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白央篤司の昭和系日記 このページをアンテナに追加

2009-07-09 ヴァン・クライバーンに酔う

Van Cliburn

 うーん、目からウロコ!

 辻井伸行さんの快挙で一躍日本でも知名度が上がった、ヴァン・クライバーン・コンクール。その名が冠されたクライバーンは、クラシックファンの間では有名人だけれど、一般的には殆ど知られていないピアニストだったと思う。


 そんな彼の演奏に「YouTube」でバッタリ出会ったんですが……これが素晴らしくて、素晴らしくて。

 アーヴィング・バーリン(『ホワイト・クリスマス』の作者)の名曲、『The song is ended』を思い出す。その歌詞 “the song is ended, but the melody lingers on” (曲は終わってもメロディが心に消えない……)を地でいってるかのように、頭から彼の音楽が離れていかない。

 なんという美しい音の響き、そしてニュアンスに富んだ音色だろう!

 リスト編曲のシューマンの『献呈』を弾いているが……奏でている、という表現のほうがふさわしい。途中からはじまっているが、まあ聴いてみてほしい。



 埋め込み無効でした、ごめんね。

http://www.youtube.com/watch?v=NQOi1ehF754&feature=related


 ピアニストの中村紘子氏は、彼の演奏を著書でこう評している。

「夢見るような瑞々しいロマンティシズム、攻撃なところの一切感じられないナイーヴさ、一抹の哀愁、極めて自然な音楽の運び方」(『チャイコフスキーコンクール』 1988)


f:id:hakuouatsushi:20090709223948j:image:right まったくもって、この演奏の批評としてもピッタリじゃないだろうか。

 そう、ナイーヴ! まさに言いえて妙だ。これもともと歌曲なんですね。「君はわが心、わがたましい!」という熱い愛の歌。名ソプラノ、ジェシー・ノーマンがよく取り上げるレパートリーのひとつ。彼女はあのスケールと迫力で、愛の激情をいつも高らかに歌い上げてくる。

 そういう曲だと、私は思い込んでいた。しかしこのクライバーンの演奏はどーだろう。激情というよりはひそやかな慕情、しかしウジウジしたところは感じさせない、清らかな思慕といった趣き。リスト特有の技巧的なフレーズまでもが飾りではなく、静かにほとばしる愛の心を表現しているかのように思えてくる

(まあ、ミスタッチが気になりますが、この方そういうところにあんまりこだわらないようなんですね。他の演奏でも結構目立つ。日本人はとってもミスタッチにうるさい民族なので、気に入らない人は多いかもしれない)

 

 ヴァン・クライバーン(1934〜)。

 戦後のアメリカが生んだスーパースター。冷戦時代のソ連が主催したチャイコフスキーコンクールで圧倒的な成績で優勝、ロシア人は熱狂的に彼の演奏、そして人柄を愛したという。

 当時アメリカは宇宙航空研究で大きくソ連に水をあけられ、劣等感を味わっていた。そこにスペシャル級の「一矢を報いた」彼の大手柄に、国はそりゃあもう大騒ぎ、大フィーバーになったんだそうだ。

 しかし突然の大人気とハードスケジュールに、彼の精神は次第に荒廃してゆき……という、映画のような人生を送った人なんですね。そのへんは先の『チャイコフスキー・コンクール』に詳しい。中村さんはヴァンの、日本流にいうと妹弟子にあたる。ロシア人のロジーナ・レヴィンというジュリアード音楽院の名教授が、ふたりの「おっしょさん」なのだ)。


f:id:hakuouatsushi:20090709223630j:image

 (凱旋記念パレードの模様。ニューヨークの五番街は紙吹雪で埋め尽くされたという)


 先の本を読んだのは中学生だったけれど、「そーんなすごいピアニスト、さっそく聴かなきゃ!」と私は即レコード屋に走った。名盤と名高い、当時ベストセラーになったというチャイコフスキーの協奏曲を聴いてみたが……まあ理由は飛ばして、好きになれなかった。さして感激もしなかった。

 しかし「判断を急ぐな」というのは本当ですね、ロシアン・ピアニズムの精華ともいうべき「ヴェルベットのようになめらかなレガート」とは、このクライバーンの演奏のようなことをいうんだろうな。ああ……なんと20年も彼の判断を間違っていたとは。くっそう。

 


○付記

 唐突ですが、マルタ・アルゲリッチの素晴らしい演奏も紹介しておきたい。1980年ショパンコンクールでの記念演奏。このときが有名な、イーヴォ・ポゴレリチの落選の回。シューマンの『子供の情景』から1曲目の『知らない国々』を弾いているが、こんなに美しいピアノの音の響きを聴けることは少ない。


D


 ちょっと聴衆が映るが、アジア系の方がやけに目立つ。1980年はまだブーニン・フィーバー前、日本人が大挙して観覧に押し寄せる前だから、アジア人が客席にいるのは相当珍しいことだと思う。勝手な推測だが、このとき第一位になったダン・タイ・ソンの親戚だろうか。


○追記

YouTubeに関して私は若干の異議というか……モヤモヤを持っている。そのわけは、以前の日記のこちらを読んでみてほしい。




○勝手にヤサブロー日記 『アイスクリーム』

(このコーナーの起こりはこちらまで)

f:id:hakuouatsushi:20090709224250j:image:left この池田弥三郎先生、京橋の天ぷら屋の息子さんなんですね。高級店だったよう。ボンボンとしてお育ちになり、まあいいものを小さい頃からお召しあがりなんですわ。


〜おとなにたべにつれて行ってもらうアイスクリームは、むかしは銀座では資生堂だった。

〜家族でたべるアイスクリームは、鍋町の風月堂であった。


 今の銀座5丁目あたりに風月堂はあったんだそう。

 アイスクリームといえば私が子供の頃、「レディボーデン」というアイスがヒジョーに高級感があって、なんだかすごい贅沢をしているようで、食べるのが楽しみだった。調べてみたら今も売っているようだが、初恋の人と一緒で、食べないほうがいいかもしれない。



○記録

今日の東京は晴れ。雨の少ない梅雨だ。花がたくさん咲いている。百合に虫がたかりだすと、いかにも夏と思う。


f:id:hakuouatsushi:20090705013425j:image




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