ヨーロッパ〜日本往復日記

2017-07-12 G20ハンブルグサミットで抵抗する市民

G20ハンブルグサミットでの市民の抵抗。

これは政治的圧力と市民の戦い。

https://www.facebook.com/pg/photojournalworld/photos/?tab=album&album_id=1441457082605467





長いものには巻かれろ精神を学ばされた人々には解らない。



90年代まで東西に別れていたドイツの人達はこの政治的な力の恐ろしさを骨身に染みて知っている。


それに屈しないと意思表示をする。

それでドイツ国内の政治的な動きは変わる。

ドイツ脱原発を市民の手で掴んだし、

各種権利も、外国人移民者や、社会的弱者にも行きと届いている。

有給休暇も5週間ある。(病気や怪我の時はまた他に休暇がもらえる)

口封じもない。



それでもヨーロッパ内の経済の牽引国だ。




一方、フランスは。。。。。。階級社会で、コネが一番大切で、口封じもあり、

移民が多く住むゲットーまがいの街で人々が鬱積している。それから銀行の力もものすごく強い。超クレジットカード社会

なので現金で払ったとしても品物には、税金クレジットカードの手数料がもともと入っている。なのでフランスの方がドイツよりずっと物価が高い。



パリとベルリンでは物価は倍近く違う。収入はフランスの方がちょっと多いだけ。

身近な働く人々の話を聞く限り、職種はそれぞれ違うのでなんとも言えないが、ブラック企業度はドイツよりフランスの方がずっと上。



一つ例に例えて言えば、私立の語学学校の先生たち、私立の語学学校の先生はドイツでは正式な有給休暇も5週間つく契約社員だ。(月150ユーロで 毎日4時間づつ勉強できる格安のドイツ語学学校。クラス人数13人から20人 それでも社員としての契約)



だがフランスではフランス語学学校(月235ユーロで毎日2時間の格安の私立学校、クラス人数20人から25人)に毎日働いていてもフリーランサーとしての契約しかない。なので有給休暇はない。長期休暇は無給になるらしい。

なので私が習った先生は毎日6時間授業をしていた。6時間の毎日の授業ってすごいよ。普通は4時間程度、なぜなら準備や宿題の添削やテストの添削は授業以外でやるから。



なのでそのドイツの先生は一クラス4時間しか受け持っていなかったし、フランスの先生は3クラス毎日掛け持ちで6時間だった。そのフランス人の先生に言わせれば、ほとんどの私立の語学学校はどこもフリーランサーとしの契約ばかりだという。








それから彼の義理の父、生まれも育ちもフランス人はずーと電気整備の技術者として働いていたが、1つの会社(電気の大会社の下請け)にずっと勤めてはいても、契約はフリーランサーとしての契約だった!!


なので年金は最低額の毎月900ユーロこれは、実は労働者としての最低金額に近いらしい。。。。かなり日本を上まってブラックだ。電気の整備士の技術者なのにーーー。実はこの義理の父は16歳くらいから働き始め、47年も働いてきたのに、ものすごくショック。定年をしても重くのしかかる税金があり、

何百ユーロも国にそこから支払っている。。。。。。


この彼の義理の父の状況は日本よりも悪い。フランスのブラック度は

中に入らないとわからないよー。




私はフランス社会を傍観しかしていないけど、社会の仕組みはかなり怖い。

私の彼も一度ひどい経験をした。ある大企業Gaum●nt のアニメ制作部門。例えば、月に10日分の契約をし、その分の給料しか出さず、実は

1ヶ月丸々かかる仕事を渡す。自宅でのアニメ制作なので、勤務時間表はない。




それで毎月の契約はたったの10日分。(5日掛ける2週間)だけど

仕事がたくさんあるので1ヶ月家で缶詰になって働いている。

で、その残りの日数はどうするの?会社は支払わずに、実は芸術家用特別の

失業保険で、その間失業しているということに書面上して、

残りの日数の給料(というか失業保険)を国に払わせているということ。



それで、会社が支払うのを抑えている。大きい企業だったので、採用された時

ネームヴァリューになっていいねーと話していたら

一番の大企業が一番やばい契約だった。そこはもう3回の契約(30日分)の給料を会社からもらい、

残りは失業保険で日々の生活を忍んだ。


待機時間もあり4ヶ月間(30x4 120日 労働日数は土日祝を抜いて85日ほど、この間はみっちり働いた。。。。)で

他のアニメ事務所に移動した。もちろん彼もフリーランサーみたいなものだから、有給休暇なんていうものはゼロ。




なので、実はドイツの方がフランスより表向き給料が安いとか言われているけど、各種権利は

ドイツの方がきちんとしていて、ブラック度が少ないような気がする。


もちろんミニジョブカテゴリーもあって、月収が400ユーロ以下に抑えなければいけない契約があり、外国人などはその契約で働かされたりもするけど。



二つの国それぞれ5年近くいて、思うことは、日本から見ると2国とも

ヨーロッパを牽引する大国ではあるものの、社会の性質は違う。

フランスの方がずっと社会的上位者の力や待遇面が上だという感じがする。








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2017-07-10 ブログ祝10年

今、ふっと自分のブログを振り返ってみた。

すると、実はもう10年と半年以上も過ぎていることに気づく。



今更だけど、祝10年、パチパチパチー。




世の中の風潮に逆らって、というか写真もなしに文だけ書くことが多いけど、

ゴーイングマイウェイで、気が向いた時に書いていきますよ。


つい半年前までは自分の写真なんかも入れていたけど、ある友人のジャーナリストからのアドバイスで、政治的なことも書きたかったら、

ブログ匿名で書いたほうが良いよと言われて、自分の顔写真だけは抜きました。彼女は元●日新聞の記者でパリ在住ですが、日本の雑誌などに記事を書いて、現役で働いている、70代の女性です。

ゆ●や系にもいろんなお友達がいるらしく、彼女自身、身辺はかなり気にしているみたいです。


まあ、そんな大したことも書いていないので、あまり気にしてはいないんだけど、やはり最近の世界の動向を考えると、顔写真は抜いたほうが良いかなあと、思っている。


この10年を振り返って、

ブログを始めた時は33歳、今はもう43歳になりました。


振り返って見ると、10年間の大まかな出来事は

ベルリンに住み、日本語講師になり、それから原発が起こり、パリに移住今に至る。


その中でも色々とあったけど、10年って本っ当〜〜〜にあっという間だったよ。(というか高校を卒業してからの25年があっという間)



パリに来てから自分は何しているのかなあと思うくらい、5年間なんて矢のように過ぎて行った。



人生なんてあっという間と母からよく聞いていた。母が40代の時、今の私と同じくらいの時かー。母から自分が18歳から時間が止まってしまったかのように感じるとよく聞いていた。


私にとっては多分あの2001年のベルリンに足を踏み入れて、それまでとは違う外国で、人生の酸いも甘いも噛み締め始めた時から、

時間が数年しか経っていないように感じます。



最近、心が落ち着いているのは、やはり女として、信頼できるパートナーがいるせいだ。


今思うと、昔悩んで分析している時は、明らかに付き合っっていた男性などと上手くいっていない時でね、

今の私が昔の自分にアドバイスしたいよ。そんな風に自分を振り回したらダメだよって。

まあ女としてのサガだったのねー。







まあなんだかんだ言っても、その2001年から今まで、自分の思うように動いていたので、後悔することはない。


次の10年も振り返った時、後悔のないように、その時その時に思うことをやっていこうと思いますよ。

yasyas 2017/07/10 22:37 こんにちは,はじめましてyasと申します.
ブログ10周年おめでとうございます!! 3,4年前からこのブログ拝見しておりました!!

なぜこのブログにたどり着いたのか詳しく覚えていませんが,色々検索していたところ
↓のエントリーに引っかかったと記憶しています...
http://d.hatena.ne.jp/halloo/20071207
おそらく,“バンコク, アンダーグランド,ハウス,テクノ”あたりを検索してたことと思います.僕もダンスミュージック好きです.それと,海外で生活したいなと思っていたので,作者様の経歴に興味を持って,記事を遡って読んでいました.

なぜにコメントを書いたのかというと,すごく好きだったHPが最近急に閉鎖されてしまって,その作者様に連絡を取っておけば良かったなぁと,もの凄く後悔したのでコメント残します.ご返信頂ければ幸いです.
数ヶ月前に書いていたエントリー消してしまったのですね,○○〇教の水産業のお話.その手のお話興味津々なんで,また読みたかったんですが,しょうがないですかね.個人的にお聞きしたい内容ではあるので,こっそりとお教えください.

社会人2年目になって,やる気のやの字もなくなりつつあり,完全によくないなと思っているところではありますが,ブログの更新刺激になりますので,更新楽しみにお待ちしております!!

halloohalloo 2017/07/10 23:09 yasさん初めまして!コメントありがとうございます。
こういうコメント嬉しいです。カウンターは結構回っているのに、読者はいるのかなあとよく思っていましたから。
●●●きょうですね、なかなかフランスの上層部というか主要な地位にたくさんいる感じですね。
例えて言えば、タイにいる華僑とものすごく似ている感じですかねー。
最近は、●●●きょうだけではなく、ビルダーバーグ会議の存在を知り、世界の仕組みって。。。。。。と思っているところです。
フランス新大統領も2014年にその会議に招待され、大統領になる下準備ができたのだと思います。
それでも私たち庶民は自分の身近なところで頑張るしかないと思っているので、最近は吹っ切れているんですよ。
yasさんも、ご自身の身近なものに、何かを見出して出来ることをしてくださいね。リクエストなどもなんでも良いのでコメントお待ちしています。ではまた!

2017-07-01 昔のベルリンから学んだこと2

今、パリ在住が5年になろうとしている。

そろそろ、ベルリンを行ったり来たりしていた時代の滞在よりも長くなるところだ。

昔のベルリンの事を思い出すと、あのような街はもうこの西側諸国の世界では二度と現れないのでは?と思う。

ふと、あの頃のベルリンは実は戦後日本の焼け野原だった頃に似ていたのかなとも思う。

前回話を書いたように、東西統一直後は、いろんな事が自由だった。空き地はたくさんあるし、空きビルもたくさんある。

首都なのに地上げも始まっていなく、家賃も安い。

大元の東西統一が忙しく、細かい取り締まりはまだ先延ばし状態だったので、税金申請などをせずに自由な商業活動を皆思い思いにしていた。(壁崩壊前は、旧西ベルリンは特別経済地区として税金なども低かった名残りもある)

特にパーティー文化が花開いていた時代。








で、システム管理が行き届いていなかった新しい首都ベルリン。今のパリや東京とは全く正反対だ。

多分、これを読む人は、こんなのは脱税だし、違反だからおかしいと思う人もいるだろう。


そう、それに目をつぶっていた時代があった。




戦後の焼け野原の時代の日本だって、いろんな取り締まりが現在よりも行き届いていなく、闇市があったりして、思いついたものを

次の日には商売にするという、生きるというエネルギーが溢れていたのではと思う。








もともとドイツ人自体が、個人主義の文化で、群れの中の役割を果たさなければ、居場所がないという

感覚はない。お互いにやりたい事をする代わりに、相手のやりたい事を尊重する文化が根底にあるのも手伝って、

そいいう思い思いのことをする風潮は、全体的に認められている。

それは今のベルリンにも存在する。



が、今のベルリンと昔のベルリンが違うのは、そのシステム管理下に入っていたか、そうでなかったかだ。






私はその当時、まだ日本からのコモンセンスを引きずっていたので、かなりの戸惑いがあったが。

自由に生きるということは、実は自由の中で生きるための訓練がいる。。。。。。











日本の戦後の焼け野原ベルリンが違っていたのは、食べることと住むことは保障された状態だった。今でもそうだが、ドイツにはベーシックインカムのようなものが存在している。

一律600ユーロ前後の国からの保証。まあ生活保護のようなものだけど、誰でも正式な永住権を持つ市民であれば、外国人でももらえる。


そしてその上で、サイドインカムを自分の好きで得意な分野で得ている人がたくさんいた。

(私はこのベーシックインカムはあまり賛成ではない、というのも

怠慢な人はどこまでも怠慢になって行き身を崩してしまう人を何人も見た。)



マーケットでものを売り買いしたって税金は取られないし、自分で申請しなければ、誰もわからない。(これは現在もそう)

空き地や空きアパートで映画上映会やパーティーや各種イベントを自分たちで考えてして、食べ物やアルコール販売をしたり。(これはもうできない)

面白い具体的な例えを書くと、

現在は、超有名ダンサーとなった日本人女性ドイツ人男性カップルなんかは。。。

そのベーシックインカムをもらった上で、クサを販売し、いろんな廃棄物リサイクルして再リメイクしてインテリアなどにして販売していたり、ステージなどに使う照明器具なんかを修理して、大道具の照明さんとして働いていた。

そのアトリエに行ったことがあるのだけど、ものすごい広い空き地(現在は存在しない)にたくさんの倉庫があり、その一つを借りて、一角をアトリエに、そしてリサイクル粗大ゴミに近いあらゆるものが保存してある物置があり、奥をクサの販売所としていた。



そしてその奥さんとの間に子供がいたが、その旦那さんは子供の面倒をよくみており、日本人女性の奥さんはダンサーとしてかなり集中して作品作りをして、もちろん自分たちでアート&ダンスの企画をしていた。


それでその女性はその後着実にダンサー兼クリエーターとしての名をあげ世界的に成功する。彼女こそ、あの時代のベルリンが生んだダンサーだと私は思う。









まあこれはかなり極端な話だけど、



そんな世界でも、秩序があり、平和で、自由があり、思い思いの経済活動をし、個人の思い思いの活動が花開いていた時代だった。




よく考えて欲しいのは、まあクサの販売はどうかと思うが、

違法というのはなんなのかということだ。

政治家が市民のお金を自由に、いくらでも税金を湯水のごとく使ってもそれは合法。

大企業がいろんなあの手この手を使って、税金を払っていないというのは最近有名な話だが、それも合法。

憲法では人権が保障はされているが、法律上では、政治の世界や今の国家では人権は保障されていないと思う。







その当時のベルリンは、決められた管理の下にすっぽり入って大人しくしていなきゃいけないという世界とは異なっていたということ。

今の教育の世界は独立して生きていく生き方を教えてはくれない。システムの中でスムーズに生きていくのが、楽だと、人として当たり前と皆が信じ込まされていること。

自由に生きるのだって、自由に独立して生きる訓練が必要なんだよ。

昔のベルリンは、そんなことを教えてくれた。















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2017-05-19 昔のベルリンから学んだこと1

これからシリーズで書いていきたいと思います。

私が昔のベルリンから学んだこと1

まず、相手の意見やしたいことを尊重するということ。

まず日本と文化との差をはっきり感じた相手の行動を尊重するという行為。

それはいたるところに、大小隅々に行き渡っている。


この相手を尊重するという行為を徹底すると、日本での悪習、出る杭は打たれるが無くなると思います。



道端のほんの小さな例。

あるカップルが日中道端でディープキスならぬディープいちゃいちゃを始める。

私は目が点、いやーこんなところでーそこまでーとそのカップルから目が離せないでいると、

隣にいたドイツ人の友人から、そんなに見たら失礼だよ!と注意された。

えええっつ 私的にはこんなところであんなに大胆にいちゃいちゃしているのが失礼なんだけど、と言うと、

ジロジロ見る方が相手の行動を制限して失礼という感覚があるという回答でした。


そういえば、日本では人の目が気になって、自由奔放に振る舞えないということが多々ある。

よくいえば和の精神、悪くいえば不自由

私がベルリンでものすごく住んでいて楽というか、自分が自分でいていいという感覚につながった。ドイツでも他の地域特に田舎は日本と同じなところもあるだろうと思う。






もう少し大きな例。

例えば、ベルリンドイツではデモが有名。

日本と違ってデモが文化のように頻繁に行われる。それはもう自分の考えを表に表現して声に出して良いよという行為。

もちろん日本と同じように申請しなければならないけど、その表現は法の元で特定の相手を誹謗中傷するような表現にならなければ、

大抵はオッケーされる。

それを何、あの人変な人たちーと変な目で見たり、妨害するような人もいない。

はてまた日本の様にデモに参加するより、警官の方が数が多くなるという事もない。






私は何度か日本でデモに参加したことがあるけど、だいたい反原発のデモなんかは、ところどころ妨害する役割の様な人がいて、参加者を脅しにかかる。





まあ、デモなんかはベルリンだけじゃなくドイツ全体でも当てはまるけど、


昔のベルリンと書いたのは、やはり自由な表現や行為というと昔のベルリンはダントツだった。

まあ行き過ぎかなあというのはあったけど、その後政府から、必要以上に別な理由を付けて取り締まりが厳しく行われたり、地上げされてお金のかからない表現の場が失ってしまってねー。


例えば、使われていない所有者のいないビルでお酒のライセンスなく販売していたイベントに武装警察官が100人以上、護送車が50台ほど来たことがあった。警察が持ち込んだ物凄い強いライトアップの中、お客など参加者を全員ビデオで撮影されるという現場に遭遇した。何が起こったのかまるで分からず、イベントのオーガナイズサイドの人から聞いた話では、

結局、その処分はお酒をライセンス申請することなく販売したため、責任者が罰則を受け、何千ユーロ罰金を払って問題は終了したという。

それにしても、あれは本当にやり過ぎだと思ったよ。どんな犯罪があったのか・・・・?

昔のベルリンにたくさん存在していた政府の管轄下にない商業行為を完全に取り締まるぞ!という行為を見せつけたものだった。


その後、そういう空きスペースでのフリースタイルのパーティーは姿を消した。

この話は政府とは国家とはという疑問に繋がります。




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2017-05-15 フランス大統領選の裏側

http://tocana.jp/2017/04/post_13013_entry.html

みなさん39歳の大統領、不思議に思いませんか?

まだ政治家として経験を十分積んでいない人物大統領当選劇。

ロスチャイルド銀行出身のマクロン大統領

そしてマクロン大統領が選んだ首相

原発ロビーの人だとか

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%BC%E6%B4%BB%E5%8B%95#.E6.AC.A7.E5.B7.9E.E9.80.A3.E5.90.88





パリとパリ近郊にもう少しで5年になり、短いながらも実は

脱原発運動の繋がりからいろんな人を知るようになり、

ちょっとした話を耳にする。そして自分自身も経験する。経験した人の体験談を聞くこと多数。

すでに引退したジャーナリストからのお話も聞くし、パリはみなさんの思うような花の都では無いこと。


ここに書かれていることは本当のことだと思います。


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