる。
- 絶対計算の典型的な応用例である「おすすめ機能」を備えたWebサイトは既にいやになるほど出現している。
- Googleの上位に現れる有名人ほど離婚しやすい。
- 最近の入社試験では、労働者の生産性と長続きするかどうかを見極めようとし、「正直さ」「親しみやすさ」「外向性」に絞ってふるいにかけようとする。入社試験で「どんな会社にも一匹狼の居場所はある」という質問に○を付ける社員はやめやすいということが回帰分析で示されている。
- カジノは、客ごとに金の遣い方を詳細に分析し、(客が怒りだす)臨界点を超えてすってしまいそうになったら従業員がすかさず近寄ってさりげなく頭を冷やしてやり、客がすっても幸せな気分のままでいられるように保とうとする。
- (本書では裏付けられていないが)クレジットカードの履歴から、その人が離婚する確率がわかるらしい。
- 航空チケット情報サイトfarecast.comでは、絶対計算を初歩的に応用して、そのチケットがフライトまでに値上がりするか値下がりするかまで教えてくれる。
- zillow.comは、不動産情報データをマイニングして最も適切な家の値段を算出するサイト。
- 映画のシナリオの要素を入力するだけで、その映画がヒットするかどうかをかなりの確度で予測できるようになっている。当然ながら映画業界から恨みの声が上がり、激しい抵抗が起きている。そのついでに、スターを使っても使わなくても収益は変わらないことまで暴かれてしまった。
- lulu.comは、タイトルから売れ行きを推測する。また法学論文に限れば、タイトルが短くて脚注が少ないほど論文の引用回数が増える(つまり人気がある)。
統計を貫く基本原理は「一事が万事」ということでよいだろうか。
無作為抽出も、回帰分析に勝るとも劣らないツール。無作為抽出のよいところは、対象が無作為に選ばれたものでさえあれば既存のデータをそのまま流用できてしまう点(=わざわざ新規にデータを集めなくてよい)。
無作為抽出は医療/薬学での試験の定番。
無作為抽出に限らないけど、サンプルは十分に多くないといけない。
無作為抽出の例
- 2種類のWeb広告のどちらが有効かを調べるには、2種類とも無作為に出して効果の高い方を残す。簡単だけど、Google広告も基本はこれ。
- 米国のあるサラ金業者は、解約を求めてきた客をプロファイリングし、まだ利益を生みそうであれば慰留係に回す。これは無作為抽出から得られたデータが元になっている。
- 同じ業者が、さまざまな広告を出して比較検討した結果、「最初の6ヶ月は金利4.9%」とうたう方が「最初の12ヶ月は金利7.9%」とするより客を獲得できることがわかった。また、ダイレクトメールの右上に女性の顔写真を入れておくだけで男性客の反応がよくなることもわかった(金利を4.5%下げたのと同じ効果)。
- この本の英語タイトル(Super Crunchers)も、Googleアドワーズで成績のよかったタイトルが使用された。
- Amazonは新規の客に安い値段を提示していた(つまり常連は高く買わされていた)。常連客がたまたまブラウザのCookieを削除したらたちまち安い値段が表示され、Amazonに苦情を申し立てると、Amazonは「無作為抽出のせいです」と必死で謝った。今はやっていないことになっている。
- Verisignのセキュリティ証明を付けると、ほぼ確実に売り上げが伸びる。
- 男性が割礼(包皮切除)を行うと、HIVに感染する確率が半分以下になることが無作為抽出で判明した。
政策への影響
- 「貧しい人に、所得が一定以下に下がったら政府が補助金を与える」(=勤労意欲を削ぐとして多くの経済学者が嫌がる政策)という制度を実行したらどうなるかを無作為抽出で行ったところ、雇用は大して下がらなかったが、なぜか離婚率が大きく上昇した。
- 「失業者に職探し支援を提供すると失業保険料の支払いが減るか」を無作為抽出+回帰分析で実地に試したところ、大きな効果があることがわかった (失業期間が平均して1週間から4週間短縮された)。ただし参加してもしなくても、再雇用された人の給料は同じぐらいの額だった。この結果は実際に政府を動かし、費用が大きく削減された。
- 「貧しい人に家賃補助券を与えて裕福な地域への引越しを促す」という政策は、学業にも犯罪抑止にもほとんど効果がなかった。
- 連邦裁判所では伝統的に、刑事裁判は裁判官に無作為に割り当てられる。このため、裁判データが好都合にもそのまま無作為抽出データとして使用できる。その結果、刑期を長くしても短くしても、再犯率には影響しないことがわかった。
- 発展途上国で、女性を首長としなければいけない村を無作為に指定してそうでない村と比較実験した。女性首長のいる村では、水や燃料など女性の日常労働にかかわる投資が行われやすく、男性首長は教育に投資する傾向があることがわかった。先進国では絶対できない実験。
- メキシコの貧困救済政策として、「子どもを学校に通わせ、妊娠中に出産前診療を受け、栄養状態のモニタリングを受けた」人(ただし使い込み勝ちな父親ではなく母親)にだけ現金を支給するというプログラム(プログレッサ)が、無作為抽出の実地テストを経て導入された。その効果は絶大で、登校率は10%、就学率は20%向上し、通学期間は半年長くなり、離学校率も下がった。健康面の改善はさらに大きく、重篤な病気や貧血症の件数が12%下がり、平均身長も1cm伸び、新生児体重は100g増え、低体重児の率も下がった。今ではメキシコではあらゆる社会計画は事前に評価されなければならないと議会で決定されるまでになり、効果が実証されているために政権が代わってもプログラムがつぶされなくなった。
医療への影響
- 医療の研究においては統計はかなり前から使われているが、現場は必ずしもそうではなかった。
- 医療従事者が手洗いを徹底することで死亡率が劇的に下がることを1840年代に指摘したある医者は、他の医者から猛反発を受け、そのショックで精神を病んで死んでしまった。
- そして現代のアメリカですら未だに多くの医者がまめに手を洗っておらず、そのために感染症で死ぬ人が後を絶たない。ある小児科医は、自分の妻が重病で入院したときに病院の対応に不手際が多すぎることに業を煮やし、無作為抽出テストによって、医者が手洗いを系統的に行う、人工呼吸器や静脈カテーテル挿入の手順を改善するなどの、6つの改善を行うことで、年間25,000人を救えることを実証する。この改善は多くの医者の抵抗を乗り越えて全国的に導入され、最終的に500日で100,000人が救われた計算になる。
- 年次健康診断は実は意味がないことがほとんど。ほとんどの場合、受ける必要のない人が受けていて医療費が無駄になっている。
- 医者が実践しているいくつかの医療行為は、実は効果がない/逆効果であることが外部からの無作為抽出で暴かれつつある。たとえば、角膜炎の患者には眼帯をしない方が治療効果があるが、多くの医者が未だに眼帯をすべしと信じている。
- 今や医者の経験よりも、医療データベース(またはGoogle検索)の方が適切な診断を下す。少なくとも医療データベースは、可能性のある病気を残らずリストアップしてくれるため、見逃しが激減する。
- このため、多くの医者が自分の専門知識よりも、絶対計算に基づいた医療データベースの方が優れていることを認めたがらない。日本ではこの医療データベースはまったく売れていない。
取り扱いミス
- ある高齢の常習犯罪者が、絶対計算の応用である性犯罪者再犯率急速リスク評価で4点(=10年以内の再犯率が55%)と算出されたにもかかわらず、司法関係者が何となく仮釈放してしまい、たちまち逃亡したうえ少年をレイプして再び収監された。絶対計算が正しくても専門家が間違えてしまった例。
- 「カフェイン摂取は心臓病のリスクを高める」というのは、カフェイン好きに煙草好きが多い点を統計時に補正していなかったための誤った結論。
- ある絶対計算の専門家(著者の知人)は「皆が銃を所持すれば犯罪が減る」という結論を出し、多くの銃器開放論者を喜ばせたが、公開されているデータを著者たちが調べると計算に誤りがあり、再計算すると逆の結論が出た。しかし相手はそれを認めようとせず、匿名での掲示板書き込みや裁判を含むあらゆる方法で著者たちを妨害し続けている。データが公開されていただけましな例。
- 「実験に参加する被験者の数が途中で大幅に減るような無作為抽出テストの結果は使うべきでない」という戒めの言葉がある。
- ハーバード大学の学長が「数学において男性の知能指数は女性の知能指数より分散が大きい(=出来不出来が激しい)」と発言したところ、マスコミが「学長『女性は男性より数学の能力で劣る』と語る」と見事に勘違いして報道し、世間の猛反発を受けて辞任に追い込まれた。そのぐらい世間は統計について何も知らない。
教育への影響
- インドで深刻な問題になっている、貧しい農村における教師の現場放棄の解決法を模索する上で無作為抽出が使用された。その結果、撮影日付を改ざんできないカメラを教師に渡して授業の最初と最後に教室と生徒を撮影させ、その写真の数がそのまま給与に比例するようにする方法が最も効果的であることがわかった。
- ダイレクト・インストラクション(DI)と呼ばれる教育手法がある。教師は最初から最後までシナリオに沿ってテンポよく進め、生徒(少数である必要がある)にもテンポよく一斉に答えさせる、型破りな教育法。完全にマニュアル化され、教師には何の専門性も創造性も要求しないにもかかわらず、絶対計算による吟味の結果、ほかのどんな教育法よりも優れた結果を出していることが判明してしまった(DIで育った生徒は単にすべての成績がよいだけでなく、高次の思考力にも優れ、自尊心も高められた)。特に、成績の悪い子どもほどDIが効果的であるらしい。ご多分に漏れず現場教師および関係者から猛反発を食らい、ブッシュ大統領が後押ししたにもかかわらず、未だにほとんど普及していない。
カネゴンアイには、DIは日本の寺子屋での素読み勉強法とほぼ同じようなものに見える【松下村塾おれカネゴン】。
絶対計算は悪用も可能。悪用を防ぐために使うことも可能。
エディ・マーフィーの小ネタで、エディが白人に変装して街に出ると、白人たちが「いつものとおり、黒人どもには内緒だぜ」などといいながら料金割引などさまざまな便宜を図ってくれるというギャグがあったのだけど、実はシャレではなかったということでいいだろうか。
カネゴンは、統計はあくまでツールであって科学そのものではないと思っています。
はっと気付きましたが、私はそんなふうに考えてみたことなかったです。人間の思考も感情も化学反応の結果であるのは当然として、そうした化学反応と実際の思考や感情とのギャップの方が、そしてそれが今になってもさっぱり解決していないことの方が気になってました。