Hatena::ブログ(Diary)

Classic 8-bit/16-bit Topics

Classic 8-bit/16-bit Topicsでは、海外での出来事を中心に、旧世代のコンピュータ/ゲーム機に関する雑多な話題を書き散らしています。ただしゲームミュージックやチップチューンなどに関してはVORCで専門に扱っていますので、ご興味がおありのかたはそちらもどうぞ。

2014/05/29 長年放置しておりまして、申し訳ございません。ここやVORCで書いていたような研究は現在、主に各種『ゲームサイド』誌に書き綴っております。よろしければご覧くださいませ。またそのほか最近の動向に関してはtwitter:@hallyvorcにてお知らせしております。いずれ更新を再開したいとは思っております。



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05.28.2004

06.07 文末リストにSeven Sを追加。Thanx: Iggy Drougge氏

05.29 加筆訂正

[] MCM/70は世界最初のパーソナルコンピュータか? (Hot Wired Japan)

この記事を読んで、MCM/70の開発者・マーズ・カット氏が、「自分こそパソコンの発明者だ」と主張していることを初めて知りました。なるほど、カット氏の主張は部分的には正しいでしょう。MCM/70は、CPUにマイクロチップを採用したものとしては、たしかに元祖デスクトップパソコンといえそうです。しかしその括りを外せば、もう少し古いものの姿が見えてきます。

[] HP-9830 - 今日的な感覚でパソコンと呼べる最古のマシン

MCM/70にできるようなことは、少なくとも先にHP-9830がほぼすべて実現していました。これはヒューレット・パッカードが1972年12月に発表したハイエンド向け「プログラマブル電卓」です。ええ、名目上は電卓なのですが、単に当時パーソナルコンピュータなどというマーケットが存在しなかったからそう位置付けるしかなかっただけのことで、機能面でパソコンと区別する理由は見当たりません。ところで私がいう今日的な感覚のパソコンとは、以下の要件を満たすものです。

  1. 個人で所有・管理可能。
  2. 完成品として提供可能。
  3. 汎用的なソフトウェアオペレーションを想定。
  4. フルキーボードが付属もしくは一体化。
  5. 外部記憶装置の読み書きをサポート。
  6. 専用映像ディスプレイ装置が用意されている。もしくは家庭用テレビで使用できる。
  7. CPUやRAMなどの主要な回路と電源を卓上サイズの容器一個に集約。

こういう観点に拠るなら、PDP-8/I (ICベースで再設計された二代目PDP-8。1968年登場) をはじめとする卓上サイズのミニコンピュータも、パーソナルコンピュータにかなり近い存在ということになります。実際PDP-8こそ真に最初のパソコンだと主張する人もいるわけですが、キーボード入力には別途テレタイプ端末が必要で、映像ディスプレイも標準状態ではサポートされていませんでした。どちらかといえば、まだワンボードマイコンに近い感覚です。

さて、この要件に沿って見れば、HP-9830はMCM/70のみならず、Apple IIとも本質的に同じものだといえるわけです。ただし、HP-9830はおいそれと趣味で購入できるような値段のものではありませんでした (ホワイトカラー年収の半分から1/3に相当)。Apple IIやコモドール PET 2001などは、個人所有を飛躍的に容易にした、いわばホビイストのためのパーソナルコンピュータとして登場したことに意義があったわけです。

HP-9830の仕様を、もう少し細かく見ていきます。まず中央演算装置。8MHzの16ビットプロセッサです。ただしマイクロチップ一個では完結しておらず、命令セットを詰め込んだROMと、ビットワードを処理するためのIC7個ほか、約80個のチップを組み合わて4枚のボードにまとめたものになっています。命令セットは、同社のミニコン・HP-2100シリーズに似せたものだったそうです。RAMは標準で3520バイト。最大7K (後期型は16K) まで拡張可能。記録メディアとしてはカセットテープドライブを一基内蔵していますが、周辺機器にはなんとハードディスク (最大4.8メガバイト) まで用意されていました。出力デバイスは一列32文字のLEDディスプレイのみですが、オプションで大型ディスプレイへの出力も可能だったようです。ちなみにCRTモニタを標準でサポートした最初のデスクトップコンピュータは、HP-9830に約半年遅れてWang Laboratoriesが発表したWang 2200でした。

ここまで述べたような基本設計は、ヒューレット・パッカードの先行プログラマブル電卓・HP-9810 (1971) や、その後継のHP-9820 (1972) とだいたい同じです。そういう意味では、これらが元祖パーソナルコンピュータであるともいえますが、今日的な感覚からすれば、あと一歩パソコンと呼ぶには及ばないものでした。HP-9830だけが持つ機能、つまりHP-9830をパソコンたらしめている特色、それは―――内蔵のBASIC言語と、これによるディスク/テープオペレーション、そしてBASICを扱うためのフルキーボードです。BASICはそれほど強力なものではなかったそうなのですが、これでゲームを作った人もいたにはいたようです。またHP-8930は、ROMカートリッジでBASIC命令を拡張することができるというユニークなプラグイン機能を持っていました。そう、これは世界ではじめてカートリッジスロットを採用したコンピュータでもあるのです。

[] Apple Iで目指したのはこれだった

ところで、Apple IIの開発者であるスティーヴ・ウォズニアク氏が、元ヒューレット・パッカード社員だったことは有名ですね。彼の入社はちょうどHP-9830の登場直後にあたる1973年で、彼自身もHPシリーズの電卓を一台所有していた (そして後にApple Iの製造資金調達のために売り飛ばした) ことが知られています。Altair 8800以前から存在していた、BASICの走るデスクトップマシン―――その存在がウォズニアク氏に与えた影響は、決して小さくありませんでした。彼はもともと、Apple Iをヒューレット・パッカードから発売してもらうつもりでデザインしていたのです。それはとりもなおさず、Apple IをHPシリーズと同じ世界の住人だとみなしていた、ということでしょう。

WOZNIAK: ヒューレット・パッカードのラボで、ぼくらは9830っていうBASICが動くコンピュータを使っていた。これは科学者向けにデザインされた一万ドルもするもので、個人用のコンピュータではなかったけど、即座にBASICを走らせることができたんだ。Apple Iで目指したのはこれだった―――着席。電源投入。タイプ開始。

BYTE: ヒューレット・パッカードはApple Iの権利を欲しがりませんでした。あなたはそこに在籍していた間にApple Iを設計したわけですが、彼らには開発話を持ちかけたのですか?

WOZNIAK: うん。HPのラボにはマイクロコンピュータに興味を持っている人間が何人かいた。で、ぼくらはラボのマネージャに提案してみたんだ。どうやれば800ドルのちっぽけなマシンでBASICを走らせて、しかもそれを家庭用テレビに繋ぐことができるか、じっくり腰を落ち着けたミーティングで、苦心して書類にまとめた。でも、いまこの男は、HPの9830・デスクトップBASICマシンのプロジェクトマネージャなんだけど、同様の問題はもう何度も経験済みでね、これをHPの製品にできないってことは分かっていたんだ。彼は正しかったな。ヒューレット・パッカードはホビー製品には手を出すことができなかった。まだ若く先行き不透明な、当時発展途上にあった市場と関わりあいになることは、単純に無理だった。で、彼は計画を却下して、ぼくは正式に自分でリリースできるようになったわけさ。ひとつ変なことが起きたなあ。ぼくらがApple Iを売り出してから、籍を置いているHPの電卓部門が、Capricornていう小型8ビットプロセッサの開発計画をスタートしたんだ。彼らがやろうとしていることの大半を、ぼくはもう実現済みだったのに、このプロジェクトにぼくを使おうとはしなかったね。

『BYTE』1984年12月号「The Apple Story, Part 1」より翻訳。記事はApple II Historyに転載されたものを参照

Capricornは1979年に12ビットプロセッサとして完成、翌年発売のHP-85に搭載されていますが、Apple IIと競合するような製品には仕上がっていませんでした。

[] HP-9830は最古の現役実用コンピュータ?

HP-9830は、以前に世界最古の現役実用コンピュータとして表彰を受けたAltair 8800を凌いで、さらに古い現役パソコンである可能性があります。フロリダのジョー・リグダン氏は、2000年に次のようなを伝えています。

スイスにお住まいのあるかたが、彼処ではまだHP9830を使っている企業が五社存在すると教えてくださいました。うち一社は、なんと1975年から毎日使い続けているそうです!

この「あるかた」というのは、Egli EDV-Beratungenを経営するウォルター・エグリ氏と思われます。彼の会社ではなんと、HP-9830をはじめとするヒューレット・パッカード製歴代コンピュータの修理を現在でも手がけているというから驚きです。ビジネスコンピュータ方面に奥深い歴史を持つヨーロッパならではですね。

[] Apple II以前の完成型デスクトップPC比較

名称発表CPURAM搭載OS (言語)価格
Datapoint 22001970名称不明 (8-bit, Intel 8008の原型)2 KbytesDatapoint O/S$5000程度から
HP-98301972名称不明 (16-bit 8MHz)3.5 KbytesBASIC Plus$5975
Wang 22001973名称不明 (Intel 8080 2MHzとほぼ同等)4 KbytesBASIC$7000以下
MCM/701973Intel 8008 (8-bit 0.08MHz)2 KbytesAPL$4500
IBM 5100 Portable Computer1975PALM (16-bit 1.9MHz)16 KbytesBASIC/APL$8975 (最廉価モデル)
Sol System I (Sol-20完成品)1976Intel 8080 (8-bit 1.9MHz)8 KbytesSOLOS$2129
Seven S1976Zilog Z80 (8-bit ?MHz)64 KbytesDisk Operating System/BASIC?
Apple II1977MOS 6502 (8-bit 1MHz)4 KbytesInteger BASIC$1298

最初に挙げたDatapoint 2200というのはComputer Terminal Corporationが発売していたプログラマブルなターミナル機です。これも実はデスクトップパソコンと呼んで差し支えない性能を持っていたのですが、OSが当初どの程度ユーザに解放されていたのか (つまり最初からターミナル以外の用途で活用されていたのか) 不明なので、敢えて取り上げませんでした。1972年にはプログラマ向けにカスタマイズされたバージョンが登場していたようなので、これが真に最古のデスクトップパソコンである可能性はあります。

Seven Sはスウェーデン製で、これもプログラマブル・ターミナルとして開発されたものです。この機種の詳細については、日本語の堪能なスウェーデンの旧世代機研究家、イッギ・ドルーゲさんがコメント欄に書いて下さっているので、そちらを参照してください。

Processor TechnologyのSol-20は、当時ホビイストの間でもっとも注目を集めた機種のひとつ。当初はキットのみでしたが、Apple IIが登場した頃には完成品も販売されていました。Sol-20誕生の経緯は、スティーブン・レビー氏著「ハッカーズ」 (工学社 古橋芳恵/松田信子 訳) が詳しいです。

(今回は執筆にあたりThe Museum of HP Calculatorsを大変参考にさせていただきました)

MoliceMolice 2004/05/28 13:10 ちょっとというかかなり体調が死に気味なので今日の更新ネタにさせていただきます。m(__)m

hallyhally 2004/05/29 09:45 どうもです。取り上げていただきありがとうございました。

Iggy DIggy D 2004/06/02 22:06 このプログラマブルターミナルはどうかね?http://www.hogia.se/pcmuseum/datorer75-84/sverige/SevenS/sevens.htm

hallyhally 2004/06/03 01:27 うわあ、なんですかこれ。ABC-80以前のスウェーデン製パソコンなんて初めて聞きました。スペックを見る限りは十分にパソコンとしての要件を満たしているようですね。大変興味深いです。よろしければどういう素性のマシンなのか、簡単に教えていただけませんか?

Iggy DIggy D 2004/06/03 19:51 良いですとも。セブンSが、ABC80と同様、DIABの提案したDatabord4680wo

Iggy DIggy D 2004/06/03 20:04 セブンSが、ABC80と同様、DIABの提案したDataboard4680を素にしたマシンでした。データボード4680は以前ターミナル機や工場用パソコンで採用されたバスであって、のちABC-BUSとも知られてきたDIAB特製のバスとしてほとんどのスウェーデン製パソコンで動いていました。セブンSはDIABの開発したターミナル機にちゃんとしたCPUを付けた結果でした。10台の試号機が完成したあと、STANSAAB(スタンダード*DATASAAB

Iggy DIggy D 2004/06/03 20:10 セブンSが、ABC80と同様、DIABの提案したDataboard4680を素にしたマシンでした。データボード4680は以前ターミナル機や工場用パソコンで採用されたバスであって、のちABC-BUSとも知られてきたDIAB特製のバスとしてほとんどのスウェーデン製パソコンで動いていました。セブンSはDIABの開発したターミナル機にちゃんとしたCPUを付けた結果でした。10台の試号機が完成したあと、STANSAAB(スタンダード*ラジオとDATASAABとの協業)が製造権利を買いましたが、製造における問題のため、結局たった数百台が作られました。それにしても、DOSや言語がはいって、フロッピでもうごいていましたが、個人所有向けじゃなくて、対象はおもに産業や政治機関でした。

Iggy DIggy D 2004/06/03 20:12 入力がちょっとダメになっちゃったみたい。ごめんね。

hallyhally 2004/06/07 11:38 解説どうもありがとうございます。表に反映させていただきました。ところでイッギさんはHogia PC-museumを見学されたことはあるのでしょうか?

Iggy DIggy D 2004/06/07 19:18 ありますとも、10年前はね。今や閉館です。(泣

05.25.2004

[] 忘れ去られた赤ん坊

RetroPC.NETでは、APPLE I・レプリカの国内販売が話題になっていますが、こちらもAPPLE Iがらみのネタをひとつ。海外最大のアップル史料サイトのひとつ・Apple II Historyが、先日ちょっと興味深い話を伝えています。

ジョン・ディルクス氏からemailでご指摘をいただきました。はじめてアップルIの大掛かりなデモンストレイションが行われたことで有名な、1976年のコンピュータショウ・PC'76でマネージメントを務めたかたです。(中略) このショウで展示された6502ベースのコンピュータは、アップルIだけではなくて、KIM-1と、もうひとつBabyという聞いたことのないコンピュータもあったそうです。ありがとう、ジョン!

このBabyというマシンの性能ほか詳細は一切不明なのですが、それにしてもこの時期に、6502を採用していた機種がKIM-1とAPPLE I以外にまだあったとは驚きです。

そういえば、パーソナルコンピュータ黎明期には、素性のよく分からないマシンが多数埋もれていますが、日本初のパソコンとして知られるSEIKO-5700 (1977) もそのひとつですね。どなたかこれのスペックをご存知じゃありませんか?

05.23.2004

[] 「アタリショック」観の変遷

「アタリショック」の嘘と誤解の反響が、予想以上に大きくて驚いています。ありがたいことなのですが、任天堂陰謀論みたいに捉えるのだけは勘弁してください。私は任天堂が情報をミスリードしたとは言っていません。少なくとも任天堂が調べ上げた情報がなければ、アタリと市場全体の崩壊を結びつけることはできなかった。そして結びつけても不思議ではない立場に、当時の任天堂はあった。それだけです。それ以上のことは、さらに資料を発掘しないと誰にも分かりません (私の推測を批判したいかたは、まずその発掘からお願いします。水掛け論になるだけなので)。

そもそも「アタリショック」の解釈が、人によって随分異なるようなので、これまで代表的な記事・書籍がこの言葉をどのように使ってきたのか、参考までに少しご紹介しておきましょう。

●「任天堂アメリカ, ソフト管理と消費者情報の収集で40億ドルの市場築く」『日経エレクトロニクス』1990.09.03 小林修 (日経BP社)

米国では日本より数年早く、1970年代末からビデオ・ゲーム市場が立ち上がった。そして、1982年に一気にピークに達し、1983年に急激に階段を転げ落ちる。米Atari Corp.が60%程度と最大のシェアを誇っていたので、1983年に始まるビデオ・ゲーム不況は「アタリ・ショック」と呼ばれている。

「アタリショック」という言葉を使った記事としては、手元にある資料のなかでこれがもっとも古いものです。「アタリショックは、正しくはワーナーの株価暴落だけを指す言葉だ」と釘を刺したがる人をよく見ますが、この記事を見ると、早くからヴィデオゲーム市場全体の不況を表す言葉として捉えられていたことが分かります。また、アタリのシェアが最大だったことだけが、アタリに責任を押し付ける論拠になっていたことも分かりますね。

●『ゲームの大學』平林久和・赤尾晃一(メディアファクトリー:1996年)

 このまま行けば、アタリは世界のゲームビジネスの王者に君臨していたはずです。だが、災難は八三年にやってきました。アタリVCSのハードとソフトの売り上げが突然落ち込むのです。アタリVCSがまったく売れなくなった。原因は―――雨後の筍のようにサードパーティが参入し、ゲームソフトは粗製濫造された。その結果ユーザーはテレビゲームに飽きてしまい、アタリは顧客に信用されなくなったから―――というのが定説です。

 俗に言うアタリショックが起きたのは、一九八三年の初めの頃でした。飛ぶ鳥を落とす勢いだったアタリは、八三年になると膨大な欠損を抱える赤字会社に転落していきました。アメリカの経営学の教科書などにもしばしば登場するアタリショックが起きたのです。

 ところでこのアタリショック。この言葉は日本では「アタリの失敗」という言い方が造語化されてます。またその用法は、ソフトの粗製濫造を指摘する文脈のなかで使われる例が多いようです。ですがそれでは正確さに欠けるので、ここでアタリショックについてきっちり説明をしようと思います。

 まずアタリの失敗という日本語訳 (?) はあまり適切ではない。なぜならアタリショックは、「ワーナーの失敗」が招いたからです。もっと言えば、ワーナー・コミュニケーションズ出身の社長や役員が、傘下のアタリをボロ会社にしてしまった。ゆえに私は、八三年のこの出来事は「アタリの失敗」ではなく「ワーナーの失敗」と表現するほうがベターだと考えます。

「アタリショック」の参考資料として頻繁に登場する一冊。この本ではアタリの赤字転落を指して「アタリショック」と呼んでいます。83年にVCSがまったく売れなくなったと断言しているあたり、先の『日経エレクトロニクス』誌の記事にあるグラフなどには目を通していないことが分かります。また、よく読んでみるとヴィデオゲーム市場そのものの消失の背景には触れていません。ちなみに一応指摘しておくと、アタリVCSが空前のヒット商品になったのは、アタリが平井氏の言う「ボロ会社」になってからです。アタリショックを「ワーナーの失敗」と呼ぶのがベストなのであれば、アタリの成功も「ワーナーの成功」と呼び直したほうが公平でしょう。

●『新・電子立国 (4) ビデオゲーム・巨富の攻防』相田洋・大墻敦 (NHK出版: 1997)

ところが一九八二年 (昭和五七年) のクリスマスに異変が生じた。ビデオゲームが突然のように売れなくなったのである。百貨店や玩具店のゲーム機売り場から客足が遠のき、閑古鳥が鳴いた。人々がビデオゲーム機も、ビデオゲームのソフトも欲しがらなくなってしまっていたのである。当時のABC放送は、ニュースでこの異変を次のように伝えている。「クリスマスの買い物シーズンを前にして、ビデオゲームの値段が急激に下がっています。ゲーム機とゲームソフトの小売り額一九八〇年 (昭和五五年) から二年間で四倍に伸びました。今年の販売額は三八億ドルと見込まれていましたが、この見込みはとても達成できなくなりました。急成長を続けてきたビデオゲーム業界は、ここにきて深刻な打撃を受けています」と。

 続けてニュースは、アタリ社の株を買収して事実上の経営主体となっているタイムワーナー社の株価が急下落したことも伝えた。世に言うアタリ・ショックの到来であった。クリスマス商戦に意気込んで出荷したビデオゲームが、ことごとく消費者にそっぽを向かれてしまったのである

これはもう事実無根もいいところで、完全に作り話です。1982年の秋から大幅な値下げが進行していたのは事実ですが、コレコビジョンの人気もあってクリスマスセールスは堅調でした。見込まれたほど派手な成果が上がらなかっただけで、閑古鳥が鳴いたりはしていませんし、だいたいABCのニュースも客足が遠のいたなどとは言っていません。翌年以降の市場低迷とこの年の株価暴落をごちゃごちゃにしてしまい、後の「アタリショック」観を混乱に陥れたのがこの本だといえるでしょう。そういえば、アタリVCSの内部仕様が公開されていたという奇妙な伝説を定着させたのもこの本でしたね。なお参考文献としては、先の『ゲームの大學』と、デヴィッド・シェフ氏著『ゲーム・オーバー』だけを挙げています。

●「米国におけるビデオ・ゲーム産業の形成と急激な崩壊 - 現代ビデオ・ゲーム産業の形成課程 (1) -」『経済論叢』1998年11・12 藤田直樹 (京都大学)

 このような状況下にも関わらずワーナー側は代理店が1981年10月に注文した量を元に予測をたてていたが、現実にはその多くがキャンセルされ、アタリ社は膨大な数の在庫を抱えることになった。その結果、ワーナー社は1982年12月8日、アタリ社の売り上げ下降を理由に同年第4四半期の利益の下方修正を余儀なくされ、それを受ける形で翌9日にワーナー社の株価は暴落した。これがいわゆる「アタリショック」である。アタリ社の売り上げは1982年の第4四半期から1983年の第一四半期にかけて急落した。(中略)

 1983年という年はアタリ社だけでなく米国家庭用産業全体にとっても大きな後退の年であった。市場規模は30分の1に縮小する。このメカニズムは一般に以下のように説明されている。「アタリ社の在庫処分によるダンピングと値引きが製品の値崩れを起こすとともに、当時多数のメーカーがソフト市場に参入し利益を求めてソフトを粗製濫造した。それに加えてアタリ社自身も技術力の低下から質を維持することができず、質悪なソフトの氾濫が消費者の信用を破壊し、米国家庭用ゲーム市場を崩壊させることになったのだ」と。もとより筆者もこのような側面があったことは否定しないが、しかし当時の米国家庭用市場に対するこうした評価は家庭用市場内部における競争関係にのみ限定された考察の結果であって、業務用との関係を無視している点で非常に一面的と言わざるをえない。特に、アタリショックの時期および急激性を十分説明できてはいない。

「アタリショック」を題材としたものとしては、おそらく国内で唯一の論文です。「これがいわゆる『アタリショック』である」というところでは、参考文献にスコット・コーエン氏著『「アタリ社の失敗」を読む』と、1983年の米『フォーチュン』誌を挙げています。しかし前者に「アタリショック」という言葉は登場しませんし、後者も海外誌なのでそのまま書いてあるとは考えにくいところです。当時の「アタリショック」観が一面的だと批判しているのは注目に値しますが、残念ながらこの論文も競合他社やホームコンピュータ市場の様子までは追いかけきれていません。しかしアタリが絶頂期に至るまでの過程はかなり精緻に描写されています。

miraimirai 2004/05/25 17:08 はじめて投稿いたします。アタリショックの真実、大変興味深く読ませていただきました。アタリのゲームが大好きな私としてはアタリのみの問題ではないとの見解にある意味納得です。なぜなら粗製濫造はファミコンもかなりひどかったし、あの時期すでにクソゲーを愛する文化も生まれていたように思います。現在、ゲーム市場は成熟していますが、不況でもあります。この時期にこのような考察の存在は貴重ではないでしょうか?文献はPDFか何か形にされるのですか?

hallyhally 2004/05/26 00:57 はじめまして。いま考えてみると、ゲーム雑誌が駄目なものを駄目と書かなかった分、ファミコンの粗製濫造ぶりのほうがよほどユーザーに愛想を尽かされてもおかしくない状況を生み出していたように思います。というか実際に尽かされていたのが、表には出なかっただけかもしれません。というのも、ファミコンの販売ピークは1986年なのですが、その翌年に発売されたゲームタイトル数は前年比1.5倍なのに対し、販売本数は3/4以下に低下しているのです。本数は出たが利益にならなかったVCS市場と、本数は減っても倒産や値崩れを引き起こさなかったファミコン市場。たしかに好対照ではあります。完成版は一応HTMLコンテンツとして発表するつもりですが、もし冊子にまとめることを考えないといけないようなら、PDF化も検討してみます。

よしおみよしおみ 2004/05/26 11:47 自分がアタリショックという単語を始めて見たのは多分Beepだったと思う。

よしおみよしおみ 2004/05/26 11:52 多分80年代の号でカタログみたいになってしまう前だったと思う。たしか「このまま粗製濫造を続けるとファミコンもアタリの様になってしまう」とかいう記事だったと思う。当時はBeep以外のゲーム誌はほとんど買っていないので多分Beep

よしおみよしおみ 2004/05/26 11:54 だったと思うが自信無いです。

miraimirai 2004/05/26 13:14 hallyさん 丁寧なレスありがとうございます。最近のファミコン(8bit)ブームは海外を見ても同様のようで、ノスタルジーだけではなく当時のゲームに対する愛情が感じられます。本国でのアタリに対するイメージは私たちが任天堂やナムコに感じるそれと同じものではないでしょうか。  よしおみさんBeepは10冊ほど所有してますが分かれば探してみましょう。また、他にアタリショックに対する記述があるか過去(80年代)の本を見てみます。

Hex125Hex125 2004/05/27 01:39 以下は『マイコンBASICマガジン1989年8月号・山下章のコンピュータ・ゲーム・ホンキでPlayホンネでReview!! TARGET12 セガ・メガドライブ』(P264-267) からの抜粋です。アタリショックという言葉はありませんが、これを見た後にアタリショックという言葉を知った人も多いのではないでしょうか。

Hex125Hex125 2004/05/27 01:39 (前略)また、サードパーティとの交流について、鎌田氏は、こうつづける。「アメリカのアタリが、あまりにも自由にソフト開発の市場を開放したため、悪質なソフトが数多く出回り、ユーザーが離れていってしまったという例もありますので、ある程度のソフトのチェックはさせていただきます。極端な話、あまりにもクオリティが低い場合は、発売を見合わせていただくなんてこともあるかもしれません。サードパーティとしての資格や、年間発売タイトル数を制限するつもりはありませんが、そのぶん質の高いソフトを作っていただきたいですね。サードパーティさんとは、密に連絡を取り合いながら、お互いの開発をすすめていく予定です」(後略)

hallyhally 2004/05/29 09:48 よしおみさん: Beepは当時ログインとならんで海外事情を分かりやすく伝えてくれる雑誌だったので、早くから言及していた可能性はありますね。手元の号にはそういう記述はないようですが、これも調査してみたいと思います。

hallyhally 2004/05/29 09:58 miraiさん: アタリへのイメージが任天堂やナムコに近いというのは同感です。考えてみると海外のアタリリバイバルはNES上陸の頃から始まっているともいえるので、ノスタルジ以上にジャンルとして成熟しようとしているのも頷けます。過去の本に何か記述があれば、ぜひ教えてください。よろしくお願いします。

hallyhally 2004/05/29 10:20 Hex125さん: 鎌田氏というのは鎌田繁雄氏ですかね。「新電子立国」でインタビューを受けている佐藤氏もそうですが、セガがありきたりなアタリショック観に疑問を持たなかったのは結構不思議です。コレコビジョンの日本展開までやろうとしていた会社なのに。

apaapa 2004/08/04 02:22 私が最初にこの単語を目にしたのは「スーパーファミコン任天堂の陰謀」という本でした(1991/01/30初版発行)。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334012531/250-1489179-4429023
「アタリショックの真実」「”アタリの教訓”は独占支配のための創作だった?」なんて題の話が入ってます。
この本にはアタリショックは米国の経済学の授業で必ず取り上げられる実話だと書いてありますが真偽はいかほど?

hallyhally 2004/08/09 02:39 これは未読です。興味深いので近いうちに目を通してみますね。「アタリショックは米国の経済学の授業で必ず取り上げられる実話だ」というフレーズはいろいろな本にカット&ペーストされている文章で、もともとは当時アメリカに留学していた池田雅行 (響あきら) 氏の発言です。で、池田氏のオリジナルは「アタリショック」ではなく「アタリの失敗」となっています。真偽は推して知るべしというところでしょう。

hiyokoyahiyokoya 2004/08/11 03:59 はじめまして。役に立つかどうかわかりませんが、Beep復刻版(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797326239/250-6638916-1191410)を読んでいたら、ピックアップされた1988年10月号の、マーク・サニー×遠藤雅伸の対談記事中、マーク・サニーが以下のような発言をしていました。
(P81)「1984年は「マーブル・マッドネス」。C言語で作ったゲームです。これはあんまり売れませんでした。1984年はゲーム業界が一番悪い時期でしたから」
<アタリ・ショック><アタリの失敗>という言葉は88年のマーク・サニーからは出ていません。他に興味深いマーク・サニーの発言としては
(P82)「それにアメリカと日本のマーケットは事情が違います。ビデオゲームだとだいたい同じなんですけど、家庭用が違うんです。(中略)アメリカでは情報が足りないんです。粗悪なゲームが出ていても、それをつかまされてしまうことがあるんですね。ゲーム専門誌みたいな雑誌はアメリカにはありません。」
あたりでしょうか。

hallyhally 2004/08/11 20:24 1983〜1984当時は、家庭用ヴィデオゲーム市場よりさきに、アーケードがもうダメなんじゃないのかといわれていた時期なので (「ポールポジション」以降決定的なヒットが出ていなかった)、サニー氏の発言はそっちの立場から出たものだとは思いますが、いずれにしてもやはりアタリ責任論ではないわけですね。「ゲーム専門誌みたいな雑誌はアメリカにはありません」というのはちょうどこの時期の話ですね。皮肉なもので、アタリ全盛期には結構充実していたはずなのです。

05.21.2004

[] JAKKS Pacific, TV Gamesシリーズの新作を発表

引き続きプラグ・アンド・プレイ方面より。

ブームの火付け役であるJAKKS Pacificも先週、TV Gamesシリーズの新タイトル二作を立て続けに発表していました。ひとつはルーカスフィルムとの提携による「スターウォーズ」。2005年秋に20ドル前後での発売を予定しています。「お、もしかしてアタリのスターウォーズ?」と思ったのですが、どうも完全新作となる様子。すでに「スポンジボブ」「スパイダーマン」を題材とした作品がラインナップされていることからも分かるように、JAKKSは激戦区である'80sアーケード/コンシューマ移植と並行して、より幅広いタイアップ路線を開拓しようとしています。

もう一本もやはりオリジナル作品で、こちらはアメリカの若者たちに広まりつつあるポーカーブームの原点、「ワールドポーカーツアー」というテレビ番組に基づいたものとのこと。うーん、これはさすがに、元ネタが分からないと単なるカードゲームで終わってしまいそうです。こちらは発売日未定ですが、価格は同じく20ドル前後を予定しています。

05.19.2004

[] Majesco, コナミのジョイスティック型ゲーム機を発売予定

コンパクトサイズで復刻されたクラシックゲームたちの人気ぶりは以前からお伝えしている通りですが、この方面にまたもや新勢力が登場しました。北米のゲーム会社・Majescoです。1990年代後半からセガのコンシューマ機復刻に取り組み続けているこの会社は、以前も少しご紹介しましたね。彼らが一番得意とするはずのメガドライブについては、プラグ・アンド・プレイ式ゲーム化の権利をすでにRadica Gamesに譲り渡してしまっていたので、この方面に参戦する気はないのかと思われていました。しかし5月18日付けで、最後の大ネタともいえるコナミと合意に達したことを発表。秋までに「フロッガー」および「コナミ・アーケード・クラシック」(機種不明) の一作などを収録したジョイスティック型ゲーム機第一弾と第二弾をリリースし、以後計五機種を発売していくとのことです。夏から冬にかけては、先のRadicaに加えて、JAKKS PacificTulipの新型機、さらにXaviX Portが予定されているので、大乱戦になりそうですね。

from GameDaily

[] クラシックゲーム世代に訴えかけるTVコマーシャルが増加中 (RetroBlast!)

海外のアタリ世代はすでに30代後半から40代にさしかかっており、好景気の続く欧米経済における消費の担い手として、無視できない存在になりつつあります。そういうわけで、最近はビデオゲームに無関係なジャンルにも、その趣味嗜好に訴えかけるTVコマーシャルがどんどん拡大しているとのこと。この記事では、そのなかから最近のコマーシャル三本が紹介されています (いずれも各種ムービーファイルとしてダウンロード可能)。取り上げられているのは車の宣伝ばかりで、最初のハマーは、わりとシンプルな「アステロイド」ネタ。次のフォードUKはミニチュア撮影主体ながら実写の迫力をとことん追究したというピンボールネタ、そして最後のサターンは、効果音の配し方が実に秀逸な「パックマン」ネタ。個人的にはこれがいちばん楽しかったです。

知人にこの記事を見せたところ「日本でも数年前にアサヒ『ちゃら』のコマーシャルが『パックマン』を使っていた」という話を教えていただきました。これもこちらでムービーをダウンロードできるといういことなので、早速観てみたのですが…うーん、方向性としては20年前の「7-UP」のコマーシャルと大差ないですね。それどころかこちらのほうが、よほど趣向を凝らしているように感じるのは気のせいでしょうか。ナムコの開発担当者氏は、これのことはもう忘れたのか、それとも最初からご存知なかったのか。

from classicgaming.com

Do.Do. 2004/05/20 19:02 そもそもゲームの事を考えるとパックマンが小さくなるのはあまりいいイメージではないような…

hallyhally 2004/05/21 02:53 ですね、「スーパーパックマン」の記憶はどこへやら。

05.18.2004

[] 米の大学で「ファミコンゲーム開発」講義

工学分野で名高いアメリカのカーネギー・メロン大学で、今年春期になんと「8-bitファミコンのためのゲーム開発」なる講義が行われていました。先月26日にその全課程が終了し、学生たちが実際に製作したROMイメージ12本が現在オンライン公開されています。何本かはデモ段階で終わっていますが、完成品はご丁寧にマニュアルやパッケージまでデザインさせていますよ。

いずれも講師であるボブ・ロスト氏が開発したNBASICをもとに、各種エミュレータで動作試験しながら完成させたものです。どのソフトもFAMILY BASICを思わせる手作り感覚に満ちていますね。なお、一本だけやや技術レベルの高い作品がまぎれ込んでいますが、これは講師本人が中心となって作成したもので、もともとはNBASICのデモ的にリリースされていたものです。

from games.slashdot.org

OKOK 2004/05/19 01:12 えっ?これ正規の授業なんですかぁ?と思ったんですが、どうも学生達で作り上げる自由課題ゼミみたいな感じなんですね。楽しそうですな。

hallyhally 2004/05/19 01:55 OKさん: ええ、スチューデント・カレッジという特殊な枠での話なので、日本ではまあちょっと考えられないですね。ちなみに修了すればちゃんと単位はもらえるようです。

MoliceMolice 2004/05/19 07:32 どこぞの専門学校で講師をやっている知人は、X68エミュを使ってのCプログラミングを教えているとか。まあ、余談です。(笑

hallyhally 2004/05/19 20:06 それはまた、なぜわざわざX68エミュなのしょうか。興味深いところですね。slashdotのコメントには、「高校で生徒にJavaゲームの作り方を教えている」という人の書きこみもありますね。

MoliceMolice 2004/05/20 11:43 いずれ当人に引き合わせますよ♪

miraimirai 2004/05/25 19:06 ゲームはプレイしてないんですがパッケージが面白いですね。素直に巧いのもありますね。The Adventures of Lex and Grimが個人的には好きです。カーネギーメロンは先日NHK特集に取り上げられていたロボット兵器コンテストにも登場していましたが、対照的で面白いですね。個人的にはこっちの授業が好きです(当たり前か?)。

hallyhally 2004/05/29 10:32 まあゲームとしてはとりたてて面白いという次元まで達していないと思うのですが、Quadzとかアイデアは悪くないです。そもそも最初のリアルタイムコンピュータゲームもアメリカの大學から生まれたわけですし、40年かけて戻るべきところに戻ってきた、なんていう気がしなくもないです。

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05.17.2004

[] Amigalandがアミーガ用ゲーム5本をオンライン公開

ドイツのAmigalandは、130本以上のアミーガ用市販ソフトを、著作権者の了解のもと公開しています。5月9日付けで、以下のタイトルが新たに追加されました:

前回に続いて、マイクロプローズのゲームがメインですね。例によってWinUAE用設定ファイルとともにダウンロードできます。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/hally/20040517

05.14.2004

[]「アタリショック」の嘘と誤解

ありがたいことに一部でご期待いただいているようですが、申し訳ありません、「アタリショック」考の発表までには、あと半年から一年はかかりそうです。というか、これについて実は一年近く綴り続けていて、現在すでに原稿用紙100枚を越える内容になっているのですが、その間にも次々と新しい資料に出くわす始末で、なかなか完成に漕ぎ着けることができずにいます。今回はそのダイジェスト版で、少しお茶を濁させていただきましょう。

身も蓋もない話をしてしまうと、日本語で読むことのできる「アタリショック」情報は、すべて不正確です。「アタリショック」について記した書籍論文は数あれど、まともな分析調査を経ているものは一冊も存在していません。悲しいかな、インターネットではそれらの粗悪な記述を寄せ集めたものが、常識としてまかり通っている始末です。

「アタリショック」について調べるということは、これまで積み重ねられてきた誤認と誤解を、ひとつずつ解体していく作業に他なりません。そもそも北米ヴィデオゲーム市場消失の責任を、アタリやVCSだけに押し付けるところからして間違いで、だからこそ欧米ではこの現象を総合的に「ヴィデオゲーム・クラッシュ」と呼んでいるわけです。そしてこのクラッシュの本質は「粗製濫造」とか「消費者離れ」といった一面的な見方で解説できるほど単純なものではありません。少なくとも、三つの異なる要素が複雑に絡み合った結果として起こった出来事だと理解しておく必要があります。その三つとは、以下のようなものです。

1) VCSカートリッジ適正価格の破綻

VCSサードパーティのいくつかは、市場参入後一年足らずで倒産あるいは撤退し、比較的新しいソフトを捨て値で撒き散らして去っていきました。この影響で各社とも新作ソフトの値下げを余儀なくされ、それがさらに倒産・撤退する企業を増加させるという悪循環を引き起こします。こうしてカートリッジ販売の利益は目減りしていき、最後には利益構造が完全に破綻してしまうわけですが、そんななかでカートリッジ販売本数はむしろ大幅に増加しています。じつは粗製濫造のさなかでも、消費者のゲーム離れは起きていなかったのです。ただもう誰も、新作カートリッジを適正価格で買う気を起こさなくなってしまっただけで。

2) 超廉価ホームコンピュータの出現

上記とちょうど同じころ、パソコン方面の熾烈な値下げ合戦がピークを迎え、ゲーム機より高性能なゲームパソコン (コモドール64やアタリ800XLなど) が、大差ない価格で手に入るようになります。このため単なるヴィデオゲーム機は一気に求心力を失っていき、両者のシェアはやがて逆転。ヴィデオゲーム市場は崩壊したのではなく、ホームコンピュータ市場へとシフトしていったというのが真相です。

3) 次世代機の不在

当時のヒットチャートには、コレコビジョンがVCSのシェアを大きく食い荒らしていた様子が如実に表れています。二年足らずの短いライフスパンのなか、コレコビジョンは全世界で600万台以上 (同じ時期のVCSと同程度) を売っていました。ヴィデオゲーム機没落の渦中とはいえ、VCSの次世代を担う存在として急成長していたわけです。ところがコレコはコンピュータ市場へのシフトに失敗してエレクトロニクスへの意欲を失い、コレコビジョンともども戦線を離脱。同じ頃アタリは、新型ゲーム機・7800を発売することで巻き返しを図ろうとしていたのですが、上記のホームコンピュータ低価格化のあおりで価格設定に折り合いがつかなくなり、発売したくてもできなくなってしまいます。残されたのは、もはや時代遅れのVCSだけ。市場が萎縮するのは当然です。

[] 「アタリショック」と「ヴィデオゲーム・クラッシュ」

アタリ周辺だけに責任を押しつけるような「アタリショック」史観が、いかに論理薄弱なものか、これでお分かりいただけたと思います。いま日本で信じられているような偏狭な見方は、はたしていつ頃、どのようにして生まれたのでしょうか。

鍵は「アタリショック」という言葉そのものにありそうです。近年になって知られるようになったことですが、これは日本以外では使われることのない用語だったのです。ではいったい、「アタリショック」を最初に言い出した人間はどこの誰なのでしょうか―――意外なことに、これがよく分かっていません (もとは経済用語だという説を稀に見かけますが、記載している経済用語辞典は見たことがありません)。いまのところはっきりしているのは、1989年頃以前に「アタリショック」という言葉が用いられた痕跡は見当たらない、ということだけです。

それ以前―――つまりファミコン全盛期前後―――の文献を当たると、「アタリ社の失敗」という表記によくぶつかるはずです。スコット・コーエン氏の著書 (の邦題) に倣ってのことでしょう。しかしもともとこれは、いわゆる「アタリショック」と同義ではありませんでした。当初この言葉のもとで語られるのは、北米ビデオゲーム市場消失の全体像ではなく、アタリといういち企業の失敗談に過ぎなかったのです。ここが重要なところなのですが、「アタリショック」という言葉が登場する頃以前には、そもそも「ファミコンが上陸するまで、北米市場全体が壊滅状態にあった」という歴史認識そのものが定着していなかったのです。そして「アタリショック」が説明するのは、ほとんどの場合そういう新しい歴史観でした。ビデオゲーム市場崩壊の全責任がアタリにあるかのような論調は、この歴史観のもとで育っていくわけです。これは何を意味するのでしょうか?

「アタリショック」という言葉の誕生と同じ頃に、何者かがヴィデオゲーム市場の過去を、歴史観が覆るほど綿密に洗い直したことは確かでしょう。それがアタリ叩きを目的としたものだったのか、それとも結果的にそうなったのか、判断は難しいところです。ただこの時期には、アタリと敵対し、その過去を糾弾しようとしていた企業が、確かに存在していました。そう、任天堂です。

アタリと任天堂は、いわゆる「ロックアウトチップ訴訟」を皮切りに、まさにこの年、全面的な法廷戦争へと突入していました。このころアタリの経営母体は、業務用ヴィデオゲームを柱とするアタリゲームズ社の系統と、家庭用ゲーム機/コンピュータが中心のアタリコーポレイション社の系統に、大きく二分されていました。戦端を切ったのはアタリゲームズ側でしたが、アタリコーポレイション側もすぐこれに呼応、任天堂の独占禁止法違反を問う裁判を起こしました。これが1989年4月のことです。

このときのアタリ側の主張はというと「任天堂がファミコン用ゲームを二年間他機種に移植させない契約をサードパーティに押し付けたため、アタリのゲーム機 (7800/LYNX) にはゲームソフトが回ってこない」というものだったわけですが、これに対して米任天堂のハワード・リンカーン副社長 (当時) は、以下のような決意を表明しているのです。

 ハワード・リンカーンは、これについてプレスに対し、アタリコーポレーションの告訴は同社に何の実利ももたらさない、あれは同社の市場競争力の弱さを言いつくろうための口実に過ぎないとし、法廷で決着をつけたいと言明した。「われわれの抗弁はきわめて単純だ」と彼は言った。「サム・トラミールは証言台に立って、こういわざるをえない。同社は一九八五年の時点で家庭用ビデオゲームの市場を一〇〇パーセント握っていた。アタリは家庭用ビデオゲームの代名詞で、任天堂のことなど誰も聞いたことがないという状況だった、とね。そこでわれわれは、彼が己の無能、愚昧、経営ミスによって自社の基盤を掘り崩し、蹴散らして無に至らしめた経緯を明らかにしていく。彼がいかに自社を弱体化し、一〇〇パーセントの市場占有率をゼロにしていったかを事実をもって証明してみせる。これは必ず成功するよ」

「ゲーム・オーバー」(デヴィッド・シェフ著, 篠原慎訳, 角川書店, 1993, P260)

リンカーン氏はこの言葉通りに、アタリの業績を徹底的に調査させたのでしょう。その後、いままで正確な状況が分かっていなかった1980年代前半のヴィデオゲーム市場の様子は、米任天堂が作成した資料により、克明に数値化されることになります。そしてそこには、アタリの失墜と軌を一にして、ヴィデオゲーム業界そのものが消滅していく様子が、浮き彫りにされていました。

(日経BP社「任天堂アメリカ, ソフト管理と消費者情報の収集で40億ドルの市場築く」『日経エレクトロニクス』1990年9月3日号P149のグラフを元に作成。資料提供は任天堂アメリカ)

これでアタリの言い分は説得力を失い、1992年、裁判はついに棄却されるわけです。おそらくこの資料がきっかけとなって「北米ヴィデオゲーム市場は壊滅状態にあった」という事実が白日のもとに曝け出され、それが今日の「アタリショック」観を導き出す材料になっていったものと思われます。

アタリと任天堂の裁判は、アメリカでもやはり、初期ヴィデオゲーム市場を再考する動きに火をつけたようです。そして1990年代初頭あたりから、日本人が「アタリショック」と呼ぶようになった事象が、向こうでは「グレート・ヴィデオゲーム・クラッシュ」として取り沙汰されるようになります。これもやはり「市場の崩壊」という認識を反映した表現であることに注意したいところです。それ以前は「ヴィデオゲーム・シェイクアウト」(不況) と言うことはあっても「クラッシュ」(崩壊) と言うことはなかったのです。

「クラッシュ」という歴史上の発見は、ある意味でヴィデオゲーム史研究の幕開けを告げるものでもありました。欧米ではこれ以降、歴史を再考する機運が高まり、無数の優れた史家たちが登場して往時の検証を重ねています。1996年頃になるとrec.games.video.classicでは、任天堂がいうような「ヴィデオゲームクラッシュ」観がいかに誤謬に満ちたものであったかを指摘するような声も目立つようになります (その最高潮ともいえるのが、この「ヴィデオゲーム市場は消滅していなかった」論争。私がかつて読んだどの「アタリショック」論よりも真摯で濃厚な意見交換が行われています)。

日本のその後は、これとは対照的です。なにしろ日本には「アタリショック」を実体験した人がほとんどいないので、その語義も内容もほとんど批判を浴びないまま、今日まで来てしまいました (Y-GTOさんが記した「"アタリショック"の真実」は、唯一の例外でしょう)。おかげで「第二のアタリショックが云々」という意味のない議論が現在でもあちこちで巻き起こり、関係ないジャンルにまで余計な悪影響を及ぼしている有様です。「アタリショック」から二十年。そろそろこの誤解から脱却してもいい頃なのではないでしょうか。

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baddybaddy 2004/05/14 22:27 興味深く拝見しました。「アタリショック」という単語をギャグのように使ってしまう当方では到底及ばない考察と構成に感服しました。書き上げられた際には、書籍として発表しても価値のあるものになるのではないかと思っております。

pantadecanpantadecan 2004/05/15 14:12 ご編纂を大変期待しております。特に実証について期待しております。私は日本的認識アタリショックを説明しているwebを公開していますが、すでに修正する心の準備もできております。アタリに偏見などはないですね。知りたい、伝えたいのは真実だけですから。それと、経済用語であると書いていたのは「ゲームの大學」あたりだったと思います。

pantadecan pantadecan 2004/05/15 14:30 ご編纂を待つ間ひとつだけ。(その最高潮ともいえるのがこの議論)で激しく議論されている・・・ということですが、本場ですら認識のずれがあるということでしょうか?GoldenAgeを体験しClassicGameSiteを運営する人々なら、皆、日本的アタリショック認識が間違いだと言うのか、それとも、そういう層の中にもやはり日本的アタリショック認識を持つ人がいるのか。少し気になりました。

hallyhally 2004/05/15 19:01 baddyさん: あまり文字数が多くなるようなら自費出版も考えるつもりですが、さて書籍としてはどうでしょうか。「アタリショック」を語る人は多いですが、VCSのゲームそのものに興味を持っている人は、そのなかのほんの一握りです。これを掘り下げたところで、読み物として満足してもらえるとは一寸思えないのです。悲しいかな。

hallyhally 2004/05/15 19:56 pantadecanさん: うーん、手元にある「ゲームの大學」のコピー(P54,55)に、そういう記載は見当たりませんでした。他の頁でしょうかね。それから欧米のゴールデンエイジというかプレ・クラッシュ世代は、任天堂式の論法を鵜呑みにしていないという点では一致しています。しかし「じゃあクラッシュの真の原因は何だったのか」ということになると、なかなかすっきりした説明が見つからないので、議論になってしまうわけです。その後私の挙げたような三要素が浮き彫りになっていったわけですが、まだそのすべてを統括したクラッシュ論というのは出ていないようなので、見解は人によってばらつきがありますね。

BKCBKC 2004/05/16 18:03 本、ぜひ、工学社あたりで出してください。しかし、この手の議論は難しいような気がしますね、複数の要因が重なった結果、起ってしまったことでしょうし。致命的な原因を探るにしても、航空機事故などと違って、原因究明につながる記録も少ないでしょうし、物理的計算で出るものでもないですから。

hallyhally 2004/05/16 18:55 BKCさん: ははは。題材としちゃ、たしかに工学社向けですかね。私も、これまでの「アタリショック」観のような単刀直入な結論は、いくら議論してももう出せないと思っています。そもそも歴史学というのは、だれかが因果関係を見つけ出して、誰かがそれを崩して…の繰り返しです。当時の視点に立ち、できる限り資料を掘り起こしていく。結局のところ、できるのはそれだけですね。

yudayuda 2004/05/19 04:56 「アタリショック」が最初に使われたのはNHKの番組だと思っていたんですが違うんでしょうか?

hallyhally 2004/05/19 14:17 おっしゃっているのは、1997年の「新電子立国」でしょうか? もしもっと早い例があれば、ぜひご教授おねがいします。私が知る限り最古の使用例は、グラフ引用元の「日経エレクトロニクス」誌です。ただしこれも何かからの引用でした。

taraxtarax 2004/05/23 12:23 興味深く拝見させていただきました。1996年放送の「新電子立国」にて「アタリショック」は使われておりました。これを書籍化したものが手元にありますが、1997年1月発行の「新電子立国(4)」第7章にて「アタリショック」の解説があります。その中では1982年のクリスマスに異変が生じたと記述されておりABC放送のニュースにて「ビデオゲームの値段の低下、年間販売額の減少」が報道されたそうです。その後「アタリ社の経営主体であったタイムワーナー社の株価が急下落した」ことをアタリショックに関する報道として挙げられております。

hallyhally 2004/05/23 18:38 書籍版「新電子立国(4)」はこちらの手元にもあるのですが、この本も残念ながらアタリに関して多くの間違いを記しています。ワーナーの株価暴落とヴィデオゲーム市場の崩壊が一度にやってきたような誤解を植え付けてしまったのは、多分この本なのでしょうね。アタリショックという言葉については「世に言うアタリショック」という用いかたをしているので、この本が発祥でないことは確かです。

taraxtarax 2004/05/23 21:27 小売価格の下落による総販売額の低下より市場崩壊という印象を受けますが、販売本数でみるとどうなるのか気になります。アタリ2600が2500万台、NESが3500万台売れたということから考えても、1983年以降のアタリ2600の販売台数をみれば、市場崩壊とは言えないでしょう。1985年10月にNESが発売されアタリの不良在庫を抱えた市場には売るのは大変だったでしょうが、その後NES販売状況からみてもユーザ側のゲームへのニーズは無くなったとは言い難いでしょう。1990年のNE誌に「アタリショック」の記述があるのであれば起源を探るには、その時期の雑誌を詳細に調査しなければなりませんね。

gestongeston 2004/05/23 22:42 アタリショック、経済だとアタリが製造を急激に発展途上国に移動させた為にシリコンバレーの一角で失業率が大急増したときの事を言うみたいです。

pp 2004/05/24 02:42 …詳しくもないのに妙な発言をして申し訳ないが、原因というか発端の部分に、今現在某ソフトウェアによって引き起こされている著作権云々の話と近い物を感じるような。

pp 2004/05/24 02:46 原因,発端

pp 2004/05/24 02:53 原因、発端というより「某ソフトによって引き起こされうる今後の展開」かも。(汚してしまい申し訳ない…。)

hallyhally 2004/05/24 07:27 taraxさん: 市場全体の販売本数は1982:6000万本, 1983:7500万本, 1984年は最初の四半期だけで2000万本というデータがあります。実は1985年にもVCSはまだ100万台売れていたそうで、それなら1986年のNESの販売台数と大差ないことになります。市場崩壊というのは、やはりどこまでも利益率の話なのですね。雑誌の調査は続行中なのですが、こればかりは私一人ではなかなか進みません。まだ当時のゲーム雑誌をあたってないので、そっちに鍵がありそうな気もしています。

hallyhally 2004/05/24 07:30 gestonさん: それは初耳です。なるほど、そういう解釈もあるのですか。何でご覧になったのか、ぜひ教えてください。

hallyhally 2004/05/24 07:38 pさん: うーん、某ソフトというのはWで始まるあれのことですね。ビジネスモデル破綻の兆候に気付かなければ、似たようなことはどんな市場でも起きると思います。

mmasmmas 2004/05/24 13:57 アタリショックなる言葉を初めて見たのはファミコン通信あたりだった様な記憶があります、発言者は任天堂の人でした。

hallyhally 2004/05/24 23:35 ファミコン通信ですか。なるほど、原点である可能性はありそうですね。バックナンバーを見かけ次第優先的に調査してみたいと思います。

mmasmmas 2004/05/25 01:45 アレ週間ですよ、膨大な量になるので調べるのは大変ですが頑張ってください。あと追加ですがファミコン通信の前誌ログインでも似たような発言が有ったと記憶しておりますがなにぶん16年も前の事なので記憶があやふやです

mmas@坪井政樹mmas@坪井政樹 2004/05/25 01:51 おそらく1992年〜93頃の記事に任天堂の社員が発言していたと記憶する。
任天堂「当時のアメリカではテレビゲーム市場は完全に崩壊しており我々任天堂が北米に家庭用ゲーム機を持ち込んだときどの小売り店も扱ってくれる所は一件も無かった、当時のアメリカではアタリショックが蔓延しており家庭用ゲーム機を販売可能なチャンネルは存在しなかった。そこで我々任天堂はファミコンをゲーム機として販売するのを最初は諦めた。」そこで我々はテレビゲーム機として売るのでは無くロボットをこしらえてそれを動かすコントロールコンピュータとして販売を開始したのである。そうでもしないとアメリカではテレビゲームを売ってくれるおもちゃ屋など存在しなかった、それほどアタリショックの影響は大きかったのである」
えーこれは12年前の記憶を元に書いているので正確さは保証しないし(^ ^;;実の所アタリショックなる単語が使われていたかも怪しい(^ ^;;
だが北米で家庭用ゲーム市場が崩壊していたと言ったことは間違いないし販売に苦労したと書いて有ったことは間違いないです。
そしてこの後ロボット用コンピュータを口実に徐々にゲーム市場が有効であることをアメリカ人に任天堂が啓蒙していった、そしてゲームの発売をコントロールする事がマーケットを維持するためには絶対に必要なのだと締め括っていました。

hallyhally 2004/05/25 02:08 おお、これは詳細にありがとうございます。デヴィッド・シェフ氏の『ゲーム・オーバー』にかなり近い内容の記述だったようですね。1992-1993というと、時期的にもこの本が出版されたころです。どちらかがもう片方を参考にしたのかもしれませんね。

akitoakito 2004/05/25 13:04 ボクはたしかNHKのドキュメンタリーで「アタリショック」という語句を覚えたように思います。波及効果はこっちの方が大きかったんじゃないですかね。

hallyhally 2004/05/26 01:03 そうですね。「アタリショック」という言葉を耳にする機会が増えたのは、「新電子立国」放送の頃からだったように私も記憶しています。

palpal 2005/01/28 22:28 楽しく読ませていただきました。ちなみに、アタリショックと言う言葉につきましては海外でも使用されています。
ディスカバリーチャンネルなどで、ゲーム関連の回を海外で放送されたのを昔見たことがあります。
もしかしたら、日本のNHKやスカパーなどでも再放送してるかもしれませんね。
あと、アタリに関してはワーナーの買収がかなり影響していると思われます。

hallyhally 2005/04/29 19:33 興味深いご指摘ありがとうございます。それはいつ頃のお話でしょうか? 少なくとも文字メディアで「アタリショック」という言葉が使われるケースは皆無に等しいので、その番組が何を資料に、どういう方向性で作られていたのか気になります。
それから、ワーナー買収の影響というのは、具体的にどのあたりについてでしょうか?

passingpassing 2005/11/01 03:55 この話題続いてるのかな。とりあえず、私の知るワーナー関係のお話です。ちなみにpal氏とは別人ですので。
 ワーナー買収の影響で大きいと思われる部分は、ワーナーから派遣された経営最高責任者レイモンド・ケイサーの失言によるアタリのゲーム開発者たちの集団退職と、それによるアタリブランドのゲーム品質の低下、および宣伝戦略による駄作の大量販売にあると思われます。
 ゲームの良し悪しなんてどうでもいい(むしろ良し悪しが判らない)からとにかく宣伝を打って客に買わせよう、というのがワーナーの取った行動だったようです。

hallyhally 2005/11/01 06:14 続いております^^; 現在総まとめを執筆中です。
ご指摘の件はVCSのヒット前の出来事とヒット後の出来事に分かれるわけですが、カサール (ケイサー) の着任から品質の低下までがヒット前の出来事ですね。で、VCSがヒットする頃にはアタリのゲーム品質は持ち直していました。つまりこれは連続する事象ではないのです。そういうわけで、市場崩壊の原因をワーナーによる買収そのものに求めるのは、ちょっと無理があるのです。

karikari 2006/11/27 18:37 これを読まなければついネオ・アタリショックという単語を使ってしまうところでした。

レレレの通りすがりレレレの通りすがり 2007/04/13 13:45 >なにしろ日本には「アタリショック」を実体験した人がほとんどいないので、

日本だって似たような事例があるじゃないですか・・・。「ドリームキャスト・ショック(仮)」と呼べばいいのでしょうか?

※玩具店で働いたことがあるので言えるのですが、一夜にしてまったく売れなくなる商品は多いですよ。コアなファンがいるから辛うじて売れているだけで・・・。売れなくなったときは商売を通り越して、ただ単に産業廃棄物処理をしているだけですから。(苦笑)

araara 2007/04/13 17:10 ちょっとこの記事は恣意的なウソがおおくていただけませんね。
アタリショックという場合は当然家庭用ゲーム機市場のことを指すのに、意図的にホームコンピュータ市場のことを持ち出してかたっている。
他社のことを『嘘』と糾弾するならこういう誤魔化しはすべきではありません

hallyhally 2007/04/19 01:09 レレレの通りすがりさん: ひとつの商品がではなく、ゲーム市場全体が壊滅的な打撃を受けていなければ、比較対象にはならないと思います。
araさん: 文中で示した「ヴィデオゲーム市場は消滅していなかった」論争はお読みになりましたか?これを読んでなおホームコンピュータの低価格化がヴィデオゲーム市場に打撃を与えなかったと主張なさるのでしたら、その論拠をお聞かせください。

hallyhally 2007/04/19 01:16 私もまた「アタリショック」を実体験した人間ではないので、嘘を書いていないとは言い切れません。もし明らかな間違いにお気づきでしたら、具体的にその箇所をご指摘ください。

qqqqqq 2007/06/16 15:08 文中の「ヴィデオゲーム・クラッシュ」ってアーケード用も含まれてるの?
日本で言うアタリショックはコンシューマ市場限定ですよ。

05.07.2004

[] ロンドン 8-bit/16-bit リポート (2)

第一回に続いて、再びトテナムコートロード通りを基点にご紹介していきましょう。今度はその南端から西に続く、オックスフォード通りに向かいます。ここは日本人観光客もかなり目立つ、ロンドンでもっとも賑やかな通りのひとつです。

[] JAKKS TV-GAMES はどこに?

この雑記でも頻繁に紹介している、Jakks PacificTV Gamesシリーズですが、さてイギリスでの取り沙汰ぶりはいかに…と思って探してみたところ、これが意外にもほとんど店頭に置かれていないのです。少なくともゲーム専門店ではまず扱っていませんし、わりと大きめの玩具屋でもなかなか置いていません。どうもゲームマニアや子供たちに需要があるわけではなさそうです。

がしかし、あるところには大量にありました。なるほど、結局この種のゲーム機は、DigiQフライングソーサーのような「大人受けするハイテク玩具」という位置付けに落ち着いているのですね。オックスフォード通りには、そういう方面にとくに力を入れている「ガジェットショップ」支店があり、TV Gamesシリーズのみならず、インテリヴィジョン・ダイレクト・トゥ・TVまで実演販売しています。あああ、インテリヴィジョンのはずなのに、見覚えのある配色、聞き覚えのある効果音…噂どおり、これは明らかにワンチップファミコンの所作です。プラグ・アンド・プレイも悪くないですが、どうせなら新作ファミコンカートリッジとして出して欲しいところですよ…なんてことを考えながらプレイしつつ、ふと横を見ると、こちらにも見慣れないファミコンの画面が。おや、これは。

[] ついに発見、Dance Mat 3

「ガジェットショップ」は一連の商品だけでは飽き足らず、なんと自社ブランドでもプラグ・アンド・プレイ方式のゲーム機を製造しています。それがこの「ダンスマット3」です。画面を見てあっと驚きました。

これはまぎれもなく、ワンチップファミコン版「ダンスダンスレヴォリューション」こと跳舞毯ではないですか。まさかイギリスに上陸しているとは思ってもみませんでした。もちろん収録曲はイギリス人向けに調整されていて、ラインナップは以下のようになっています。

  • Destiny's Child "Independent Woman (Part 1)"
  • Kulay "Burn"
  • Toto "Africa"
  • Coco Lee "Didadi"
  • Coast 2 Coast "Suavemente"
  • El Sapo "La Bomba"
  • A-ha "Take On Me"
  • Marc Anthony "I need to know"
  • Erasure "Reach Out"
  • Yazoo "Only You"

有名曲が無節操に放り込まれているような印象がありますが、実はどのアーティストにもソニーが絡んでいるという共通点があります。なんとこれ、ソニーから正式にライセンスが供与されている商品なのですよ。

しかしそこまで権利をクリアしておきながら、よせばいいのに余計なものを付け足してしまって、結局胡散臭く仕上がってしまっているのは、どうしたものでしょうね。製品名が「ダンスマット3」となっているのを不思議に思われたかたもいると思いますが、別に過去「1」や「2」があったわけではないのです。これは単に三本ゲームが入っているという意味で、その残り二本というのが、これこれ。あらら、しかも後者は権利問題で闇に消えたテンゲン版ですよ。まあさすがに両者とも、クレジットは消されていますけどね。

それにしても、反射神経を要求するこの種のゲームを足でプレイするのは、「ファミリートレーナー」よりもよっぽど大変でした。というか、後者のほうは、足で操作していたのでは回転と移動を同時に行うのがほとんど不可能です。パニックに陥ります。

さて肝心の音楽ですが、特別手の込んだ作りではありません。どこにでもあるストレートなファミコンサウンドです。まあ少なくとも、いまどきのファミコン音楽を知る人には明らかに物足りないものでしょう。そして、基本的に原曲に迫ろうという意気込みは感じられません。「インディペンデント・ウーマン」あたりなら、サビを聴けばああこの曲かと分かるのですが、「Didadi」などになると譜割の感触から根本的に違っていて、じっくり聴いてもなかなか識別できなかったりします。まあそんなものでも、チップチューンが好きな人なら笑って許せると思いますが…。じつはこれ、一見するとレトロフリーク向けには見えない包装になっていて、困ったことにウェブページにも音質についての言及が一切ありません。別段ファミコンの音になんて興味のない人が、何も知らずに購入してしまったら、さぞかし唖然とすることでしょう。そんなわけで、Amazonなどでは惨々に酷評され、昨年秋の発売当初は約8000円の値が付けられていたはずが、今では3000円以下で叩き売られている始末です。


起動画面 

足跡の数で難易度調整。でも機能していない?

堂々のコピーライト表示
 

中央の黒い塊で覆われているのがワンチップファミコン
 

麟閣頁さんが紹介なさっている本場中国の「動感2000」 (こちらは本当にファミコン用) とは、画面も選曲もかなり異なります。ワンチップファミコン版跳舞毯にも、いろいろと種類があったのでしょうね。

なお「ガジェットショップ」ホームページには掲載されていませんが、現在は二人同時プレイ可能な新バージョンの「ダンスマット3」も発売中です。こちらは5000円ほどだったでしょうか。音楽のラインナップも若干異なるように見えました。それから問題の「ピンボールゲーム」と「ブロックゲーム」は姿を消し、新たにモグラ叩きゲーム (今度は「ぽっくんモグラー」だったかもしれませんが、画面を失念) が収録されています。

[] 玩具市場の8-bit/16-bit

「ガジェットショップ」を超えてさらに西へ歩くと、地下鉄のオックスフォード・ストリート駅に辿り着きます。オックスフォード通りはここで、高級ショッピング街として知られるリージェント通りと交差しているのですが、これを南に折れてしばらく行けば、世界最大の玩具デパート「ハムリーズ」が見えてきます。六階建ての広大なスペースには、当地の玩具とならんで「トミカ」や「遊戯王」カードゲームをはじめとする日本製品も豊富にそろっています。ああ、「ポケットモンスター」ブームはさすがにもう沈静化していました。関連グッズもほとんど見かけません。

キャラクターグッズが主役の日本と比べると、イギリスの玩具店では知的好奇心育成型の商品のほうが目立っています。エレクトロニクスを応用したものとしては、英国版電子ブロックことロジブロックが有名ですね。現在では類似商品もいろいろ出回ってますが、そのなかでも注目したいのは、イギリスの本気ぶりを端的に表しているケンブリッジ大学シリーズ (トイブローカーズ社) です。とくに、本物の電子部品を使ってサウンドエフェクトやレコーディングの仕組みを理解させるデジタルレコーディングスタジオなどは、もはや玩具の域を超越しています。

しかしなんといっても、8-bit/16-bitフリークの目を惹くのは、コンピュータ/ヴィデオゲームの技術を応用した学習機器たちでしょう。この方面は日本だと、セガトイズ・PICOの独壇場ですが、イギリスにその姿はなく、かわってVTechグループとリープフロッグ社が、二大勢力としてしのぎを削っています。VTechは香港を拠点とするコンシューマエレクトロニクスの老舗で、欧米ではコードレスフォンや家電製品でも有名です。この種のコンピュータを利用した学習玩具の開発には、実は1980年代初頭から取り組んでおり、ファミコン誕生前夜には家庭用ヴィデオゲーム機・クリエイトビジョンを送り出していたことでも知られています。もっともこれは、日本ではチェリコの製品として名が通っているため、VTechの存在は今日にいたるまで知られることなく終わっています。かくいう私も「ハムリーズ」でその製品に触れるまで、恥ずかしながらいまだ現役のメーカだったとは知りませんでした。調べてみると、日本でも三年ほど前に、子供向けPDAで少し話題になったことがあるのですね。

VTechの展開しているArtificial Intelligenceシリーズは、一般的なデスクトップ/ノートPCを強く意識した学習コンピュータです。表示部こそモノクロ液晶ですが、最上位機種のSlim PadDesktop Powerともなるとなかなかの本格派で、アプリケーションはカートリッジやCD-ROMで供給できるようになっており、各科目の教育ソフトほか、アクションゲームやクイズゲームなど、最大120種類のソフトを扱うことができます。ここまでやるならいっそBASICも載せて、本物の8-bitパソコンに仕立てたくなるような代物ですね (いえ、実際に8-bitかどうか確認はしていないのですが、まあそういう感触でした)。

1980年代初頭の欧米ヴィデオゲーム産業は、安価なゲームパソコンの台頭を牽制するべく、コンピュータとしての存在感をアピールしようとしたものですが、クリエイトビジョンも含めてどれも太刀打ちできずに終わりました。それから二十年近い歳月が流れ、子供向けパソコンという市場が空白に戻ってから、VTechは再びこの商品カテゴリに舞い戻り、見事トップブランドの地位を獲得したわけですね。ちなみにArtificial Intelligenceシリーズの開発を推進する米VTechインダストリーズを統括するのは、エミール・ハイドケンプ氏。元コナミ・インク副社長です。

かたやもう一方の雄・リープフロッグの最高責任者は、メガドライブ/ジェネシス最盛期にセガ・オブ・アメリカのCEOを務めたトーマス・カリンスキ氏。リープフロッグはカリフォルニアを拠点とする知育玩具専門企業で、VTechとは対照的に、創業十年に満たない若い会社です。しかしアタリゲームズの出身者を擁するエクスプローラ・テクノロジーズ社を吸収合併するなどして、技術的には申し分のない蓄積を誇っています。日本ではセガトイズと連携し、その主力商品であるココパッドを展開しているので、名前くらいはご存知のかたも多いのではないでしょうか。

子供向けPDA・iQuestをはじめ、携帯性を重視した製品が多いのもリープフロッグの特色でしょう。この方面には、Phusion (VTech) やW.A.V.E. Linkシリーズ (Kessel)といった香港勢や、日本でも知られているCybikoシリーズ (これもVTechの傍流) など、競合勢力がひしめき合っており、リープフロッグも苦戦を強いられています。しかし昨年11月に発売したハンドヘルド版PICOともいうべきLeapsterで、再び大きな注目を集めることに成功しました。見ての通り初代ゲームボーイアドバンスを思わせるハードウェア (実は液晶が暗いところまで似ている) なのですが、リープフロッグの集大成ともいうべき製品として、さまざまな期待が寄せられています。

ただし全体的に見ると、こういった種類の学習玩具の人気は最盛期を過ぎ、現在は頭打ちの状態にあるようです。VTechは2001年から緩やかな減益傾向にありますし、いっぽうリープフロッグも、昨年は過去最高の売り上げを達成していながら、今年に入って一転、最悪の赤字と株価を記録。旧製品の価格切り下げを余儀なくされています。

…と、あれれ。ロンドンレポートのはずが、今回はなにやら海外ハイテク玩具事情のような内容になってしまいました。全二回と告知しておいてなんですが、このまま続けるとちょっと長くなりすぎるので、予定を変更してもう一回お届したいと思います。

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05.01.2004

[] 平沢進インタビュー (Ikir Sector)

最近あまりアミーガ使いとしての話題を聞かない平沢進氏ですが、今回はイタリアのアミーガ系サイトからのインタビューということで、久々にその方面がメインの内容です。

現在はA4000三台、A1200一台、A600二台という構成で、この当時よりもA4000が増加していますが、全台不安定とのこと。マシントラブルに時間を取られすぎるので、何度もPCに乗り換えようと考えたそうで、実際昨年のショウでもPC版のSCALAを使おうとしたものの、アミーガだけでできることがまだまだあると気付かされ、結局そっちでやったというようなお話も出ています。なお、AmigaONEやMorphOSなどの次世代アミーガ移行については、「Barsn PipesとSCALAが動くかどうかが最重要」と述べています。いずれにせよ、今後もアミーガをサポートしていきたいという意向が如実に示されていました。

from amiga.org

[] AmigaOS 4.0/AmigaOne vs MorphOS/Pegasos どちらが速い?

ついでに、最近見かけたベンチマーク比較です。基礎能力では、どっちが特別抜きん出ているともいえない感じでしょうか。微妙ですね。

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