安倍総理の懲りない身びいき、自分のための自分の内閣

先日の国会閉会中の前川元文科省事務次官の証言は、トータル7時間淡々と凛として、事実一貫性が感じられる正当なものであった。
引き換え、萩生田や中村らの態度は見ていて明らかに逃げをうった不誠実がありありと感じられるものだった。
筆者だけでなく、ネット界隈の反応は大方同じであったようだ。まともな国民はそれほど節穴ではない。

そのさなか、前川理財局長が、国税庁長官に栄転した。森友学園問題はほとんど政府側省庁の対応を森友学園側からは明らかにされたが、政府側からは前川理財局長の「奮闘」によって記録が一切は貴され、そのご褒美のように、このタイミングで栄転が発表された。
さらに支持率アップのために内閣改造を行うというのだが、なんと今度は弟の岸信夫を入閣させるという情報がながれている。

要するに、森友学園加計学園とも安倍総理の私益に権力がつかわれたのではないか、国税をお友達に分け与えたのではないかと疑惑が延々と追及されながら、すべて隠ぺいに加担した当事者や「功労者」を、あっという間に関係当事者から関係ない人に「人ロンダリング」をしてしまう。安倍総理は、支持率低下を受けて、国民を欺かず「丁寧に説明していく」と舌の音が乾かぬ間にやり遂げる厚顔無恥。尋常な人格ではないことをうかがわせる。人格はもはや崩壊してしまっているのではないのか?

前川元事務次官が、清明で国に憂うる良識のある官僚であるという称賛の声が沸き起こっているが、ついこの間安倍政権の前までは、普通の官僚の当たり前の良識であった。それが英雄のように言われる現在は、あっという間に容易ならない国になってしまっていることを改めて危惧する。
内閣人事局のデメリットが、国家の根幹部分に影響するとなると、政治主導というスローガンをもう一度見直すことが必要だ。
それが正してとして、どのような条件の場合にスローガンは「国民のための政治主導」になるのかと。

一方民進党では、昨日にわかに右派松原議員などから蓮舫代表の国籍問題を都議選敗北の原因と追究する動きがあり、蓮舫が戸籍を公表するという政治家としてあるまじき発表をした。

追求する議員もアホだが、蓮舫も政治家としての自覚を欠いた自己保身しか頭にない。あきれた党である。

近代の普遍原理は、日本国籍保持だけが国家公職への条件であり、血統や出自から人間の資格を言及する行為は全て否定されなければならない。
すなわち本人の意思で選択できない固有の属性を他者から要求される場合は全て差別につながる。

しかし今回筆者は左派が言うように差別問題として言及するのは間違いだと思っている。
現行法が日本国籍を公職の条件に規定している限り、近代法の原則かどうかの確認問題にすぎない。
問題はそこではなく、戸籍を開示しろ、はいしますというバカバカしくも危険な事例を政治家が公共空間でつくることである。
政治家は、国籍問題は選挙の折に選管によって精査されており、政治家といえどもそれを戸籍までとなるとプライバシーの侵害であり、国籍問題が問われると今後すぐ戸籍を公表しなければならないような血統主義は社会的対流を阻害し、活力を失速するきけが蔓延するのである。
安倍の好きな「仲間内」のうちに閉ざした社会風潮をつくる可能性があるのだ。
蓮舫は、国籍を問題とする勢力には勝手に調べさせればいいのだ。そして事実と違反した公表には、片っ端から名誉棄損で告訴すればいいのだ。

二重国籍、いやひょっとするとその後の台湾・中共関係から三重国籍がからんでいるかもしれない。国籍は国家の側が付与するわけだから、なぜ二重国籍となるのか、国際情勢と国家に翻弄される個人の苦境をアビールし、個人にとってもともと国籍などほとんど意味のないことを主張すればいいことなのだ。
そして、二重国籍者が法的に就任できない役職は、明文のある場合に限って辞退すると言えば済む話である。

この乾坤一擲、大幅に支持率低下の安倍政権に対し痛打を与え、早期下野させなければならない時に、野党第一党がこの体たらくでは国民はどこに期待すればいいのだろう。(もちろん筆者は小沢一郎自由党といいたいのだが)

安倍追求の手を緩めてはいけない。
民進党内松原、柚木ら自民党別動体を放逐し、蓮舫野田豚執行部の人事刷新をして、小沢一郎のとく野党共闘をすすめてことだ。
安全保障問題を除けば、今の野党は国民目線で考えればほとんど合意できるはずだ。
彼らを前に薦めるのは、国民ひとりひとりの厳しい発言しかない。