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雑載 |
【確信犯】
「確信犯」という言葉の誤用がしばしば指摘されるが,実は,日本最大の国語辞典『日本国語大辞典』は,既に第二版からこの誤用を認めている*1。しかし,この「トラブルになるとわかっていて,何事かを行うこと」という定義は果たして妥当であろうか。
これを考える前提として,確信犯(誤用)に関する2つの見解を検討してみたい。
まず,「確信犯(誤用)も,彼なりの自分勝手な屁理屈で自分の行為を正当であると確信している。したがって,その場合の確信犯(誤用)は誤用ではなく正しい用法である」という見解がある。
このような主張は,確信犯(原義)を「自らの行為を正しいと信じて犯罪を行う者」と「イコール」として捉える理解に基づくと思われる。しかし,これは確信犯(原義)という単語の沿革からすれば誤解である*2。
というのも,確信犯(原義)とは,「自己の利欲を満たすことを目的とする通常の犯罪と異なり,例えば宗教的・政治的理由に基づく確信犯(原義)は,崇高な動機に基づくのだから,軽く処罰(あるいは特別扱い)すべきではないか。」という特定の刑事政策上の主張のために造られた概念だからである。誰もが「崇高な動機」と認めるという意味で,「宗教的・政治的理由」という部分は動かすことができない*3。
もちろん,突き詰めて考えれば,ここに言う「崇高な動機」を,「宗教的・政治的理由」に限る必然性はないかもしれない。しかし,そのように考えるとしても,その「崇高な動機」の範囲は,前記「軽く処罰(あるいは特別扱い)すべきではないか。」という観点によって画されるのであって,単に「自らの行為を正しいと信じて」いれば足りるというものではない。
このように,確信犯(原義)は,「自らの行為を正しいと信じて犯罪を行う者」の「一例」ではあるが,「イコール」ではない。したがって,確信犯(誤用)は,やはり誤用であると言わざるを得ない。この誤解の蔓延は,多くの刑法総論の教科書が,この点についてミスリーディングな記述をしていることに由来するのであろう*4。
また,「確信犯(誤用)とは故意犯のことに過ぎない」という指摘がなされることもある。
しかし,故意犯は,過失犯と対になる言葉であって,確信犯(誤用)の言い換えとしては,明らかに広すぎる定義の言葉である。
すなわち,第一に,確信犯(誤用)の特徴として,「一般的に,その行為が否定的に評価されるものであることを重々承知していること」をあげることができよう。この特徴は,確信犯(原義)が,「国法上,その行為が禁止されていること自体は知っている」ということに対応する。
しかるに,故意犯においては,自分の行っている犯罪行為の「事実」を認識していれば足り,その行為が「違法」であることを認識している必要はない。例えば,日本では銃の所持が違法であることを知らない外国人が,銃を所持していた場合,銃の所持という「事実」を認識していた以上,故意犯として処罰される。しかし,このような類の犯人を確信犯(誤用)とは表現しないであろう。
また,確信犯(誤用)は,衝動的な故意犯も含まない。「カッとなって殺害に及んだ行為」は,故意犯であるが,確信犯(誤用)ではないであろう。おそらく,衝動的な犯罪行為は,その行為が悪いことであることを思い出すひまもなかったという意味で,違法性を「重々承知」していたとはいえないからであろう。
第二に,確信犯(誤用)には,悪いことであることを「重々承知」しながら,「罪悪感がない」という特徴もある。例えば,「いけないことだとは思ったのですが,腹が減ったもんで,ついついお宅の柿を盗んでしまいました」というのは,故意犯であるが,確信犯(誤用)ではないであろう。この特徴は,確信犯(原義)が,崇高な動機に基づく「罪悪感がない」犯人であることに対応する。
以上の事例をみても,確信犯(誤用)は,悪いこと,間違ったことであることを「重々承知」しながら,「罪悪感がない」犯人のことであると説明できよう。確信犯(誤用)は,故意犯の一種であるがイコールではないのである。
以上を踏まえ,日本語国語大辞典の「トラブルになるとわかっていて,何事かを行うこと」という定義を再検討してみる。
まず,第2節で検討したように,確信犯(誤用)は確信犯(原義)とは異なる概念であるから,この2つを区別して定義していること自体は妥当である。
それでは,この定義は故意犯と区別されているであろうか。第3節で検討したように,これは区別されなければならない。
この点,以下のような対応関係を考えると,日本語国語大辞典の定義する確信犯(誤用)は故意犯とイコールになってしまうようにも思える。
| 法律上の故意犯の定義 | 犯罪事実を | 認識・認容して | 実行行為に着手すること |
| 日国の確信犯(誤用)の定義 | トラブルになると | わかっていて | 何事かを行うこと |
しかし,「トラブルになるとわかっていて,何事かを行うこと」という「日常用語風の定義」が,雰囲気として,悪いことであることを
重々承知して」,「衝動的でもなく」,「罪悪感もない」というニュアンスを醸し出しているようにも思える。そうだとすると,故意犯との区別という面でも,この定義に合格点を与えてよいと思われる。
問題を挙げるとすれば,「トラブル」という「日常用語」を用いたことが,今度は逆に,先に挙げた宅間守の例文のような正真正銘の犯罪行為を含まないようにも見える点である。これについては,もう少し工夫が必要であろう。
いずれにせよ,今後,他の辞書がどのような定義を載せていくがが注目されよう。
*1:もっとも,この誤用を載せた国語辞典は私の知る限り他にはなく,『日本国語大辞典』への掲載をもって,直ちにこれを正しい用法とみなしてよいかは,なお慎重な判断が必要であろう。
*2:確信犯(原義)の沿革・定義については,木村亀二「確信犯人の問題」『刑事政策の諸問題』165頁以下が詳しい。
*3:もっとも,このような確信犯(原義)の「崇高性」を否定して,これを「犯罪狂」であると評価したり(前掲木村・214頁以下),最近では,「テロ犯罪」などと低めて呼ぶこともある(石原明ほか『現代刑事政策』376頁)。
*4:本文で述べたように,確信犯(原義)とは,本来は刑事政策で用いられる概念である。しかし,刑法の教科書では,刑事政策について十分に扱われないため,この本来の論点において確信犯(原義)概念に触れられることは少ない。一方,犯罪論において「故意に違法性の意識は必要か」という点は教科書レベルでもよく論じられる。そして,この「故意に違法性の意識は必要か」という論点において,「違法性の意識がない犯罪」の「一例」として確信犯(原義)という単語が利用されることが多い。そうすると,それを読んだ初学者は,「確信犯(原義)」イコール「違法性の意識がない犯罪者」のことだと誤解してしまうのである。実際には,確信犯(原義)とは「違法性の意識がない犯罪者」の「一例」に過ぎないのにである。