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ランデヴー・ランデヴー

2017-04-06

00:03〜00:13

03:50 |





 仕事が終わり更衣室で着替えていると「その靴いいですねえ」と女の子に声を掛けられた。この町で働いている女の子たちにとっての美は完全にパッケージ化された共通言語で、丹念に巻かれた栗色の髪、淡いピンクのジェルネイル、そして普段着はスキニーデニムにピンヒール、そこにバスローブみたいなコートを羽織った出で立ちの彼女たちがわたしの持ち物を好意的に目に留めて話しかけてくることは、まずあり得なかった。彼女がお喋り好きだということは知っていたので、たまたまきっかけが靴だったのだろうと思い「楽ですよお」と間延びした口調まで合わせて返事をした。すると意外な事に「それの黒を買おうとしてたんですけど、どこも売り切れで」と言うのでそこではじめてわたしは彼女の顔を見た。縁取られた目をすっかり細め切ってこちらを見上げている。見据えられることになれている態度。「わたしお姉さんと同い年なような気がしていて」と彼女が話しはじめ、しかし職場で最年少であるわたしは同い年の女の子が店にもう一人しかいないこと、そしてそれが彼女ではないことを知っていたので、それとなくもう一度目を逸らす。そもそも私は彼女が五つくらい年上なのだろうと何故か思い込んでいた。作り物でない甘く可愛らしい声をどうどうと使いこなしていたせいかもしれない。しかしまたもや意外な事に、聞けば彼女と私の年齢は一つ違うだけだった。それが判明すると彼女は大袈裟に喜んだ。着替えが終わりエレベーターに向かう。ふつうならこのあたりで手短に挨拶を済ませ別れるのだけど、「途中までご一緒しましょう」と当然のように誘われた。見ると夜から雨が降りはじめたにも関わらず、彼女は店の備品の傘も持たずに依然無防備に笑っている。彼女はとにかくよく笑うのだ。何線に乗るのか尋ねるとタクシー乗り場に向かうと言うので、わたしはそこまで送ると言って相合傘をするよう仕草で促す。彼女は一直線に私の横に来て腰に手を回し、「一個下かあ、じゃあ私の彼氏と同い年だねえ」と、さえずるように言った。彼女は始終一切取り繕っている様子がないのに、全くつかみどころがない。どこまでもさらけ出しているのに、その奥に生き様がレイヤーとしてある。水商売の女の子とメディア露出のある女の子にはこういう子がとにかく多い。先日ストリップを見たときも、裸で微笑む女の子の底の見えなさ、目が合っても合わなくても思わせぶりだと勘違いさせてしまう才能に息を飲んだ。店からほんの百メートルのところにあるタクシー乗り場は雨のせいでとても混み合っていて、しかし最後まで付き合っているとわたしの終電がなくなってしまうので、謝りながら雨の下に彼女を放り出して走った。別に傘くらいあげてしまえばよかったと思い信号で振り返ると、彼女はもう前に立っていたサラリーマンの傘に入って笑っていた。



2017-02-26

午後二時に東南口で待ち合わせ

05:41 |





 久しぶりに会った弟が、「手入れが行き届いている」とわたしの髪を見てうなずきながら言う。少し反った背中になじんだ藤色のシャツ、細すぎる足首へと続くグレーのスキニー、おろしたての黒い革靴。いまから寄るつもりだという喫茶店の名前を聞くと、わたしが考えていた場所とやはり同じ店だった。接客中の人間特有の、あのピンと張った雰囲気の一切ない、それでいて借りてきた猫のような女の子が給仕をしている古い喫茶店。

 彼は定番メニューのコーヒーとカレーのセットではなく、ホットミルクとエビピラフ、それから食後にフロマージュを頼んだ。それが朝食であろうと夜食であろうと、彼が男の子らしいメニューを注文しているところを目にしたことは一度もない。ファミレスでは一番スタンダードなサラダを食べ、バーではシェリーを飲んだ。

 「例えばこの椅子がやたらと軋むというだけのことがさ、のちのち呪いになったりするんだよね。他の喫茶店で、定食屋でもいい、姿勢を変えて音が鳴るたびに目じゃなくて閉じたまぶたの形が浮かぶような」一年に一度の姉との昼食なんかではなく、他の女の子とのデートを仮定して話が進みだしたのだということは、確認しなくてもすぐに分かった。

 片思いをしている同級生の女の子がいると電話で聞いていたのでそれとなく彼女について切り出すと、「元彼から貰ったミニベロで登校している、それもハイヒールを履いて。舌がやたらと肥えていて、決して学食を食べない。紙のこすれるような声をしていて、何かを褒めることもその逆も、一切の躊躇がない。」と説明した。彼は自分が気に入った人について述べるとき、どこかうっすらと批判の混じる癖があり、わたしはそれに好感を抱いている。

 「手入れが行き届いているように見えたり、もしくはストイックなように見えたとしても、ただ僕の前で語るべき事柄を持たないだけという場合がある。文化的だと言える趣味を持っている子は実はとても少ない。彼女たちは孤独を飼いならしたことも孤独に飼いならされたことも、そもそも正しい意味ではそんなことを考えたことなんて一度もなくて、大体の女の子の本当の趣味は人間関係。孤独と同居していても、もちろんしていない場合でも。だけどそういう女の子に限って天使みたいなんだよね。顔が小さくて、愛されいて、ちゃんとクラスで一番かっこいい男の子をまっすぐに好きになるような女の子。柔軟剤にはこだわるけど姿見は汚れていて、本棚のラインナップやロック画面の写真で例外なく僕をがっかりさせる、さえずるように笑う女の子。駅からはずれたこんな喫茶店には決して一人で来ない女の子、駅前の、喫茶店じゃなくてカフェか居酒屋で友達と彼氏の愚痴を披露しあっている女の子たち」これはミニベロの女の子が例外だという話で、そしてそういった天使たちを胸の浅いところで愛しているという告白に他ならない。

 店を出るためにレジに行くと、彼は私の財布をしげしげと眺め、「むかしそういう財布を持ってる子がいたよ、広がりきったフリンジが付いていてさ、それをいつも握っていた」と、かつて彼が一番に可愛がったどこかの天使の話をした。



2016-06-28

2008年に好きだった女の子について2012年の私が書いた日記

01:35 |



 2008年の夏、お互いの誕生日が近いことを口実に一度だけ横浜のデートコースをいっしょに歩いた。彼女は最近夢中になっているらしいブランドの新作のワンピースを着ていて、体格に不釣り合いなくらい大きな鞄を肩から下げていた。育ちの良さからにじむ特有の行儀の良さと性格の悪さ、それによって際立つ顔の造形の美しさ。

 「ブログに書いていたお気に入りの日傘は今日は持ってこなかったんですね」とわたしが言うと、彼女は「日傘をさすと並んで歩くときに距離が開いちゃうから、だから人と会うときは日焼け止めクリームを塗るだけにするんです」と屈託なく答えた。ニュースキャスターも苦笑いするような真夏日の中、そんな理由から白い肌を太陽にあてる彼女を思うと今でも息がつまる。そして日傘のない分だけ彼女と近距離で肌を焼いていたわたしのことを思っても、また同様に息がつまる。ひたいの汗はそれぞれのハンカチで速やかに拭われる。

 港の見える丘公園を抜け、外人墓地に寄りかかりながら共通の友人についてなにかを話し、高級住宅街の木陰でくつろいでいる毛並みのいい猫に携帯のカメラを向け、それからお茶を飲むために白い壁の喫茶店に入る。彼女はウェイターに「本日のパイはなんですか?」と尋ね、アップルパイだという返事を聞くと、わかりやすく顔に出して迷ってから「それでお願いします。」と目を見て言った。わたしが何をオーダーしたのかはもうおぼえていない。

 頼んだものが出てくるまでの時間を使い髪を結いにお化粧室に立った彼女を、現実味のわかないままひとりで待っていた。赤いチェックのテーブルクロス、結露するグラス、セミの声。胸まであるロングヘアを手の込んだ三つ編みのアップにしてきた彼女に心底みとれ、うつむき、似合っているという月並みの感想をなんとか口にした。しかしテーブルに並んだアップルパイを丁寧につつきながら彼女がまたもや屈託なく言うのだ。「そのネックレス可愛いね、わたし金属アレルギーだから、彼とペアリングつけられなくって。」





2016-06-27

思えば遠くにきたものだ

17:01 |



2016/03/11




 3月11日、東京に越してきてからちょうど5年がたった。震災のあったその日は父も地元から出てきていて、新居に届いた家具を組み立てながら口論をしているときにグラっと揺れた。泣きじゃくるわたしを父がなだめ、口論は帳消しとなった。

 夜、すでに東京で暮らしていた当時の恋人がわたしを心配してアパートの前まで来ていることを知り、通信網の混線から「父がいるから帰ってほしい」とすんなり伝えることもかなわず、いま思えばあの日いちばんひやひやしたのはこんなくだらない瞬間だった。状況が把握出来ていない分、そして5年という若さの分呑気だった。


 後日スーパーに行ってみるとまさに目の前で食料の争奪戦が行われていて、全体的に品薄となった棚からふた切れで300円という少し高価な食パンと、うずらの卵だけを買って帰った。ひとり暮らしでのはじめての自炊は、贅沢なのかひもじいのかよくわからないものとなった。


 計画停電というものの存在を知ったときには、すでに近所に懐中電灯が見当たらず、そのことをツイッターに書くとなんと夜中だというのに板橋の友人がスケボーで今から届けてくれるという。わたしは板橋からはかなり遠いところに住んでいたので、「朝を待って始発で来たほうが早く着く距離だし、いますぐ必要というわけではないので、明日以降にしましょう。おやすみなさい。」とメールを打った。それから友人のツイッターをのぞいてみると「あの娘に明かりを届けに行くんだ。」と書いてあり、そしてそれ以降の更新がない。とはいえメールを読んでくれるだろうと思い早々に就寝した。しかし翌朝目がさめると、「駅の何番のコインロッカーに預けておきました。Suicaで開錠してください。」というメールが届いていた。意味や効率はともかく、突飛なことが好きな人だった。いまさら急いでもなんの意味もないくせに、走って駅に向かった。コインロッカーを開けると、小ぶりな黄色い懐中電灯と、電池がふたつ入っていた。共通の友人のツイッターには、「僕の友人が今から〇〇に住んでる女の子にスケボーで懐中電灯を届けに行くらしいんだけど、その子はいまから寝ちゃうそうです、せつないですね。」という投稿が数時間前にされていた。

 ひどい話なんですが、だけど結局わたしの住んでいた地区では計画停電は行われなかったんです。板橋では計画停電があったんでしょうか。その友人とは今でも仲が良いけれど、そういえば確かめたことは一度もない。友人はわたしのことをときに「青春」と呼び、わたしと会う日のスケジュール帳にも「青春」と書くのだそうです。薄暗い高校生活を終えたわたしに「青春がこなかった人は、青春がこなかった人の青春になれるから。」と言ってくれた人。



 あれから5年、思えば遠くにきたものだ。毎年まいとしが節目だったように思う。そしてきっと今年も。2016年の3月11日は、chelmicoのまみこちゃんとお茶をした。先日わたしが彼女たちのオリジナルグッズの写真を撮影したので、そのお礼にとトレーナーを受け取った。わたしがまみこちゃんと知り合ったのは彼女がまだ16歳のころだったので、彼女と知り合ってからだってそろそろ4年が経つということになる。彼女とはじめて会ったときの衝撃は筆舌に尽くしがたいし、いまでも肉眼で見た中でいちばんの美少女だと思っている。2年ほど前に突如chelmicoの片割れとしてラッパーデビューを果たし、いまでは精力的にライブ活動をしている。「思えば遠くに〜」ではないけれど、彼女こそなんだかすごく遠いところに行ってしまいそう、むしろ行ってしかるべきだという印象を会うたび即座に払拭させる彼女の人当たりの良さは、容姿同様天性のものだとしか言いようがない。



2012-02-17

魂を解釈すること

01:22 |







荻窪六次元で行われた谷川俊太郎さんと田原さんのイベント『魂を解釈すること』に行ってきた。トークライブと未発表の詩の朗読をたっぷり二時間。基本的に谷川さんがおっしゃっていたことを中心にざっくり箇条書きで。

  • 「人が大勢居るねえ、ただいま」といいながら谷川さん入場。繊細そうな人かと思っていたけど乾いた皮肉で人を笑わすのが得意な人だった。日本の貧乏な詩人はあまり大切にされていないから道端に詩人を置いといて誰でも話しかけられるシステムにしたら皆嫌でも大切にするのでは?という話題がひとつめ。


  • 好きな動物はヤマネ、群馬の森でヤマネと目があったとき自分の前世はヤマネだと思ったそう。しかし似ているのは動物より植物らしい。


  • 田原さんいわく、「多くの詩人は社会的存在にとどまってしまったので時代をこえないし時間をこえないが谷川さんはその反面宇宙的な作家だといえる。しかしそれでも本人からしたら生活第一詩は第二というスタイルなのでめずらしい」


  • 女性を神格化すると人間としての本質を見失う。谷川さんにとって女性は「はじめての他者」。


  • 大正時代にはもうマザーグースが翻訳されていたり日本は児童文学が昔から豊かだった。


  • ビデオで一年間庭を撮り続けたのは萩原朔美の腐っていくリンゴに影響されたため。


  • 地震についての詩を書いて欲しいと頼まれ実際に書いたが現場に居ない限り「地図の言語」になってしまうのでつとめて現実的なものを書いた。


  • 震災の話から自殺者が多いという話にそれたときは、田原さんが「中国のことわざに『どんな良い死でもどんなに悪い生より悪い』というものがあるが日本は昔から自殺が美学だという面があるから自殺が多いのでは?」という意見を言っていた。しかし最近は中国でも自殺者が増えているのらしい。


  • ギンズバーグが詩を鈍らせたという意見もあるがヒッピーにうつる時代で口語的な詩をよしとする風潮があったためそれが当たり前だとも言える。


  • 翻訳という行為は作者の声を自分の中に取り入れ自分の声として出すということで、それに向いていない中原中也さんの詩は中国、アメリカ、フランス等の海外で三流の詩として扱われている。言葉遊びという点では外国語のほうが韻を踏むのは簡単だが外的リズムだけが遊んでしまう。普遍性に欠け、同時に音声的すぎたせいだと言われている。


  • 谷川俊太郎さんが佐野洋子さんと付き合っていたときのラブレターはかなり普遍的な詩になっていて、離婚してからそれを本人に伝えたらラブレター返してあげると言われて笑ったらしい。しかしコピーはあらかじめとってあった、というところで会場がわく。


  • 終了間際に質問など出来る時間があったので挙手をし、父が谷川さんの詩を胎教に使っていたので母のお腹の中にいた頃から聞いていたことになる詩を書いた方に実際にお目にかかれて嬉しいですという旨と、私の一番好きな「クレーの絵本」について何か思い出や思い入れがあったら是非聞かせて欲しいということを伝えた。


  • 回答は、「若い頃からパウル・クレーの絵というより題名の付け方が好きで生で見に行ったりしていたので喜んで書いた。詩をつけて本にする話は著作権料が高すぎて一度話が流れたが安くなったときに実現させた。スイスの大自然の中にあるクレーセンターで詩を朗読したこともあるのが思い出深い。」とのこと。






朗読された詩については未発表なので他言厳禁とのこと。狭い店内で二十数名にむけて近距離で読まれる詩は朗読特有のかしこまった雰囲気や非日常感やある種のわざとらしさがほとんどなく、話し手も聞き手もその他の雑談の延長線上のような感覚でストンと場の雰囲気におさまっいてた。田原さんは中国人なので中国国籍のお客さんも何人かいて、日本語で谷川さんが読んだ詩の中国語訳を続けて田原さんが読むといった形式。しっかりと生の中国語を長時間聞くことも珍しいのでいい機会だった。