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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●日記を書いていないときは何も考えていません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
●こんな日記を読むより、最上の日々や最尤日記や研修用資料やactive galacticや科学と技術の諸相の方をお勧めします。
●twitter: hachi8833
●tumblr: orekane.tumblr.com
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最近ニュースで見た貧乏神神社なのだけど、参拝方法が「御神体にパンチや蹴りを入れる」というのが何とも心が痛む。貧乏神といえども神であり【共に暮らしておれカネゴン】、しかも世界にまったく類を見ない日本独自の神ではないかとすらカネゴン根拠なしに考えているので、アニメに続く日本独自のコンテンツとして貧乏神を世界に隈無く広めるためにも参拝方法はもう少し穏やかなものにしていただきたい【輸出を企むおれカネゴン】。
実は逆説的に、貧乏神にこそ恵みを垂れ、じゃんじゃんお供えとお賽銭を供給することで初めて貧乏と不景気を克服できるのだとしたらどうしよう【おこぼれ待つとはおれカネゴン】。貧乏神と福の神自身にすら気付かれていない経済学的なメカニズムが作用する可能性があるとしたらどうしよう。逆に言えば、貧乏神を足蹴にし、つれなくしているうちは永遠に貧乏と不景気とサブプライムローン問題が改善されないとしたらどうしよう【逆裏対偶おれカネゴン】。
子供と一緒にえかきうたをするためにオバQえかきうたを復習していて【特訓するとはおれカネゴン】、今更のように山本直純の類い稀なる作曲能力に舌を巻いてしまう。
極太の筆で一気に描いたような強烈な存在感のメロディーはほとんどビゼーの境地。本人はベートーベンが好きなのだそうなのだけど。「寅さん」のみならず「小沢昭一的こころ」とか「ダスキンしましょ」とか「おおきいことはいいことだ」とか「戸締まり用心火の用心」など、ひとたびそれを耳にした者に永遠に忘却を許さず、ボーカリストの声質や楽器の音色やアレンジや楽器編成やコード進行などの猪口才な装飾的要素にこれっぽっちも依存しない、本物のメロディーメーカー。
フランスのえかきうた。ところで、えかきうたに相当する(逐語訳でない)英語ってあるのだろうか。drawing、songとかで検索してもこんなようなものしか見つからないのだけど。
あらき先生のところにあった組曲「微分積分」など。はっきりとはわからないのだけど、使われている曲はことごとくアニソン・ゲーム・同人系らしい【故郷捨てたおれカネゴン】。できれば画面にもっと動きが欲しい。
以前からこの日記で何度も「すべての人の給料をネット上でばらしてしまえばいいのに」と書いたのだけど、一部限定で本当に実現されてしまった【当たったつもりのおれカネゴン】。
今後もこの路線をひた走り、給与のみならずすべての取引内容と会計情報も、公務員のみならず民間企業も中小企業も三ちゃん農業も個人経営も、日本のみならず世界のあらゆる国もみんな恨みっこなしでいっせいにネット上で互いにばらしあうことが義務付けられる日も遠くないのかもしれない【No you can'tおれカネゴン】。黄河文明の昔からの由緒と伝統ある不正取引その他諸々の情報の非対称による不当な所得がこれによって終わってしまうのは多少寂しいような気がしないでもないのだけど【懐寂しいおれカネゴン】。
この間の続き。
知事昇格による総理選出に伴って首都を移転するのが行政上面倒だというなら、皇居と三種の神器を含むその中身だけ在任期間中その県に移転することにすれば、単なる首都移転よりも遥かにシンボリックな存在であるやんごとなき諸々のお歴々をお招きできるということで、国体なんか目でもないほどさらにいっそう盛り上がったりしないだろうか【ついにとうとうおれカネゴン】。
直訳っぽく言えば、この「人間おみこし作戦」こそがロイヤルファミリーの経済的効果を最大化する【天つ罪科おれカネゴン】。電通あたりなら一日もあればその経済効果を試算できそう。
赴任先の県にロイヤルパレスにふさわしい手頃なお屋敷がない場合は、光ネットワークとCATVとオール電化が完備した駅から5分で買い物に便利で眺望のよいマンションの最上階あたりにお住まいになっていただき、屋根だけ瓦葺きまたは茅葺きに改修、玄関には巨大な鳥居と純白の図太い注連縄を設置、そして最上階まで直通の階段を増設ということになってしまうかもしれないけれど【自治会困らすおれカネゴン】。
時々、日付を替えるのが面倒になります。
(一意性の証明)
N
=p1q2・・・rm
=a1b2・・・cn と2通りに書けたものとする。
このとき、素数 rm は、Nの約数なので、a1、b2、・・・、cn のどれかは rmの倍数である。
したがって、添え数を適当に入れ替えて、cn=rm とすることができる。
よって、 p1q2・・・rm-1=a1b2・・・cn-1 となる。
この操作を続ければ、m=n で、{ p1,q2,・・・,rm }={a1,b2,・・・,cn } であることが分かる。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/s_honma/divisor/divisor3.htm
仮に素因数分解を2通りに書けたとして、それぞれの因数の個数がもしも同じでなかったら(a*b*c=p*q*r*sみたいな具合に)、「この操作」を行うとどちらかが余ってしまったりしないのだろうか【逆ねじ三昧おれカネゴン】。
カネゴンの記憶違いでなければいいのだけど【十中八九おれカネゴン】、TV版デビルマンで、デビルマンが戦闘中に突然自分の身体にわざと傷を付けるという場面を何度も見かけたような気がする。この自傷行為に一体どんな理屈を付けて正当化していたのかさっぱり思い出せない。
自宅近所の国道のアスファルトが数年前に新しくなった後、一番驚いたのは、そこを通行する自動車の走行音が大変静かになったこと。いつの間にこんな凄い技術が開発されたのだろう。近寄ってみると従来のアスファルトと違ってどことなくふわふわとスポンジのよう。
↑YouTubeでたまたま見かけて、ランランという中華のピアニストを初めて知る。動画では一瞬頭のかわいそうな人に見えてしまったのだけど【同病憐れむおれカネゴン】、表現力が凄まじくてあっという間に惹き込まれてしまう。
井原西鶴「日本永代蔵」のあらすじが既に面白い。以下の話なんかは、サブプライムローン問題の解決に使えそうな三方一両得的知恵。もしかすると経済学者は誰も井原西鶴とか読んでなかったりするのだろうか【言説矛盾のおれカネゴン】。
春日の里に松屋という金持ちがあった。しかし贅沢三昧をしたため、亡くなったときには妻子に多額の借金を残した。そこで彼女は自分の家を頼母子(たのもし)の入れ札で売る事にした。一人銀4匁(もんめ)で入れ札をさせ、あたった人が家をもらえるのである。入れ札をしたのは3000人で後家は銀12貫目を受取り、そのなかから5貫目の借金を返したのである。また札にあたった人は4匁で家を手に入れた。
http://www3.starcat.ne.jp/~koten/eidaipage/eida05.html
家を商品とした宝くじを発行することで借金を返済し、当たった人は喜び、当たらなかった人もわずかな出費で夢が買えるというのがアイディア。あらすじでこんなに面白かったら、本編はいかほどだろうか【読まずに済ますおれカネゴン】。
総理大臣を、各都道府県知事を昇格させる形で選んだらだめだろうか【黒い企みおれカネゴン】。その財政および行政で、数字でわかる具体的な成果を最も挙げた都道府県の知事を総理大臣とする、というルールにすれば、常に歴然とした実績が伴った総理大臣を永遠に選び続けることができるのではないかと。成果はもちろん絶対値ではなく、前任者のときからの相対的な改善値を基準とする。
さらに、総理大臣を輩出した県の県庁所在地を、総理の在任期間中日本の首都とするルールにすれば、日本全国の県民が是非自分の県を首都にとばかり一人残らず目を血走らせ、食事も抜いて節約に励んで知事に協力しまくり、地方財政が永遠に改善され続けるうえに、地方の産業も文化もそこらのお祭りなど目ではないぐらいどえらく盛り上がり続けたりしないだろうか【日本を壊すおれカネゴン】。
どうせやるなら、町内会から始まって村/町/市区/県と同じようにどんどん昇格ルールを設定すれば、もうカネゴンの出る幕などありません【企み露見のおれカネゴン】。下から地道に立身出世できるこの方法なら、共産党だろうとアルカイダだろうと実力さえ伴えば総理大臣になれるという公平さも獲得できるし【Yes We Can おれカネゴン】。
renpoo
江戸時代はわたしたちの世代には封建時代の圧政に思えてしまう、そんな教育を受けたものですが、実質は相当進んだ地方分権だったようですね。もちろん飢饉やらなにやらはあったのですが、独立採算制が徹底され、それで地方がまわっていたと聞きます。昨今は「道州制」の是非も話題に上りますが、地方の復権なくして日本の未来はない――にも関わらず、相当悲観的にならざるを得ない現状に目を背けたくなります。直視しなければなりませんね。それに先輩のアイディアは『求賢令』みたいな効果がありそうです。
えっ、まじめな話をするなって?(苦笑)
「ええじゃないか」運動をしてみたいっす。(爆)
カネゴンの日記でお馴染みの先祖の言葉【】は、五七五のリズムの七だけを取り出したような塩梅のフォーマットでカネゴンに語りかけてくるのだけど、そういえばカネゴンがこの音律を特訓したのは、繭(高校)の頃に百人一首を丸覚えしたのと、これまた繭(浪人)の頃に夢野久作「ドグラ・マグラ」の真ん中あたりにある長文「キチガイ地獄外道祭文」を声に出して読み上げることで名調子を確認していたときだったような気がする【不審極まるおれカネゴン】【道理でちゃかぽこおれカネゴン】。
もう少し子供向けに、こういう名調子を練習できるような手頃な素材はどこぞにないでしょうか。
秋山仁の「こんなとこにも数学が」。バックナンバーのリンクがまとまってなくてちょっと探しにくい。
前にも書いたような気がするのだけど、盗刺胞といって、クラゲなどの刺胞をウミウシが体内に取り込み、あたかも自分のものであるかのように刺胞を体表にずらりと並べたりすることをMasterキートンという漫画で知った。
昨日書いたゲーテの言葉やドロボーのテーマもそうなのだけど、打撃力のある言葉や印象的なメロディーは、この盗刺胞のごとく他のあちこちで引用されパクられ消化吸収されマッシュアップされ換骨奪胎されてもその効力を保ち続けるということでよいだろうか【盗んで並べるおれカネゴン】。
すべての人類が他人をまったく搾り取ることなく、安楽に暮らすことは物理的に可能なのだろうか【搾り搾られおれカネゴン】。マキャベリ先生は「自分たちの望みを一つ残らず叶えるためには、無関係な第三者を蹂躙し、収奪する以外に方法はない。」ととことん悲観的だったのだけど、どこかの総研あたりで、人類の総生産とあらゆる資源を総人口で割ってみたりしたことはないのだろうか。誰か暇つぶしのパズルとして解いていたりしないのだろうか。
それとも、実はこっそり割り算してみると、すべての人類が先進国並みの暮らしを実現したら地球上の資源が10年も持たずに底をつくことに気付いて、慌てて厳重に結果を封印して研究者ごと深い穴蔵に納め、口外しようとした者には追っ手を放って地の果てまで追いかけていたりするのだろうか【抜け忍暮らしのおれカネゴン】。
斑入り山吹
知らざあ言って聞かせやしょう (声にだすことばえほん) (大型本)
http://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%96%E3%81%82%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%81%9E%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%82%84%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86-%E5%A3%B0%E3%81%AB%E3%81%A0%E3%81%99%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0%E3%81%88%E3%81%BB%E3%82%93-%E6%B2%B3%E7%AB%B9-%E9%BB%99%E9%98%BF%E5%BC%A5/dp/4593560470
なんて、いかがでしょう!?
うりかねぐん
斑入り山吹さま
白波五人男の絵本があったんですね。これよさそうですね。「問われて名乗るもおこがましいが〜」
そういえば「盗みはすれども非道はせず」をもじった「盗みもすれば非道もする」という台詞が「あばしり一家」という漫画にあったのを思い出しました。
mujin
むかしNHKでやってた番組「世紀を越えて」によると、少なくとも食糧問題に関してはカロリーベースで充分全人類に行き渡るだけの生産量があるんですが、先進国が穀物を飼料として買い取ってしまい、貧困層には手の届かない価格になって飢餓が起こっているに過ぎず、先進国が食肉の消費を10%抑えるだけで飼料に回された穀物が貧困国の手元に残り、食糧問題は解決するとのことですが、その試算がどういう根拠で行われ、どれだけ正確なのかは分かりません。
うりかねぐん
mujinさま
情報ありがとうございます。やればできそうなんですね。先進国が片っ端からダイエットに血道をあげれば解決したりして。
mujin
ちょっと検索してみたら、以下アドレスに番組内容の紹介がありました。番組内容と、ページ筆者の見解がまざって分かりにくいですが、飼料の1割を食用に回せば飢えがなくなるというのが番組の主張です(さきほど食肉の10%と書いたのは勘違いでした。こちらで飼料の1割と言ってるのが正しい)。
http://www.rakuten.co.jp/uzumasa/779279/452581/
また、現在の電力消費量を見ると、バブルの時期に比べて数十%ほど延びているとのこと。下記ブログで90年の消費量を2000年の6割と言ってるのはグラフの読み間違いだと思いますが、85年までさかのぼってみればそれくらいの差になって出てきています。現在は、エネルギー資源を過剰に消費しているということでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20071024/1193215158
うりかねぐん
またまた情報ありがとうございます。電力消費量が衰えるどころかがんがん増えまくっているとは...
ayahachi
とうもろこしを(飼料ではなく)人が食べれば飢餓が解決できる、という話は、美味しんぼにもそんな回があったはず。確かにその試算がどれだけ正しいかはわからないけど、試してみる価値はあるのにね。はやく実現すればいいのにね。
うりかねぐん
ayahachiさま
町山さんの本でレポートされていた「コーン・ベルト」だか何とかとかいう映画では、米国の飼料用コーンはまずくて食べられたものではないらしいです。遺伝子改良もされまくりで虫も食わないからなのかどうか。
↑中野監督とそのお友達のおかげで、例のドロボーのテーマの正体がわかりました。しかも、かのドボチョン一家のオープニングで大々的に使われていたことにも今頃気付きました。ありがとうございます【満員御礼おれカネゴン】。
その元曲は1930年代のヒット曲「Mysterious Mose」。その時代らしい、チャールストンとスイングジャズの中間みたいな軽快なリズムの曲で、意外に凝った作り。そこにほんの一瞬だけ登場したこのモチーフが、これほど長らえるとは【輪廻転生おれカネゴン】。
そのドボチョン一家の元タイトルは「Groovie Goolies 123」。聴き比べると、日本語版の演奏も遜色ない。Groovieを「ドボチョン」に換骨奪胎させたセンスに脱帽【ドシャメシャ英語とおれカネゴン】。実は怪物くんと同じ編成だったりする。
実は息の長いシリーズらしく、さらにその白黒実写版も見つける【動画ジャンキーおれカネゴン】。カネゴンはこんな世界で永遠に暮らしてみたい【故郷見つけたおれカネゴン】。
たまたま見つけたAV監督の村西とおるのブログが半端でなく面白い【業界志願のおれカネゴン】。誤字脱字が目立つのが、逆に臨場感があったりする。漫画「ディアスポリス」に登場する山本(不法入国の中国人)のごとく、あまりに口がうまいので「日本の表AV業界にはヤクザとつながっているところは一つもございません」など、到底信じられないような記述も、ついうかうかと信じてしまいそうになるほど【暗示と闘うおれカネゴン】。
カネゴンの中でだけ通用する経験則として、アダルト業界からはなぜか名文家が出現しやすい(高橋がなり、中野監督、tagomagoさん、リリー・フランキーなど)のだけど、仕事として休みなく女性をくどきまくるために言葉が鍛えられ、つやつやに磨かれると同時に、エッセイの重要なコツである「主流派気分を捨てる」という立場を自動的に獲得してしまうからなのだろうか。
もちろん寺田寅彦のように、おぼっちゃん育ちをベースとした主流派気分を保ちながら馬鹿っぽい名エッセイをものにできる人もいれば、ゲーテのようにしまいには首相になったほどの名エッセイストもいたりするので、主流派気分を捨てたところで名エッセイストになれるかどうかは誰も保証してくれなかったりするのだけど。
20年近くP-MODEL断ちしていた反動で、P-MODELと平沢進についていろいろ調べまくってしまう【ニコ動ジャンキーおれカネゴン】。
平沢進がどこかでこんなようなことを言っていた。
アマチュアですら今やハードディスク・レコーダーのチャンネルが16chになり、24chになり、たいそう便利な時代になりました。しかし、あえてそのうちの4chしか使わずに音楽を制作すると、なぜかとても良いものができるのでございます。
今気付いたのだけど、平沢進の口調だけは村西監督とそっくりだったりする。
シンセサイザーが登場したときにも同じようなことがあったのだけど、「何でもできる」とか「何をしても良い」などと言われると、かえって何をしてよいのかがわからなくなってしまったりする【わからぬままのおれカネゴン】。
このように自由度が高すぎる創作過程では、むしろ何らかの形で自分で自分に制約を与えることが極めて重要だったりする。「テーマを決める」というのも実は同じことで、創作のエネルギーが外向きに出現するときに、そこに何らかの非対称性を持ち込むことに相当する。
それと似たような現象として、自分一人の動機のみに基づいて何から何まで存分に作ったものより、頼まれ仕事でちゃっちゃと作り上げたものの方が後になってよい仕事になることがしばしばあったりする。
「何でもできる」「何でも弾けるように練習する」のように全方位的に表現の対称性が保たれてしまうと、結局そこには何の動きも生じない。そこに動きを生じさせるためには、対称性を自発的に破るか偏りを外部から持ち込むことが不可欠という結論でよいだろうか【そして寝るとはおれカネゴン】。
経済学の表面をどれだけなぞっても、力学における「力」に相当するものをどうしても見つけられずにいる【見落とし確定おれカネゴン】。貨幣とか生産物とか需要と供給のような個別のアイテムとそれらの関係を表す式はあっても、それらが変化するときに「どのような力によってどのように駆動されるのか」について納得のいく説明をまだ見つけられない。
とはいうものの、力学のアナロジーが単純に効くとも思えない。その力は重力や分子間力のようなものかもしれないけど、もしかすると遠心力やコリオリ力のような見かけの力かもしれないし、もしかすると悪霊の仕業なのかもしれない。今からでも遅くないのでどなたか見つけてください。
演奏している動画の音を消して映像だけを門外漢に見せ、退屈のあまりそこから退出するまでの時間を測定するとする。本当に優れたミュージシャンならば、音など出さなくてもその立ち居振る舞いだけで客を魅了できるはずなので、こうすることにより音楽の種類にかかわらず客観的にミュージシャンの価値を統計的に有意なものとして測定できたりしないだろうか。
惹き付ける力は、むくつけき男臭さであることもあればセクシーさかもしれず、はたまた何をしでかすかわからないほどの恐しさかもしれず、可愛らしさや愛嬌かもしれないのだけど、カネゴンの知る限り、見た目にこれらの要素を欠いたミュージシャンの出す音は、やはりその見た目と強く相関している【要素を欠いたおれカネゴン】。
同じように、舞台の役者の姿を消して声だけで測定することもできそう。なお村西監督はAV女優を選ぶ際には絶対に直接会わず、写真1枚だけで決定するとのこと。
Amazonで「今は買わない」リストにあったはずなのに間違えて上巻だけ買ってしまった【お主はやはりおれカネゴン】「物理学はいかに創られたか(上) (岩波新書)」に書いてあったことを珍しくちゃんと引用:
(物理学の)真実を理解しようとするのは、あたかも閉じられた時計の内部の装置を知ろうとするのに似ています。時計の面や動く針がみえ、その音も聞こえてきますが、それを開く術(すべ)はないのです。だからもし才能のある人ならば、自分の観察する限りの事柄に矛盾しない構造を心に描くことは出来ましょう。しかし自分の想像が、観察を説明することの出来る唯一のものだとは思えません。自分の想像を、真の構造と比べることは出来ないし、そんな比較が出来るかどうか、またはその比較がどういう意味を持つかをさえ考えるわけにいかないのです。
けれども、その知識が進むにつれて、自分の想像が段々に簡単なものになり、次第に広い範囲の感覚的印象を説明し得るようになると信ずるに違いありません。
また知識には理想的な極限があり、これは人間の頭脳に寄って近づくことのできるのを信じてよいでしょう。この極限を客観的心理と呼んでもよいのです。
絶対開けられない機械装置をその動きだけから中身を推測することが物理学だったりするという理解でよいだろうか。この辺の事情は、21世紀になった今どころかこれから先もずっと変わらなさそう。
逆に言うと、開けて理解できるものというのは、すべて人間が作ったものに限られてしまうような気がする【ねじを余らすおれカネゴン】。
超球理論。
かの超ひも理論に取って代わろうとする野心的な理論。数式を抑えた書き方になってはいるのだけど、実に説得力がある。またいつものように勘違いかもしれないのだけど、カネゴンは人間らしく、まずこの理論のどこか一つぐらいは何らかの本質を突いていることを即座に確信し、それからその理由を考えることにします【結局飛びつくおれカネゴン】。以下はまとまらないうちのメモ。
球という言葉が使われてはいるのだけど、この宇宙の基本構成要素が球であるかどうかというのは実はあまり重要ではなさそう。むしろカネゴンとしては「新エーテル説」または「(文字通りの意味での)ドミノ理論」とでも呼びたいところなのだけど、エーテルという言葉の古くささが誤解を招きそうなのも確かなので、著者に従って超球という言葉を使う。
理論の肝は、「真空とは(物質ではない)エーテルである」というもので、そのエーテルを構成している何物かが、(バネがついていてまた元に戻るような)ドミノ倒しのごとく、エネルギーを周りに伝え、それが粒子の運動のように見えるというもの。なので、次から次に点滅する豆電球が動いているように見えて実は動いていないように、素粒子は実は運動しておらず、エーテルの点滅が見かけ上粒子の運動のように見えていると考える。
というのも、カネゴン自身、ここで言及されている「真空とは(物質ではない)エーテルである」という考えにこれまで何度も取り付かれていたりするので【病気が治らぬおれカネゴン】。
この理論の1つの強みは、「素粒子は互いに区別できない」という基本的な性質を実に自然に説明できることにあるとカネゴン考えてしまう。素粒子は実は運動しておらず、実はエネルギーが移動しているだけなのだとしたら、そこに今ある素粒子Xが、さっきまですぐそばにあった素粒子Aと素粒子Bのどちらだったのかということは本質的に区別しようがなくなる。
もしエーテルの各要素が球状だとしたら、それが空間にぎっしりと詰まっていることになるわけなので、ケプラー以来の球の詰め込み問題的な理由によって、素粒子の運動の方向にわずかな非対称性が生じてしまうような気がする。この非対称性が存在するかどうかは実験で検証できそうな気がする。
あとこれはカネゴンの考えなのだけど、この新エーテルの濃度は宇宙の場所によってすごく異なるような気がする。もしこのエーテルが宇宙全体で同じ濃度で存在したら、今や復活の見込みのほとんどない絶対空間が再び出現してしまうことになり、都合が悪い。新エーテルの分布がひどくまばらだとしたら、そこはとりあえず無視できそうな気がする。実は、通常の物質の周りにだけこの新エーテルがひっそりと集まり、それを舞台として物質の様々な現象が発生していたりして。そしてそれが実はダークマターだかダークエネルギーだったりしたらどうしよう【どうもせぬとはおれカネゴン】。
arn
> 経済学の表面をどれだけなぞっても、力学における「力」に相当するものをどうしても見つけられずにいる
「インセンティブ」がそれにあたるんじゃないかなぁと思いますがどないでしょ。
うりかねぐん
arnさま
そのインセンティブがちっとも数値化されていないのです。
arn
数値なんて飾りです偉い人には(以下略)。インセンティブは基数的効用によって定式化されているので、数値は重要ではなく順序だけが重要なんだということだと思いますよ。
うりかねぐん
なるほど。「馬鹿」と同じで、順序を比較することはできても絶対値にできないということですね。人間がからむ学問だとこの種のパラメーター続出ですね。どこかで大胆な抽象化を行って絶対値をひねり出してもいいような気がするのですが。
arn
> インセンティブは基数的効用
すみません。順序だから基数じゃなくて序数的効用ですねorz
nuc
その方は相当怪しいことで有名ですが、
そのナイーブな発想を適当にくみ取って、どんな物理理論があるかなと考えると、場の量子論が近いかもしれません。
うりかねぐん
nucさま
お久しぶりです。私も読んでいくうちにそんな気がしました。いくら何でも数式が少なすぎるし。その道で有名とは知りませんでしたが、私も似たようなもんかもしれません...
ジョン・ライドンは
マイルス・デイビス大好きなので有名です。
http://www.fodderstompf.com/INTERVIEWS/john2.html
うりかねぐん
おお、知りませんでした!
大昔のロッキングオンあたりのインタビュー中、店内にジャズが流れると「腐っている」と毒づいていたことはありましたが、どんな曲かという情報はなかったような気がします。
その声 この身 トンネルすると
この感じのゆかい スポンジにして
ひょうたんの君の 駒を吸い取る
すぐにも わたし うなずいたのは
その声のもとの 遠くの感じ
空間に水をそそぐ響きの
空間はかたく 埋めてゆかれて
この身 君の目 浮かれさせても
身体の中吹く 風のうちから
行かないで 行かないで
つげ義春を子供たちに読ませてはならない。漫画そのものでなくても、彼について語ったこの文章をこの間つい読んでしまったカネゴンは、久しぶりにふうっと自分がこのままダメ人間になってしまいそうな心地になってしまい【とっくにそうとはおれカネゴン】、危ういところではっと正気に返った【崖の縁にておれカネゴン】。
つげ義春の作品のクォリティが低いのではなく、逆につげ義春の作品が危険なまでに優れていて吸引力が極めて強いからこそ子供たちを脅かすのだと思う。彼の作品を仮に中国やインドに大々的に輸出したらみるみるうちに彼の国の生産性を低下させる最終兵器として機能し国際問題に発展しかねない。他にも、ファントム・オブ・パラダイスなど、良すぎるがゆえに子供に見せたくないものはいくらでもリストアップできます【棒振り名人おれカネゴン】。
ちがうちがう、半音の半分って言ってたと思うけど?
情報ありがとうございます。やっぱりヒルベルトなんですかね。Amazonのカートに入れてはみたのですが、買うのは夏になってから...