シンフォニック=レイン ”バッドエンド”考察

どれが本当、どれが嘘。この物語は、本当にトリックだらけ。今さっき、せっせと整理してみるまで、見事にあれこれ騙されていた。と言うわけで昨日まで書いていたこととは矛盾する点がなきにしもあらず、というより、もはや矛盾のオンパレード。
ネタバレです。以下、”白黒反転”。



■「グッドエンドとバッドエンドの逆転」についてのまとめ。
誰が見てもda capo編の”グッドエンド”は全然グッドなどではない。また”バッドエンド”はどれも尻切れ的に、実に素っ気なく終わってしまうから、どうにもやり切れない。しかし早まるなかれ、このシンフォニック=レインという物語は、どこまでも一筋縄では行かない。

トルタグッドエンド
言うまでもない。アルの死によってその哀しい呪縛が解けるはずの日は、真逆、トルタとクリスの物語が完全に終わる日になった。「これからのことを話そう」というクリスへの、「初めから話そうか、それとも終わりから?」というトルタのセリフがそれを如実に表す。そう、全ては終わってしまった。
リセグッドエンド
彼女とクリスは一見幸せな生活を始めたかのように見えるが、エピローグでリセが呟くリセエンヌ  リセがいつも父親のために歌った曲  が示す通り、結局のところリセは父親への偏執を捨ててはいない。
ファルグッドエンド
ファルのこれ以上ない愛を得たクリスだが、それはあくまでファルの体の一部として、彼女に所属する不可分な要素として、なのである。つまりファルは「クリス」を愛しているのではなく、自分の一部としての、いわば「ファル部分」を愛しているのだ。クリスは彼女に飲み込まれ、そしてもう、ファルを救えない。



トルティニタバッドエンド
「汝の隣人を愛せだ、クリス」
「一番近くにいる者を愛する方が、楽でもあるし確実でもある。…クリス。」
「今お前の一番近くにいるのは誰だ? 本当にお前のことを思ってくれているのは?」


アーシノがどんなに良い奴かわかる。トルタもアルの死をもって、クリスとの新しい関係を築けるかもしれない。だってトルタはアルを裏切らなかったし、何より彼女はクリスの隣人なのだから。


リセルシアバッドエンド
「今は駄目でも、きっと彼に認められるくらいに練習して、もう一度迎えに来るよ」
「だから、その日まで待ってて」


グラーヴェの怨念の籠もった曲の演奏に失敗し、プロとして成長することを誓ったクリス。いつの日にか、クリスは「彼自身の作った曲」をもって、リセを迎えに行くだろう。リセを真に、父親から解き放つために。


ファルシータバッドエンド
さよなら ありがとう
言えなかった言葉たちを奏でましょう
君のその背中に祈りを込めて


”グッドエンド”にて流れるラストテーマ、『メロディ』をじっくり聴いてから、ファルとの最終日をもう一度読み直すこと。きっと、「どうでもいいけどね」に込められた、彼女の真意がわかるはず。そう、あの淡泊な別れは、切ないけれど、とてもとても幸せなシーン。クリスはファルと決別することで、彼女のココロを救った。個人的には、これが一番好き。


■以上、da capo編においては、バッドエンドこそがハッピーエンドであって、グッドエンドこそがバッドエンドである。…まあ確かに、もともとどこにも「ハッピーエンド」などとは言われていないのだが、これはほとんどインチキに近いと思う。とはいえ文句は言わないでおこう。インチキでもハッピーだった方が、その逆より断然素晴らしい。