Hal Tasaki’s -<log p>

2005-03-01

hal_tasaki2005-03-01

[]物理学者ランダウ

ランダウというのは、高名な理論物理学者。物理をやっている人は、彼とその協力者の書いた「理論物理学教程」というシリーズを通して、ランダウについてのかなり強いイメージをもっているはず(たとえば、「簡単な計算により」と書いてあるところを、実際に自分でやってみたら膨大な計算量に死んだ、とか、練習問題と称して論文になっているような話が書いてあったり、とか)。ランダウの名前をご存知ない方は、この本を読む必要はないと思う。

ソ連の科学界でトップの地位をずっと保っていたと(なんとなく)思われていたランダウだったが、実は、若い頃にトロツキイストであるとの嫌疑をかけられ、一年のあいだ、獄中で過ごしていたという。その事実や当時の資料が、最近になって公開されたために、そのあたりの事情がはっきりしてきたらしい。

この本は、ランダウの逮捕劇、(奇跡としかいいようがないらしい)救出の経緯、その後のランダウの(隠されていた)政治とのかかわりなどについて、新たに日の目をみた資料を中心にしてまとめたもの。ただし、それだけでは本として面白くないし分量も足りなかったのだろうと思うが、編者の一人による長い「総論解説」と、様々な人の手になるランダウの伝記的な文章がいくつか収録されている。

以下は、とりとめのない感想。(実は、個人的には、編者の一人の山本義隆氏によるあとがきにもっとも心を動かされたのだが、それはまた別の話だと思うので、ここには書かない。)

政治にかかわる部分

これがメインのはずなのだが、正直なところ、それほど楽しく読めるものではない。政治のところはとばして他を読んだと言っている友人がいたが、それも正解だと思う。けっきょくのところ、ランダウの逮捕劇がなんだったのか、ぼくには、わからなかった。編者は、ランダウは単に冤罪で逮捕されたのではなく、しっかりと反体制の考えをもっていた(だから、偉い)と言いたいようだ。本当にそうなのかな、とぼくなどは疑問に思う。

ランダウを獄中から救い出すためにカピーツァがレーニンに宛てて書いた手紙というのが収録されている。それを読むと、要するに、ランダウは、もう物理ばっかりやっている奴だし、物理で大成功をおさめていて他のことでの野心なんかを持つ暇もないだろうし、わざわざ反体制活動に加わったりはしないと思うよ、と書いてある。さらに、ランダウは、やたら優秀なかわりに、猛烈に嫌な奴であり、できない奴を平気でバカにするから、人から恨みを買いやすいんだと思うともある。(で、出獄したら、俺がちゃんと態度をなおさせるからとも書いてある。偉いぞ、カピーツァ。)ぼくらの持っているランダウのイメージからすると、この、「恨みを買ったための冤罪」説がとてももっともらしくみえるのだけどなあ。

本の中には、ランダウが文案を練る手伝いをしたとされる反体制のビラの下書きというのがあり、私が関わりましたというランダウの自白調書もある。でも、これが本物かどうかなんて、ぼくらが見てもわからないではないか。

さらに、釈放されたあとのランダウが、たびたび体制をけなすような発言を身近な人にしていたことも記録されている。そういうのを見て、編者は、あっぱれランダウ、理性的に体制を批判している、と褒め称えるのだが、これも、どんなものだろう? 若くて仕事がばりばりできる頃に一年間も牢屋に入れられれば、誰だって体制の悪口も言いたくなるのではないのか?

この部分には、ランダウやカピーツァがソ連の核兵器開発にいかに関わったかという話も登場する。これは(山本氏のあとがきとも関連するが)深く重いテーマなので、今は、あえて取り上げない。

伝記的な部分

ランダウのまとまった伝記を読んだことがなかったので、楽しく読めた。この部分が一番おもしろかった(←それだけかえ)。

総論解説について

本書の冒頭には、佐々木力氏による70ページを越す「総論解説」というのがついている。今回新たに執筆された「渾身の書き下ろし」というやつで、普通なら、本書の目玉ということになるのだろう。しかし、正直なところ、この解説はまったくいただけないのだ。はっきり言えば、無駄に長いし、無駄に盛り上げている。

一読して思うことは、佐々木氏は別にランダウのことをよく知っているわけではないとうことだ。この本を書くために、いろいろとネタを集めてまわった感じが漂っている。そして、けっきょくのところ、佐々木氏にとってのランダウというのは、「トロツキイストの烙印を押されつつも、ソ連の体制に対して理性的な反抗をおこなった英雄」ということにつきるのだと思う。そういう理由で、偉いやっちゃと感心し、共感しているようにみえる。しかし、上でも書いたように、ランダウがどこまで真面目に反体制をやっていたのかは、本当ははっきりしないことだと思うのだ。そういう意味で、ご自分の政治的趣味をランダウに投影して、かなり一面的な英雄像を描こうとした、かなり偏った「解説」だという感想をもった。

さらに、そういう全体を貫く空気以外にも、「いろいろと集めてまわった」ネタにもなにやら問題があるということを、割とつよく思った。佐々木氏は科学史・科学哲学がご専門だそうだ。そうであれば、歴史的事実については、一次資料にもとづいた、できる限り客観的な分析・解釈をみせていただけるものと思ったのだが、どうもそうではないような感じがする。ぼくのような歴史の素人からみても、なにやらいい加減な話の進め方をしているぞと思われるところが、ちょくちょくあるのだ。

本格的なソ連の歴史なんかのところは、怖くて手がでないので、もっと身近なところで、適当に二つほど例をあげよう(これをずっとやっていると、きりがないし)。

この会議*1が組織されたのは、ほとんど疑いなく、日本で最初にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹を顕彰してのことであろう(p7, 強調は引用者による)。

というのだが、「ほとんど疑いなく」とか「であろう」とか言って文字を費やす暇があったら、なぜそうなのか資料や根拠を挙げるべきだと思う。ぼくは歴史に疎いのであてにはならないが、この会議を湯川のために開いたという話は聞いたことがない。どこかにそんな記録があるのか?

次の例は、もっと身近。

東京大学教養学部のロシア語の1950年代末の授業には、理科系進学志望の学生がたくさん出席していたという。これには、[中略] ヴラジミール・イヴァーノヴィチ・スミルノフの「高等数学教程」や、ランダウの「理論物理学教程」の原典を読むことも理由のひとつであったのもまた疑いないであろう(p9-10, 強調は引用者)。

「していたという」って、佐々木氏の勤務先の話でしょう。ぼくの物理学科のクラスメートにもロシア語をおもしろがって取っている奴はいたよ。1950年代末に特に理系の学生がロシア語をとる傾向があったかどうか、完全な検証はむずかしいにせよ、せめて資料でも出さなくては説得力も何もない。どうみても、友達に聞いた程度の話を無理にふくらませている風にしか読めない。何歩か譲って、本当にこの時期にロシア語をとった理系の学生がとくに多かったのだとして、ランダウやスミルノフの原書の話に本当に結ぶつくのかいな。それにしても、「ひとつであったのもまた疑いないであろう」って、根性なさ過ぎ・・・

ところが、この根性のない文章のすぐ次に来るのは、

戦後日本の科学界にソ連科学の影響が強い時期がたしかに存在し、その代表者として「ソヴィエト科学の誇り」のランダウがいたことは間違いないことなのである。

という、でかい結論。ロシア語履修者についての聞きかじりをもとに、ここまで堂々とした結論を引っ張られると、気が抜けてしまう。一カ所で、ここまでの牽強付会をやっている人だから、政治とか歴史とかの専門的なところでも、ぼくら素人に気付かれないように牽強付会をやりまくっているのではないかという警戒がつよまる。つよまりません?

牽強付会といえば、この長い「総論」もクライマックスに近づいた p59 で、唐突に、

ランダウはしばしば音楽のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトにたとえられる。

という一文が現れる。

え? なんで急にモーツァルト?? 誰が、どこで「しばしば」言ってるの???

例によって、出典なしの宣言。しかし、たとえ誰かがそう言ったにせよ、この比喩は相当に的をはずしていると思うよ。たしかに、どちらも天才だけど、共通点ってそれくらいでは? モーツァルトのもっている天才的な明るさ・軽さみたいなのはランダウには皆無だろうし、逆に、「教程」の出版に代表されるランダウの体系化への執念はモーツァルトとは無縁に思える。歴史の中の位置づけを考えても、バッハ、モーツァルト、ベートーベンらは音楽の形を創っていった人たちだから、やっぱりランダウとはちがう。ランダウには、どちらかというと、ロマン派の成熟期に活躍した天才作曲家の誰かがしっくり来そう。お好きな方は考えてみてください。いずれにせよ、ランダウは音楽が嫌いだったらしいから、モーツァルトだろうが、ブラームスだろうが、どうでもよかったろうと思う。

でも、佐々木氏はどうでもいいと思わなかったようで、p61 を、まる1ページ使って(ランダウとはまったく無関係な)モーツァルトについてのエピソードを紹介する。で、最後のページは、ランダウと、モーツァルトと、「もう一人のレフ・ダヴィドヴィチ(トロツキイのこと)」をいっしょくたに褒め称える佐々木節が全開となる。

こういうのがお好きな方もいらっしゃるのかもしれないが、少なくともぼくは、あまりのわざとらしさとこじつけぶりに唖然とするしかなかった。関係のない話でも強引にご自分の土俵にもちこんで、堂々たる熱弁をふるってページを埋めるというのが、果たして、この方の定番のスタイルなのだろうか? 単なる(成功しなかった)余技だと考えるのが大人なんだろうなあ。

*1:1953年に京都で開かれた国際理論物理学会議のこと。