ヨーロッパ〜日本往復日記

2018-01-08 はて、焦燥感を埋めてくれるもの?2

[]

明けましておめでとうございます。

今年もクリスマス、年末年始とコルシカ島に行って来ましたよ。

やはり普段天気の悪い都会に住んでいると、大自然に触れると本当に心が癒される〜。

身も心もスッキリして帰って来ました。それで、前回書いた焦燥感について、また感じる事があった。



前回の続き。

やり切れない焦燥感を

どう解消して行く?というと、


昔の私は、好きな事が出来ると、

ガーッと集中してやって、辞めて、また新たにガーッと集中してやって、辞めて。

それが、バンドだったり、長旅だったり、日本語教師だったり、その時々一つの事しか出来ない感じでした。

それでも心のモヤモヤは晴れない。





それが、パリに来た頃からですかねー、


何か一つが、完全に焦燥感を埋めてくれるものは無いんだと、自分の打ち込むものを分散して行った感じですかね。


それが出来るようになったのは、歳のせいかも知れないし、パリに来て、もう独身の時のようにフットワーク軽く、ヤルって事が

出来なくなった状況の所為でもあるし。




仕事、旅、恋人、友人関係、ボランティア、音楽などなどと今ある自分の好きなもの、または出来る事に自分の興味を

少しづつ分散させていくしかなかった。

全体的に満足感を得る感じ。







例えば手短かな例で、

誰か好きな人ができる その人の事ばかり考えて他の事が手に付かない。

相手にフリマさわれ、挙句に自分も自分で振り回して、解消されないジレンマに陥る。


そういう時に、仕事に打ち込む。旅に出る。曲を作る。

そんな事をして、前進している感を感じ、気分を解消させる。

大体、時が経つに連れて、自分の好きな事が限定されていって、あれもこれもという風にはならなくて、

その好きな事を順繰り順繰りやって行くっていう感じでしょうか。


ループを全体的に押し上げて行く感じというのでしょうか。





まあ、私の弱いところは一つの事を淡々と苦しくても続けて行く事が出来ないので、


アニメーターの彼を見ると、いつでも苦しくても、苦しみ抜いても絵を描いてるっていうのを見るとすごい流石プロのアーティストだなーと尊敬する。




旅がしたいのに出来ないときは、

今住んでいる周辺の友人関係を深めるためにホームパティーしたり

このブログを書いたり、言葉を勉強したり

仕事をしたり。




それで、どの一つが欠けてもダメなんたという事が分かった。

私はやはり旅は続けたいし、

書き続けたいし、

音楽も続けたいし、

仕事もやり続けたいし、

恋人や友人などの人間関係も必要。



一つ飛び抜けては出来ないけど、自分が選んだもの全部をやり続けて行くって事が、あのジリジリしていた感覚、焦燥感を


埋めていってくれたんだなあと思います。


と言うことは、意識的に自分で選択して(自分の選択で無くても深く受け入れて)、誰かにやらされる感を感じないで、

平凡な日常を生きて行くと言うことだったんですねー。





675280

2017-12-15 はて、焦燥感を埋めてくれるもの?

[]

前回紹介したTV5monde

フランス語学習サイト、なかなか良い。語学だけじゃなくて、文化や世界の時事問題も勉強できる。


うちではテレビを見ない生活をしているので、フランス時事問題など、やはりネットが主。


フランス語の勉強しながら、フランスの文化や世界の時事問題自体も学べるのは一石三鳥。本当におすすめ。




特に映画を題材にしたものが面白い。私は10代の頃よくフランス映画をわざと選んで見ていたんだけど、それ以降サッパリ離れてしまったんだと思い出す。



このブログを読んでいる人もわかると思うけど、若い頃は、流行っているものがとにかく嫌だったんだよね。

それで他の人と違うもの、何か自分を満たしてくれるものを探す。

焦燥感を埋めてくれるものを探すんだよね。でも、探したってどこにも存在してなくて、自分で作り上げるしかない。



が、若い時はそんな事誰も気がつかないし、教えてくれる人もいなかった。




なので中学、高校の頃は同年代の人が見ないような大人のフランス映画を選んで、でもその後は、

映画にハマるなら、映画を作ることまで行くべき、という事で、

授業料が安いという理由だけで、

20歳ぐらいからイメージフォーラムというかなりマイナーで有名な映画学校に半年程行って、8ミリ映画の取り方を学んで、

どっぷり実験映画にハマってね。ロシア映画とか東ヨーロッパ映画なんかを好んで見ていて。東ヨーロッパ映画だったら、まあ中には面白いものもあってね、でもロシアの実験映画なんて全然わからない。(当時)





とにかく人と違うものがいいからいかにアンダーグランドを深く追求しなきゃだめという感じでね。イメージフォーラムの学校が見せてくれる映画なんてすごいよ。トップ オブ アンダーグラウンド(笑)




それで、ショートフィルムの実験映像をその学校で2つばかり作って終わってしまった。。。


それで結果、映画全体がつまらなく感じちゃって、(単なる好奇心だけだったのね)

次は音楽にはまって、バンドにハマって、まあ、やはり

いかにアンダーグランドを目指す訳だから、サウンドアートノイズ音楽にはまって。

ノイズ音楽を作って。


社会人になって、音楽は続けていくも、今度は旅。

まあ旅のことはここに書いてあるので、わざわざ書く必要ないけど、あの若い頃の焦燥感ってなんなんだろうね。


それで、バンドはその焦燥感をある程度埋めてくれたし、旅も初めのうちはそうだった。



大抵の人は子供を作ったら、そんな気持ちを埋めてくれるのかなあと、今では思う。



本物のアーティストなら、その焦燥感を作品に詰め込んで突き詰めて行くんだと思う。


今まで、何人かの本物のアーティストに出会ったけど、人生の一部として、自分の日常として作品を作って行く姿は、やはり特別な人々なんだよね。




平凡な人が焦燥感を埋めていくのは、やはり好きなものを見つけて打ち込む。

それから人間の本能である子供を育てて行く事なんだと思うよ。





そこまで好きなことが無いし、打ち込む時間がないよーという場合どうしましょうか。

でもそれを恋人なんかに向けるのは間違っているんだよなあー。結局は他人だからね。



そしたら、何か自分の得意分野で、感謝される事を無償でしてみるのはいかがでしょうか?

自分の為にやるのだから、見返りは求めない

なんとなく、自分の人生のループを上に向かわせてくれるキッカケになるかもな。




672394

2017-05-14 自分で自分を教育するということ

[]

みなさんお久しぶりでーす。実は今、日本にいるんですよ。今回は2週間半という期間。

両親の実家の鹿児島にも行ってきました。

まあ普通、働いていると2週間半というのは、日本では長い休暇で、ヨーロッパではちょっと短いかなという感じでしょうか。

鹿児島への旅行は母と共に行き、自分たちのルーツに戻るという感じで、よかったです。

霧島市と指宿市に5泊、温泉ざんまいで、美味しいものを堪能しました。あとたくさんの親戚にも会いましたよ。

今日はその鹿児島旅行から戻りのんびーり、ふと家族の様子を見てね、ああ昔と同じだなーとブログを書く気になりました。

ウチは父と母がテレビっ子で、いつでもテレビが付いている家だったんだなーと。

旅に出てからテレビのない生活が始まり、それが当たり前になった。

小さい頃からテレビがずーとBGMのように付いている家、ベルリンからたまに帰るとそれが

とても不思議な光景に見えた。

日本と往復する日々がもう17年。もうヨーロッパから日本に帰って来てもなんの違和感も感じない。

ただ、分析癖だけは常につきまとう。

父と母の時代は丁度、経済高度成長期と重なりながら大人になり、家庭を持ち、仕事そして子育てに奮闘していた時代。


あの時代はテレビの中のコモンセンスが日本を支配していたような。

まあ今でもテレビとネットに支配されているのか。それは対して変わらないのだ。

うーん、今何を書こうとしているかというと、大人になると自分を成長させてくれるのは自分で選ぶことができることもある。

大部分の場合は大人になった時の学びの場というのは家族を作り、子供を作ることと、仕事なのかな。

が、私みたいに子供がいなかったり、社会の中で会社とか仕事の仕組みの中からはみ出てしまったら、

自分で自分を教育していくしかない。独学だ。



昔だったらお祭りとか、宗教行事とか地域や大家族の中での役割があったり、そういう周囲の人間関係の中で揉まれていくのだろう。



私はというと、日本の仕組みからはみ出し、旅の中や海外の生活の中で、困難に直面しては教育され、新しい友人や家族との触れ合い、そして新しい言語を習得しながら、

自分で自分を教育しているのだなあとふと思った。


例えば、私は旅の中でいろんな国の習慣や考え方に触れられたことの中にたくさんの学びがあった。

それから激動のベルリンを体感できたこと。無茶なことをしたり、バカなことをしたこともあったけど、

あの時のベルリンにいなければ今の私は居なかったと思うくらいにベルリンから影響を受けた。

もう今のベルリンにはその片鱗があまりにもないことがとても残念だけれども。

それから、最近一番学んだのはあの福島第一原発の爆発からだ。私はあの時まるで戦争の渦の中にでも入った気がしていた。命の危機感というものが、こんなに人間を動かすものなのかと思った。




上の3つのうちで、自分で選んだのは2つだけど、もちろん最後は選んではいない。


色々考えるうちに、人それぞれ困難に出会い、それを克服していくというのは

十人十色、そうだよね。

子供を育てるのだって、はてまた料理をすることだって孤独で、自分でアレヤコレヤ考えて経験になっていく。これだって独学だよな。子供は一人一人違うし、状況も違うしね。





それはテレビやネットからでは決して無い、自分で動き、体験し、独学すること。

そう考えると日々の生活の中全てが学びであって、少し意識的になることが必要だなーと思う。

2017-02-24 悔いのない人生

[]

先日アップしたビデオ、アレクシェービッチの旅路を見て、人生とは何かと深く思うことがあった。



何か大きなものの被害に会う人々、そして戦争や事故で亡くなってしまう人々には、それまでのその人の生きてきた苦労や

意味や大切さなどはどこかに塵となって吹っ飛んでしまうように感じた。

彼女は映像の中で小さき人々と呼ぶ。

それでも私たちは生を受けたからには懸命に生きて行く。


先日のビデオかなりオススメです。初め2から見て、1を見るほうが噛み締めて見れるかも。

。。。




昔は日本人として一つの同じ国の人間として人々は意識していなかったと何かで読んだ。

ほんの第二次世界大戦の前の話だ。

それもそうだ、昔の国のようなものは藩であって、隣の藩に行くのに手形が必要だったんだから、

そして自分の土地を治めるお殿様がいなくなり、新たな形の権力者が登場。

それも全く敵方だったりすると、人々はどっかからポッと出の自分とは関係のない権力者だと感じただろうに。

その新しい権力者の明治政府の意向でだって、田舎の隅々まで意識改革がされるまで時間がかかる。


方言もだいぶ強く、意思疎通も困難だっただろう。標準語として定められたのが浸透するまで時間がかかるし、

だいぶ日本人としてのアイディンティティも誰かに作られてたものも多いのだなあーと感じる。

私の鹿児島の母方の祖母はもうなくなったけど生きていたら103歳、電話で話すその言葉は全く理解が出来なかったことをよく覚えている。

夏になるとお腰(着物の下に着る巻きスカートのような下着)にトップレスで家や田舎の広い庭を歩いて、近所の人ともトップレスで話していた祖母。

トップレスで近所の人とおしゃべりなんて、今したら頭のおかしい人だと思われるよねー。


そういうことを思うと、今流行りの空気を読むことだって、(私が日本を長い間出ることになる2001年まで、空気を読むなんて言葉はまかり通っていなかったので、私には私が日本から出た後の新しい概念。相手を察する気持ちならわかるよ)

世間様だって、コモンセンスだって作られているんじゃあないのかな〜。



先日、紹介したロシアのノーベル文学賞作家のビデオで

ロシア人も日本人も 抵抗する文化のない人々 と語られていたけど、抵抗する文化がなくなるよう作らされていると私は思う。


ちょっと市民活動をかじっただけで、日本にはスラップ訴訟と言われる、言いがかりの国、または大企業と個人の裁判があるのを知ることになる。

抵抗すると裁判にかけられ500マン円とか罰金を科せられちゃうんだよね。。。。


国の被害に合わない、辛い事情を知らない人はその抵抗する人々を敵視するし。。。



日本で生きて居るんだから、日本の常識に合わせないとと言っているうちは、自分の意思を殺しかねない。

人間は教育の賜物だ。教育は日本の学校だけでなく、日本の常識だけじゃなく、もちろん各家庭地域の教育、そして自分の経験から学ぶこともあるし、

大人になってからも出会いからいろんなことが学べる。


それを総合的に自分で考えて自分の心に素直に従い生きることも

自分の魂を昇華する、人生の深い学びになり、悔いのない人生を送る鍵になるのでは。



621319

2016-07-19 人生について

[]

何かふっと、その時々の自分の欲求に応じて私は、躊躇することなく突き進み、その為には居場所さえ変えてきたのかなあと振り返る。




やりたいと思ったら、あまり迷わず始める。ある程度まで突き詰めると、満足して離れてしまうところが、

本物のプロや天職とは違うところだなー。




私の彼を観察すると、電車の中で数分でも座る時間があると、携帯上で何かの絵を描き始める。仕事を徹夜で仕上げた休みの日、やっぱり何かパソコン上で書いていたりする。

もーいい加減、休んだらと言っても別に理由もなく書きたいらしい。

それは彼の実父にも同じことが言えて、彼の妹さんも子供3人もいて、仕事もしながらものすごい量のアクセサリーを作っている。

もうこれは彼らの芸術家の血で、凡人にはかなわない継続力というか、人生の一部なんだな。







ここまで人生の一部として何かを継続するって、近くで見ると、本当にズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと集中してひたすらやっているというよりは、

何かちょっとした空き時間があると、やっているという感じ。ものすごく自然な生活の一部。で、苦しくなっても辞めない。

彼には何度か転機があって、アニメの仕事から離れていた時期が何度かある。

ズ〜〜と続けていると、苦しい時がやってくるのね。その事に関わった人間関係だったり、自分の才能を疑ったり、でもやっぱりやめないというよりか、

辞められないと言った方がいいかな。




方や私は、それに集中すると、ひたすらそれを続けて、やりすぎて息が切れては辞めるといった感じかなー。

日本語教師はそれでも続けているから、このまま出来るまでやればいい。





よく旅をする人が言われてしまう。自分探しとかモノトリアム時代から抜け出せないとか、そんな言葉、社会からはみ出たとかで片付けられるけど、


実は自分に素直に行動した結果であって、別にドロップアウトでも何でもない。


なので皆さん、やりたかったらそれをやってみて、突き進んで下さい。

それで途中で終わりだったら、自分にはそれまでのもの、いい経験だったでいいのです。


辞めてもこだわり続けるんだったら、やはり再度、続けてみたりね。振り返った時にやっぱりこれを辞めない私は、自分にとっての何か特別なものだったんだって。


振り返って分かることな気がするよ。



言いたいこと分かるかな?


日本では常にあれをすべき、こうすべき、人生はこう、仕事はこうあるべきと、

いろんなルールがありすぎて、自分の方法を探しにくい。 今まで先人が見つけた方法に沿ってやるのが一番だと思われているので、

普通の人はそのレールが一番だと言い聞かされている。


でもまあパイオニアになる人は得てして自分のスタイルを持っていて、それは誰の真似でもないはず。


パイオニアまでならなくても、凡人でもね、どうして自分の人生、自分のスタイルを思うまま突き通すのは良くないの???????

おかしいじゃん。



まあ、それは周りがその人を上手いように使いたいからっていうのもあるかも。まあうがった見方だけど、みんな自分の方法を見つけて、あっちゃこっちゃ行っちゃったら、

社会の形式が作れないでしょ。まあ私たちがこうすべきって思う方式や教育って実は高度成長時代に確立したもので、あの時は国を建て直すのにみんなが

同じ方法を見て進む必要があった。



そのずっと昔は大きな枠では決められてはいても、人それぞれの人生は個人によってだいぶ違っていたと思うよ。




それでね、今の時代、自分の方法を突き詰めて、後で戻っても良いでしょ。いい経験だったって終わらせて戻っても良いでしょ。ってこと。


昔の人はね、ものすごく短命で、昭和でだって人生50年って言われていたんだから。


でも今は違う。70歳でもピンピンしているし。


だからちょっとぐらい遠回りしても大丈夫。




昔は子供を産むのが20代が普通だった。その昔、昭和の初め大正時代その前などは10代後半でだって沢山産んでいた。でも今は30代後半でも全然問題ない。


10年〜20年の猶予があるよ。そう考えると、1年や2年自分の好きなようにしても、良いんだって思わない?


長い人生もっと自分の為に時間を使ってもいいはず。


現代社会になって、競争が激しくて、そんな悠長なことできないって思っても。


大丈夫。


実は、自分のやりたいことを突き進む力こそが、社会の役に立つし、その後の人生でも役に立つ。




実はね、やりた〜いと思っても行動する人って極一部。やっぱり教育がそういう突き進む教育じゃないから、


でも実際人の上に立つ人や人をまとめる人はそういう力がないと無理なんだ。

通りすがり通りすがり 2017/07/06 01:10 検索をしていて偶然こちらに辿り着きました。
私もパリに住んでいたことがあり、パリ嫌いでもあったので(笑)楽しくなってたくさんの記事を読ませて頂きました。こちらのお話を見て、少し心が救われました。
日本に帰ってから、一般的な年齢相応の当たり前を求められ、嫌だなと思いながらも周囲に合わているふりをしていました。今は、なりたい自分になろうと歩き出したところで、周りには良く思われておりません(笑)
少しレールを外れただけで落伍者の扱いを受けてしまう日本では、自分の望む通りに生きることはまだ難しいのでしょう。それでもやりたいようにやろうと改めて思いました。
有難うございます。

halloohalloo 2017/07/08 10:17 初めまして通りすがりさん。
そう言ってくれると、書き続けている甲斐があります。コメントありがとうございました。
周りの意見やコモンセンスなんて時代によって変わるのですから、やりたいと思うときはエイっとやってみる。それが自分の血となり肉となると思いますよ。