[歴史][地域] 安政の大獄(5)−5 冥界小塚原刑場と松陰神社の経緯

浅草裏に存在する天国と地獄の極致が南千住の小塚原刑場跡で死者の世界、冥界なのです。 この刑場は徳川家康江戸入府の時、既に存在した日本橋本町4丁目の刑場が移転したもので浅草鳥越橋、浅草聖天町を経て慶安4年(1651)当地に開設され明治6年頃まで存在しており、刑場仕置き御用の浅草弾座衛門屋敷も日本橋尼店(日本銀行附近)から寄り添うように各地を移動し最後は浅草新町、現在の都立浅草高校附近にありました。 ……浅草裏は男の天国新吉原遊廓とすれば、地獄の小塚原は指呼の距離ですから、刑場地内の刑死者の取り捨て場からの臭気はひどく夏場など風向では廓内では一日中線香を焚いていたとされます。


旧位置の小塚原首切地蔵
なぜ刑死者の埋葬や墓が許されないのか?、お仕置きは公事方御定書により作法があり埋葬を許さず「取り捨て」とは…当然墓などは御法度です。…即ち、獄門と同様に見せしめなのです。 その遺体には仕置き場非人により土を掛ける程度ですませ、風雨によっては露出する状態だった様です。
さて、吉田松陰安政六年(1859)十月二十七日小伝馬町牢内の御椓場(おたくば)で首切り朝衛門七世こと山田朝衛門吉利により斬首され小塚原刑場に取り捨てられました。…が、この後の話が諸説あり、私などは混乱しましたが、俗に松下村塾の門下生が夜陰に乗じて遺体を現世田谷区にある長州藩の大夫山(現松蔭神社)に運び密かに埋葬した説などがあります。また刑場に隣接する回向院へ運び出し墓を建立したとされる話まであります。 それでは小塚原回向院とは何か?、…明暦3年1月18日(1657)お江戸の大半を焼き尽くした”振袖火事”で隅田川畔で発生した死者数万人を本所両国の幕府用地に大穴を掘り埋葬した万人塚の上に建てた供養のお堂が回向院(両国)の始まりです。 では小塚原回向院とは、回向院(両国)の下屋敷 常行庵(常行堂)として小塚原仕置き場の傍らに刑死者供養の為に作ったお寺(お堂)です。当然取り捨ての刑死者はお仕置き御用の”矢の者”の管理下です、では寺のお仕事供養とは…堂守は、称名、題目を唱え束の線香を焚き火をともし鉦を叩き六道に分れ旅する死者に慈悲、救済を仏に願う宗教的な供養などのお勤めで処刑者の埋葬など出来る筈もないのです。…現在境内にある武士、町民など有名処刑者の墓は御一新後に有志などが建立した祈念の供養墓や処刑場廃止後の一般墓地でしょう。……


世田谷松蔭神社
と云うわけで吉田松陰の遺体は取り捨てられたまま、処刑から3年後の文久3年1月5日高杉晋作などの手で埋葬される事になりました。 なぜか?、…文久二年十一月になると安政の大獄桜田門外の大老暗殺事件、坂下門外の老中襲撃事件など一連の過激尊攘者の大赦が行なわれたのです。 井伊直弼亡き後、幕府統治の法則もすでに無法化に堕して尊攘者の唱える朝廷主権の意は既存事実の如く心神耗弱、体力不全の若き将軍や幕閣、藩主にまで及び幕府大組織は形骸化します。 一方朝廷内も乱れ、孝明天皇佐幕派公家と対抗する過激尊攘派公家に分断、特に過激長州派公家の三条実美姉小路公知などは長州藩士に侮られ白豆、黒豆と呼ばれ、それても長州藩の意のまま天皇に諮らず勝手に勅許、勅書を乱発するのです。 長州藩はこの勅書をもって幕府を揺さぶり、遂に和宮降嫁の祝儀を理由に桜田門外、坂下門外断罪者の大赦令を奪取し蟄居など生存者を復権させ刑死者の埋葬墓建立を可能にしました。 幕府にとってこの裁定は自らが自らの権威を辱める結果となり、壊滅の一里塚の何番目かに当り、統治の根拠、法制(諸法度など)は失われ、後は臨機対応の自転車操業幕府が出現しました。……

吉田松陰
…小塚っ原の吉田松陰の遺体は世田谷若林村(大夫山)の長州藩の土地に運ばれ埋葬され、始めて墓を建てることができました。 墓域には松蔭こと吉田寅次郎、小林民部、米原良蔵、頼三樹三郎、福原乙之進、綿貫治良助、中谷正亮の石塔が並んでおります。 しかし、慶応三年(1867)八月、孝明天皇は将軍名代徳川慶喜を招き直々に朝敵、長州藩征伐の勅語と節刀を下賜したのです。 幕府軍長州征伐の遠征が始まりますが、この時長州藩の世田谷松蔭墓地も、とばっちりで破壊されてしまうのですが、翌年維新後の明治元年(1868)に修復されたのが…現在継承している墓と霊域です。…動乱混乱期とは一筋縄ではその真実がなかなか見えてこないようです。……
その後明治15年(1882)には松蔭墓地に隣して松蔭神社が創建されます、現社殿は昭和5年に竣工したものと云われます。境内には松下村塾の復元もあり広く瀟洒な境内です。
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安政の大獄
(5) 冥界小塚原刑場と松陰神社の経緯
(4) 小伝馬町牢の露と消える
(3) 徳川幕府の鉄槌下る
(2) 水戸藩徳川斉昭の画策と将軍継嗣争い
(1) 桜田門外事件起因と過程