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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●日記を書いていないときは何も考えていません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
●こんな日記を読むより、最上の日々や最尤日記や研修用資料やactive galacticや科学と技術の諸相の方をお勧めします。
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グーグルがすべてを支配して知のあり方もグーグル検索ですべてすむようになると思っている人たちは、グーグルがどうやって検索結果を出すのか忘れている。あれは少数の人が既存の知的体系に基づいてページやリンクを作成するからこそ、それを参考に正しい検索結果が出る。したがって、それが完全に置き換わることはあり得ない。全員がグーグルに頼るようになったとき、グーグルはまったく役にたたなくなる。
(中略)
つまりは、グーグルはむしろ「近代のエピステーメー」の枠内にとどまる存在どころか「外部」を持つことで成立している実に近代的な存在だ。
http://cruel.org/cyzo/cyzo200607.html
この外部というのはもっぱらWikipediaだったりするのだろうか【ないと動けぬおれカネゴン】。いつぞや書いた「公理系は二本立てでないと進まない」みたいな話。
今月の日経サイエンスによると、シロアリは栄養が非常に豊富で、種類によってはかなり美味らしいとあった【明日のおかずはおれカネゴン】。
人間がシロアリを食用にする場合、採取に著しい労力が必要なうえ消化管に枯死植物質が充満した働き蟻ではなく、繁殖期に巣の外に大量に出現する生殖虫、すなわち雄と雌の羽アリを集めて食料とするのが普通である
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%83%AA
どなたかご存知ないだろうか【下らぬ問いかけおれカネゴン】。
カネゴンがこれまであちこちで耳にしたこのモチーフの元ネタは、何という曲なのだろう。たぶんクラシックの曲だと思うのだけど、少なくともこんなところで使われていた。
似たような例で、「夕日のガンマン2」の印象的な5音フレーズも、小林亜星の「バラバラマンのうた」やヒカシューの「白いハイウェイ」を始めとして数えきれないぐらいあちこちで使われている【始めが終わりのおれカネゴン】。「アンパンマン」でも焼きそばパンマンの登場音楽なんかに使われていた。
余談:今、大手一流企業になっている某会社がまだ中小企業だった際、当時の不況で社員の1割をリストラしなければならない状況になりました。で、社長の決断した解決方法はこうでした。「1割の人間の給料が足りなくて無職にしてしまうなら、自分も含め全社員の給料を一割引いて、その人の給料にしてあげようじゃないか」
当然、一部社員からは不満が出ました「がんばっている自分の給料を減らされるのは納得できない!そもそもリストラされるような人間は役立たずだ!」社長はそういう社員を一人一人呼んで、個別で面接しました。わずか10分足らず。しかし、ドアを出てきた社員はもう誰も反対しませんでした。なぜでしょう?
答え:「リストラ対象には君も含まれるんだが・・・」と言った(笑
これは見事だと思いました。結局、リストラってわが身にリアルで突きつけられるまで、実感がわかないんですよね。
http://jinon.tumblr.com/post/72807714/1
ここには何か経済学的に重要なアイディアが含まれているような気がしてしまう【含まれてるのはおれカネゴン】。
たとえば、企業が存続のためにある程度以上のレイオフを行う場合は、レイオフされる社員を乱数で決定しないといけないことにすれば、すべての社員に平等に恐怖が分配されることになり、社員たちを知らず知らずのうちに協力ゲームの土俵に移動させることができるのではないかと。
あるいは、人は二十歳になったら乱数で職業を決定しなければならず、さらに四十歳になったら乱数で転職先を決定しないといけないことにすれば、危険な職場への配慮に誰もが真剣そのもので取り組んでくれるのではないかと【脳に傷持つおれカネゴン】。
今日の実音:「Music for 18 Musicians」Steve Reich(Key=Gm)
株式や投資などから利益を得るということが、未来から金を引っ張ってくる行為なのだとしたら、金を引っ張られた未来が不景気になるのは避けがたいことだったりするのだろうか【タイムマシンとおれカネゴン】。ちょうど、ゲームやおもちゃを販売するということは実は子供が将来生み出すはずの利益を今お金に換えてそれをかき集めることに等しいように。
人前で子供に言われて焦った無邪気な一言【もしや今でもおれカネゴン】。
漫画喫茶で久しぶりにうしろの百太郎を読み返す【何度も読むのがおれカネゴン】。
連載途中から大人気になったらしく、読者からおびただしい霊体験レポートと助けを求める声(主に精神病院から)が怒濤のように寄せられ、ほったらかすわけにもいかなくなった作者が完璧に頭を抱えている様子が手に取るようにわかる。なお、論拠のほとんどを「大新聞に載ったから」「テレビでやってたから」と権威に求めていたりする傾向あり。
一番よかったのが、中盤で唐突に催眠術の達人が抜き打ちでデモンストレーションを行い、あたかもそこに霊が出現したかのように教室の生徒全員に思い込ませ【振り子で眠るおれカネゴン】、それをもって安易にこっくりさんを行わないようにと読者も含めて警告するシーン。その心は、もうこれ以上こちらに助けを求めないでくれという作者の魂の叫びだったのかもしれない。
カネゴンとしては、このように膨大な読者から寄せられた、こってりと念のこもったお便りと助けを求める声こそ霊および霊現象そのものだと確信。この現象を霊として定義すれば、その上にさまざまな熱力学的仮説を打ち立てるための21世紀的なモデル作りが格段に容易になったりしないだろうか。なお霊のいい悪いを詮議することにはあまり意味がなく、善悪にかかわらず、その数(強さ)のみが問題になる。熱現象においてその温度のみが問題になるように。
かくして、世界で初めて霊現象の客観的な測定および数値化と量子化が可能になり、さまざまな数学を導入して理論を厳密化し、ひいては経済学にも「悪霊」の概念をスムーズに導入できたりしないだろうか【怪力乱神おれカネゴン】。
この定義に従えば、はてなブクマを始めとするソーシャルブックマークたちも紛れもなく霊であり、ブクマが短期間に大量にカウントアップする現象は(肯定/否定にかかわらず)霊現象および霊障である。カネゴンがこれまで、ブクマされそうな日記を努めて書かないようにしていたのはこうした霊障を避けるためであったのかということにカネゴンここまで書いて初めて気付く【霊も寄らぬはおれカネゴン】。
ssuguru
投資は未来のために現在のお金を使う行為です。
未来からお金を引っ張ってくるのは借り入れ、借金、債務、負債あたりではないでしょうか。
うりかねぐん
ssuguruさま
すみません。逆さでした。他に適切な言葉がありそうなのですが...
renpoo
先輩。
霊現象、ここまで進みました。如何でしょうか?
http://forums.cgsociety.org/showthread.php?p=5637285#post5637285
あと、坐禅をやってると霊現象というか超常体験や神秘体験はものの数にも当たりません。ただ鈴木大拙博士が『日本的霊性』と呼んだ、根源的体験がなんであるかは、幸か不幸か経験しました。
ま、雲散霧消ですが。
坐禅した方が好いですね。>わたし
うりかねぐん
renpooさま
霊を語ると霊が集まるとでもいうか...そんな私は霊体験がからっきしありません。
renpoo
あ、わたしが経験したのは「幽霊の存在なんてくだらなすぎる」と得心するような経験のことです。(苦笑)
新しい大統領があまりにも立派な人で、カネゴン自分が恥ずかしくてたまらなくなる【土下座終われぬおれカネゴン】。
とっくにたとえられているかもしれないのだけど、新大統領がどことなくヤコブの子ヨゼフに見えてしまう。またしても色川武大「私の旧約聖書」より記憶から。
ヨゼフは父ヤコブから猫かわいがりされたために兄弟の嫉妬を買い、奴隷としてエジプトに売り飛ばされますが、才覚を発揮して家令の立場に出世します。その家の妻がヨゼフに言い寄りますがなびかなかったために投獄されますが、それがかえって出世のきっかけとなり、得意の予知能力を発揮してついには宰相の地位にまで上り詰めます。
ヨゼフの実力なら、パロに取って代わることもできたでしょうが、それをしなかったのは、一つにはヨゼフには外国人という引け目があったからかもしれません。
外国人はその土地では主流派にはなれないので、ひたすら実務の才能を発揮して勤め続けなければなりません。それを考えると、ヨゼフを宰相に任命したパロもなかなかやるなという感じです。
ヨゼフは粉骨砕身、パロのために尽くします。7年の飢饉が激しくなると、人民が穀物を求めてエジプトに続々と集まります。ついには穀物を買う金も尽き、人民は家畜をパロに差し出して、その代償に穀物をもらいます。
それもなくなると、ついには人民は土地と自らをパロに差し出して奴隷となり、その代償に穀物をもらいます。こうして、ヨゼフは家畜も土地も人民も、すっかりパロのものにしてしまいます。
日本の内閣や議会にも、プロ野球みたいな外国人枠を定めることを誰か計画していたりするだろうか。
芸術とは、我らが隣人の営為である。作品鑑賞の際に、この前提を失念してはならない。
若い頃は、常人には及びもつかない天賦の才に恵まれた者だけが、芸術作品を制作できると信じていた。それ故、欠点が目に付くと、どうしても批判的にならざるを得なかった。天才なら完璧なものを作れと。しかし、今でははっきりとわかる。芸術作品の大半は、知性も感性も、一般市民とそう大して変わらぬ者たちが苦労して作り上げているのだと。どうしても意に満たぬ所、技巧の及ばぬ点が現れてしまう。これは、人間の営為である以上、必然的な結果であり、責めるわけにはいかない。むしろ、作品を鑑賞する側が、不足する部分を補完するように努力すべきである。すなわち、芸術作品とは、現実には存在しない完璧なものを目指して、芸術家と鑑賞者が共同作業によって作り上げていくものである。くれぐれも、あら探しばかりする愚かしい批評家くずれに成り下がってはならない。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/nikki/2003_2.htm#000
カネゴンも、ネットの一角でときどき見かける「才能のある人には批評と称してどんなひどいことを言っても許される」みたいな雰囲気がどうにも恐ろしかったのだけど、この一文ですっきりした。長年の鼻づまりが治ったような心持【左右交互のおれカネゴン】。
このところ、ニコ動に大量にアップされている古武道の演舞を見ていたのだけど、何度見返しても、運動神経ヒエラルキーの底辺に位置するカネゴンには、ジャッキー・チェンの映画のような誇張のない地味なドキュメント動画からその凄さを感じ取ることがほとんどできないでいる。人は、自分自身よりも能力が上の世界については、その中での差異を見分けることはできないというのは本当であることを痛感【壷の底からおれカネゴン】。
総裁語録の一つが目に留まる【集中せぬとはおれカネゴン】。
「勝ってこそ正論は正論になる。負ければ正論もグチに聞こえる」
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kavach/sousai01.html#Anchor257931
つまり、まったく同じ文章であっても、それをどんな立場から書いたかによって、まったく意味が違ってしまうということになる。これと似た例として、エディ・マーフィーが黒人をネタにして笑いを取ることは許されても、カネゴンがまったく同じネタをぶちかましたら大変なことになってしまうというのがあったりする【ハルマゲドン引きおれカネゴン】。
機械翻訳がいつまでたってもものにならない最大の理由はこれであると考えてよいだろうか。
昆虫食。
(クモは)チョコレートに似た味とする書物もあるが実食によると誤りという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%86%E8%99%AB%E9%A3%9F
カネゴンこの本持ってます。
昨日放映していた「NHKスペシャル シリーズ『男と女』」でカネゴンにとって最も衝撃的だったのは、年々短くなるY染色体の映像の方ではなく、チンパンジーの精子と人間の精子の顕微鏡動画だった【どこかにすっ飛ぶおれカネゴン】。
一つ残らずピクピクと実に生きのよいチンパンジーのそれと異なり、人間のそれは大半がぐったりしていて、何だかとても頼りないうえに、奇形もしょっちゅう混じっている。現在でも人間の精子は年々元気がなくなっているとのこと。
この違いの最も大きな原因として、サルが基本的に乱婚であるのと対照的に、ヒト(正確には原始人)が一夫一妻制を選択したことが原因である可能性が大きいと説明されていた。サルは乱婚なので、精子の生きのよさが子孫を残すための死命を制するのに対し、相手を固定することによって安定を得た婚姻制では、子孫の製作時点よりも、できた子供を何が何でも生かしておこうとして努力する方に重点が置かれたのかもしれない。なお、一夫多妻制であっても、構成員が固定されていれば同じ効果が得られると推測される【効果を求めるおれカネゴン】。
カネゴンにとって、これまで見たどんな資料より、進化の爪痕をまざまざと感じさせる映像だった。
進化も含めてこの当たりの話を極端に一般化すると、以下のような感じになるということでよいだろうか【それで乗り切るおれカネゴン】。
旧隣人
>身体/心のどの部分であっても、使いすぎると壊れる
でも、カネゴンの脳はたいして使ってもないのに壊れてますよ【カーロスリベラな君カネゴン】。
bunzo
「進化も含めてこの当たりの話を極端に一般化すると、以下のような感じに」について。
最近は《廃用萎縮》というキーワードが自分の関心事だったので上手なまとめに納得でした。
グリッドにしてまとめると縦軸に《使う/使わない》横軸に《メリット/デメリット》という組み合わせで、結果が4つできますね。カネゴンさんのこのまとめだと《身体/心のどの部分であっても、使わなければ減らないので有利だ》というのがありませんがこれはやはり間違っているのでしょうか。
《豊かさとはなにか》というと、答のひとつは《使わなくてもよくなった機能を維持していける余裕》みたいなことかと最近は思うようになりました。(個人が筋肉を維持することや国家が食糧自給率を維持するようなことまで)。
うりかねぐん
buntenさま
体と心でちょっと違いがあるかもしれないですね。野球選手の肩のように、身体は使わないと鍛えられないけど使いすぎると壊れるという感じ。心というか脳は、使い過ぎて壊れるということは起きなさそうですが、そのかわりその機能ばかり使うと他の部分が衰えるのかなと思います。
ayahachi
> 心というか脳は、使い過ぎて壊れるということは
あると思います。
うりかねぐん
ayahachiさま
特に根拠もなく書いてしまいました。すいません。
bunzo
「心というか脳は、使い過ぎて壊れるということは」について
壊れる代わりに飽きたりして。たとえば楽器の練習って飽きることもあるのでしょうか。佐々木倫子の漫画で牛丼を食べ過ぎて《人生の定量》に達してしまいもう食べられなくなった話がありました。端から見ると牛丼に飽きたように見えるのかも。
http://mucololo.jugem.jp/?eid=139
進化の話から下世話な脱線で恐縮です。
「科学と技術の諸相」サイトの方による著作「光の場、電子の海―量子場理論への道 (新潮選書)」があまりに素晴らしくて泣きそうになる【電車で読むのはおれカネゴン】。
著者自身による紹介文:
- 量子力学と素粒子論を結びつけるミッシング・リンクたる「量子場の理論」。これまで、本格的な解説書が皆無に近かったこの理論について、高等数学を使わずに解説します。「量子論の端緒となった光量子論はどうなったのか?」「γ線を用いた思考実験で不確定性原理を説明するハイゼンベルクの議論は妥当なのか?」「素粒子の標準模型と量子力学はどんな関係にあるのか?」−−こんな疑問を抱いていた人にお勧めです。
- 主要論文を読破し理解した上で、前期量子論からくりこみ理論に至る理論の形成過程を叙述します。現在の知識に基づいて再編成した「教科書的な科学史」ではなく、試行錯誤を重ねながら少しずつ前進していくプロセスを、理論の具体的な内容を中心に見ていきます。
- これまでの科学史であまり語られなかった天才ディラックと怪物パウリの知的対決にスポットライトを当てます。また、呪われた物理学者ヨルダンの業績も正当に評価します。一方、過大評価されてきたボーアとハイゼンベルクについては、やや批判的に解説します。
まさにこのとおりの内容が展開されている。文芸ムード満点で語られがちな初期量子力学への誤解を正し、物理学は100年近くも前にとっくにその先に進んでいることを痛感させる。この物凄い内容を、カネゴンがうんと背伸びすれば読める程度の難しさに留めた著者の力量に感嘆。
著者は文章の表現力も相当なものであるにもかかわらず、本書の最初と最後以外ではそれを極力抑制していて、その禁欲さ加減がまたたまらない。もし仮に物理学者とサイエンスライターの二人がかりでこの本を書いたとしたら、ここまでのできになったかどうか。1+1<1である場合もありえることを知る【苦手な算数おれカネゴン】。
同書で大フィーチャーされているヨルダンは、量子場理論の立役者の一人でありながら、親ナチス的な発言と行動が災いして、物理の歴史にほとんど載せてもらっていないとのこと。カネゴンの夢はこういう人を手元で飼い殺しにすることです【新年早々おれカネゴン】。
no-name
自分も吉田氏の著作を持っていたことに気が付きました。
Amazon.co.jp: 20世紀の宇宙像・物質像: 吉田 伸夫: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4823102584
この本の著者だったのかー。
この本はあまり面白いので、仕事の差しさわりになると思って
読まないようにしていましたが、読みたくなってしまいました。
ところで、こんなページを見つけました。
http://d.hatena.ne.jp/hachi/20010711#p5
うりかねぐん
no-name さま
もしやと思いましたが、同じページを再発見してました私。またやっちゃいました。
sadkato
祭、いいですね。過去に2回ほど世界規模の祭がありましたよね。もっとうまいやりかたがあればいいんですが。
うりかねぐん
sadkatoさま
宗派を超えて盛り上がれる神輿を作れればいけるかもしれないですね。ブルース・リーを御神体にするとか。
[イリノイの浣腸強盗]て唄。たしかにドロボーだ。
有名な映画のテーマなのかもしれませんね。と思いつつ。答えは不明です。すいません。
ザッパもやっているとは、ますますどこかに元ネタがある感じですね。ありがとうございます。
昔、ピアニストの女性が「半音階」とか「デモーニッシュ」という言葉を使って、それを日本の歌謡曲に持ち込んだのは都倉俊一で、山本リンダやピンクレディを例に色々説明してくれたんだけど、忘れちゃった・・・
いらっしゃいませ!何だかとても光栄です。
ここまで短いと元ネタ探しも難しそうですね...
こちらの元ネタは、「冒険手帳」http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=45005805 だったような気がしますが、思った以上に広がっているのかも。
例えば「ドロボーのテーマ」とは違いますがドビュッシーのチェロソナタの第二楽章も出だしが低音がちょっと不気味な雰囲気でおバケとかドロボーとか出てきそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=JczBNUqGvCY
音楽にも真善美な綺麗なフレーズだけではない楽想が必要なんですね。楽想の分類ってあるのでしょうか。(テレビドラマの劇伴のサウンドトラックアルバムはたいてい「愛のテーマ」「勇壮」「コミカル」「サスペンス」「神秘」「戦闘」...といったシーンがひと通り揃ってますね。)
このドビュッシーのチェロソナタ、初めて聴きました。確かに出だしは恐怖映画のサントラっぽくもありますね。やっぱり近代音楽は恐怖表現を充実させる方向に発展したのかなと思いました。
楽想というほどでもないですが、ハリウッド映画などで中国の風物が出ると必ずと言ってよいほどかかる「たかたかたったっ」というあのモチーフも定番ですね。ここまでくるとステレオタイプといってもよいかもしれませんが。
ラヴェルの「マ・メール・ロア」の第三楽章「パコダの女王レドレネット」には、この延長線上にあるのかもしれません。ということは、この中国っぽさというかエキゾチズムはそれより昔からヨーロッパで知られていたんでしょうか。案外万国博覧会あたりで使われた音楽が定着しただけなのかもしれないですね。
http://www.youtube.com/watch?v=-JQo9mZLJUY