【1193・1194冊目】川上未映子『世界クッキー』『六つの星星』
- 作者: 川上未映子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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『世界クッキー』はエッセイ集、『六つの星星』のほうは対談集。著者の小説をもう少し読んでから手に取ったほうが良いのかもしれないが、こないだ読んだ2冊(『わたくし率 イン 歯ー、または世界』『乳と卵』)がかなり刺激的だったので、その「舞台裏」を覗きたくなって読んだ。
『世界クッキー』は、とにかく著者の感覚がたのしめる一冊。日々のできごとから思ったことや感じたことを、著者独特の文章で綴ってある。読んでいて思ったのは、この人、感覚そのものが特別に変わっているというより(たしかに多少変わったところはあるが)、その感覚をきちんと自分の中に包み込むことができている、ということ。
特に、幼いころの記憶とか、その頃感じたことなどが、こういうエッセイに書いたためかもしれないが、見事に言葉にされ、身体感覚として整理されている。感覚の出自、というと大げさかもしれないが、自分が感じたこと、考えたことの、でどころやその流れをたいへん丁寧に拾い上げ、正面から言葉にしているという印象だった。
特に記憶に残っているのが、「境界が気になる」というくだり(「境目が気になって」p.30〜)。例えば、唾は口の中にあるうちは平気で飲んだりしているのに、外に吐き出された途端に汚物と認定される。どんなに美しく盛り付けられた料理も、ゴミ箱に捨てられればゴミになる。その境目っていったいどこなのか、ということが、著者は昔からずいぶん気になっていたらしい。そして、その疑問は当然、「自分自身」と「環境」にもあてはまる。入れ物が中身を規定するのだとしたら、自分という中身は、いったい何によって規定されているのだろうか? そのへんのテーマは、『わたくし率…』の「私は奥歯」にもどこかつながっているような気がする。
対談集のほうは、斎藤環(精神科医)、福岡伸一(生物学者)、松浦理英子(作家)、穂村弘(歌人)、多和田葉子(作家)、永井均(哲学者)という6人との対談が収められている。なかなかの豪華ラインナップで、お話の中身も大変濃くて面白い。すでに読んだ『乳と卵』『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の裏話的な部分も多く、作家・川上未映子の面白さが、著者自身の書いた文章とはまた違った側面から味わえる。
びっくりしたのは、『乳と卵』の登場人物が、樋口一葉の『たけくらべ』から採られているという「暴露」だった。なんでも「緑子」は美登利、「巻子」は大巻、「夏子」は一葉の本名だという。小説の構図も『たけくらべ』に重なり合っている部分が多いらしい。う〜ん、全然気付かなかった。
それにしても、こういう対談集を読むと、著者自身のみならず対談相手の本も読みたくなって困る。ちなみに本書を読んで食指が動いたのは、松浦理英子、穂村弘、多和田葉子の作家・歌人3人の作品(どれもまだ読んだことがない)、そして永井均との対話の中で突っ込んでアナライズされていた著者の『ヘヴン』。ちなみに対談内容自体は、永井氏とのものが一番ヘヴィで読みごたえがあった。特にカントをめぐる善悪の議論は、恐ろしい。カントがニーチェより「怖い」哲学者であったとは、知らなかった。