
「良医病子の譬え(譬如良医の譬え)」(如来寿量品第十六)
多くの病気を治す良医に百人もの子供がいました。ある時、良医が遠い他国に旅に出た留守に、子供たちは毒薬を飲んでしまい、苦しさのあまり、地に転げ回ります。そこに父である良医が帰ってきて、すぐに良薬を調合して子供たちに与えます。子供たちの中で本心を失っていない者はこの良薬を飲んで治りますが、毒のために本心を失っている者は良薬を見ても疑って飲もうとしません。そこで良医は方便を設け「この薬をここに置いておくからお前たちは取って飲みなさい」と言い残し、他国に旅立ちます。そして使者を子供たちの所に遣わし、父である良医が亡くなったと告げさせます。子供たちはその知らせに嘆き悲しみ、毒気から醒めて本心を取り戻し、残された良薬を飲んで病を治すことができました。良医は仏、子供は衆生に譬えられます。毒薬を飲むとは邪師の法を信受することをいい、本心を失うとは、これまでに積んできた善根を失うことを指します。良医が死を告げさせたというのは、仏が実は滅していないのに方便のために入滅の姿をとることを指し、子供たちが目覚めたとは仏法の利益を得たことを表しています。
良医病子の八葉蓮華 春秋 日本経済新聞 創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge
八葉蓮華
2011-01-05 コンガラカッて世が変わっていく・・・春秋
コンガラカッて世が変わっていく・・・春秋 八葉蓮華
100年前の明治44年はまだ「開化」という言葉がよく使われていた。夏目漱石が講演で、義務に対しては活力を節約し、道楽の方で活力を消耗しようとする、二つがコンガラカッて世が変わっていくのが開化だなどとしゃべっている。
だから汽車、電話、自動車が発明され、浮いた活力は釣りや囲碁に――「開化は人間活力の発現の径路(けいろ)である」とは少し理屈っぽいが、漱石はそう定義した。そして、横着にもぜいたくにもこれでよしという限りがないから、開化が進もうが楽になどならず、競争はますます激しくなる気がする、と見抜いていた。
そんな予言をかみしめつつ迎える100年後の新年である。人も国もいつまでたっても開化の途上、どのみち競争から逃れられない。ならば、こんがらかりを解きほぐして、ことしこそかなえたい横着、ぜいたくに思いをはせたくなる。ちょっとの間でもそうした気分に浸れるのが、正月の変わらぬ値打ちだろう。
総理大臣が毎年代わる国だ。また1年、予想もできぬことがいろいろ起きるに違いない。希望ならいいのだが、むしろ不安が頭をもたげる。その滑り出し、きのうから年明けにかけて、列島は寒さ厳しく荒れ模様の地方も多いという。そうとて元日の空は格別である。「初(はつ)み空(そら)頭蓋のなかも透き通る」(福原十王)
春秋 日本経済新聞 1月1日