プロジェクトGOTSURI「四戸を探せ!」

青森県は、現在も地方でありがちであろうが、民放が2局の時代が長く続いていた(ようだ)わたしが八戸に住むようになった頃にテレ朝系列の地方局ができた(1991年)のだが、当時は八戸に本社があったことからもわかるように「南部系」の会社であり、スポンサーも南部系が名をつらねる。何が言いたいかというと、一般に「青森=津軽」だが、この局は「南部系」の色も(当たり障りの無い程度に)出しているということ。で、上記の地方番組のタイトル「GOTSURI(ごっつり)」も代表的な南部弁で、標準語で言うと「自慢げ、得意げ、満足げにしている様子」が一番近いと思う。ちょっとうきうきしているような親しい人に対して「な〜にごっつりしてるんで?」(イントネーションが伝わらないので、別の意味合いに見えるなあ)などと使う。
前置きが長かったが、そういうわけで、この番組内容も南部系。ご存知の方もいるかもしれないが、青森〜岩手にかけて「戸」のつく地名が「一戸」〜「九戸」まであるが、現在「四戸」のみが苗字として残るものも地名としては残っていない。その謎を(いさばのかっちゃこと十日市秀悦が)さぐるというもの。勉強になった。

元々は、三戸の東「名川」あたりから、馬渕川ぞいに東へ八戸に向かい、八戸の櫛引八幡からこんどは南へ南郷のあたりまで下った、細長いカギ形の地域が「四戸」だったそうだ。しかし、南部藩3代南部重直が嗣子無く死去したおり、幕府の裁定により、実弟二人に元の所領を「南部藩」と「八戸藩」に分割して相続させた。丁度藩境にあたった「四戸」は両藩に分断され、それぞれの藩で別々の地名が使用されるようになり、「四戸」という地名が使われなくなった。というのが有力な説のようだ。