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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●日記を書いていないときは何も考えていません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
●こんな日記を読むより、最上の日々や最尤日記や研修用資料やactive galacticや科学と技術の諸相の方をお勧めします。
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終電に乗り損ねたため、雷が真上でゴロゴロ言う中、やけくそで漫画喫茶にて「One Outs」の残りを一気読みしたら朝になっていた【そのまま仕事のおれカネゴン】。
ちょい役の社長秘書を除いて、きっぱりと女性が登場しないのが大変潔い。ジャンプ漫画の王道を行く、誰もが見慣れたストーリー展開【手垢を付けるおれカネゴン】。そしてさらに、ガンダムやカイジのような、つい真似したくなるような名台詞がかけらも登場せず、将棋の駒か数学記号のように置き換え可能な、自分のキャラクター像を決して踏み外さないバーチャルな登場人物像だけで埋め尽くされているにもかかわらず、その奇想天外なアイディアと駆け引きの緊張感の連続また連続でついにカネゴンを眠らせてくれなかった。漫画にとって最も大事なのはアイディアであることを痛感【枯れた泉のおれカネゴン】。
ふとしたことで見つけたactive galacticさんの日記があまりに面白くて夢中になって読み狂う【頭に達したおれカネゴン】。たぶんカネゴンは、こんな日記を書きたかったのかもしれない。もうカネゴンは日記を書くのを止めて、ここに直リンしてしまおうか【老骨引退おれカネゴン】。
同じく世界一難しいピアノ独奏曲。
地磁気:放牧中の牛やシカも感じてる? 大型哺乳類で初
放牧中の牛や休息中のシカの多くが地磁気の影響で南か北を向いているとの分析結果を、ドイツとチェコの研究チームがまとめた。地磁気を感じる動物として、移動に使う渡り鳥やサケ、哺乳(ほにゅう)類ではコウモリが知られている。大型哺乳類で感知できるのが確認されたのは初めてという。米科学アカデミー紀要(電子版)に発表した。
衛星からの画像をインターネットで公開している「グーグルアース」を使い、五大陸308カ所の牛8510頭を調べた。その結果、頭を向けている方向の割合は南北になるほど高くなることが分かった。
また、チェコで2974頭のシカを対象に、群れや雪上に残された休息の跡を観察したが、餌を食べたり休んだりしていた大半が頭を北に向けていた。
地図上の南北と方位磁石が示す地磁気の南北は一致せず、高緯度ほど両者のずれが大きくなる。この特徴に注目して分析すると、牛やシカの体の向きが地磁気が示す南北に強く同調していた。また、太陽の位置や風向きとは無関係だった。
http://mainichi.jp/select/science/news/20080827k0000m040076000c.html
先日ホームセンターを散策中、片隅で売っていた超強力な巨大フェライト磁石をふと頭に当てて激しく振動させてみたあと、急に怖くなってあれこれ検索【たちまち暗示でおれカネゴン】。
■脳波にも影響を与える磁気変化
ところで、地磁気のような微弱な磁場の変化も、心臓血管系の病気が悪化したり、女性の月経周期を乱れさせたりすることはよく知られる事実である。人間の頭脳もまた、本人は冷静沈着な論理思考をしているつもりでも、意外と外部環境の影響を受けている。これが0か1かの組み合わせで情報を伝達するコンピュータとの決定的な違い。人の心は秋の空にもたとえられるように、雰囲気によってたえず揺れ動く理由でもある。
近年、地磁気をほとんどシャットアウトできる高性能な磁気シールドが開発されてきているが、地磁気が完全に遮断された場合、人体や精神活動にはいったいどのような変化がみられるのか。こうした研究ははじまってからまだ日が浅いが、いくつもの興味ある現象が観察されている。
間欠的に閃光を浴びせる実験を自然環境下と人工的に磁気が遮断された空間とで比較した場合、網膜刺激による視覚の臨界値に明らかな違いがみられるという。また、人体にある周波数の変化磁場を加えた場合、自然環境下ではみられない脳波の変化が現れ、疲労や頭痛などの症状を起こすともいう。精神分裂病の症例を調べてみると、地磁気活動の乱れと発作の時期がきわめてよく一致し、てんかん発作は逆に地磁気の安定した年に起こりやすいという報告もある。てんかん発作は脳内のニューロンの一部または全部が、瞬間的に過剰な同期に陥って放電したときに発生する。木漏れ日の刺激だとか、波光のきらめきなどが引き金になって発作が起こることはよくあることだ。ただ、この瞬間的な放電が、外部もしくは内部の磁気変化によっても引き起こされるらしいのだが、臨床的に十分には解明されていない。
http://www.tdk.co.jp/techmag/magnetism/zzz08000.htm
経頭蓋磁気刺激法
ヒトの脳内で電流を誘起する方法であるため、TMS と rTMS はてんかん発作を起こす可能性がある。ただ、てんかん患者や薬物投与を受けている患者を除いては TMS の危険性は非常に低い。また、5Hz 以上の周波数で高い強度で行う rTMS は危険性が (依然低いものの) 有意に高まることが示されている。
多くの被験者で報告されている他の TMS の副作用として以下のものがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A0%AD%E8%93%8B%E7%A3%81%E6%B0%97%E5%88%BA%E6%BF%80%E6%B3%95
漫画喫茶でやっとLIAR GAMEを見つけて一気読み。表紙が他の漫画に埋もれていて、これまで見つけられなかった【竹輪の眼を持つおれカネゴン】。
カネゴンアイにはどの登場人物もことごとく極限まで記号化されているようにしか見えず(含み笑いが例外なく「くっくっくっ...」だったり、人物が自分の役割を決してはみださないところなど)、初期設定もヤンジャンらしい無理やりさ加減に溢れかえっているにもかかわらず、ストーリーというかコンセプトが実に濃厚かつ天晴れで、そのギャップが凄い。ちょうどカネゴンがPerfumeのメンバーの顔をいつまでたっても覚えられないのに曲にだけ打ちのめされるのと似たような感じなのかもしれない。「みーんなゲームなのさキャハハハ」系の漫画の中では破格の出来。
カネゴンは密かに、悪人とお人好しは同じぐらい存在意義があると思っています。
斑入り山吹
世界一難しいピアノ独奏曲…。
2段目後半からの2部音符でテーマが動く部分(GDEAC) しか、譜面を追えなかった。
うりかねぐん
斑入り山吹さま
私もうんと目を凝らして追ったのですが、全然わからない...
smallball
“Liar Game”は面白いですよね , これも凄く面白いのですが , 同じ作者の“One Outs”をお勧めします . 野球を超越した野球漫画だと思っています .
うりかねぐん
smallballさま
実はその後One Outsも読み始めたのですが、あえなく時間切れでした。
神?? (たざき)
パーマでよくしゃべるのが、あ〜ちゃん。ショートカットが、のっち。ストレートのロングが、かしゆか。髪型は基本変えないので、覚えてくだされ。
そして岡田は、「漢文は中国語(話されている言葉)とは無関係である、だから古語などではない。もし、古語であれば現代でも痕跡があるはずだが、それすらない」と言う。
例えば中国革命の指導者、孫文の右腕である載伝賢は徹底的な古典教育を受け、主要な古典を暗唱できたにも関わらず、意味が解らなかったと告白している。
また、魯迅は短編小説「五しょう会(本来は「しょう」は漢字)」の中で、暗誦させられた後、「私には一字も理解できなかった」と告白している。
そもそも、漢文には文法が存在しない。つまり、動詞とか名詞という区別もない。「言」という言葉でも、「言う」という動詞なのか、「発言」という名詞なのか、判別する方法がない。また、同じ動詞でも時制がないから、現代形なのか過去形なのか区別が出来ない。さらに、句読点(「、」や「。」のこと)がないから、どこまでが一文か解らない。つまり、全体の意味が解らなければ、一字一句も解らないし、発音も解らない、全くの「書き言葉としての言語」「話されている言葉(中国語)と無縁の言語体系」と結論を出している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E8%8B%B1%E5%BC%98
ここで言う漢文は、古代/中世日本人が書いた漢文(と漢詩)ということなのだろうけど、当の中国人にすら何を言っているのかさっぱりわかってもらえず、下手をすればハナモゲラにしか聞こえなかった可能性があるということは、近年で言うとプラスチックスが歌っていた、見事なまでに日本人にしか通用しないデタラメ三昧の英語と同じようなものだったということでよいだろうか【それで学んだおれカネゴン】。
つまりプラスチックスこそが古来より伝わる漢籍の正当な精神的継承者であり、あのデタラメ英語を否定することは祖先の偉業を否定することであり、ひいては己を否定するということになるのだろうか【却下の刑のおれカネゴン】。
追記:岡田先生の書いた記事を見ると、漢文とはどうやら中国の古典の漢文を指しているようです。
漢字は、長江流域で発明されたらしいのですが、異民族が接触する洛陽盆地で、交易のための共通語として発展しました。ですから、漢文の古典には名詞や動詞の区別はなく、接頭辞や接尾辞もなく時称もありません。どんな順番で並べても意味はわかります。目で見て理解する通信手段であるのは、マーケット・ランゲージの特徴です。このため、日常の話しことばとかけ離れていても、漢字を学べば中国人と見なされることになりました。
http://www.bnet-web.co.jp/perseuna/2007_03_data/07_peru3_041_079.pdf
失礼しました【ごめんですますおれカネゴン】。
教えて欲しい。その昔NHK-FMで毎週火曜夜に放送されていた「サウンドストリート」でかけられた、ピアノ2台で演奏する絶妙な「パリのアメリカ人」はどこの誰が出した何というCDで聴けるのだろうか。
当時「何とかとかいう双子の姉妹が弾いている」と放送でコメントされていたかすかな記憶だけを頼りに、ラベック姉妹の「パリのアメリカ人」を買ってつい先ほど聴いてみたのだけど、カネゴンの記憶にあるそれとはまったく違っていたうえに全然好みの演奏でなかった【博打に向かぬおれカネゴン】。
もしついでにわかる人あれば、「レインボーマン」でミスターKが死ね死ね団員を処刑する時に必ずかかった壮烈な「トッカータとフーガ ニ短調」がどこの誰が演奏した何というレコードなのか教えていただけないだろうか。
いずれもカネゴンにとっては屈指の名演です【他力がすべてのおれカネゴン】。
易経は「世の森羅万象は、そのごく一部分(筮竹やサイコロなど)にも絶え間なく反映されている」つまり「部分を観測することで全体を推測できる」というものだとカネゴン理解しているのだけど、方法はともかく、その思想だけは統計と何ら変わりがないような気がしてくる【亀の甲羅でおれカネゴン】。
もしかすると、易経のテキストである三易のうち現代に伝わっていない「連山」と「帰蔵」には、その辺の統計学的方法論が満載だったりするのだろうか。かのアルキメデス写本のようにひょっこり見つかったりしないだろうか【そして眠るはおれカネゴン】。
統計と易が最も異なる点は、統計はサンプルをたくさんとればとるほど正確な値が期待できるのに対して、易は「何度も占ってはならない」という注意書きがあるとおり、無謀にもたった一度の測定で決定しようとすることかもしれない。逆ベイズ推定というか。
易が測定し推測しようとしているのは、おそらく母集団の分散でもなければ平均値でもなく、システムの「ゆらぎ」なのかもしれない。だとすれば、ゆらぎは何度も測定するうちに相殺されて消えてしまうので、何度も測定(占い)を繰り返すことがご法度になるのかもしれない。
後は、瞬間のゆらぎにどれほどの情報が詰め込まれているかにかかっているのだろうけど、瞬間のパルスは相当高い領域まで高周波を含んでいるのが普通なので、情報だけはやたらいっぱいあると考えていいかもしれない。それをどうやってフィルタするのかまではどうにも見当が付かない(が、そのままにする予定)。
たまたまWikipediaで中国の歴史を読んでしまい、膨大すぎてはまる。
中国の各王朝を起こした皇帝は貧農出身の1人を除いて基本的にヤクザ出身であることと、王になるとほぼ例外なく酒色に溺れることと、身内贔屓はどうしてもやめられないことと、官僚制は確実に腐敗することと、中国の人口が急激に増加した最大の原因はトウモロコシとサツマイモと落花生が導入されたことと、どの王朝もいつかは滅びることに気付く【寝言同然おれカネゴン】。
bo_rude
そんなことしたら、お母さんにこっぴどくしかられて、
子供の代わりに、お父さんの寿命が一日縮んでしまいます。>>恐怖新聞
svnseeds
> 「まったく働きたくない人」というものを仮定しないのだろうか
ミクロうろ覚えの記憶では、余暇がGoodsで労働がBadsと定義されていた気がするので、経済学においてはある意味、すべての人が「まったく働きたくない」と考えていると仮定している、といえるかも。
ただまあいくら望んでもそれが実現するとは限らんのが現実の世界であり、現実の世界を歯医者のように研究するのが経済学の使命wなんじゃなかろうかと僕は思っておるので、「まったく働きたくないけど働かざるを得ない人」の話ばかりになるのはしょうがないんじゃないかなあ。
また、優れた絵画や建築作品には多く黄金比が見られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E6%AF%94
教えて欲しい。これは本当にそうなのだろうか。絵画の描線のどこに注目するかによって、黄金比でも白銀比でも望みのままに見い出せてしまったりしないのだろうか。いしいひさいちの絵ぐらい描線がくっきりしていないと黄金比の取り方でもめたりしないのだろうか。それともまた何か、まずいことを聞いてしまったのだろうか【崖の上にておれカネゴン】。
続き。
グルダに言わせれば、きれいな音色を出せるかどうかは「非常にまれな特別な才能」だそうだよ。
グルダがピアニストとして音色を評価していたのは、本人自身を除くと、ルービンシュタイン、ミケランジェリとチック・コリア。
自分は昔能を習っていたときに能楽師に
「鼓できれいな音を出せるかどうかは、ひとえに才能しだいだ。きれいな音を出せる奴は、始めて鼓を打ったときから出ている。そうでない奴はどんなに努力してもテクニックは上達してもきれいな音は出ない」
といわれたことがあったんだが、それと似た話だと思った。
http://music8.2ch.net/test/read.cgi/classical/1134495862/
楽器の音色だとか足が速いとか、こういう方面以外で才能という言葉をみだりに使うと罰せられます【刑と罰ならおれカネゴン】。
ところで、カネゴンはついこの間まで、ピアノの音色が演奏者によってよかったり悪かったりするということがあること自体にからっきし気付いていなかった【だからお主はおれカネゴン】。ピアノそのもののコンディションや調律で音色が変わるならともかく、同じピアノが弾く人によって音色が変わるなど、思いもよらなかった。
カネゴンは昔からサバとイワシのどっちがどっちだったか区別がつかないのだけど【わからず生きるおれカネゴン】、一度でも両者を並べて見比べればたぶんわかるようになりそうな気がする。それと同じような感じで、同じピアノを続いて別の人が弾くとまったく違う音色になるという体験をすれば納得できるかもしれない。
それとも大槻教授なら即座に「キーを同じ力で弾けば常に同じ音色しか出ないのだから、音色が変わるなどありえない!」と強力な論陣を張って結界を紡ぎ出し、音色が変わると称するオカルト派を見事絡め取ったりするのだろうか【遠島流しのおれカネゴン】。
ピアノではわからなかったのだけど、ドラムは演奏者によって歴然と音色が違うことはしばしば経験していた【言い訳するとはおれカネゴン】。特にハイハットのレガートは、同じ楽器を叩いても、ぞくっとするぐらいセクシーな音色を出す人もいれば、石垣相手にセックスしているような気にさせられてしまうほど味気ない音を出す人もいて、しかもそれは演奏のテクニックとは完全に独立していた。
音色は(世の人の予想に反して)ほぼまったく演奏者の思い通りにならないことを痛感。これに限らないのかもしれないのだけど、演奏者は音と楽器を完全にコントロールしているようでいて、実はほとんどの部分は自分の意思を通しようもない不気味な脊髄反射で賄わざるを得なかったりする。
だとすれば、いい音色を出せる人は、わざとだめな音色を出すことができないのかもしれない。大槻教授による追試を希望【献体できればおれカネゴン】。
ご本人からチェックが【動転するとはおれカネゴン】。
ks1234_1234
すみけんです。こんにちは。仮大槻教授「キーを同じ力で弾けば常に同じ音色しか出ない」でまあ、演奏者の力量で ピアノに対して鳴らしたい音に必要な力加減をコントロールすると いい音になるわけでして。へただとコントロールできません。単音でなくアンサンブルになると さらに。なので、自宅のアップライトピアノでも、わたしが弾くとヘタれた音で、父(プロ)が弾くときらめいてましたですよ。
うりかねぐん
こんばんは。少々大げさに書いてしまいましたが、ピアノの音色というものに長らく無頓着でした。
単音だけなら誰が鳴らしても同じだとは思いますが、フレーズを弾いたときに技術の違いが出てきますね。
ssuguru
はじめまして。
黄金比については、Wikipediaの参考文献にも挙げられている「黄金比はすべてを美しくするか?」が「多くのケースで研究者が、作品の中にある無数の線分から恣意的に(あるいは無意識のうちに)黄金比らしいものを発明してしまう結果、黄金比=美の基本と言う誤った結論に至っていたことがわかる。」という結論に至っているそうです。
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004272.html
うりかねぐん
ssuguruさま
ありがとうございます。黄金比に根拠がないというのはとっくに知られていたんですね。がく。
それにしてもリンク先で紹介されている本がすごく面白そうです。
bunzo
・画像から顔らしきものを認識するアルゴリズムを応用して心霊写真発見機として使うというネタがありましたね。この延長で任意の画像から「黄金比」を発見するツールもあるといいかも。
▼「hirax.net::inside out::2004年05月22日」(心霊写真発見機)
http://www.hirax.net/diaryweb/2004/05/22.html#200405222
・仮に黄金比が美しいとして、それをどう実践に移せばいいのか迷います。例えばブログのページレイアウトに活かそうとした場合、文字ブロックの境界が接していたら文字がくっついてしまい読みにくくなります。間を空けたら黄金比の分割からは外れてしまいます。色面の分割とは勝手が違いますね。
・白銀比(1対ルート2)のような「A3判の紙を2つに折るとA4となって縦横の比率は変わらない」というものは、審美的ではなく「役に立つ」性質なので重宝します。
bunzo
音楽でも黄金比やフィボナッチ数列を活かした作曲技法は一部でありますね。理論に殉教するような姿勢がかっこよかったりします。
下記リンク先ページとそのすこし上の「かつてイアニス・クセナキスは、こんなことを考えた」のくだりは名文ですね。
▼「a day in the life of mercy snow」
http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/links0505.html#xenakis
うりかねぐん
bunzoさま
情報ありがとうございます。
紙の縦横比として誰もが真っ先に思いつくのは真四角ですが、折り曲げたときに紙の形が変わってしまうということですね。
フィボナッチ数列で作曲というと、バルトークのが有名ですね。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%99%A8%E3%81%A8%E6%89%93%E6%A5%BD%E5%99%A8%E3%81%A8%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD
svnseeds
ご無沙汰しております。何とか無事に生きてます。
音色の件、確かに同じ楽器でも人によって全く音が異なるのは、ジャムセッションに行ってると痛感しますねえ。
他の楽器はわからんけれども、ドラムの場合は、頭の中で鳴っている音がそのまま出るように思います。
音が汚い人ってのは大抵、1. 頭の中に音色のイメージがない人、2. テクニック不足でそもそも楽器がコントロールできていない人、のどれかのように愚考いたします。
で、1の人はそのほとんどが、テクニックだけで音色をコントロールしようとしていて、ダイナミクスや音符の粗密なんかのコントラストに意識がない人だったりする気がします。
ドラムを教えていると、シンバルレガートの音色のバリエーションについて良く質問されるのだけど、「どうやってスティックをホールドしていてどの角度でシンバルと接触させているか」に関心がある人が多いのですよ。
でもこちらは「どのダイナミクスでどういう変化を」が重要で、テクニカルなことは体が勝手に処理している、という感覚なんだよなあ。だから話が合わない。
もっとも、僕も最初のうちはグリップとか角度とか気にしていたような気もする。だから音色のコントロールは慣れの問題であって、もって生まれた才能じゃないと思うなあ。
一度何かの楽器で良い音を出せるようになると、他の楽器でも良い音を出せるようになるので、才能のように見えることがあるだけ、のような気がするけどどうでしょう。
うりかねぐん
どもです。
音色がいい人にとっての練習は、そのいい音色が出る確率を95%から100%に近づけるという練習なのかもしれないとふと思いました。
逆に、いい音色にならない人におけるいい音出現率が当初0%だとすると、それを5%にもっていくことはできても、95%にもっていくのはえらく大変そうな気がします。どちらの人にとっても、それぞれの狭いレンジでの変化にとどまって、このいい音色-悪い音色というレンジ全体を自由自在に行き来することはたぶん誰もできないのではないかと推測してます(だんだん何言ってるのかわかんなくなってきた...)。
smallball
わたしは“ドラマーが変わるバンドは安定しない”という持論を持っている(売れてるバンドは何故かドラマーが普遍である事が多い)のですが , “音色は(世の人の予想に反して)ほぼまったく演奏者の思い通りにならない”というのに関係しているかもしれませんね .
うりかねぐん
smallballさま
バンドのどのメンバーがサウンドの核になっているかという点で、ドラマーがその役を担っている場合が多そうですね。
カウントベイシーのビッグバンドの場合、カウントベイシーが死んでもサウンドがまったく変わらなかったのに、ギターのフレディ・グリーンが死んだ途端に仕上がりががらりと変わってしまったということがありました。
【二度も歌ったおれカネゴン】。
「日経サイエンス別冊「こころのサイエンス」04」からかいつまむ。
子供を育てるにあたり、子供の知能や才能を強調したり褒めたりすると、予想に反して次のような結果になりやすい:
対照的に、子供の努力を強調したり褒めたりすることで、その能力にかかわらず、困難に挑戦し、短所を改善し、成績も向上するようになった。
大人でも、たとえば漫画家や映画監督やゲームクリエイターなどは前者と同じ罠に落ちやすいような気がしないでもない。周りの人たちも話題が他にないものだから深く考えずに一つ覚えで「才能ありますね」とばかり繰り返し、それがまじないとして本人にじわじわ影響を与えたりしそう。未来の子供たちが進路を定めるにあたり、そういう意味での職業ごとおよび業界ごとの危険度を測定しておく必要があるのかもしれない。
それとも実はカネゴン以外の世の大人たちの間では、才能をむやみに褒め称えることで相手を遠回しに引きずり下ろせることなどとっくに知れ渡っていて、合法的な兵器として日々互いに己れの敵の才能を念入りに誉め殺し、転落を図っていたりしたらどうしよう。
マキアヴェリ語録。内容はともかく、微妙にこなれていない日本語が気になって仕方がないので、気になった文のみカネゴンが練習として勝手にリライト【文化を汚すおれカネゴン】。
なお「君主」は「指導者」に一律変更。あくまで指導者向けらしいので、一般の農奴には通用しないかわり、指導者であれば社長でもヤクザの首領(ドン)でもよいはず【ワンオブ農奴のおれカネゴン】。
数年ぶりに他人のブログをたくさん見ました【長期の鬱とおれカネゴン】。
森さんと殊能さん。
高校野球だと、自分と同じ県の高校を応援するようだが、それは何故だろうか? 県民であるというだけで、どうして応援するのか? 選手の中には、他県からその高校へ入学している人もいる。出身地が違っている場合はさらに多い。自分の母校だったら、わからないでもないが、否、たとえ母校であっても、知らない人ばかりではないか。
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2008/07/29/index.php
高校球児の諸君、不祥事を起こすなら開催日ぎりぎりを狙いましょう。無言の圧力で出場辞退させられずにすむらしい。さすがにレギュラーだと無理だろうから、補欠限定。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/links0808.html
カネゴンの中で何となく同じような印象のある二人だけどこれだけ違う。前者には是非、外宇宙から公然と侵略を受けたときにもこのポジションを平然と保ってほしい。
追記:ふと思って検索してみると、桐生なんとか高等学校が何やら不祥事を起こしていたということに後から気付きました【やはりお主はおれカネゴン】。
カネゴンとしては、世界人口のうちほとんどの人が、野球やサッカーのチームや国家と自分自身とを何の訓練もなしに易々と同一視できることの方が興味ある。カネゴンはある時期死ぬほどがんばって何とかこの同一視の術を獲得しようとしたのだけど、未だに免許がおりない【交通刑務所おれカネゴン】。いずれにしろ、人工知能/ロボットを人間らしくするためにはこの能力を実装することを避けては通れないことを痛感【らしくなれないおれカネゴン】。
インドにもライオンがいる。しかも上野動物園で見られる。
昔は南西ヨーロッパからインドにかけて広く分布していたが、現在ではインド北西部のグジャラート州ギル保護区にのみに生息している。
そういえば旧約聖書にもライオンが登場していた。シナイ半島辺りでもかつてはライオンは当たり前のようにうろうろしていたのだろうか。以下色川武大「私の旧約聖書」より。
しかしイェホバさんはあいかわらず猜疑心が強くて、へんなこともするんです。
預言者の友人が、主の命令で「私を撲ってくれ」
突然なので、そのままにしておくと、主の御声に従わなかった、というので、その預言者は獅子に殺されてしまいます。
その友人は、べつの人に「私を撲ってくれ」といって、今度は首尾よく撲られて傷を負ったりしています。
ヤロブァム王は金の仔牛を二つ作り、「エルサレムにいかなくても、ここにお前たちをエジプトから連れのぼった神がおられるぞーー」
つまらんことをしたもので、これがイェホバさんをまた怒らせてしまうのです。
神の使いがやってきて、ヤロブァムの造った祭壇に向かい、「お前(祭壇)の上で香をたく祭司たちを犠牲としてお前のうえにささげ、人の骨がお前の上で焼かれる」
ヤロブァム王は神の使いを懐柔しようとしますが、彼はパンにも水にも手を出さず、主の命令のとおり、来た道と違う道を帰っていきます。
その神の使いをまた騙す預言者がいて、「私のところに主が現れて、神の使いを家で休息させよ、といわれました」
それでうっかりお使いは預言者の家でパンを食べ、水を呑む。さァ、たちどころに天罰覿面、お使いは獅子に襲われてしまいます。
色川武大が描写すると、時代を超えて笑えるコントになってしまうところがたまらなく好きだったりする。
カネゴン自身がどうしようもなくそうなのだけど、野球やサッカーのチームや国家と自分自身とを同一視するのが下手くそな人は、まず間違いなく「ゲームで盛り上がることも苦手」だったりする。カネゴンは、ゲームで負けているときはともかく、勝っているときにどういう顔をしたらいいのかわからなくて、ゲーム中にどういう顔をしていればそのことがばれずに済むかとそのことばかり考えてしまう【仮面がガラスのおれカネゴン】。
数年前の映画秘宝より記憶から。
町山:天才バカボンに出てくる、目玉のつながったお巡りさんいるでしょ。あれ、本当は警官じゃないんだよね。
柳下:そうなの?
町山:あのお巡りさんがあまりに拳銃をぶっぱなすんで、バカボンたちが困って警察署に電話する回があるんだよ。すると、警察署の返事が「そこ、交番ないですよ」。つまりあのお巡りさんは、自分を警官だと信じているキチガイだったんだってさ。
追記:町山さんによると、モーレツア太郎のエピソードだそうです。ご指摘ありがとうございます。
失業の歴史
中世キリスト教世界では、貧しいことは神の心にかなうこととされ、そういう人に手を差し伸べることは善行であった。宗教改革は、こういった見方を一変させ、「怠惰と貪欲は許されざる罪」で、怠惰の原因として物乞いを排斥し、労働を神聖な義務であるとした。プロテスタンティズムの流行は貧しいものへの視線を変容させ、神に見放されたことを表わすという見方が広がり、都市を締め出された貧民は荒野や森林に住みつくか、浮浪者となって暴動を起こすようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B1%E6%A5%AD#.E5.A4.B1.E6.A5.AD.E3.81.AE.E6.AD.B4.E5.8F.B2
人の考えは思ったより簡単にコロリと変わることを痛感。
日経サイエンスを読んでて、カエルは皮膚に毒を持っていることを初めて知る。
カネゴンが幼虫(小学校)の頃、学校のプールで水泳中に、プールに紛れ込んだアマガエルを面白がって口に入れたり出したりしていたことを瞬時に思い出す。
smallball
>カネゴンの中で何となく同じような印象のある二人
わたしの中ではカネゴン様も殊能先生も森博嗣も同じグループに入っています .
高校野球の類で同じ県の人を応援したくなるのは確かに不思議ですが , まあそもそも“縁もゆかりも無い人を応援したくなる”って事自体がワリと不思議な行為だと思ってます .
うりかねぐん
smallballさま
自分では同じグループとはまるで思ってなかったので、どことなくこそばいです(笑)。
想像するに、応援しているチームが勝つというのはたぶん最大級の幸せに含まれるのだと思います。ただその喜びがゼロサムゲームなのが残念です。
BUNTEN
>プロテスタンティズムの流行は貧しいものへの視線を変容させ、神に見放されたことを表わすという見方が広がり
仕事に見放されております。orz
因みにわたしは四巻が一番好きです , “より高度な犯則をしたものの勝ちだ”に大笑いしました .
ちょうどその部分で、昔書いた日記を思い出しました。
http://d.hatena.ne.jp/hachi/20020701#p8
ただいま90度ぐらい...
3巻の
「勝負に勝つとは相手を上回る事でも幸運を待つ事でもない。
勝つとはすなわち。負かす事。蹴落とす事。ドブに落ちた犬を
棒で沈める事。ぱっくり開いた傷口に塩を塗りこむ事。
勝つとは美しい事じゃない。むしろ残酷な事なんだ。
それでも勝ちたければ。鬼になれ」
このセリフは未だに自分内漫画名台詞ランキングのトップです。
紛らわしい書き方してすみません。名台詞のメッセージそのものが言葉の外見やテイストをはるかに上回っていて、何というか「パロディにしにくい」「もじりにくい」んですね。その分翻訳しやすそうです。