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2018-07-02

[]桂歌丸師匠を偲ぶ

落語家桂歌丸師匠が亡くなられたそうです。

古典落語の名人だっただけに、惜しまれてなりません。

というのも、小社では今、歌丸師匠が得意とした円朝落語怪談牡丹灯籠』を含む、<江戸怪談を読む>シリーズの新刊『牡丹灯籠』を刊行すべく編集作業のラストスパートに取りかかっていたからです。

中国から近世初期に日本に伝えられ、翻訳・翻案され、江戸時代を通じてさまざまな二次創作作品を生み、幕末に至って三遊亭円朝の傑作『怪談牡丹灯籠』に結実した牡丹灯籠怪談の魅力を語る一冊です。

出来あがったらぜひ歌丸師匠にご覧に入れたかったので、たいへん残念です。

思えば<江戸怪談を読む>シリーズは、累伝説を描いた『死霊解脱物語聞書』(小二田誠二翻刻・解説)から始まりました。

この累伝説の後日談として作られた円朝落語真景累ヶ淵』もまた、歌丸師匠の十八番の一つでした。

とくに、「豊志賀の死」の、おかしみと怖さの入り混じった場面は、歌丸師匠ならではの名演でしょう。

<江戸怪談を読む>シリーズの新刊『牡丹灯籠』は、7月中旬に刊行されます。

歌丸師匠の『牡丹灯籠』の名調子を思い出しながらお待ちください。

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2018-04-10

[]『母の憶い、大待宵草』目次

好評発売中の『母の憶い、大待宵草』(古川佳子著)の目次(小見出し含む)をご覧いただけます。

下記のURLをクリックしてください。↓

https://indd.adobe.com/view/54b1cb81-9d0b-4e87-8868-d6c61e9136b8

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なお書誌データは以下の通りです。

[書 名]母の憶い、大待宵草──よき人々との出会い

[著 者]古川佳子/[跋]田中伸尚

[体 裁]四六判並製、256頁

[定 価]2600+税

ISBN978-4-7684-7970-4

C0095 \2600E

2018-03-28

[]カントと花見

今週は東京都心の桜は満開、好天にも恵まれてお花見ウィークになりそうですね。

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小社最寄りの神田川沿いの桜も満開です。

今日のような、うららかな午後は、網谷壮介著『カントの政治哲学入門』を片手に散策するのにうってつけです。

カントは花見をしたか?

ところで、カントは花見をしたのでしょうか。

もし「花見」を、桜の花をながめながら酒を飲んだり軽食をとったりする日本の風習と定義するなら、カントは花見をしなかったが正解です。

桜の花の下でどんちゃんする花見が庶民に広まったのは、江戸時代中期享保年間(1716-1736)のころからだとされています。

カントは享保九年(1724)の生れですから、日本に来ていれば、きっと花見に出かけたに違いありませんが、実際には「カントは生涯、ケーニヒスベルクの街から一歩も外へと出ることはなかったと言われている」と網谷さんは書いています(網谷、p167)。

したがって、カントは花見をしませんでした。

けれどもカントは、自室に閉じこもって純粋理性の誤謬推理について考えてばかりいたわけではありません。

網谷さんによれば「ケーニヒスベルクは発展した港街であり、カントは街を訪れる商人や軍人とも社交し、世界への見聞を広めていた」そうです(網谷、p.167)。

トリビアなネタが満載の『実用的見地における人間学』とか、『判断力批判』にあるエジプトのピラミッド観光のコツとかも、こうした社交と会話によって材料を得たのだろうということです。

飛鳥山の桜も吉野の桜も観に来なかったカントですが、寛政七年(1795)に出された『永遠平和のために』では、ヨーロッパの植民地政策を批判する観点から「日本と中国の鎖国政策が、ヨーロッパの植民地主義者の非友好的振る舞いを吟味した末での思慮に富んだものだったと評価しさえ」しているそうです(網谷前掲書、p195)。

老中・松平定信による鎖国引締め政策がカントの耳にも入っていたのでしょうか。

今週の名言

世界市民の観点に立つためには、なにも世界中を旅行する必要はない。ただ、世界に対する関心が必要なのだ。(網谷壮介著『カントの政治哲学入門』より)

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カントの言葉ではありません。

カントの世界に開かれた態度を要約した網谷さんの文章です。

2018-03-19

[]考える自由について―『カントの政治哲学入門』より

網谷壮介著『カントの政治哲学入門──政治における理念とは何か』より、これは名言とうなった言葉をご紹介します。

自分で考えるということは自分だけではできない。

これは『カントの政治哲学入門』の154頁に出てくる言葉です。

ただし、カントの名言ではなく、カントの論文「思考の方向を定めるとは何か」中の文章の趣旨を、網谷さんがみごとに要約した文です。

カント自身の文章も、同書の同頁で引用されています。

確かに、話したり書いたりする自由は最高権力によって奪い去られるものだが、考える自由は決して奪い去られない、と言われることがある。しかし、他者に自分の考えを伝え、他者も自分の考えを伝えるという、いわば共同性のなかで思考するのでないとすれば、私たちはどれだけ多くのことを、どれだけ正しく、十分に思考するというのだろうか。したがって、自分の考えを公開し伝える自由を人間から奪い去る外的な権力は、また同時に思考する自由さえ奪い去ってしまうと言っていい。(「思考の方向を定めるとは何か」8:144)

これに小社はいたく感銘を受けました。

思想・良心の自由と言いますが、それは内心の自由だけで十分なのではなく、言論・出版の自由の保証とセットでなければ、思想・良心の自由も十全にはならないということです。

小なりとも出版業に携わるものとして、忘れてはならないことだと感じ入った次第です。

「自分で考えるということは自分だけではできない」、だからこそ、さまざまな考えを記録し伝える出版業の意義もあるのだと、ともすれば出版不況で弱気になりそうな気持ちを奮い立たせてくれる言葉です。

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2018-03-16

[]『カントの政治哲学入門』より「はじめに―カントの政治哲学の意義」

『カントの政治哲学入門──政治における理念とは何か』(網谷壮介著)の「はじめに―カントの政治哲学の意義」です。

全部で6枚の見開きの画像です。

無断転載はお断りします。

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p4〜p5

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続きは↓

p6〜p7

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p8〜p9

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p10〜p11

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p12〜p13

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