Floppy ROMの時代

全編チップチューンのレコードをいち早くリリースしていたアーティストとして一部で有名な8-Bit Construction Set。アナログ盤にはアタリ800用のソフトがオーディオデータとして収録されていたりするのですが、それがなぜか今頃slashdotで話題になっています。タレコミには「ヴィニルでのソフト配布は世界初の試み」なんてことが書いてありますが、フロッピーROMという言葉をご存知の世代なら、そんなことはないということをご存知でしょう。まだフロッピーディスクやCD-ROMが普及する以前、ごく短期間ではありますが、アナログレコードによるソフト配布が試みられていた時代があったのです。

レコードにサウンド以外の情報を持たせる最初の試みは、Slashdotのコメントでも指摘されていますが、イギリスのジョン・ベアードが行いました。ベアードは実用的なテレビ放送の技術を確立したことで知られるイギリスの科学者で、1928年は78回転のアナログレコードに30ラインの映像情報を収めたフォノディスクと呼ばれるシステムを開発していました。実用化にこそ結び付きませんでしたが、これは今日のビデオの起源といえる存在です。

コンピュータの世界にアナログレコードを持ち込んだのは、『インターフェイス・エイジ』誌が最初でした。1975年にオーディオカセットテープを使ったプログラム保存の手段 (いわゆるカンザスシティ・スタンダード) が『BYTE』誌で発表されて以来、オーディオ入出力はパーソナルコンピュータに必須の機能になろうとしていました。『インターフェイス・エイジ』誌はそこに目をつけ、雑誌付録によく用いられるソノシートにソフトを収録するというアイデアを考えついたわけです。そしてこれを、フロッピーROMと呼んで提供しました。

1977年5月号で登場した第一弾には、6800用の4K BASICが収録されました。日本でもすぐに『I/O』や『ASCII』といったパソコン誌がこの動きに呼応しており、『ASCII』誌は『インターフェイス・エイジ』誌と提携して、まったく同じものを提供していました。

企画はそれなりに好評で、『インターフェイス・エイジ』誌は1978年まで何度かフロッピーROMを付録につけています。しかしそれ以降このやりかたは急速に廃れていきました。原因はアップルIIやTRS-80といった完成型パソコンの普及にあります。プログラムも録音フォーマットも機種ごとに異なる以上、ひとつのプログラムを読者全員に、わざわざプレスしてまで提供する意味は薄れてしまったというわけです。

しかし何十万人ものユーザーを抱えている人気機種であれば、フロッピーROMの方法論はまだ有効でした。フロッピーディスクの普及が遅れているイギリスでは特にそうです。この国ではZX81やZXスペクトラムを対象に、いくつものフロッピーROMが雑誌付録として登場しています。また音楽レコードのボーナストラックとしてスペクトラムのゲームなどが収録されるケースも多々ありました。これについてはkempa.comの記事が特に詳しいのですが、有名どころではピート・シェリーやトンプソン・ツインズなんかがやってますね。日本でもこういう試みはいくつかあったように思いますが、「マジカル・コンピュータ・ミュージック」とかアナログで出てましたっけ?

横浜戸塚BBS

ところで "floppy rom" でgoogle検索していたら、1985年から1987年まで運営されていた「横浜戸塚BBS」という草の根通信BBSのアーカイブに出くわしました。これといって面白い記事があるわけでもないのですが、日本におけるパソコン通信黎明期の姿をそのまま伝える貴重な史料ということで、ちょっとご紹介しておきます (1980年代のBBSアーカイブとしてはぺけろく教のログが有名ですね。ご存知ないかたはこちらも併せてどうぞ)。