ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

あれから6年

 あれから6年が経つ。11日は日本語の生徒の家へ行き、二人で黙祷をしてから授業を始めた。パリやその周辺は久しぶりに晴天に恵まれ、手入れの行き届いている日本の植物や桜の木が植えられた庭で黙祷、風の音や鳥の音に耳を澄ました。
 
レプブリック広場で集会があるので一緒に行きませんかとそのフランス人生徒に誘われた。フランスと日本の原発事業の協力体制を考えると、やはり足を運ぶ意味はある。ヨーロッパでのデモは自分たちの意思表示だ。大きい権力に微力な一人一人でも意思を表示するもの。権力に対する市民の抵抗の文化が根付いている。なのでフランスでは思い思いの大規模デモがしょっちゅうある。



 が、脱原子力となると人は少ない。小学生でも原子力推進の授業があったり、原発由来の電気に約8割(正確には7割6〜8分で、フランス人に8割は無いから!と注意された経験あり)
依存するフランスでは重要な国家プロジェクトなので、脱原子力となると関心は少ない。国民もそれを受け入れている。
 臭いものには蓋をしろと言うよりももっと酷く、汚染されたものは外国に持っていって捨ててしまう。(例シベリア)


汚染水なども、川や海へ流される。パリのセーヌ川50キロ上流にも施設があるが、その水はパリの主要エリアやお金持ちが住むエリアでは水道水として使われていないというのがミソ。対して、セーヌの水はパリでも庶民や移民が住むエリアでは使われている。。。。。最近の調べではセーヌ川原発由来の汚染濃度が上がっているらしい。(研究者の講演会で聞いた)日本でもフランスの汚染水除去装置を高額で買わされて使い物にならなかったと問題になった。。。


原発関連の裏話を聞くと、”えげつない” と思うことが多々ある。
国内外問わずね。





 ある社会派のフランス人と話し合ったとき、その人に言わせれば世界何処へいっても原子力の汚染から逃れることはできないんだよ、と。現にその人の息子も実は汚染された地域で多く発症される病気に生まれた時からかかっており、心臓や内臓の器官がきちんと操作せずに人工の内臓を取り付けているとのこと。


 特に汚染がひどい再処理工場などはフランス側の陸から数キロのパイプを通すと合法となり、イギリス側の海へ垂れ流し。
 集会の話に戻すと、去年から今年にかけてパリでは普通の映画館でふくしま関連の上映を何度か目にした。関心が続いているなー。一昨年同じ集会よりも人が倍くらいに増えたような。楽器隊も参加して、今までよりもフランス人の参加者が増え日本人はぐっと減った気がした。(画;フランスニュースダイジェストより)