ジェームスディーン

*ジェームスディーン


♪欲しいものは見えている 
 水の中に僕の影を追う





夏の陽ざしの中で、ぼくらは溺れていた。
インクを垂らしたような完璧な青空と、
絞めつけるようなゴワゴワとした水の抵抗が支配する世界で。
生きることにもがき、
飲み込んだ水にもがき、
この世界から這い出ようと焦るつがいのカブトムシのように、
ぼくらは溺れていた。


その夏休み、ぼくは水泳の補習に明け暮れていた。
クロールの息つぎが上手くいかない。
プールサイドに揚がっては、ゴホゴホと塩素臭い水を吐いた。
水の中は透明なセロファンのような膜を持っていて、
息苦しい。
飛び込み台からのぞく25mプールは永遠のように長く、
この夏の盛りもまた、永遠のように思えた。
同じ補習組の掘下君はもっと深刻だ。
一歩も前進しないまま喘ぐように水をバタバタと掻く様は、
横暴な体育教師の語気を荒げるには十分なパフォーマンスだった。


ようやく解放され、ふくらんだ腹を太陽にさらしていると、
ザンギリ頭の影が陽をふさいだ。
「コロッケが食べたいな」と、影が口を開いた。
ぼくらは帰り道にある肉屋に立ち寄り、
いつものように揚げたてのコロッケをほうばり、
渇いた喉をペプシで癒した。
夕暮れの風が火照ったカラダを通り抜けていく。
白いシャツからのぞいた両腕は、
すでにコロッケみたいにこんがりとした色合いになっていた。



ぼくらがいつもと違ったのは、レコード屋に向かったことだ。
「これ、かっこいいんだよ」と、
掘下君がシングルレコード棚で指さしたのは、
アフロヘヤした見慣れない童顔の男の子だった。
店主におねがいして、曲をかけてもらう。
♪駅に走る道は雨で川のように僕のズックはびしょぬれ・・・
「なっ、いいだろう」
「うん、なんか新しいな」とぼく。
本当にそう思った。それまで聞いたことのない軽快なビート、
ぼくらの中にあるわだかまりがいっぺんに吹き飛ぶような心地よさ、
「この歌手は天才かもしれない」
「うん、天才だよ」
掘下君は歌詞の中に出てくる
伏せ目がちなジェームスディーンの真似をしておどけた。
ぼくは笑った。
それが本当はまったく似ていないなかったにしても、
ぼくは思い切り声を上げて笑っただろう。
だって、そんなことは、きっと些細なことにちがいない。
薄暮がぼくらの不器用さを隠すように、
25mプールの果てしない遠さも、
本当は若さが傷つきやすいことも。
今なら、たとえジェームスディーンだって、
堀下君には敵わないだろう。



翌日、補習に行くと掘下君は来なかった。
でも、ぼくは驚きはしない。
あの曲が彼の中の何かの殻をやぶったのだ。
そして、今でも伏せ目がちなジェームスディーンの真似を演じ続けているにちがいない。
結局、それ以降姿を見せることなく夏は過ぎた。
ぼくのクロールは体育教師の誉れを得るほどは上達しなかった。
水を掻くたび、プールサイドで嗚咽するたび、
ぼくの中にあの曲が流れた。
そいつは耳の鼓膜をゴワゴワとふるわせて透明なセロファンを破り、
夏の陽ざしの中に舞い上がるようだ。
それがぼくのブルースだと、
溺れながら、うめき声を上げながら、
ただ聖者のように光の中で独りごちた。