無限の速度を超えた彼方

いやお久しぶりです。最近どうも忙しくてね。ちょっと厚めのレジュメを仕上げていました。それをやりきってしまってしぼんでいたりもします。

で、なんのかというとこちらの解説、解釈を書きました。

百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫JA)

百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫JA)

光瀬龍百億の昼と千億の夜。国内オールタイムベストSFをつくると必ず入ってくる小説です1966年SFマガジン小松左京の果しなき流れの果にの後釜として連載されたのが初出ですね。圧倒的なスケールの世界観が特徴的で、一見複雑にみえる構造の中には想像を絶する事実が内包されています。
おそらく今まで一番気合いれて書きました。この世界には生半可では太刀打ち出来ないので。もう古い人なのでなかなか昔の作品は手に入らないのですが、人物伝・論文なんかは入手できました。ざっと挙げてみましょうか。

光瀬龍 SF作家の曳航
猫柳ヨウレの冒険
多聞寺討伐
なぜ阿修羅王は少女なのか
百億の昼と千億の夜
連載版、旧版、新版(なんと1966年のSFマガジンそのものを発掘)

こんなものです。まあ、そこそこでしょう。特に「なぜ阿修羅王は少女なのか」は貴重な論文で、連載当時の反響の記述、また阿修羅王のモチーフについて深く掘り下げてあって読み物としても十分面白いものでした。

肝心の会の方は、ほぼ私のひとり語りになってしまいましたがね。いちおう疑問点からなにまでピックアップしていったのですが、なかなか難しいところでしたからね。仕方ないですな。

最後に、結局百億の昼と千億の夜は未来には絶望しかない、そして後に残るのは無常である。これが本当のメッセージなのか。私はそうは思わない。連載版では超存在へのステップアップが書かれている。旧版、新版でも阿修羅王には未来がある。これはまだ絶望する段階ではない。シッタータがホイストの問いに反し強く頷くシーンがあります。これが最終的な答ではないか。私はそう思います。