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マキアヴェリ語録。内容はともかく、微妙にこなれていない日本語が気になって仕方がないので、気になった文のみカネゴンが練習として勝手にリライト【文化を汚すおれカネゴン】。
なお「君主」は「指導者」に一律変更。あくまで指導者向けらしいので、一般の農奴には通用しないかわり、指導者であれば社長でもヤクザの首領(ドン)でもよいはず【ワンオブ農奴のおれカネゴン】。
- 小馬鹿にされた者は間違いなく仕返しを企むが、とことん馬鹿にして地べたに這いつくばらせてやれば仕返しをあきらめる。だから、相手を痛めつけるときには徹底的にやること。でないと自分の身が危うくなる。
- 他人をおめおめと出世させるようなへまをする者は、必ず自滅する。
- 相手を痛めつけるなら、一息にやれ。恩を着せるなら、ゆっくりと時間をかけて味あわせてやれ。
- 自分たちの望みを一つ残らず叶えるためには、無関係な第三者を蹂躙し、収奪する以外に方法はない。
- 欲がなく忠実な部下を手に入れたら、何があっても手放すな。
- ぶちのめすと見せかけてから恩を売ってやると、単に恩を与えるよりもずっと相手が感激してくれるから不思議だ。
- 恩を受けた者は、その恩を返さなければいけないような気がしてしまう。どういうわけか、恩を与えた者も、さらに恩を与え続けてやらなければいけないような気がしてしまう。
- 他国の援軍は役に立ったためしがない。負けることが趣味ならば、他国の援軍を当てにして一気に自滅してみるというのはどうだろう。
- いかに生き残るか(現実論)と、いかによりよく生きるべきか(理想論)は、まったく違うものであるにもかかわらず、何かと混同されてしまう。理想論に走る者は、破滅を望んでいると言われても仕方がない。
- 指導者は好人物であってはならない。どれほど優れた人格を備えていようと、指導者である限り、好人物であることは許されない。
- 非合法手段に訴えないと政権を維持できないなら、心を鬼にして実践しろ。後で何と言われようと、指導者なら甘んじて悪評を受け止めろ。
- 「気前がいい」と思われたら負け。ケチと言われようと、気前のいいところを他人にみだりに見せびらかさない。
- 優れた指導者は、例外なくケチだ。大事業を成し遂げる者も、例外なくケチだ。
- かりにも指導者なら、冷酷と言われようと残忍と言われようと気にしてはいけない。つまらぬ仏心を出して犯罪と無秩序を放任する指導者より、一部の犯罪者/反逆者を見せしめとして残虐に処罰する指導者の方が、長い目で見ればはるかに慈悲深いと言える。
- 物でつって恩を売ったところで、いざというときには当てにならないと思え。
- 指導者は恐れられる存在になれ。恐れられている限り、刃向かう者はいない。愛される存在になるな。いくら愛してやっても、必ず刃向かう者がいる。
- 父親が殺されたことを忘れる者はいるが、財産を奪われたことを忘れる者はいない。
- いつの時代にも、簡単に騙される者はいくらでもいる。
- 指導者は人格者である必要はない。人格者であると思わせることの方が重要。
- 物事を判断するとき、誰もが目で見て判断する。しかし、手で実際に触れて判断できる者はほとんどいない。手で触れることができるのは、ほぼ特権階級に限られるからだ。
- おいしい役は進んで引き受けろ。憎まれ役は誰かに押し付けろ。
- いいことをしても恨まれるときは恨まれる。
- 指導者は恐れられないと意味がない。ただし恨みを買わないように注意せよ。セキュリティと護衛をどれほど充実させようと、恨みを買ったらおしまい。
- 優秀で忠実な部下を手に入れた指導者は、その内面はどうであれ、聡明であると判断してよい。
- 善人など、状況が変わればいずれ邪悪な正体を現す。
- 助けて欲しくて倒れてみせるような真似をするな。誰も助けてはくれない。
- 防衛力は、ひとえに指導者の力量にのみ比例する。
- 運命で何もかも決まることはない。どんな状況であれ、少なくとも半分は努力の余地がある。
- 一度何かでいい目を見た者は、そこから離れることができなくなる。
- 運命に対しては、尻込みせずに果敢に挑め。運命の女神は女なのだから、運命を征服するには往復ビンタを食らわして腹の下に組み敷いてやる必要がある。