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天使も踏むを恐れるところ

2013-02-26

割れた

02:42




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2013-02-07

うつぶせ

17:17




その日は水曜日だった。私はその当時六年生だった。父が母に向かって「支度をしなさい。土曜日にはニュージーランドに行く」と言っているのを私はふと耳にした。私も支度をした。学校の図書館でニュージーランドに関するものはすべて見つけて読んだ。土曜日になった。何も起こらなかった。旅行の計画については、話にも出なかった。その日にも、またその後の日々においても。








2012-09-17

映画で見る団地50年史

00:16




「駅前シリーズ」

61年、映画はカラーになったばっかり。俳優は森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺。舞台は増設中の喜劇駅前団地と百合ヶ丘団地。洋館型を敷き詰めたほうがたくさんの人が住むことができるけど景観重視なのでスターハウスポイントハウス(アクセントになる変わり種の建物)を間あいだに挟んでいる。団地住民層の実態がまだしっかり把握できていないのであえて表現されていない。そのせいで住民がほとんど出てこない映画になっているけどその反面団地のシーン以外で登場する成金層については細かく描かれている。時代背景が高度経済成長の頭なのでちょうど都市人口が農村人口をこえる頃。63年にバカンスブーム、レジャーブームがあったため映画の脚本で主人公が箱根に行きがちになる傾向があった。












「無責任シリーズ」

植木等が出世する話。舞台は荻窪団地、「死ぬまでここにいるわけじゃないから〜」と雑に作られた内装と狭い廊下の独身者専用棟。独身団地というと今見ると矛盾があるがこの頃はこのタイプの団地が多かった。映画業界がさすがにテレビの勢いを無視できなくなってきていた時期で、これまで根付いた「映画会社についた俳優はテレビに出れない」という暗黙の了解を打ち破った作品。すみれガ丘駅という架空の駅が出てくる。一般人がコーラを飲める様になったのは62年、それまではリゾート地で外国人が飲むものだったが、植木等がハッスルコーラという名前のコーラを一般家庭向けに商品化しようという提案を社内会議で持ちかける。商品化検討のために試飲でマッスルコーラを飲んだ途端に白黒映画からカラー映画になる演出。ただしコーラの効果がきれると再び白黒に戻る。トルコ風呂とロマンスカーのシーンを喜んで映画会社が使いたがっていた時代。









「下町の太陽」

山田洋次監督。映画が階層の低い人の娯楽だった時代。団地に住んだらオーディオを買うのが当時のモダンライフのあり方で、消費生活としての団地住まいだった。ホワイトカラーつまり精神労働者の青年が「青空の見える煙突のない郊外に住もう」とわざとらしく嘘くさいセリフに続けてプロポーズをする。団地を否定するが文化的生活の否定というよりは下町の肯定であり、寅さんの六年前なので、早すぎるモダニズム批判。(ただ、「狭い部屋で化粧をして帰りを待つのは嫌だ」というセリフだけは団地の否定というよりは単なるマリッジブルーなのでは?)結婚してしまってから遅すぎるライバルが「今の俺は出口を塞がれた溶鉱炉だ!」と訳のわからないセリフと共に登場。ライバルはブルーカラーの肉体労働者で心なしかホワイトカラーの主人公よりもイケメン。精神労働者の団地男vs肉体労働者の工場男で女の子を奪い合い、最終的にライバルの工場男が略奪愛に成功して工場のシーンでエンドをむかえる。公害に対する意見がない時代だったからこその工場肯定。













「しとやかな獣」

62年、川島英夫監督(アイディアを持ってきたのは新藤兼人)。団地映画の最高峰。団地の中だけで全ての物語が完結している映画。オープニングとエンディングが能の音楽で本編には一切BGMがない。ずっとドアが開けっ放しになっているところは当時を忠実に再現している。飛行機の音が近い、つまり大きな高い建物に住んでいるというアピールでもある。第二次対戦後世界は若さに寛大すぎる。世代論や文明批判はこの頃から盛んになる。
















「秋刀魚の味」

64年、小津やすじろう監督。映画業界はカラーになって3年目。嫁が嫁ぐストーリーだけを延々と書き続けた集大成。嫁が嫁ぎガランとした部屋に姿見だけを残して置く演出がお決まりのラストシーン。机やふすまを中心にシンメトリーで水平垂直な位置にカメラを必ず設置するというこだわりが全てのシーンに適応されているがこの姿見だけ水平ではない。「おまえの演技より俺の構図が大事だ!」という考えの監督だったため役者が構図、間取りの邪魔をしないようセリフを棒読みにさせていた。ただし酔っ払いのシーンのみに迫力をもたせている。普通お夕飯のをつくっていて材料が足りなくなった際お隣に借りに行くのは塩や味噌と相場が決まっているものだけど、それだと監督の美学に反するという理由から調味料類ではなくトマトをふたつ借りるシーンがあっておもしろい。現実的に考えると不自然なのに映像全体として見ると廊下の奥に消化器、手前赤いバケツを配置するなど赤の対比が行われているためまとまりがある。映画の中にまるでCMのように新しい家電を紹介するシーンがある。サラリーマンの社用文化としての接待ゴルフやボーリングは60年代から存在していた。













「団地妻、昼下がりの情事」

72年、日活ロマンポルノの一作目。ニューアクションの中にあった映画なので音楽が革新的。モダンジャズ(フリージャズ?)がBGMで使われている。浮気をする場所は決まって連れ込み宿。事件や進展は団地を出て川を渡った先で起こるという点が団地は日常の舞台でしかないということを象徴的に表している。浮気相手の家はマンション、エレベーターがあってブランデーを飲んでいておまけに演出としてソフトフォーカスまでかけることで団地はいいところではないというイメージを露骨に表現。トンネルを抜けるとそこは濡れ場というエンディング、カーオーラルセックスをしたままクラッシュして崖から落ちる。お金がかかっているので車が崖から落ちていくシーンのシャクが長い。下まで転がり落ちた車が爆発して「終」というテロップがでるという今ならコメディでしかない終わり方を素でやっていた時代。交通事故をフェティッシュに描くというのを一番最初にやった映画。













80年代になるとアダルトビデオの主流が団地妻ものから痴漢ものに変わる、つまり性のシーンが変わる。こじつけるとするならば女性の社会進出の影響。ちなみに痴漢ものを最初に撮ったのは山本晋也監督。80年代は家族崩壊ブームのまっただ中で、小説や映画の中でどんどん家庭が崩壊していった時代。(家政婦は見た等。)

団地妻は2010年にリメイク版がでたけど別のものになってしまっている。浮気相手が訪問販売で売りに来る物がディルドから洗浄機に代わり、撮影現場が美しい間取りのお茶の間からキッチンになり、リフォームまでされている。浮気相手の方が格下の家に住んでいて浮気特有の華やかさは微塵もなくなくひたすら暗い。オリジナルとは完全に真逆。買い物のシーンが団地の中の商店街ではなく駅前の商店街になっている。70年代にはあり得ない「会社をやめて農業をはじめる」ということを夫が言い出す。妻の浮気がバレる場面では72年はとりあえず夫がぶん殴っていたのに対して2010年は「知ってるよ」と穏やかに言うだけ、しかも夫の方からゴメンネと口に出してしまうので浮気の対処の仕方が全く違っている。女が出ていくシーンで男はあとを追わなくなる。オリジナルのラストシーンでは妻と浮気相手のふたりで車で箱根を走っているが2010年版は女が一人でママチャリに乗って家の外を走る。オリジナルで団地妻役をだった人を作中で団地妻になれなかったおばさん役として出演させているシーンがある意味一番の名シーン。このシーン以外は団地妻じゃなくて森ガール。セールスマンの男性をさがして団地住民側が団地内を彷徨うめずらしいシーンもある。全部セリフで喋っちゃう説明しちゃうのでそのせいで台無しになっているフシが強い。ただ、最後の最後はかなり良い。













その他メモ

東京は地図の改竄が激しい。

シネフィルムは「広がりがない」「映画ファンは凝り固まる」「違う文脈で映画にふれようという姿勢」など認識がやぶれかぶれ。

家族ゲームのラストシーンはしとやかな獣ラストへのオマージュでは?

浦安の団地はディズニーの洗濯が案外干してない、スヌーピーが多い

浮かれ電飾文化、イルミネイターSNSというものがあり八月は誰もログインしないが十月から頃から急に栄える。




ジョン・カサヴェテス

00:49




ジョン・カサヴェテス「チャイニーズブッキーを殺した男」

インディペンデントの父。あまのじゃくな編集と翻訳にはむかない英語のせいで意図した誤解と意図しない誤解が同時に生まれている日本語訳版。たとえば「美しい名前だ」ではなく「その名前を呼ぶときのこの響きが美しい」が本当。公に出した際スタンディングオベーションがおこったことに不満を感じた監督が発表後更に映像をけずったせいで、なぜ主人公がマフィアと関係を持ったのか、チャイニーズブッキーが何者だったのか、マフィアはチャイニーズブッキーを消してどうしたかったのかという軸となるところは一切わからない。事件の断片がそこにあるだけ、だけど起承転結はある。










ウォン・カーウァイ「欲望の翼」

とにかくキザったらしい。本当の母親を知らない、一番愛した女が誰なのかわからない。登場人物が目と鼻の先にいるようなアングルが続くのでだらだらとした湿気と男女間の隙間風が伝わってくるような映像。「すれ違えばすれ違うほど色っぽくなる皮肉な男性像。







青山真治「ユリイカ」

隙がなさすぎて頼りない。







2012-03-20

2012-02-24

上がる口角下がる口角

01:03




  • 作家と万年筆展




万年筆展というよりは生原稿展だった。筆跡はもちろん誤字の訂正のしかたに各々の個性がでていて面白い。黒いインクで書いてある上から改稿する箇所のマスだけ青インクできっちり塗りつぶしてあるものや、井伏鱒二なんかは殴るように消してあったり。一般の流通事情は全く知らないけど文豪はモンブランの万年筆を好む人が多いようで、個人的にはインク瓶も含め向田邦子が使っていたウォーターマンの外見が好き。ひとりひとり銀塩写真が飾られていて、特に目を引いたのが立原正秋。芥川龍之介の自殺を報じる新聞や各作家の代表作が置いてあり展覧会としてはかなりのボリュームだった。