茨城って311関係なく元から地震多い

生まれ育ち現在ともに茨城です。私個人は1984年昭和59年生まれですが20年真壁(現桜川)という山沿い地域の地盤が比較的硬い場所に住んでたため
震度5程度では全く動じませんし(3や4は日常茶飯事で四季と同じくらい当たり前な感覚)
311時は下館(現筑西で地盤は分かりませんが下がつき過去水害があったので海抜?の低いと思われる土地)におり、当日精神科の定期通院で家を出る前でしたがゴロゴロしていて
母に『白米白米(実際は本名)』と手をひっぱられて裸足のまま屋外に出ましたが、『何でこの人倍生きてんのに慣れないかな』などと思い
余震が続く中、信号停止して譲り合いで道路は流れ、救急車が頻繁にみかけられ、瓦屋根が落ち、塀が崩れるなか平気でつくばまで車を飛ばしました。まぁ結構ヤバイなと思いつつ
【当時、予約は絶対とゼロイチ思考だったので臨床心理師にこういう時は電話してくれたら大丈夫といわれた】 まぁドパミン遮断薬コントミン12.5mg×2/day飲んでた訳だが

当時妹が水戸で独り暮らししていて母が心配騒ぎしてるので、翌日水戸まで私が運転していくと、せっかく来たのに、病院にいったことを話すと
『お姉ちゃん頭おかしい』と言われました。こちらに連れてきたら『えーこっちもお風呂入れないのありえなーい』と言われました。妹は直ぐに水戸には戻らず仕事も電話一本で辞めました。嘱託とはいえ公の職で一番頑張り時なのに。【はい、何度もいいますが私は妹が嫌いです。】

今は地盤が比較的ゆるいであろう場所に住んでますが(地元人なので茨城県県西と県南の一部はどの辺が実際今まで災害にあったか証言レベルで歴史を知っている)
今は比較的最近災害発生したとこに住んでます。友達に大丈夫と聞かれましたが、災害後の移住であり、そもそもそれを気にしていると確実に安全な場所などなく陸上に住めないので…。
地震に強い地盤でも水害には弱いとか、水害に強い山沿いなら土砂崩れだし、疎遠になった伯母の家の小屋は竜巻で崩壊して疎遠なのに助けてくれないってキレてるし、茨城をよく知っているからこそ、ぶっちゃけドコモ大差ねーしと思う】

てなわけで、別に明日死んでも後悔ないように生きるだけで地震の備えは特にしていません。震災時の教訓もケースバイケースになるから絶対的に役に立つとも限らないわけですから。

私は自分勝手な人間で、まだ自殺する勇気や覚悟はないが、たまたま死んだら魂からも思考や記憶からおこる哀しみや苦しみからも解放されて幸せだと思ってるので、私の死で哀しむ人間がいても知ったこっちゃないし、それすら75日程度でしょって薄情な悲観的現実主義を貫きます。

これを読んでる人がもしいたら、災害にお気をつけて長生きして下さい。