白澤社ブログ

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オリンピックと三木清

リオ五輪も無事に終わって次のオリンピックは東京大会ですね。

次の大会が東京で催されることに決定したのは、とりわけ愉快なことだ。我が国民の誰も喜んでこの愉快な義務を負うであろう。それは確かに日本の獲得した權利であると共に日本に課せられた義務でもある。(中略)次のオリンピック大会が不可能にならないように、世界平和の維持のために努力することが日本の第一の義務である。オリンピック競技こそ国際主義の真の精神を教えるものである。

これは1936年に執筆された三木清のコラム「愉快な義務」(1936.8)の一節です(『三木清全集第十六巻』岩波書店、151-152頁。引用にあたり仮名遣いをあらためた。以下同じ)。
三木はスポーツに好意的だったようで「スポーツと健康」と題したコラム(1935.11)では次のように書いています。

スポーツは明朗だ、秋の空のように。卓越せる者がなんの嫉妬も成心もまじえずに讚美され喝采されること、スポーツの如きは稀であろう。この陰慘な世界情勢のうちにおいて、スポーツは我々の心を明朗にしてくれる恐らく唯一のものであろう。(三木、前掲書、71-72頁)

ちなみに引用文中の「成心」とはこの場合、したごころといった意味合いです。

『人生論ノート』に「一種のスポーツとして成功を追求する者は健全である」(「成功について」)とあるのもなるほどなと感じられます。ついでですが、この言葉は岸見一郎『三木清『人生論ノート』を読む』では51頁に出てきます。
ここまで手放しにスポーツを賛美されると、三木はいささかスポーツを美化しすぎているのではないかと不審に思われる方もいるかもしれません。
しかし、そうではありません。三木は「競技と政治」(1936.3)で、ナチス政権下での開催が進められていたベルリン大会について、スポーツが「政治的目的、言い換えれば戦争の目的に従属」させられていることを(婉曲に)指摘したうえで、次のように書いています。

 スポーツが政治的目的に従属させられるのは確かに好ましくないことである。スポーツは戦乱時代の武技が平和の時代に変質したものであるとすれば、今日それが戦争の目的に使用されることはスポーツの先祖返りとも云うべきものであって、このようなアタヴィズム(先祖返り)は今日の如き反動時代には他の方面においても多く見られる現象である。
 しかしたといドイツの政治的行動には非難さるべきものがあるにしても、その理由からオリンピック大会に參加しないということは、自分自身スポーツを政治化するものであって、賛成できない。寧ろ現在の如き世界の情勢においては、スポーツを通じてでも国際親善の行われることが望ましいと考えられる。政治と競技との混同は避けたいものである。
 ナチスの理論家カール・シュミットは、政治的なものを規定する根本概念は、敵・味方という範疇だと述べている。しかるにオリンピック競技の淵源をなした古代ギリシアにおいては、凡ての生活が競技的な根本性格を有し、ギリシア人とギリシア人との血腥い衝突にあっても戦いは「アゴーン」(競技、試合)であり、相手は試合の相手であって「敵」ではなかった。
 社会の統一が維持されている間は、政治も何等か競技的性格を備えている。自由主義の華かであった時代には、政治におけるスポーツマンシップについて屡々語られた。ところが社会における内部的対立が激しくなると、政治はあらゆる競技的性格を失い、全く敵・味方の関係で規定されるようになり、スポーツマンシップなどもはや問題にならない。そしてスポーツも、体操の如きも、政治的目的に従属させられることになる。これは独りドイツのみのことでなく、あらゆるものが政治化する必然性を有する現代の特徴的傾向である。(三木、前掲書、108-109頁)

「政治と競技との混同は避けたい」と言いながら、最後の段落では「政治も何等か競技的性格を備えている」というのは、スポーツの競技(アゴーン)的性格を強調することで、カール・シュミットの友・敵理論(シュミット『政治的なものの概念』未来社)に対抗しようとしてのことでしょう。
スポーツの競技(アゴーン)的性格とは、「試験の明朗化」(1936.2)というコラムでは「コンクールの精神」とも言い換えられています。
スポーツがそうであるように、政治も敵愾心、嫉妬心、憎悪などによる争いではなく、平和の時代の「アゴーン」(競技、試合)のようにできないものか、天皇機関説事件で議員辞職した美濃部達吉が暴漢に銃撃され、2.26事件が勃発して世情が騒然としたなかで、三木はあえて説いているように読めます。
ちなみに三木が期待した「次の大会」とは1940年に予定されていた東京大会のことですが、1938年に日本政府は戦争遂行の負担になるという理由で開催権を返上して、幻の東京オリンピックとなってしまいました。