Hatena::ブログ(Diary)

Classic 8-bit/16-bit Topics

Classic 8-bit/16-bit Topicsでは、海外での出来事を中心に、旧世代のコンピュータ/ゲーム機に関する雑多な話題を書き散らしています。ただしゲームミュージックやチップチューンなどに関してはVORCで専門に扱っていますので、ご興味がおありのかたはそちらもどうぞ。

2014/05/29 長年放置しておりまして、申し訳ございません。ここやVORCで書いていたような研究は現在、主に各種『ゲームサイド』誌に書き綴っております。よろしければご覧くださいませ。またそのほか最近の動向に関してはtwitter:@hallyvorcにてお知らせしております。いずれ更新を再開したいとは思っております。



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02.28.2004

[] 吉崎栄泰 インタビュー

アミガに縁のある、忘れられたインタビュー記事をもう一本ご紹介しましょう。Internet Archiveに埋もれていた、LHA (LHarc) 圧縮の開発者として知られる吉崎栄泰氏のお話です。1998年頃公開されたもののようですが、2000年にはもう閲読できなくなっていたようなので、かれこれ5年ほど埋もれていたことになるでしょうか。残念ながら「パソコン通信をはじめて」の部分は (日本語では) アーカイブされていないのですが、それでも十分興味深い内容といえるでしょう。

海外ではアミガといえばLHA…というくらいのものなのですが、アミガを知らない人にはピンとこないかもしれません。というより、日本のPC-9801シーンで生まれたLHA圧縮が、どうやって、OSと言語とインターフェイスという三段階の壁を乗り超え、アミガの世界で歓迎されるに至ったのか、満足に説明されたことはこれまでなかったのではないかと思います。この背景を理解するには、1988年から1989年にかけて、圧縮ソフトの世界でいったい何が起こっていたのかを知っておく必要があります。

[] 圧縮ソフト戦国時代の幕開け〜PKARC全盛期

圧縮プログラムの研究そのものは、コンピュータの歴史が始まった頃から行われていました。ホームコンピュータの時代に入ってからだと、CP/Mユーザーたちが早くからこの方面に着手しており、SQ.COM (1981) やLU.COM (1982) といったソフトがポピュラーな存在になっていました。しかしライトユーザーまでもが圧縮の必要性に目覚めるようになるのは、1985年頃以降のことです。この時期までに北米のパソコン市場ではフロッピーディスクドライブが浸透し、いっぽうでIBM-PC/XT、マッキントッシュ、アミガ、アタリSTといった機種が出そろうにいたって、16ビットパソコン時代がいよいよ本格化しようとしていました。ユーザー間でやりとりされるデータやプログラムのサイズは、こうした状況下で一気に肥大していったわけです。

この当時にはパソコン通信の普及も加速度的に進んでいたのですが、ファイルサイズの大型化は、誰よりもその利用者たちにとって頭の痛い問題でした。いうまでもなく、ファイルが大きくなれば、それだけダウンロード時間 (=課金額) に影響が及ぶからです。より効率的な圧縮ソフトの登場が望まれるなか、システム・エンハンス・アソシエイツ (SEA) 社のトーマス・ヘンダーソン氏は、MS-DOS用ARC (1985) をリリースしました。MS-DOSにはすでにSQやLUが移植されていたのですが、前年にUNIX方面で公開され話題を呼んでいたLZWのアルゴリズムを取り入れたARCは、これらとは一線を画する圧縮率を実現しており、シェアウェアでありながらSQとLUをあっさり駆逐してしまいます。時代の要求にうまく合致したARCは、こうして圧縮/展開ソフトとして初の商業的成功を収めました。

その翌年、フィル・カッツ氏はARCのアルゴリズムをアセンブラで書き直し、飛躍的な高性能化を遂げたPKARCを、やはりシェアウェアとしてリリース。同じ頃、ARCより効率的な圧縮アルゴリズムを用いたフリーソフト・ZOOも登場していますが、PKARCはやがてこのアルゴリズムも取り込んで独自に発展を遂げ、圧縮ソフトの定番として、ほとんど独占的ともいえる地位を確立していきます。

[] PKARC牙城の崩壊〜次世代スタンダード争い

ところが1988年に、PKARCは著作権侵害でSEAから提訴され、将来的に配布を中止することに同意。その先行きにいきなり暗雲が垂れ込めることになりました。この事件は、ちょうどポストPKARCを目指して盛り上がろうとしていた日本のLARC/LZARI (LHarcのルーツにあたる圧縮ソフト) 開発陣にも驚きを与えています。奥村晴彦「データ圧縮の昔話」が、開発当時のPC-VANの様子を伝えているので、参考になるでしょう。

PKARCがもう使えないとなると、新しいスタンダードとなるものを探さなければなりません。旧来のARC? それともZOO? 確かにそういう選択肢を採ったBBSもありましたが、どちらにしても技術的退行であることは否めません。そんななかフィル氏は、独自の高性能アルゴリズムを用いた新しい圧縮ソフトを送り出すと宣言します。大勢はこれをある種のハッタリだと見なし、そんなに期待はしていなかったようですが、いざそのソフト・PKZIPがリリースされてみると、呆れるほど速やかに浸透が進み、いとも簡単にPKARCの後釜に座ってしまいます。この背景にはPKZIPのバランスのとれた高速・高圧縮技術だけでなく、フィル氏に同情的な世論の影響などもあったようですが、現在隆盛を誇るZIP形式の土台は、ともかくこのようにして築かれたわけです。

ところで、PKARCはアセンブラに大きく依存した設計だったため、ARCやZOOと違って、ほとんど他機種に移植されませんでした (アミガ版、UNIX版、VAX/VMS版の存在が確認されていますが、皮肉なことに、これらはSEAが訴訟を起こすのと相前後してリリースされることになります)。そういうわけで、MS-DOS以外の環境では、これに代わるデファクトスタンダードが生まれています。アップルIIのShrinkIT、マッキントッシュのStuffITなどが代表的な例ですね。LHarcもまた、単に高性能だったためだけではなく、海外の有力な圧縮ソフトが十分に普及していなかったからこそ、あっという間に日本での標準的地位を獲得するに至ったのだといえます。

LHarcは登場翌年にあたる1989年に、はやくもUNIXに移植されて海を渡っています。アミガやアタリSTのように、まだ決定打となるような圧縮ソフトを持っていなかった機種 (…いや、SEAの訴訟さえなければ、その前年にリリースされていたアミガ版PKARCであるPKAXは、きっと決定打になっていたのでしょうが…) にとって、この登場は渡りに船でした。両機にはその年のうちにLHarcが移植されているのですが、これはまったく絶妙なタイミングだったというほかありません。というのは、ほとんど同じ頃にPKZIPがMS-DOS方面に現れており、LHarcの上陸があと一年遅れていたら、アミガやアタリのユーザーも先にそちらに注目していたであろうからです。実際、少し後に両機種用のZIPアーカイバも登場してはいます。しかしこれはLHarcと拮抗することさえできませんでした。一般的にはLHarcのほうが圧縮率が高かったためだとか、インターフェイスがあまり洗練されていなかったからだとかいわれていますが、LHarcにはなんといっても、タッチの差でも先にスタンダード化していたという強みが大きく作用していたはずです。

LHarcは、1990年頃には早くもアミガ/アタリSTの主流として君臨するようになります。アミガにLHarcを移植した最初の人物は、イタリアのパオロ・ジッティ氏でした。そして1992年にはアセンブラによる高速化を極めたLZが、カナダのジョナサン・フォーブス氏の手でリリースされ、その後継LXとともに、長くスタンダードとして親しまれることになります。ジョナサン氏は1995年にLHAを独自に改良・発展させた・LZXを生み出し、アミガのLHAは本家と異なる道のりを歩み出しています。

参考:

A Short History of Arching on Micros, Paul Homchick 1988

ZIP file history, Gary Conway

アーカイブ形式解説 (PKZIP以前の時代については誤認も多いですが)

usuragiusuragi 2004/02/29 01:11 日本のPC生まれで海を渡ったと言うと、テグザーや倉庫番を思い出します。

mtmmtm 2004/02/29 13:09 なるほど!もしかしてx68のlx.rってこのLXの流れを汲むのかな

hallyhally 2004/03/02 16:57 usuragiさん: そうですね。ゲーム方面だと他にもシルフィードやらソーサリアンやらいろいろありました。ただ、その背後ではもちろん日本企業が有形無形の努力をしていたわけで、LHAの様に自然に普及していった例は、他にはないと思います。

hallyhally 2004/03/02 17:00 mtmさん: いわれてみれば、lx.rっていろいろと謎に満ちたソフトですね。アミガ版LXが1993年、X68000版lxが1995年なので、順序は合いますが、さて?

立花立花 2004/03/13 00:38 無関係と推測 http://kuwa.xps.jp/diary/2004-03.html#d09_2

hallyhally 2004/04/14 14:17 おお…これは説得力があります。わざわざのご高察恐れ入ります。

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02.27.2004

[] 続々・身近な旧世代機 (コモドール64編)

以前の「身近な旧世代機」「続・身近な旧世代機」といったトピックで、コモドール64の話がないのは不思議だなと思っていたのですが、やっぱり出てきました。場所はオーストラリアのプリズベンにあるバスターミナル。バスの案内モニタが何かの拍子でリセットされるところに出くわし、そこにコモドール64の「ブルースクリーン」が表示されるのを見て驚いた―――という報告+現場写真です。これに触発されたAmiga Worldの読者たちは、以下のような事例も伝えています:

  • 以前デンマーク・オーデンセ内の駅で、パン箱 (C64の通称) が聴覚障害者用電話としてまだ活躍しているのを見た。ここUKには、在庫整理のために改造しまくったC64とカスタムプログラム/ハードウェアを使っている、かなり技術水準の高い企業があるのも知っている。
  • 友人の勤めるシートメタル工場では、C64でCADの基礎デザインをしている。
  • フィンランドには一軒、情報画面のコントロールにC64を使ってるくさい映画館がある。

これくらいの文字とグラフィックスが表示できれば十分という環境は、まだ至るところにあるということですか。現にイギリスではこんな画面の文字放送 (テレテキスト) が今も生活に密着していたりしますし。

[] 宇宙観測とアミーガの知られざる蜜月

実用繋がりで、ついでにこちらにもリンクしておきましょう。かれこれ三年以上も前に日本語訳されているのに、まったく話題になっている形跡のない、もったいないインタビュー記事です。アミガの先進性が宇宙観測の現場でも高く評価されていたことが分かる、非常に興味深い内容といえるでしょう。

加山。加山。 2004/02/29 05:26 http://www.google.com/search?q=%94%92%91%D1+68+%89t%8F%BB+%8F%AC%93c%8B%7D&hl=ja ←これなら俺も見たことあります。最近はどうなんだろう。

hallyhally 2004/03/02 17:31 ああ…すっかり忘れていました。ちょうどこのへん以降から、実用方面でX68000の名前を聞く機会が一気に少なくなりましたね。ヒューマンクリエイティブスクールがX68000を一斉放出したのもこの前後じゃありませんでしたっけ。

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02.20.2004

[] StarROMs 設立者インタビュー

昨年10月にアーケードゲームROMイメージの合法オンライン販売を突如スタートし、MAME愛好者たちを驚かせたStarROMs。その共同設立者であるフランク・レイブリ氏のインタビューがオンラインマガジン・Performance PCに掲載されました。

現在StarROMsのラインナップは約60本で、料金は一本2〜6ドル。いまのところアタリのタイトルだけを扱っています。まったく無名のこの会社が、どうやってアタリから販売許可を取りつけるに至ったのか謎だったのですが、インタビューではちょうどそのあたりにも触れています。

運が良かったのです。私たちはいいタイミングでアタリに接近することができました。(訳注: アンフォグラム [現アタリ] がアタリの権利を取得した当時に) 彼らはすでに違法ROMの問題を視野に入れ、それに対する戦略を立てようとしていました。それで時間をかけてこの分野のことを勉強し、私たちの言ったことにも耳を傾けてくれたわけです。実際こういうケースでは、業界に充満する「エミュレータ = 違法行為 = 悪」というひどく単純化された考えかたを克服してさえもらえれば、そしてこういうゲームが巨大な関心を集めていながら、その大半は結局違法行為に手を染めないと遊べないという消費者の不満に気づいてさえもらえれば、非常に説得しやすくなるのです。

ROMを合法的にダウンロードする機会を与えることで、アタリは新しい資金の流れを生み出すことになりました。しかしもっと重要なのは、アタリが自分たちの最大にしてもっとも敬虔なファンたちの要求に、喜んで応じているということかもしれませんね。よく考えれば、自分のブランドにもっとも忠実な愛好者ともいえるグループを敵に回そうとしたり、もっと悪い場合には、過去のゲームの権利にはもう関心がないと表明しようとしたり、そんなことをする理由なんてないのです。

しかもですよ、われわれの消費者層は、今日的なヴィデオゲームの大半よりも、人口統計学的にはもっと大きな広がりを見せているのです。もっとも多いのは30代の顧客で、これに40代のユーザーが続き、次いで20代。子供じゃないのです。私たちがお相手させていただいているのは、資金はあるけど今日的なヴィデオゲームは買いたくないという顧客なのですね。

現在もっとも人気のあるタイトルは「アステロイド」で、これに「センチピード」「ミサイルコマンド」「テンペスト」が続いているそうです。なるほどこりゃVCS世代のチョイスですね。30代の次が40代という、日本では考えにくい構図も納得です。ちなみに収益の大部分はアタリに還元されているそうです。

StarROMsでは年内にもアタリ以外のROMを供給していきたい考えですが、残念ながらまだ具体的な交渉は進んでいない様子。2002年に「ネットげーせん」で大コケしてしまったこのへんのタイトルから攻めてみるのはどうですかね。あんまり海外受けするタイトルは多くないですけど。

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02.19.2004

[][][] タイトー・アーケードとセガ・メガドライブのオールインワンゲーム機 北米で今秋発売

旧世代ゲームをコンパクトに復刻させるムーブメントは、まだまだ盛り上がり続けるようです。すでにお馴染みのJAKKS Pacificや、Intellivision Direct to TV (ワンチップファミコン使用) で後を追ったINTV Corp.に続いて、いよいよハンディゲーム機の雄・Radica Gamesが腰を上げました。

Radicaは二機種を予定していて、うちひとつは「アーケードレジェンズ・セガジェネシス」。「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」ほかメガドライブのゲーム7本が収録される予定です。ご存知のかたも多いと思いますが、メガドライブはすでにセガ自らの手でワンチップ化されており、北米でMajescoがラインセンス生産していたジェネシス3 (1997) で実用化されています (追記: 当時「BYTE」誌編集に携わっていたエリック・ポバース氏によると、この会社は同じチップで携帯ジェネシス・ノマドも復活させようと、かなり本気で考えていたそうです。これは採算の都合で挫折したものの、2001年にはゲームギアをワンチップ化して再発売しています。ほかにはサターンの製造権も持っているらしいので、そのうちまた何かやらかしてくれるかもしれませんね)。ワンチップメガドライブこと315-6123の製造ラインはまだ稼動中で、ブラジルでは現在もジェネシス (どころかマスターシステムも!) の生産が続いていますし、セガトイズのPICOも近年はこれを搭載しています (つまりFM音源も載っているはずだということですね。多分使用されることはないのでしょうけど)。「アーケードレジェンズ」にも同系統のチップが使用される確率は高いのではないでしょうか。なお価格は29.99ドルとなっています。

もうひとつはタイトーの「スペースインベーダ」「フェニックス」「ルナレスキュー」「コロニー7」「クイックス」を収録した「アーケードレジェンズ・スペースインベーダーズ」で、24.99ドル。古色蒼然としているぶん、こちらのほうが少しだけ安いですね。この内容ならチップがなんであれ再現は容易でしょうが、RadicaはXaviXで知られる新世代社の技術をいち早く採用してきた会社でもあるので、もしかするとそちら方面からの協力があるのかもしれません。そういえばその新世代社も自ら北米に乗り込み、XaviXを使用したカートリッジ式ゲーム機・XaviX Portを夏頃に発売すると発表しています。アメリカでのオールインワン/ハンディゲーム市場拡大は、復刻だけでなくさまざまな形で表面化しつつありますね。

アプローチは異なりますが、先日登場した「ファミコンミニ」も、こうした海外の「コンパクト復刻」潮流のなかでこそ、より強く求められるものだと思うのです。ところが海外発売の予定は今のところない様子。任天堂にとってはファミコン20周年の記念品以上のものではないのかもしれませんが、どうせやるなら、これをきっかけに新しい市場を切り拓くくらいの覇気を見せて欲しいところです。

(3/2 追記 「アーケードレジェンズ・セガジェネシス」の本体デザインがアナウンスされました。なんとコントローラ型ではなく「カートリッジの刺さらないメガドライブ」になるようです)

関連: SEGA PICOの分解 (かしまのホームページ)

pochipochi 2004/02/24 21:12 テラドライブみたいな機種は、どうなんでしょう?

hallyhally 2004/02/25 00:02 テラドライブは1991年発売で、メガドライブ2より前ですから、ワンチップではないでしょう。引き続き調べてみますが、メガドライブ/ジェネシスシリーズは生産時期によって使用しているチップの型番がかなり違っているので、全部把握するのはなかなか大変です。

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02.17.2004

[][] JAKKS Pacific, Midway 10 in 1を予定?

先日Spongebob 5 in 1をご紹介したJAKKS Pacific。今度はアタリゲームズやウィリアムズの権利を持つミッドウェイとの交渉に成功し、三社のアーケードクラシックをまとめたコントローラ型ゲーム機の発売許可を得たようです。Classicgamingによると、収録タイトルには「Joust」「Marble Madness」「Spy Hunter」「Robotron: 2084」などが含まれるとのこと。「Mortal Kombat」が収録されるという情報もあります。ううむ、このラインナップでどうやって操作系をまとめるつもりなのでしょうか。開き直って全部プレステ型のパッドでやらせたりしないかとか、ちょっと不安です。

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02.14.2004

[] コモドール64版GEOS フリー公開

昨年8月のApple II版に続き、ついに本家コモドール64版GEOSがフリー公開されました。

日本ではほとんど無名に等しいGEOSですが、1986年にこのコモドール64版が登場したときには「たった200ドルの8-bit機でMacintoshばりのGUIが使える」ということで、大いに注目を集めたといいます。こうやって見比べる (The Graphical User Interface Gallery) と、どれくらい頑張っていたか把握しやすいのではないかと思います。ちなみにこの前年に発売されていたコモドール128というツインCPU仕様の後継機でなら、GEOSはマルチタスク処理さえこなしました。

コモドール64のスペックを考えればほとんど奇跡ともいえるようなこのOSを作り出したのは、 バークリー・ソフトワークス (現ジオワークス) という、それまでは知名度などないに等しい会社だったのですが、その功績はコモドールも認めるところとなり、やがてGEOSはコモドール64本体に付属するようになります。一介のサードパーティ製OSが事実上の標準OSにまで成り上がったなんていう例は、ほかにはちょっと聞いたことがありません。

GEOS用の各種実用ソフトは十分にプロフェッショナルなもので、ゲームマシンとしての毛色が強かったC64に、ビジネス分野で活用されるチャンスを与えることにもなりました。コピープロテクトが強力すぎる (このせいで以前はエミュレータ上で動作させるのも大変だった) という問題はあるものの、それ以外は目立った欠点もなく、かなりの成功をおさめたGEOSは、その後Apple IIやIBM PCに移植されることになります。ちなみにApple II版の画面はこんな感じですね。

PC版も出足は悪くなかったようです。発売当時にはWindowsにもまだ今日ほどの勢いがなく、一定の評価を得るには得ていました。しかしやがてWindows95が台頭してきたため、成功には至らず終わります。現在も根強いユーザー層に支持されてはいるものの、昨今はむしろその軽快さから、携帯端末用OSとして注目される機会が多いようです。

(追記: コモドール64版をエミュレータで使用する方法について、こちらで大雑把にまとめてみました)

[] Retro Mart のレトロ宣言

英語版RetroPC.NETともいうべきRetro Martに「レトロであるべきかあらざるべきか」と題するショートコラムが掲載されました。あるべきかもなにも、アタリもコモドールもどう考えたってレトロな存在なのですが、本来「レトロ」は退行・逆行的な意味合いを含む言葉で、ファッションの領域で用いられるようになって以降はポジティヴに捉えられる機会が増えたとはいえ、やはり使えないものという印象を与えかねないのです。それで、一貫して前向きに8-bit/16-bit機と付き合ってきた欧米のユーザーには「今日的なハードやソフトが次々出ている現実と食い違う」といって、この言葉に抵抗を感じている人がいるというわけです。

とはいえ実際問題として、「レトロ」という言葉はもう定着しつつある―――ならいたずらに敬遠するのではなく、むしろ積極的にこの言葉を使っていこうじゃないか、というのがこのコラムの主張するところですね。ただし同時に、雑誌に働きかけるなどして、旧世代機がどのように活用されているのかを的確に知ってもらう努力をする。そうすればいつか「レトロ」の語義そのものを変化させることができるかもしれないし、遥かに建設的な結果を生むだろう…と。

「レトロ」という言葉をそれほどネガティヴに感じない日本人にとっては、どうでもいい話かもしれません。とはいえ、旧世代機の話題が思い出話に終始しがちな状況は、むしろ日本のほうが顕著なわけですから、いまのソフトやハードを知ってもらって、旧世代機をノスタルジーから解放したいという気持ちには、十分すぎるほど共感できます。共感できますが…。

果たして雑誌や書籍が、どれだけそういう方向に力を入れたがるでしょうか。ノスタルジーを排除するのと強調するのと、どちらが商売的においしいかは、考えるまでもないことです。Atari 10 in 1がamazonで3位まで昇るような国柄のドイツで、最後のアタリPC専門商業誌「ST-Computer」は、なぜ廃刊に追い込まれなければならなかったのか。それは安易な懐古趣味に与しなかったからでしょう。ノスタルジーの入り込む余地のない、現在進行形の旧世代機シーンに対する風当たりは、レトロブームの最中にある今日でさえ、意外なほど厳しいのです。

コンピュータ情報誌である以前に売買情報誌である「Micro Mart」(Retro Martの母体) はどうだか知りませんが、それ以外の雑誌はおそらく「レトロ」の語義を変化させるほど、現行ソフト/ハードには肩入れしてはくれないでしょう。そりゃ紹介くらいはしてくれるかもしれませんが、8-bit機に本当の意味で将来性があるなどとは、よほど酔狂な出版社でもない限り、本気で考えたりはしません。

教育市場に足場を築き、まがりなりにも未来への布石を打っているMSXは稀有な例外になりうるとして、そのほかの機種はレトロブームに消費しつくされたら最後、今度こそ本当に終わってしまうかもしれません。かといっていまさらコマーシャリズムを否定したところで、なにも始まらないのも事実。旧世代機を二度死なせないためには、結局ユーザーがコマーシャリズムに利用されつつ利用するような、したたかな立ちまわりの術を身につけていくしかないのです。Retro Martもそのあたりを自覚したうえで「レトロ」の積極活用を提唱しているのでしょうけど、それだけで退治できるほど、ノスタルジーという怪物は甘くないですよ。

MoliceMolice 2004/02/14 18:45 “RetroPC”という看板を掲げた時、念頭にあったのは実はレゲー、即ち“Retro Game”のそれではなく、“Future Retro Hero”即ち『宇宙英雄物語』(伊東岳彦)でした。スペースオペラという今となっては古色蒼然としたジャンル、加えて金魚鉢タイプのヘルメットに涙滴型宇宙船にというガジェットが醸し出すノスタルジーを、あくまでも今風のエンターテインメントとして料理された作品でした。

hallyhally 2004/02/18 05:53 なるほど。やっぱり日本人にとってのレトロって、フューチャーレトロの影響が大きいですよね。

catchcatch 2004/02/19 11:37 emulation of the TRS-80 onJava http://www.jars.com/classes/jresout.cgi?resource=11810

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02.11.2004

[] JAKKS Spongebob 5 in 1

Namco 5 in 1, Atari 10 in 1, Activision 10 in 1といったジョイスティック型ゲーム機が好評なJAKKS Pacificの新作です。今回は旧作のリバイバルではなく、米国の人気テレビ番組「スポンジ・ボブ」を題材にした完全新作。しかし夢にうなされそうなデザインだなあ、これは。

収録ゲームのほうはブロック崩しもどきとかスーパーマリオもどきとかばかりだという評判で、新作とはいえそれほどオリジナリティは期待できないようです。しかしいっぽう、グラフィック面では明らかにこれまでの作品と一線を画しているわけですが、価格は従来のシリーズと大差ないようなので、使用チップは同じと考えていいでしょう (従来のもメニュー画面だけ妙に綺麗だったりしたので)。とすると、ハードウェア的にはこれでようやく本領発揮というところなのかもしれませんね。

一連のシリーズがワンチップファミコンによるものでないことは明らかで、一説にはXaviXではないかともいわれていますが、XaviXならはっきりそう表記するでしょうし、グラフィックの質も一段落ちるように見えるので、いぜん正体は謎に包まれています。

これ以降のラインナップとしては、「ミス・パックマン」「スパイダーマン」「アタリパドル」「ピンボール」が予定されています。Slashdotの記事によると、「ミス・パックマン」には他に「ギャラガ」「ポール・ポジション」「ゼビウス」「マッピー」が収録されるとのこと。海外でナムコ黄金期と認識されているのは、ぎりぎりこのあたりまでなので、これ以降の作品はもうこういう形では出なさそう。

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02.10.2004

[] ファミコン内蔵のポータブルDVDプレイヤ・PTDVD-768S 発売中

DVD/VCD/CD/MP3を再生でき、さらにファミコンのゲームまで遊べてしまうという大胆不敵な携帯プレイヤが、中国広東省のOrbit Electronicsより登場しています。スペックをざっと訳してみると:

  • SHARP製7インチ 16:9 カラーTFT液晶パネル。
  • 超強力耐震メモリ (DVD 3秒、CD/VCD 10秒、MP3 90秒耐震)。
  • 超強力リチウムバッテリ内臓、連続2.5時間演奏可能 (ディスク再生時)。カードリモートコントローラ付き。
  • 自由性の高い巻戻し/早送り。2〜20倍速を選択可能。
  • MPEGIIオーディオ/ビデオのデコードに内蔵DOLBYデコーダを使用。
  • 外部テレビおよびTFT-LCDに接続可能。屋内外でハイクオリティなイメージによるAV鑑賞を実現。
  • 電源アダプタをAC100〜240Vで切り換え可能。
  • テレビ受信機能 (PAL/NTSC対応)。
  • オートシステムAVモニタ。

7インチ液晶なのでサイズは188x141x32(mm)とやや小ぶり。しかしお気づきかとは思いますが、これではファミコンのカートリッジを差す場所がありません。ではどうやってゲームソフトを供給するかというと、CD-RにROMイメージを焼いて、それを読み込ませるという仕組みになっています。だからどちらかというと、エミュレータで走らせているような感覚に近いと思います。この手法は同じくファミコン互換機能を持つようになった、近頃の中国製VCDプレイヤによく見られるもので、OrbitからもGTV968, GTV998の携帯型二機種が出ています。ゲームコントローラ端子は見たところUSB仕様になっているようで、しっかり二本使えそうです。いろいろオンラインショップを見て回ったところ、販売価格は中国で3000元〜4000元程度、英語圏だと700ドル前後でした。

それにしても中国という国は本当にもう、なんでもかんでもワンチップファミコンを載せてしまえという状況に突入しているのですね。「2002年にMSXの1チップ化」、「2003年に1チップMSXを使ったポータブル、ノートPCに加え、携帯電話への搭載、また冷蔵庫など家電への組み込み」と啖呵を切っていた西和彦氏の意気込みは、もたもたしているうちにほとんどワンチップファミコンに食われてしまった感があります。まさかこんな時代になってまでファミコンに出遅れようとは思ってもみなかったことでしょうが…。もちろんそれはいまのところ、任天堂の目を気にしないで済む、中国/東南アジアという特殊な市場の中でだけの話です。しかしよく考えるとファミコン関連の特許って、少なくとも日本ではもう切れているはずなのですよね (だからこそ国内でも堂々とファミコン互換機を売り始めたのでしょうし)。豆粒大のファミコンチップが、中華圏「独自」のテクノロジとして大手を振って日本に上陸してくる日は、そんなに遠くないかもしれません。

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02.09.2004

[] ユージン・ジャービス インタビュー (way of the rodent)

世界初のスクロールシューティングゲーム「ディフェンダー」(1980) の作者として知られる元ウイリアムスのユージン・ジャービス氏が、いまにわかに注目を集めています。というのも、彼が最近ミッドウェイから独立し、このアーケード不況のご時世にアーケード中心のゲーム会社・Raw Thrillsを立ち上げたからなのですが、その第一作「ターゲット: テラー」はSlashdotの記事によると、実在の土地を舞台にした二人プレイの光線銃ゲームとのこと。あえてアーケードにマーケットを絞るからには、何か彼らしい仕掛けがあるのではないか (「ディフェンダー」にせよ「ロボトロン」にせよ、操作系がかなり独特だった) ということで、期待とその裏返しの不安がともに高まりを見せているわけです。そんな空気の中で行われたこのインタビュー。おもに過去作品に焦点を当てたものですが、往年のアーケードゲームの真髄に迫る内容で、なかなか読ませてくれます。

―――「ディフェンダー」「ロボトロン」「スターゲイト」…どうやってあれほど絶妙なプレイ感覚を実現できたのでしょう? 手応えはものすごくシビアだけど、プレイできないわけではないという。

絶え間ない微調整によるものだよ。スープ作りと似たようなもので。(中略) 「ディフェンダー」は僕の処女作だったんだけど、ゲームを作りたがる子供にありがちなように、当初はものすごい野望を秘めてて、なんでもできるようなゲームを作ろうとしていたんだ。飛行ありの、ドライブありの、地下ありの…みたいな。で、しばらくして、これじゃいつまでたっても完成できないって気が付いたわけさ。あまり詰め込みすぎると『メインディッシュはどれなんだ?』って自問自答せざるを得なくなる」

―――技術的に制限があることが、自分にとってはよかった?

ヴィデオゲームのデザインは、これすべて制限さ。できそうだからって理由だけで、なんでもかんでもやるのは違う。なにか些細な『面白い』部分を見つけて、それをベースに組み上げていく。たとえば『モータルコンバット』や『ストリートファイター2』みたいな格闘ゲームは、せいぜい二次元のライン上で進むか戻るかしかできないわけだけど、こうも単純なフレームワークのなかでも実に多彩な動作ができるっていうことに、ゲームの豊かさが集約されている。バックボーンがシンプルで、世界は狭くても、エキサイティングで濃いゲームを作ろうと思えば作れるって、このトリックから分かるわけさ。あれやこれやとしみったらしく手を出すよりは、二つか三つの要素をとことん突き詰めたほうがいいはずだよ」

「『ディフェンダー』にスクロールを取り込んだのは、スピード感とモーション感を生み出すためだった。最高のヴィデオゲームはすべて、サバイバルに関わるものだよね。サバイバルは人類最大の本能的欲求で、食欲よりも性欲よりも金銭欲よりも強い。ありのままのエネルギーとアドレナリンを引き出し、プレイヤを自然にエキサイトさせるためには、サバイバルストーリィを生み出すことが必要だよ。当たり前のことみたいだけど、自分を殺そうとする心底むかつく悪党どもを、プレイヤが本当に大量に必要とするのは何故なのか、これで説明がつくよね」

「『ロボトロン』は (どこにも逃げ場所がないという感覚で) 本気で汗をかかせてくれる唯一のゲームだと言ってくれる人が多いのだけど、それは僕にとっても同じなんだ」

「PCとかコンシューマのゲームにとくに多いんだけど、何をやらせたいのか把握させてくれないゲームは嫌いだな。ゲームをデザインする側が本質的な面白さを見出せてなくて、プレイヤに思い付きの選択肢を大量に与えて誤魔化そうとしているようなやつ。たとえばバックにも運転できて、エグゾーストパイプの上にもカメラがあって、Gの具合をあれこれ選べて、みたいなね。デザイン側がゲームの要点をしっかり分かってないからって、プレイヤにデザインを投げちゃっているように思えるんだよ。なんだかまるで、一個でも多くのボックスをプレイヤにチェックさせようとしているようなものってあるよね。ああいうの、作り手は全部オプションを体験すれば二年は遊べますよって思っているわけだけど、それより先にこりゃダメなゲームだって見極めるほうが早いって。ゲームのどの面が強烈で面白くてクールなのかをデザイナが分かっていて、自信を持って伝えてくるようなのが好きだな。なんていうか、まあ、スピルバーグが自分の映画でストーリィを伝えてくるような感じで。楽しませてくれて、かつエンタテイナ本人が何をやっているか分かっているっていう感覚が、よく伝わってくるものが欲しいんだ。作り手に身体を委ねられるような安心を感じたいのさ」

「アーケードにこだわる理由は、デザインを自由にできるから。ボタンを付け足したかったら、ドリルで穴を開けて結線すりゃいい。これがコンシューマとなると、標準的なシステムにこだわらなきゃならないだろ。技術的な問題で自分のクリエイティヴィティを曇らせることなく、ゲームをクールにするものが何かを考えたいんだ」

あとジェフ・ミンター氏の「ディフェンダー2000」(Jaguar) を絶賛しているくだりもあります。本質剥き出しの直球勝負を好む彼の気質を考えれば、なるほどと頷けますね。ちなみに彼がここ10年ほどでもっとも過大評価されていると思うのは「Myst」「ウイングコマンダー」のニ作だそうです。

[] Classic Browser Adventuring オープンソース化 (from Slashdot)

シエラ・オンラインが「キングスクエスト」「スペースクエスト」シリーズなどの開発に用いていたアドベンチャーゲーム用言語・AGIについては、以前もちらりと書きましたが、昨年にはこの言語を用いたチャットシステムなんてものまで登場していました。それがこのClassic Browser Adventuringです。特別なソフトや会員登録は不要で、インターネットブラウザだけですぐ始められるのがいいですね。AGIに興味のない人にも面白いと思います。日本語入力も受け付けるようなので、気軽に「Play!」からmultiplayer版を試してみてください。私もたまに顔出していますので。

すでにチャットとしては完成していますが、将来的にはゲーム性を持たせることまで念頭に置いたシステムになっているようです。しかし使用できるキャラクタや行き来できるシーンはまだそれほど多くなく、イベントらしいものもほとんど組み込まれていないので、オープンソース化後の動向に注目したいところですね。

8-bit/16-bitゲームの世界とWEBチャットを結びつける試みとしては、二年ほど前にもwww.hellshocked.comというものがありました。もっともこれはまったく方向性が異なっていて、ブラウザ上にキャラクタが出てきてチャット空間を楽しむという基本は一緒なのですが、特定の部屋が仮想ゲームセンターになっていて、そこからJavaベースのZXスペクトラムエミュレータで数十本のゲームを楽しむことができるようになっていました。市販ソフトの大多数がフリー公開されているスペクトラムならではの試みとして注目していたのですが、サーバーの負荷がばかにならなかったそうで、半年ほどで消えてしまいました。

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02.05.2004

[] 消えた100万台のファミコンディスクシステム

[2004/06/18]: ディスクシステムの総販売台数440万台は、ツインファミコンの100万台を加えた数字だったことを確認。当該内容を削除しました。

[2006/07/28]: 「紅白機」をNTSC仕様としていたのは事実誤認でしたので、該当部分を削除しました。

[] もうひとつのファミリーコンピュータ・紅白機

ファミリーコンピュータの海外版としては、ニンテンドー・エンタテイメント・システム (NES) が有名ですが、実はほかにもう一機種存在していたのをご存知でしょうか。姿も名前もファミリーコンピュータでありながら、香港市場向けにラベルやパッケージが変更されている「紅白機」と呼ばれるタイプのものです。あちらでファミコンが「紅白機」と呼ばれていたという事実そのものは有名ですが、海賊版市場として悪名高かった香港に、かつてファミコンが正規流通していた時期があったということは、ご存知ないかたも多いのではないでしょうか。

日本での発売当初、ファミコンは香港でそれほど注目を集めていなかったようです。というのも、香港のヴィデオゲーム市場はまだ非常に小さく、先に流通していた雅達利 (Atari) 2600なども、裕福な家庭にだけ許される道楽のひとつでしかなかったからです。

しかし1985年以降香港経済は急成長を遂げ、次第に一般家庭でもヴィデオゲーム機を受け容れる余裕が生まれてきます。「紅白機」の正確な発売時期は不明なのですが、一説にはこの頃だったのではないかといわれています。

任天堂は香港に支社を構えていたわけではないので、実際は現地の玩具流通会社・西門玩具有限公司がライセンス販売していたようです。「紅白機」の呼称が台湾にも浸透しているところを見ると、おそらく同様にして台湾にも渡っていたのでしょう。

面白いことに、任天堂はこれと相前後してNESの香港版 (通称「灰機」) も製造し、同じ市場へと投入しています。二種類のカートリッジ規格を同居させて、市場をいたずらに混乱させるような真似をした任天堂の真意は、いまだによく分かっていません。ともかく、こうして香港にはファミコンとNESが公式に両立するという、不思議な市場が形成されることになるわけです。

とはいえ「紅白機」と「灰機」とが共存できた時期は、それほど長くありませんでした。結局「紅白機」だけが圧倒的な人気を集めるようになり、「灰機」は二年ほどで姿を消しています。本質的に同じはずのニ機種の明暗を分けたもの―――それは、ディスクシステムの登場に他なりませんでした。土地柄から容易に想像がつくと思いますが、香港ではディスクシステムの発売後間もなく専用ディスクの密造が横行し、しばらくすると海賊版のディスクゲームがばかげて低価格で出回るようになったのです。価格は一枚数十元から十数元 (相当) だったというので、だいたい新品カートリッジの十分の一程度の金額で入手できたことになります。「灰機」でディスクシステムを使用できるようにするアダプタも出回ってはいましたが、わざわざそれを使うのも高くつくうえ面倒です。しかも当然ながら、ディスクシステムのソフトは通常NTSC用で、そのままPALで走らせると、動作が遅くなったり、画面が崩れるなどの不具合が生じます。これでは「灰機」が売れなくなるのも当然というものでしょう。

家庭用ゲームを前代未聞の低価格で遊ぶことができるという評判から、香港の「紅白機」人気は大変な盛り上がりをみせるようになったわけですが、かならずしも順風満帆だったわけではなく、1980年代の終わり頃から、韓国製の安価なファミコン互換機「BIT70」や、台湾生まれの「小天才」などに苦しめられるようになります。しかしこれらも当初は、純正品を駆逐するまでには至りませんでした。まだ互換性が十分に高くなかったためで、したがって少々高価でも、子供たちは純正品を好んだといいます。

そんな「小天才」もその後改良と多様化が進み、海賊版ソフトの主流がディスクから「xx in 1」タイプのマルチROMへと移行するにいたって、任天堂純正品の存在は忘れられるようになっていくわけですが、少なくとも1991年まではオフィシャルな「紅白機」は人気商品であり続けました。こちら (香港経典電視広告大全) の右側五番目のリンクから、当時のテレビコマーシャル映像を見ることができます (「第ニ代」と書いてあるところをみると、「灰機」の登場後「紅白機」は一時的に姿を消していたのかもしれません)。「スーパーマリオブラザーズ3」のご時世になっても、ディスクシステム単体のコマーシャルを打っているところに、その人気のほどが覗えます。香港では最終的に、一家に一台の割合で「紅白機」あるいは互換機が普及していたというので (台湾も似たような状況だったそうです)、ディスクシステムもまた相当な数が売れていたと考えられます。

考えてみると、ディスクシステムを香港に持ち込んだことは、任天堂にとって最大の失敗だったのかもしれません。これさえなければ、東南アジアの海賊版ファミコン市場をあそこまで肥大させるきっかけを作らずに済んだかもしれないのですから (1992年に台湾で独自開発されたスーパーファミコン用マジコンは、明らかにディスクシステムからヒントを得たものでしょう)。2003年になって任天堂が突然中国市場に放った神遊機を「ディスクシステムのようだ」と形容する人がいますが、見方によっては、まさにディスクシステムの弔い合戦のような様相を呈しているわけですね。

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02.01.2004

[] Rogue 1975年起源説の謎

以前から気になっていたのですが、「ローグ」の誕生が1975年だと言い出した人は一体誰なのでしょうか? 実は私も、つい何年か前までそう信じ込んでいました。私みたいに半端な「ローグ」フリークじゃないかたならとっくにご存知だと思いますが、正確な誕生年は1980年。「ローグ」は別に、世界初のコンピュータロールプレイングゲームなどではないのです。

「ローグ」の根幹をなす画面表示ルーチンは、1980年以前には存在していませんでした。しかもこのゲームを手がけた大学生たちは、1975年の時点ではまだ大学生になっていない…ちょっと調べれば、起源を1975年まで遡ることは、どう考えても不可能だと分かります。

どうも1975年起源説は日本特有のものらしく、少なくとも欧米には、1975年に「ローグ」が誕生したなどと言う人は見当たりません。USENETの過去ログを当たってもそういう記述はないので、別に最近認識が改まったというわけでもないのでしょう。となると、1975年説の出所は、おそらく日本の雑誌か書籍ではないかと思われます。

私が知る範囲内で、1975年説を紹介したもっとも古い書籍は「電視遊戯大全」(1988) なのですが、日本に「ローグ」を紹介した書籍としては、なんといっても「ローグ・ハンドブック」(1986) が代表的です。1975年説があれだけ一般的になっているところを見ると、このあたりが起源ではなかろうかと思って探してみたのですが、読んでみると成立年代には言及していませんでした (ちなみにこの本は、少し前に歴史関係の部分を除いてオンライン公開されていました)。

ですがそれにしても、一年や二年ならともかく、どこをどうすれば五年も間違えることになるのでしょうか。自然に考えれば、1975年に何か勘違いを誘発しそうなものが存在していたから、ということになりそうです。しかし1975年といえばまだコンピュータゲームの黎明期。該当しそうなものはひとつしかありません。最初のアドベンチャーゲームとして知られる「アドベンチャー」です。

オリジナル版の「アドベンチャー」は、1972年〜1973年頃にウイリアム・クラウザという人物がごく個人的に開発を始めたものです。ARPANet (今日のインターネットの元になった研究機関のネットワーク) で広まるようになったのは1975年からなので、開発者公認の発表年はこの年ということになっています。そして私にはこれが、「ローグ」の完成年と誤解されたまま日本に広まったのではないかと思えてなりません。

アドベンチャーとロールプレイングを混同? そんな馬鹿な…と、今日の視点からは見えるかもしれませんが、もともと「アドベンチャー」はテーブルトークRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の雰囲気をコンピュータ上に再現するべく開発されたものです。当時の視点であえてこれをカテゴライズしようと思えば、ロールプレイングゲームのほかはあり得なかったわけです。プレイヤーキャラクタは成長もしなければ、各種のパラメータを持っているわけでもありません。しかしゲームマスターたるコンピュータと言葉をやりとりすることによって探索が進展するという点で、それはまぎれもなく「ダンジョンズ&ドラゴンズ」だったわけです (ただし開発当初の段階では本家「ダンジョンズ&ドラゴンズ」がまだ登場していませんから、意識するようになったのは途中からでしょう。「アドベンチャー」の基礎は、クラウザの趣味だった洞窟探検をコンピュータ上に再現するところから始まっているようです)。実際海外には今日でも、「アドベンチャー」が最初のコンピュータRPGだと記している人がいるくらいなのです。

アドベンチャーゲームというのは、「アドベンチャー」タイプのゲームが増加していくうえで生まれた比較的新しい区分であって、少なくとも1980年代初頭までは、あまり厳密にロールプレイングゲームと区別できない関係にありました。ASCIIの本格派テキストアドベンチャー「表参道アドベンチャー」(1982) が『日本初のロールプレイング・AVG』を標榜していたことにも、その辺の空気が反映されていたわけです。

「ローグ」1975年説を紹介してしまった人は、恐らく海外の書籍か何かを斜め読みしながら「世界初のコンピュータロールプレイングゲームは、1975年に誕生した」という記述を発見し、それを「ローグ」のことだと思いこんでしまったのではないでしょうか。何の根拠もない憶測ではありますが、「ウルティマ」「ウィザードリィ」ではじめてロールプレイングゲームを認識した「ごく普通の」日本人なら、テキストアドヴェンチャーゲームに同じ匂いを嗅ぎ取ることができないのも、当然ではあります。

参考:

コラム・インフォコム専科?

[] アドベンチャー・オンライン版

PDP-10用に書かれたオリジナル版はすでにソースが紛失しており、もはやどのようなものだったのか体験する術はありません。しかし後にドン・ウッズ氏が拡張したバージョンはさまざまな機種に移植され、1981年には「ジ・オリジナル・アドべンチャー」(IBM-PC) という商用ソフトにもなっています。現在ブラウザ上から遊ぶことができるのもこちらの拡張版のほうです。ところで「アドべンチャー」はしばしば「アドべント」とも呼ばれますが、これはファイル名に最初の5文字しか収まらなかったために広まった呼称で、正式なものではありません。

[] Beneath Apple Manor

今日的な意味での (キャラクタの成長や各種のパラメータが伴なう) コンピュータロールプレイングゲームは、結局何が最初だったのでしょうか。私の知る限り現存する最古のものはアップルII用に発売された「ビニース・アップル・マナー」です。これは一見するとローグを簡略化したような内容なのですが、実は元祖「ローグ」よりも先に存在しており、アップルIIの登場後間もない1978年に発売されていたことが知られています。その後発表されたIBM-PC版が、開発者であるドン・ワース氏のホームページで無償公開されていますので、興味のあるかたは試してみてください。

[] Akalabeth

完成こそ「ビニース・アップル・マナー」に遅れるものの、同じ頃に開発されていた今日的ロールプレイングゲームは、他にもいくつかあります。代表的なのはリチャード・ギャリオット氏の処女作「ウルティマ0」こと「アカラベス」でしょうか。Apple II版として完成するのは1979年のことですが、もともとは高校生だった1977年に、学校のテレタイプからメインフレーム機 (機種不明) に接続して開発したものだったそうで、これで見事成績Aを収めたというエピソードも伝えられています。また「ウィザードリ」のダンジョン部が1977年前後から組まれていたものであるというのも有名な話ですね。1979年から1980年にかけては、ほかにも「ダンジョンズ・オブ・モルドール」「ウィルダネス・キャンペーン」「テンプル・オブ・アプシャイ」などが登場していますが、これらもそれぞれに「D&D」の数値的要素を取り込もうと模索しながら生まれてきたのでしょう。

参考:

The first RPG - summary Fredrik Ekman

krackmaniakrackmania 2004/02/02 12:29 WinROGUEは持ってますけどどっかに行ったな。探してみますね。けど、オマケがメインで歴史には深く触れてなかったような。

hallyhally 2004/02/02 21:43 どうもありがとうございます。あとつい先ほど知ったのですが、こんなのも出ていたのですね: http://www.ascii.co.jp/pb/login/de/

hallyhally 2004/02/02 21:45 usenetの過去ログで、これの編集に携わっていたKiyoko Arisawaなる人物が開発者たちにコンタクト取っていたのを確認しました。なので、こちらは大丈夫そうですね。

hogehogehogehoge 2004/02/06 22:14 BNNのROGUE本は持っているはずなので、捜してみます。AdvebtureについてはMICROという雑誌の最終号でちょこっとだけ触れられてます。Fortranで書かれていたそうですよ

hallyhally 2004/02/09 04:34 おお、お持ちですか。ありがとうございます。恥ずかしながらMICROはおろかバグニュース本誌さえ未見なのですが、AdventureはAdventureでやはり語られているのですね。

JEXJEX 2006/01/26 14:04 なるほど。こんな歴史だったのですか。興味部会です。

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