国語教育デジタルポートフォリオ

考えたこと、知り得たことをあれこれ記録

「にじの見える橋」

光村中1の教科書に載っている「にじの見える橋」(杉みき子)。
「具体的な形になっていないもやもやが、いくつもあった」少年が、雨上がりに虹を見たことをきっかけに、「初めて、自分のことを恵まれたものに感じ」るという話である。
では、なぜ、虹を見ることが、もやもやの解消につながったのか。
少年のもやもやした気持ちの正体は、「いっそぬれるなら、もっともっとずぶぬれになったら、かえってさばさばするだろうと思う」という表現から分かるように、「中途半端」という言葉で言い表せる。(「具体的な形に」なっているもやもやにしても、「仲たがい」「こづかいが足りない」とあるように、中途半端なものである。)少年という「中途半端」な状態に、少年はいらだっているのである。
しかし、少年は、「中途半端」の利点に気づく。「かさをすぼめた人たち」(大人たち)は虹を見ようとしないし、いち早く虹に気づいてさけんだ「小さい子供たち」は、少年のように歩道橋から虹の全てを見ようという知恵がない。大人でも子供でもない「少年」だから、虹を本当に見ることができる、その利点に気づくのである。
そう考えると、この話が、雨でも晴れでもないにじの時間の、あちらでもこちらでも、上でも下でもない歩道橋を舞台にしていることは象徴的である。
中途半端というキーワードで読み解ける教材。