フクシマ原発事故哲学的批判--池田浩士「たぶん一生読まない一冊の本について語ろう」

私たちは、左翼崩壊後、「主体」を放棄したポストモダンの席捲にさらされた。その時期に育った世代はマルクスを読まず、ロシアマルクス主義との根本的な哲学的区別もつかず、名前を聞いただけで過去の思想家というレッテルを貼っている。

しかしこのポストモダン思想のもたらした一種のニヒリズムの混乱は、現在では反省的に克服されつつかるが、そこで再び問題になるのが近代合理主義として常識化してきた科学主義と認識論(実証主義)の問題である。

ひとことでいえば、40年前に激しい近代合理主義批判として知のあり方を問題にした全共闘運動のテーマが、相変わらず亡霊のようにわたしたちの現在をさえぎり、未来を阻んでいる。
70年代〜90年代にかけて、それは末期の輝きとでもいう高度成長を遂げバブルで破綻した。それらの破綻の結果の延長線としてフクシマ原発事故は起こったことは明らかなとであるが、40年前も今も何も変わっていなかったのだ。当然といえば当然だが、あらためて一学徒としてムーブメントに係ったものとして忸怩たるものがある。

原発事故が世情ではエネルギー問題に矮小化されていくなかで、この事態の思想的欠陥を原理的に剔抉しておく必要があると思っていたところ、京都精華大客員教授池田浩士氏(注1)のエッセイ風の小論にであった。
池田氏マルクスギリシャ哲学理解を紹介しながら、現在の課題を解りやすく述べている。 近代合理主義批判の初発の問題として腑に落ちるもがあった。

一冊の本、と書いたが、じつは一冊の本としていま簡単に手にすることができるような、そんな安直な本ではないのだ。
 京都精華大学の情報館にも、もちろんこの本はある。
しかしそれは、棚に並んでいるのをみただけで尻込みしてしまうような、なんと全五十二冊の全集の一冊に、しかも別の諸作品と一緒に収められているので、目次でこの作品を探すだけでも簡単ではないだろう。

◇二十二歳の学位論文

ようやく見つけ出したこの作品の表題は、「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」(注2)という。
このカタカナで、尻込みをさらに決定的となるかもしれない。調べてみればすぐわかるように、どちらのカタカナでも、二千三百年も昔の古代ギリシャの哲学者の名前である。

いまから百七十年前の1840年から41年にかけて、二十二歳のひとりのドイツ人大学生が、学位論文のテーマとしてデモクリトスエピクロスの自然哲学を取り上げた。学位論文というのはつまり博士論文だが、当時のドイツでは、どこかの大学に合計六学期(通算三年間)在籍して最後に学位論文を書き、合格すれば「博士」(doctor)の称号が与えられことになっていた。
だから、途中で寄り道をしなければ、現在の大学生が卒業論文を書くのとほぼ同じ年齢で博士論文を書いたのである。その論文を書いたのは、カール・マルクスというユダヤ系の青年だった。
もちろん、そのころかれは、後の世が自分を「マルクス主義」や「共産主義革命」や「左翼過激派」や「テロリスト」という栄誉ある名称と結びつけて想起するなどとは、夢にも考えていなかっただろう。

 若きマルクスデモクリトスとエビクロスの自然哲学に着目したのは、いわゆる哲学史家たちがこの両者を誤って理解していると考えたからだ。
哲学史家だちは、エピクロスデモクリトスの自然哲学を模倣したに過ぎず、エピゴーネン(亜流)でしかない、とみなしきた。

マルクスは、しかし、両者の思想・世界観に根本的かつ本質的な違いがあると考えるのである。

たとえば、人間の感覚が世界をどうとらえているかということについての両者の違いを、マルクスは指摘する。
デモクリトスは、太陽は大きく見える、という。それに対してエピクロスは、太陽は60センチの大きさにみえる、という。
後世の解釈では、デモクリトスは博学で、幾何学に精通しており、太陽が大きいことをしっているのに対して、エピクロスはそうではないので、見える大きさに見えてしまうからだ、とされた。
そうではない、というのがマルクスの解釈である。デモクリトスにとって、感覚がとらえる世界は「主観的な仮象」である。エピクロスにとっては、感覚がとらえる世界は「客観的な現象」なのだ。

◇世界観の本質的相違

つまり、こういうことだ---デモクリトスは、本当は大きい太陽がそのように小さく見えるのは、人間の感覚が真実ではなくその仮象(見せかけのすがた)しかとらえることができないからだ、と考えている。
それに対してエピクロスは、巨大な太陽がわずか六〇センチに見えるのは、その大きさに見えるという客観的な現象(あらわれかた)を、感覚がそのまま把握しているからだ、と考えるのである。

 人間の感覚によってとらえられる世界は主観的な仮象である、とするデモクリトスは、それゆえ、感覚に惑わされないだけの経験的な観察と実証的な知識が重要だと考える。「広く渉猟して、資料を集め、外から探究すること」がかれの方法論とならざるをえない。「わたしは、最も遠隔の地をも探索しながら、同時代人のうちでは地球のもっとも広い部分を経めぐった」とかれは誇らしげに語っている。かれは幾何学を学ぶために、エジプトに渡り、ペルシャに旅し、紅海にまで達し、さらにインドやエチオピアに赴いた。

      • それでも、主観的な仮象ではない真実をとらえることはできなかった。

ついにかれは、「感覚的な視力が精神の鋭さを曇らせることがないように」自分で自分の眼をつぶしたのだという。

マルクスによれば、エピクロスはこれとは対照的だった。
かれは、実証的な諸学問を軽蔑した。自分の住むアテナイを離れて旅をしたのはほんの二、三度だったが、それは研究のためではなく友人を訪ねるためだった。実証的な学問は知恵の真の完成には役立たない、哲学することで自由がえられるのだ、と考えていたからである。

太陽が六〇センチの大きさに見えるのを六〇センチの大きさに見る自分の感覚と感性が、かれの哲学の基盤だった。
「内的な原理から自分の知識を汲み取る自立性が、かれの内には体現されている」と、マルクスは述べている。

死期が近いことを感じたとき、エピクロスはあたたかい風呂に入って、酒を所望し、哲学に忠実であるようにと友人たちに奨めた。

実証主義への批判

このあと、マルクスの学位論文は、両者の原子論を綿密に比較検討し、世界を構成する最小単位と考えられていた原子が互いに衝突することで新しい物質を生みだすその運動について、両者がどのように考えていたかを明らかにする。

その具体的な論考については、一生読むことのないこの論文そのものを見るしかないが、極めて簡略に要約するなら、デモクリトスはもっぱら原子が衝突するときの運動の法則性を探究しようとしたのに対して、エピクロスは、そうした法則から逸脱して偶然の動きをする原子があるために衝突が起こり、それによって新しい物質が生まれる、と考えるのである。

マルクスが学問の方法論においても原子論においても、デモクリトスではなくエピクロスへの共感を示していることは、誤解の余地がない。

 あらためて言うまでもなく、デモクリトスに対するマルクスの批判的な姿勢は、いわゆるフィールドワークという研究方法に対する批判と関連している。
この方法は、もちろん、実証科学と実験科学という近代自然科学やテクノロジーの基本特性と不可分の関係にある。
人間の感覚を主観的な仮象とみなし、「経験的自然科学と実証的な知識とにひたすら励んでは、実験を重ね」たデモクリトスは、ついに自分の方法論が真理に到達できなかったのを知ったとき、みずからの眼をつぶすだけの誠実さ持っていた。これが、現代のテクノロジストとの根本的な違いである。

◇真理探究の主体

だが、新しい世界を生むのは逸脱と偶然であることを知っていたエビクロスは、デモクリトスの発見する法則や科学的理論なるものが人間の感覚によってとらえられたわずか六〇センチの小さなものでしかないことを知っていた。

この小さなものの背後にある真実の姿をみるためには「内的原理から自分の知識を汲み取る自立性」、つまり探究者自身の世界観や思想性が不可欠なのだ。
まさにその逸脱と偶然によってデモクリトスのフィールドワークと実証主義とテクノロジーが破綻したことを眼前にしつつあるいま、自分の眼をつぶす誠実さ以上の大きな責任を引き受けなければならないわたしたちは、真理の発見が主体的な思想や世界観と分かちがたく結びついていることを、あらためて思わざるをえないのだ。
(了)
(出典:京都精華大学編集論学生原稿集書評誌「蒼青」VOL10)


(注1)池田浩士氏は、現在京都精華大学客員教授。詳しい経歴はこちら。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%B5%A9%E5%A3%AB  

(注2)論考中の著作、マルクス著「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」  
 マルクス・コレクション第1巻 (2005/筑摩書房)