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Classic 8-bit/16-bit Topics

Classic 8-bit/16-bit Topicsでは、海外での出来事を中心に、旧世代のコンピュータ/ゲーム機に関する雑多な話題を書き散らしています。ただしゲームミュージックやチップチューンなどに関してはVORCで専門に扱っていますので、ご興味がおありのかたはそちらもどうぞ。

2014/05/29 長年放置しておりまして、申し訳ございません。ここやVORCで書いていたような研究は現在、主に各種『ゲームサイド』誌に書き綴っております。よろしければご覧くださいませ。またそのほか最近の動向に関してはtwitter:@hallyvorcにてお知らせしております。いずれ更新を再開したいとは思っております。



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07.28.2005

[] 航天機構の東欧コンピュータ史

お知らせするのが遅れましたが、水城徹氏の東欧コンピュータ史シリーズ、ハンガリー編をもって一応ひと区切りとのことです。個人的にはブルガリア編などを所望したいところですが、またの楽しみにさせていただくとして、まずはなによりお疲れさまでした。以下パソコン方面について余計なコメントなど加えつつ、それぞれの記事をご紹介させていただきます。

[] ポーランドのコンピュータ開発史

ポーランドの8-bit時代はおおまかにシンクレア時代、アタリ時代、コモドール時代に区別できます。文中のElwro-800 Jrに加えて、タイメックスの公式スペクトラム互換機が存在していたこともあり、当初はスペクトラム系機種に需要が集まっていました。

しかしやがてアタリが充実したサポート体制でPEWEX網に根を張り始めると、シェアが大きく変動します。アタリは1986年だけで10万台の65/130XEを売り、一時は市場の90%を占めるなど、スペクトラム陣営を圧倒する戦果を挙げました。ポーランドのパソコンソフト産業は、実質的にこの当時のアタリ市場を土台に育ったといわれており、シーンは現在でも多くの愛好者を抱えています (ポーランドはいま実質的にアタリXL/XEシーンの中心地となっている)。

しかし1990年代に入って自由化が本格化すると、北西欧デモシーンの台頭に引っ張られる形でコモドール64の浸透が加速。ソフトウェア市場の軸もこのころからコモドール64へと移っていきました。こちらのシーンも今日なお活気があります。

ポーランドはジャック・トラミエル氏を輩出した国ということで、アタリやコモドールに特別な愛着を抱いている人が少なくないようですね。アタリSTの愛好者も、他の東欧諸国より多いようです。

[] 東ドイツのコンピュータ開発史

東独はヴィデオゲームを国家レベルで推奨していた珍しい国で、早いところでは1980年に「ポン」型ゲームがユースセンターに設置されたりしていました。

社会主義経済でありながらコインオペレイテッドなアーケードゲームさえ生み出しています――といっても「ポリプレイ」 (1985) が最初で最後のものですが。これはアクションゲーム8本をセットにした筐体で、東独の解体とともにほとんどがうち捨てられ、現存する実機はわずか数台しか確認されていないという代物。著作権者も東独国家とともに消滅しており、現在MAMEで動作するROMがフリー公開されています。

ゲーム内容はいずれも1970年代レベルの素朴なものでしたが、それでも若者たちは熱中したそうです。やがてこの様子を知った国家当局は、コンピュータゲームをスポーツとして公式に認知するという、驚くべき政策を掲げました。この背景には西独への対抗意識が働いていたと考えられています。西独ではこの前年、アーケードが少年犯罪の温床になっているとして、子供が公にヴィデオゲームに接することを禁止する法律が成立していました。しかし東独はその真逆を行ったわけです。

この政策はコンピュータ開発にも影響を与えました。文中に登場するKC85にわざわざジョイスティックポートが用意されていたりするのも、おそらくそのためです。ちなみにKCシリーズの末弟にあたるKC Compactは、珍しいアムストラッドCPCクローン。ベルリンの壁崩壊の1989年にリリースされたため、あまり数は出回りませんでしたが、他の東欧諸国にはないアプローチとして注目に値します。

[] チェコスロバキアのコンピュータ開発史

チェコスロバキアはどういうわけか西側の純正チップが比較的手に入りやすい環境だったらしく、たとえば筆頭人気のスペクトラムクローン・DIDAKTIK GAMAも、フェランティの純正ゲートアレイを搭載していたことが知られています (そんな無許諾クローンは他に存在しません)。

往時はスペクトラム、アタリXL/XE, MZ-800を中心に高い技術力のソフト開発チームが多数存在していたにも関わらず、今日ユーザーたちの活動はほとんど目立たなくなっています。これは他の東欧諸国と違ってデモカルチャがあまり発展しなかったせいかもしれません。

ちなみにSORD m5は、チェコスロバキアで最初に正規流通した外国製パソコンだったとか。これにも根強い愛好者がいますね。

[] ハンガリーのコンピュータ開発史

もっとも普及したのは廉価なコモドールplus/4でしょうが、ホビーユーザにとっての憧れの的は、なんといってもコモドール64でした。ハンガリーには1983年という非常に早い段階でコモドール64が正式に持ち込まれています。当初は高級機でしたが、1990年代前半までかなり活発なデモシーンを抱えるなど、長きにわたって人気を博していました。その後アミーガやPCへの移行がスムーズに進んだせいか、現在8-bit機界隈にはそれほど勢いが見られなくなっています (その分PCデモシーンの質的向上には目を見張るものがありますけど)。

コモドール64に次ぐ人気機種は、エンタープライズ64/128でした。本国イギリスでは遅すぎた名機の評に甘んじ商機を逸したこのマシンも、ハンガリーでは1987年という早い段階で全国チェーン展開され、しかも破格値だったということで、大変な人気を博しました。こちらのユーザーグループも1990年代半ばまでは元気でした。

いろいろと不思議な機種が普及した、一風変わった8-bit時代も、ハンガリーの特色といえるかもしれませんね。

[] 東欧のICLとElliot

ところでこれら東欧のコンピュータ黎明期に、ICLやElliotといったイギリスの代表的メーカーが頻繁に顔を出すのには驚きました。没落しゆくイギリスのコンピュータ産業は、こんなところに販路を拡げていたのですね。こういった東欧への売り込みが、冷戦下でどの程度公然と行われていたのかは気になるところです。

replicornreplicorn 2005/07/28 20:21 うーむ、凄い!

idrouggeidrougge 2005/07/28 22:08 冷戦時代中、西欧のソフト市場で一番活気を示したのはチェコスロバキア(主にZXソフト、Frantisek Fukaが有名)とハンガリー(主にコモドール各機種)でしたね。ハンガリーの国家自身が海外向けソフト会社を2つぐらい設立したと、思い出します。

idrouggeidrougge 2005/07/28 22:09 イギリスの電子計算機メーカに限りませんでした、東欧の輸入市場は。ハンガリーやチェコスロバキアにDATASAABの数台のマシンが輸出され(NATOより中立の国家から輸入する方が安心だったかもしれません)、南東欧(ルマニア等)はフランスのメーカと契約取りました。

こうやまこうやま 2005/07/28 22:31 ここでははじめまして。ところでこんなゲームがあります http://www5a.biglobe.ne.jp/~mamomamo/mega/062.html (リンクはコンシューマーだが元々アーケード。ゲーセンでたまに見かける)以前お世話になっていたサイトによると、これポーランド製だと効いたことがります。テトリスとの因縁を感じますね。コモドールと言えばPET/CB/VICな私でした。

replicornreplicorn 2005/07/29 09:20 コインオペレーテッドで思い出しましたが、インベーダーのコピーゲーム「スペースアタック」(セガ版ではない)は製作会社がVideo Game GMBHというところらしく、GMBHはドイツ語で有限会社ということから、ドイツで1970年代から活躍していた会社がいくつかあったと考えられるでしょうか?(ちなみに同IIではVideo Game <UK> LTDに改名しているらしく、販売はZenitone Microsecが行っているようです。)

 こうやまさん、はじめまして。いつもサイトを参考にさせていただいています。

hallyhally 2005/07/29 13:16 Iggyさん: なんと、ハンガリーにはそのような企業がありましたか。改めて調べてみたら、なんと1982年からコモドール64用の商用ゲーム開発がはじまっているのですね: http://www.vttoth.com/c64games.htm 。ハードウェアはやはり借り物だったと書いていますが、それでもほとんどリアルタイムで西側のマシンに接していたとは驚きです。最初に「テトリス」が持ち出された先がハンガリーだったことも、こういう状況を考えれば納得です。
DATASAABが中欧に輸出していたとは知りませんでした。スウェーデンのコンピュータは海外には出ていないものだと勝手に決めつけていましたが、もしかするとABC-80なども輸出されていたりするのでしょうか?
ルーマニアはアメリカの周辺機器メーカーとも接触を取っていたり、さすがに手広いですね。

こうやまさん: うは、これはちょっとびっくりです。カリフォルニア・ドリームなんて名前でポーランドだとは思わないですよねえ普通^^; ちょっとばかり追跡調査して、次回にまとめてみたいと思います。

replicornさん: うーん、インベーダー以前のヨーロッパ製アーケードは、どうも雲を掴むような感じでよく分かりません。たぶん結構な数の海賊版が埋もれているのではないかと思いますが、少なくともオリジナルメーカーが存在したような形跡は、いまのところ見出せません。Video Game GMBHについては、こちらに少しだけ情報が: http://www.arcade-history.com/history_database.php?page=detail&id=2513

replicornreplicorn 2005/07/29 14:12 情報ありがとうございます。どうやらVenture Line社とも関わりがあるみたいですね。(あるいは社名を変更したか) Venture Line社はタイトーからゲームを発売しているのでこちらから切り崩せるかも。

idrouggeidrougge 2005/07/29 21:59 Hallyさん:そう言えばそうなんです。北欧の隣国や西独への輸出以外、ハンガリーでBRG−80と言ったライセンス製造のクローンがあったと今更思い出しました。本機と違って、ケースが鉄で出来てかなり東欧っぽい構造でした。http://www.homecomputer.de/pages/easteurope_hu.html

hallyhally 2005/07/29 22:36 おお、やはり。というかHCMに載ってましたか^^; 気付けよという感じですね。

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07.18.2005

[] Odysseyの意外なルーツ

ラルフ・ベア氏をはじめとするオデッセイの開発陣は、アンペックス出身者たちで構成されていたアタリの面々とは実に対照的で、誰もヴィデオ技術や半導体技術について特別な知識を有してはいませんでした。もちろんベア氏はテレビジョンやレーダー用アナログコンピュータのベテラン技術者でしたから、最新のヴィデオ技術など知らなくとも、原理面での不安は感じていなかったと思われます。しかし電気回路からヴィデオ信号を生成するという、家庭用ヴィデオゲームのもっとも基本的な技術について、彼は明らかに具体的ノウハウを欠いていました。それなのにアタリに先んじて特許技術を確立することができたのは何故なのか。実のところオデッセイの開発陣は、ある別の機械をそっくり拝借することによって、ヴィデオ信号生成のための仕組みを手に入れていたのです。その機械とは、ヒースキット社が1962年に発売したIG-62という家庭用テレビのテスト信号発生装置です。

IG-62は5種類のチャンネル周波数に、「ドット」「網掛け」「横線」「縦線」「カラー縦線」「シェーディング線」を表示することができるというもので、内部はリード結線されたダイオードやコンデンサなどで構成されています。オデッセイのごく初期の試作機は、この中枢部 (水平同期発生器、垂直同期発生器、RFモジュレータ) に真空管ベースの簡易アナログコンピュータを組み合わせて、移動可能・サイズ可変なドットを表示できるようにしたものでした。

IG-62から借りてきた部品は、試作2号機の時点ですべて、トランジスタ化した新パーツに置き換えられることになります。しかしヴィデオ信号処理の基本はおそらくほとんど変わっていません。8ビット世代の人のなかには、テレビ放送終了時に見られるテストパターンに、なんとなくヴィデオゲームに近い空気を感じ取っていた人がいらっしゃると思いますが、実はあれこそまさにヴィデオゲームのご先祖様だったわけです。

参考: "Videogames: In The Beginning" Ralph H. Baer (Rolenta Press, 2005)

replicornreplicorn 2005/07/18 23:27 うーん、なるほど! これで好きな位置に好きな色で矩形パターンを表示したのが例のテストパターンなのですね。
 そう言えばラルフ・ベア氏はベクタスキャンでゲームは作成されなかったのでしょうか?

hallyhally 2005/07/19 18:00 おそらくないと思いますが、実質的にゲームとみなしうるようなシミュレータは、もしかすると開発していたかもしれません。彼が最初に作ったゲーム「フォックス・アンド・ハウンド」は、1960年頃ドイツで発明された、オシロスコープと小型アナログコンピュータによる簡易型誘導ミサイルシミュレータとよく似ていますし、少なくとも彼はそういう発明があることを知ってはいましたから。

replicornreplicorn 2005/07/27 08:25 波形で色々な図形を描くようなことはやっていそうですね。

 そう言えば、ドイツでGraphic Tic Tac Toeより前にオシロスコープを使ったゲーム機の試作があるという話もあって(http://d.hatena.ne.jp/m4n4/)、また調べることが増えてきました。戦中の話になりそうなので資料がどれくらい表面に出ているのかが鍵になりそうです。

hallyhally 2005/07/27 21:25 戦時中ドイツにゲーム目的で製作された電子機器があったとは、にわかには信じがたいです (アナログコンピュータにはじめてオシロスコープを接続したのはフィルブリックのはずですから、戦前ということはないでしょう)。ただ当時V-2ロケット開発陣が世界最高のアナログコンピュータ技術を有していたことは間違いないので、V-2シミュレータから何か派生していた可能性はあるかもしれません。どこまで本当か分からないのですが、APF Technologyがオデッセイ特許をひっくり返すために、V-2ロケット開発関係者にコンタクトを取っていたという話もありますね。

replicornreplicorn 2005/07/27 22:57 なるほど勉強になります。元の情報を書かれていた方の方面から当たっていって確認を取るよりはV2ロケット開発とオシロスコープから当たったほうが早いのかもしれませんね。

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07.15.2005

[] Ampexの子供たち

これまでにも何度か述べてきたことですが、アタリ設立者のノラン・ブッシュネル氏とテッド・ダブネイ氏は、もともとアンペックスというヴィデオ機器メーカの研究員でした。そしてまた、アタリ初期に重要な貢献をしたエンジニアたちの大半も、何らかの形でアンペックスに籍を置いていたことが知られています。たとえば「ポン」開発者のアラン・アルコン氏、最初のエンジニアリング責任者ロイド・ウォーマン氏、「タンク」に携わったステフェン・ブリストウ氏、そしてアタリVCSの基本デザインをまとめたグラスヴァレー・シンクタンクの面々。改めて考えてみると、アタリはアンペックスの落とし子だったといっても過言ではないように思われます。

ヴィデオゲームの革新者となるような人材を、アンペックスがこれほど多く抱えていたのは、おそらく偶然ではありません。その社史を紐解いてみると、彼らがきわめて早くから半導体技術に接近していたことが分かります。そうなるきっかけを作ったのは、面白いことにソニーでした。アンペックスが世界最初の商用ヴィデオテープレコーダ・VR-1000を発売したのは1956年のことですが、ソニーはその2年後に、アンペックス方式で国産ヴィデオテープレコーダ第一号を完成させています。これはトランジスタで設計されたはじめてのヴィデオ機器でした。アンペックスはその技術に注目し、1960年からソニーと特許技術の共有を開始します。ソリッドステート技術を飛躍的に進歩させたアンペックスは、インスタントリプレイやフレーム単位での編集といった、シビアなタイミング制御が必要となるさまざまな技術を、ライバル他社に先駆けて次々と開拓していくことになります。

こうしたフレーム制御の革新と並行して、アンペックスはコンピュータにもアプローチをかけはじめています。まず1963年にコンピュータ用のデジタルテープメディアを送り出し、1968年にはハードディスクの要として知られるMRヘッドを発明。1969年に入社したノラン・ブッシュネル氏が最初にあてがわれたプロジェクトも、高速デジタルレコーディング装置の開発だったといいます。

[] Pyramid System

当時アンペックスは、趣味の研究開発に寛容なハイテク企業として、若手エンジニアたちの人気を集めていました。1970年頃には数千人規模の研究員を抱えていたといいますが、そのなかにはブッシュネル氏らだけでなく、やがてパーソナルコンピュータ時代の革命児となる、別の人物の姿もありました。SOLやオズボーンIの開発者として知られるリー・フェルゼンシュタイン氏です。彼が配属されたのは特殊製品部門でした。軍事用のテレビ組み込み製品や、アポロ計画専用テレビなど、ワン・アンド・オンリーな製品を開発するために、150人ほどの精鋭メンバーを集めて編成された、やや風変わりなセクションです。

フェルゼンシュタイン氏は1970年に、「ピラミッド・システム」と呼ばれる、コンピュータをベースにしたオーディオ/ビジュアル教育機器の開発を任されることになります (彼が本格的にコンピュータ言語を学んだのは、このプロジェクトのためでした)。これは12ボタンのキーパッド端末と8トラックのテープレコーダ (最大40倍速) から成るクイズ方式の双方向システムで、選択にあわせて音や画像を取り出すことができるという、かなりゲーム機的な性質の強いものだったそうです。ソニーの試作テレビゲームを思わせるような仕組みですが、「ピラミッド・システム」ではNOVAシリーズのミニコンピュータがサーバー的な役割を果たしており、データは各端末にバッファ転送されるようになっていたため、一台を複数人数で利用することができました。試作機が3台ほど製造されたようですが、制御信号の音質が安定せず、商品化には至っていません。しかしこうしたビデオゲームの先駆的試行がすでにアンペックスで行われていたという事実は、注目に値するでしょう。

プロジェクト凍結から数年後のある日、フェルゼンシュタイン氏はふとその後の経過が気になり、久々に「ピラミッド・システム」の電源を入れてみました。そして音質の問題がいつの間にか解決されていることに気付きます。この隠れた貢献を行ったのは、誰あろう、アラン・アルコン氏でした。アルコン氏はまだ研修を終えたか終えないかの新人エンジニアではありましたが、やはり特殊製品部門の一員で、このころ「ヴィデオファイル」というデジタル画像データベースシステムをサポートしていたといいます。「ヴィデオファイル」はヴィデオテープに128キロバイトの画像情報を連続格納し、SEL-810Aというミニコンピュータを使って編集や検索を行うことができるというもので、警察の指紋照合などに活用されたことで知られています。原理的には「ピラミッド・システム」と似たものだったため、のちに「ピラミッド・システム」の成果はこちらに移行されることになりました。フェルゼンシュタイン氏は移植作業に数週間従事したあと、1972年にアンペックスを辞しています。

「この頃アンペックスは基本的に破綻しており、誰も彼もが解雇された」彼はそう述べています。具体的に何が起こっていたのかはよく分かりませんが、1972年から1973年にかけて、アンペックスからきわめて多くの人材が流出していることは確かです。ようするにアタリという会社は、没落しゆくアンペックスから巧みに人材を拾いあげることによって、基盤を築いていたわけです。その意味で、アタリはまさにヴィデオテクノロジに支えられた企業だったといえるでしょう。

[参考]

Rod O'Connor: My Life with Computers

An Interview with Lee Felsenstein

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07.10.2005

[][] The Spectacular Rise and Fall of Commodore 近日出版

コモドールの歴史を綴った書籍は不思議なくらい数少なく、アミーガ発売前夜にマイケル・トムチュク氏が記した『The Home Computer Wars』がほとんど唯一のものだったりします。一時とはいえホームコンピュータ市場を制したこの会社が、史学的にさほど重視されていない現状は本当に困ったものなのですが、間もなく発売されるという『The Spectacular Rise and Fall of Commodore』は、そこに光を当ててくれる一冊になるかもしれません。

トムチュク氏がマーケティングの立場から見たコモドールを描いたのに対し、ブライアン・バグナル氏のこの本は、主にエンジニアたちの立場から、コモドールという会社の性格を浮かび上がらせようとしています。44時間を超えるというインタビュの一部がホームページで紹介されているのですが、これを読むだけでもその波乱に満ちた内情を覗い知ることができます。

「ジャック・トラミエル (元社長) は人の話を注意深く聞いていなかった」チャック・ペドル (6502 CPU/PET 2001デザイン担当)

「彼は指図を受けるのをあまり好ましく思っていなかったのではないかな」レオナード・トラミエル (ジャック・トラミエル氏次男) によるチャック・ペドル評

「彼は本当に聞き下手だったよ」アル・シャルパンティエ (VIC/コモドール64のチップデザイン担当) によるジャック・トラミエル評

「彼は私も私の家族も滅茶苦茶にしてくれた。ありとあらゆる嫌なことをしてくれたよ。しかし誰もやらせてくれないようなことをする機会を与えてくれた。それは記憶に残ることだし、感謝もしている」チャック・ペドルによるジャック・トラミエル評

「僕がデザインしたものを好きな人がいるって知るのは嬉しいよ」ロバート・ヤンヌス (SIDチップ開発担当)

「彼はコンピュータビジネスに身を置くべき人間ではなかった」デイヴ・ヘイニー (アミーガ2000/3000/4000開発陣) によるマーシャル・スミス (元社長) 評

「ある晩マーシャルを一発殴ったんだ」ビル・ハード (コモドール128/Plus4デザイン担当)

「マイクロソフトとコモドールの関係はいいものじゃなかった」チャールズ・ウィンタブル (元エンジニアリングマネージャ)

「スティーヴ・ジョブスのいいところもなく、ビル・ゲイツの悪いところもない。彼はひたすらトップ・ビジネスマンだ。勝つまでやめない。こういっては失礼だが、株主たちはあらかじめそれを知っていた」チャック・ペドル

「彼は勇猛果敢な男で、それは勉強になった。私はやってはいけないことを数多く学んだ。たしかに彼の轍を踏まないようにしているつもりだが、それは会社を始めるにあたってはよいトレーニングにもなった」アル・シャルパンティエによるジャック・トラミエル評

「守衛たちは私を敷地に近付けないよう言われていた。自分のオフィスに行ってみると、連中がドアの鍵を換えて入れなくしていた。帰ってくれとお願いされたさ」トーマス・ラティガン (元社長)

「ああ、なんて信じがたいことをしてしまったものか」R.J.マイカル (アミーガ開発陣)

「二度と一緒に仕事をしないことになってせいせいする男がいる。通り道にあるものをすべて破壊する奴さ。友人だった人間でさえもね。ビジネスに清潔なやりかたと汚いやりかたがあるとすれば、彼は汚い道を選ぶんだ」R.J.マイカルによるジャック・トラミエル評

「ジャック・トラミエルのことは本当に気に入っていた」アル・シャルパンティエ

ここには記されていませんが、ジャック・トラミエル氏本人にも (レオナード氏を介して) お話を聞いているとのこと。またコモドールの実質的支配者だった故アーヴィン・グールド氏にもインタビュしているそうです。主観を交えないよう気をつけて書いているとのことなので、一時資料としての価値がきわめて高い本であることは間違いありません。価格は35ドルで、今月中にも購入可能になる見通しです。

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07.07.2005

[][][] テレビゲームがビデオゲームとも呼ばれるのはなぜ?

―――というご質問を掲示板にていただきました。いわれてみると、ふたつの呼称が並立するようになった歴史的経緯は、まだ筋道立てて説明されたことがないようですね。これは結論からいうと、テレビ/ビデオゲーム機産業の創始者となったふたりの人物、つまりラルフ・ベア氏とノラン・ブッシュネル氏が、それぞれ別々に「テレビゲーム」と呼んだり「ビデオゲーム」と呼んだりしていたからなのです。

「テレビゲーム」という言葉は一般に和製英語と考えられていますが、これは明らかに誤りで、しかもこちらのほうが「ビデオゲーム」よりも歴史のある言葉だったりします。ラルフ・ベア氏がこの言葉をはじめて提唱したのはおよそ1967年頃のことでした。彼は世界最初の家庭用ゲーム機・オデッセイの試作を進めるにあたって、そのアイデアを「ホームTVゲーム」と呼んでいたのです。オデッセイの技術は1968年に『テレビジョンゲームおよび訓練装置』(原題: "Television Gaming and Training Apparatus") として特許出願されています。日本にはじめて「テレビゲーム」という言葉と概念がもたらされたのは、このときだったと考えていいでしょう。

そんなわけで、「ビデオゲーム」という呼びかたが定着する以前には、海外でも「TVゲーム」という呼びかたがある程度は通用していたのです。しかし「TVゲーム」は結果的に日本でだけ市民権を獲得し、海外では完全消滅してしまうことになります。日本と海外でいったい何が異なっていたのでしょうか? それはなんといっても、アタリの影響力です。

アタリの設立者ノラン・ブッシュネル氏とテッド・ダブネイ氏は、もともと世界初の商用ビデオテープレコーダを送り出したことで知られるアンペックスという会社で働いていました。まだ家庭用ビデオデッキの普及が始まっていないこの時期、ビデオ技術はごく一握りの企業だけが持つ特権的な技術だったわけですが、ブッシュネル氏らはアンペックスに在籍していたおかげでその技術に精通しており、「コンピュータスペース」や「ポン」の開発にあたってもノウハウを活かすことができたのです。テレビ画面の狙った位置に狙った映像を表示するような技術は、彼らにしてみればビデオ技術の賜物に他なりませんでした。アタリは当初、自らを「ヴィデオ技術の先駆者」と呼び、「ポン」のことを「ビデオ・スキル・ゲーム」と説明しています。これが「ビデオゲーム」になったのは、アーケード第3作目にあたる「ポン・ダブルス」 (1973) からです。翌年になると、アライド・レジャーやラムテックといったライバルメーカーたちの製品も、「ビデオゲーム」を名乗りはじめています。

こうして「ビデオゲーム」の呼称がアーケードに定着しはじめた頃に、アタリはさらに家庭用機としても「ポン」を売り出し、爆発的なヒットを飛ばしました。アメリカではこれをきっかけに、家庭用ゲーム機も「ビデオゲーム」と呼ばれるようになります。1976年になると家庭用ゲーム機の隆盛が雑誌等でさかんに取り上げられるようになるのですが、そのほとんどが「ビデオゲーム」の呼称を使用していました。

こうした記事は一部日本にも伝えられています。しかし肝心の家庭用「ポン」が、日本にはほとんど持ち込まれなかったのです。アタリに代わって日本で幅を利かせたのは、直後に売り出されたジェネラル・インストゥルメントの「ポン」チップ (AY-3-8500) と、それを使ったゲームキットたちです。このジェネラル・インストゥルメントこそが「テレビゲーム」の呼称を日本に広めた張本人でした。彼らは自社の製品を「TVゲーム」として紹介していたため、国内メーカーおよびショップも多くがこれに従ったのです。

日本ではその後もアタリの製品が普及することはなく、「テレビゲーム」の名称はなし崩し的に普遍化しはじめます。そしてさらにその状況に、任天堂「カラーテレビゲーム」シリーズ (1977) のヒットが追い討ちをかけました。「スペース・インベーダー」ブームの到来した1979年には、「テレビゲーム」という言葉はすでに一般名詞化しています。逆に「ビデオゲーム」のほうはこれ以後 (一時的にですが)、ほとんど口にされなくなります。

ただし同じ日本国内にあっても、アーケード業界内は例外でした。アタリもライバルメーカも一貫して「ビデオゲーム」の呼称を使い続けてきたこの世界において、「テレビゲーム」は俗語に近いものとみなされていたようです。それゆえ「ビデオゲーム」は、業界用語としては生き続けることになったのです。そのことを一般的なゲームファンたちに改めて知らしめたのは、『マイコンBASICマガジン』誌付録の「スーパーソフトマガジン」(1983〜) でした。ここでの再発見を通して、「ビデオゲーム」は特にゲームセンターのゲームを指す言葉として、消費者の間でも認知されるようになりはじめます。

再発見の影響は、他誌にも波及しています。たとえば『Beep』誌は1985年3月号で、アミューズメントゲームを「ビデオゲーム」と呼び、ホビーゲームマシンを「テレビゲーム」と呼ぶ、と宣言しました。このような使い分けが、当時はある程度意識的に行われていたのですが、今となってはほとんど忘れ去られているというか、あまり意識されないものになってしまいました。アーケードゲームが特別な存在だった時代が終わった現在、「ビデオゲーム」と「テレビゲーム」の使い分けは、もはや無用の長物になったといえるのかもしれません。

ゲームフリークゲームフリーク 2005/07/08 23:06 脱帽です!
 当時好きだったナムコのラジオCMで小林克也氏のナレーションや、時たま見かけるvideo gameの文字に、子供ながらアメリカの臭いを感じ取ってました。そしてその頃から頭の隅に引っ掛かっていたモノがようやく取れてスッキリした気がします。
有り難うございました。

hiyokoyahiyokoya 2005/07/09 03:10  お疲れ様です。自分もそこらへんの事情がどうなっているのか気になっていたので、非常に面白く読ませていただきました。
 それと「『ベーマガ』再発見」→「『Beep』での区分」という流れが少しわからなかったので質問させていただきたいのですが、『マイコンBASICマガジン』誌付録の「スーパーソフトマガジン」(1983〜)での「再発見」というのは具体的には、どういったものだったのでしょうか?
 「アーケード業界の人々は、コンピュータゲーム全般を指して<ビデオゲーム>という言葉を使っている」といった表象だったのでしょうか、それとも「アーケード業界の人々は、自分達のゲームを<ビデオゲーム>と呼んでいる」という感じなのでしょうか?よろしければ、教えてください。

okazokaz 2005/07/09 08:29 スーパーソフトマガジンの第一号にアルファレコード発ナムコの世界初ゲームサントラ「ビデオ・ゲーム・ミュージック」のレコーディングレポートが載っていたような。その辺りではないですかね?>ビデオゲームという言葉の発祥。

hallyhally 2005/07/09 19:46 ゲームフリークさん: お役に立てたようで幸いです。
okazさん: 第1号は読んだことがなかったのですが、そんなレポートがあったのですか! いまマイコンBASICマガジン年鑑 (http://www.north-wind.ne.jp/~yoshino/yearbook/) を見てみたら、この号にはAMショーのレポートもあったようですね。そのあたりでも「ビデオゲーム」が使われていた可能性がありそうですし、いずれ機会をみて確認してみたいと思います。
hiyokoyaさん: というわけで、私も第1号から読んでいたわけではないため確定的なことはいえないのですが、用語の意味が誌上できちんと説明されたことは、おそらくなかったのではないかと思います。(「アミューズメントライフ」を除けば) 当時唯一のアーケード情報誌が、アーケードゲームを指して「ビデオゲーム」と呼んでいた。そういう事実が単にあっただけです。もっとも、1984年2月号に掲載された遠藤雅伸氏インタビュなどは、業界の人が「ビデオゲーム」と呼んでいる事実を、改めてはっきりと気付かせたとは思いますが。

hiyokoyahiyokoya 2005/07/10 00:21 >hallyさん、okazさん:なるほど、そこまではっきりした説明があったという雰囲気ではなかったのですね。ということはアーケード/コンシューマーを、ビデオゲーム/テレビゲームと区分するという発想には、85年前後の『Beep』等の独自解釈に依拠しているような側面もけっこうあるという印象を受けますね。あるいは、84年〜85年あたりの流れを詳しく調べればもう少しはっきりわかりそうな感じもしますが、いずれにせよ日本独自の偶然が重なったということは確実のようですね。たいへん貴重な情報を教えていただきありがとうございました。

miraimangamiraimanga 2005/07/10 13:16 面白く拝見しました。子どもの頃家庭用のブロックくずしを遊んで以来TVゲームっていう呼称が定着し、高校からBeep!を読む様になってアーケードゲームをビデオゲームって呼ぶ様になったなーって思い出しました。アスキーかファミ通にビデゲー通信とかあったり、徐々にビデオゲームって言葉が出だした印象があったのですが、そういう業界内での決め事みたいなのが背景にあったんですね。結局今は「ゲーム」ってひっくるめて呼んでます。どっちも口に出さなくなりましたね。

suga-tourusuga-touru 2005/07/11 01:26 ベーマガの当該号なら所有しておりますが、ちょっと今行方不明。近日中に発掘できれば報告いたします。また、ドルアーガの塔のラジオCM(大橋照子のラジオはアメリカン内でナムコがアーケードのCMをやっておったんです)で、「The Videogame Tower of the druaga」というフレーズがあったように記憶しております。……テープ発掘できんものかなー。
なお、ビデオゲーム通信は最初はLogin内のコーナーで、後に同じLogin内コーナーのファミ通が雑誌として独立し、大分経ってからビデ通がファミ通に移籍したと記憶しています。
ゲーメストは最初から一貫して「アーケードゲーム」と言っていたはずです。

naoya2knaoya2k 2005/07/11 02:08 1981年頃のI/O誌の欄外の読者コーナに「テレビゲームは和製英語で、ビデオゲームが正しい」というような投稿があり、私はそこでビデオゲームという言葉を知りました。既にどの号か忘れてしまいましたし記事というものでもないので確認困難なのですが…

replicornreplicorn 2005/07/11 04:02 どこで読んだか忘れましたが、いわゆる世俗的に言われる「ビデオのように繰り返し遊べる」という話はまた違うところから出てきたのでしょうね。

hallyhally 2005/07/11 22:50 hiyokoyaさん: 玩具業界がどの程度意識的に「テレビゲーム」という言葉を使っていたのか分からないので、同年代の玩具業界誌あたりをチェックしてみると、より明確な像が結べるのではないかと思います。
miraimangaさん: 結局「ゲーム」で通用するようになったおかげで、どっちでもよくなったという側面はたしかにありますね。
suga-touruさん: おお、期待しております。「ラジオはアメリカン」もそうでしたか。ナムコの影響力が強いものはやはり確実に「ビデオゲーム」としてますね。「ビデオゲーム通信」といえば田尻智氏ですから、これもある程度ナムコの系譜といっていいでしょう。「アーケード」でまとめていた雑誌といえば、ほかにも『コンプティーク』がそうでした。
naoya2kさん: なるほど。ほかにも子供たちの目に届きにくいところでは「ビデオゲーム」という呼称を用いている例がちらほらありました。そっちで先に知っていた人も、ある程度はいらっしゃるでしょうね。
replicornさん: そういえばずいぶん昔にそんな説明を聞いたことがあります。「映画の著作物」解釈あたりから生まれた誤説かもしれませんね。

07.04.2005

[] キラータイトルの普及率

一般にキラータイトルと呼ばれるようなゲームソフトは、その対象機種においてどの程度の普及率を示すものなのでしょうか。そういうことが少し気になったので、国内限定でざっと集計してみました。

タイトル 機種 出荷本数 (万本) 普及率 備考
ギャラクシアンCV18 60.0%  
デッド オア アライブ3 Xbox 22 52.4%2003.12現在。発売1ヶ月で約12万本/推計80%程度を記録
マリオカート64N64224 40.4% 
大乱闘スマッシュブラザーズ N64 197 35.6% 
スーパーマリオブラザーズ FC 681 35.2%発売3ヶ月で175万本/30.1%を記録
スーパーマリオ64 N64 191 34.5% 
大乱闘スマッシュブラザーズDX GC 135 34.4% 2005.5現在
ポケットモンスター ルビー&サファイア GBA 516 33.2%発売3ヶ月で500万本/42.7%を記録
バーチャファイター2 SS 170 30.4%発売1ヶ月で約90万本/約45%を記録
デッド オア アライブ エクストリーム ビーチバレーボール Xbox 13 30.1%2003.12現在
ゼルダの伝説 時のオカリナ N64 146 26.4% 
ポケットモンスター(赤)(緑) GB 822 25.3% (青)(ピカチュウ)を加えると1339万本/41.2%
ポケモンスタジアム N64 137 24.7% 
マリオパーティ4 GC 90 23.0%2004.11現在
スーパーマリオカート SFC 382 22.2% 
ポケットモンスター(金)(銀) GB 717 22.1% (クリスタル)を加えると927万本/28.5%
ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち PS 412 21.0% 
スーパーマリオサンシャイン GC 8120.7%2004.11現在。発売初週に33万本/50.8%を記録
ゼルダの伝説 風のタクト GC 80 20.4% 2005.1現在
マリオカート ダブルダッシュ GC 80 20.4% 2005.1現在
マリオテニス64 N64 110 19.9% 
ドンキーコング64 N64 110 19.9% 
スーパーマリオブラザーズ3 FC 384 19.8% 
マリオパーティ2 N64 109 19.7% 
ドラゴンクエストIII そして伝説へ… FC 380 19.6% 
シーマン DC 54 19.3% 
星のカービィ64 N64 106 19.1% 
ドラゴンクエストVI 幻の大地 SFC 320 18.6% 
ファイナルファンタジーVII PS 362 18.5%発売2ヶ月余りで300万本/約50%を記録。インターナショナル版を加えると392万本/20.0%
ファイナルファンタジーVIII PS 360 18.4% 
HALO Xbox 8 18.3%2003.12現在
ストリートファイターII’PCE 7017.9% 
マリオパーティ5 GC 69 17.6% 2005.1現在
スーパードンキーコング SFC 300 17.4% 
ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君 PS2 360 17.1% 2005.2現在
ストリートファイターII SFC 288 16.8% 
ソニックアドベンチャー DC 47 16.8% 
ポケモンコロシアム GC 65 16.6% 2005.1現在
バイオハザード CODE: Veronica DC 46 16.4% 
ドラゴンクエストV 天空の花嫁 SFC 280 16.3% 
ドラゴンクエストIV 導かれし者たち FC 310 16.0% 
セガラリー2 DC 42 15.0% 
ファイナルファンタジーVI SFC 255 14.9% 
シェンムー 一章 横須賀 DC 41 14.6% 
ファイナルファンタジーV SFC 245 14.3% 
ファイナルファンタジーIX PS 279 14.2% 
スーパーマリオブラザーズ2 FC 265 13.7%ツインファミコンを含むディスクシステム (出荷台数440万台) での普及率は60.2%
テトリス GB 423 13.0% 
グランツーリスモ PS 255 13.0% 
スーパーマリオランド GB 419 12.9% 
ポケモンスタジアム2 N64 71 12.8% 
天外魔境IIPCE 50 12.8%Duoシリーズ含むCD-ROM^2 (192万台) での普及率は26.0% 
ゴルフ FC 246 12.7% 
セガラリー SS 70 12.5% 
サクラ大戦 SS 70 12.5% 
ドラゴンクエストII 悪霊の神々 FC 240 12.4% 
ファイナルファンタジー WS 37 12.3% 
ファイナルファンタジーX PS2 248 11.8% 2005.3現在

  • 累計出荷台数…CV (カセットビジョン): 30万台, DC (ドリームキャスト): 280万台, FC (ファミコン): 1935万台, GB (ゲームボーイ/ゲームボーイカラー): 3247万台, GBA (ゲームボーイアドバンス): 1555万台 [2005.3現在], GC (ゲームキューブ): 392万台 [2005.3現在], N64 (ニンテンドー64): 554万台, PS (プレイステーション): 1960万台, PS2 (プレイステーション2): 2104万台 [2005.6現在/含アジア], SFC (スーパーファミコン): 1717万台, SS (セガサターン): 560万台, WS (ワンダースワン/ワンダースワンカラー): 300万台, Xbox: 42万台 [2003.12現在]
  • 出荷本数不明のものは実売本数を記載した。数値は主に歴代ハード出荷台数ランキングゲーム売り上げランキングを参考にしたが、できるだけ最新の数値に沿うように心掛けている。
  • 普及率は小数第ニ位を四捨五入したもの。

キラータイトル依存率のもっとも高いゲーム機は、驚くべきことにカセットビジョンだったようです。ギャラクシアン18万本というのはこちらから拾った数字で、いまいちソースがはっきりしていないのですが、それくらい売れていたとしても不思議はないと思います。ただいずれにせよ、カセットビジョンには全部で十数タイトルしかないのですから、これはちょっと例外視すべきでしょうね。

カセットビジョンの次にXboxがつけ、さらにニンテンドー64やゲームキューブが数多く上位に来ていることから分かるように、ソフト総数の少ない機種ほどキラータイトルへの依存度が強まる傾向があるようです。というより、総数が少ないのでばらけようがないというのが真相でしょうか。なんにせよ、キラータイトルへの依存度が高すぎる機種は、ハードウェア的にはあまりうまくいっていないことが多いようです (依存度が高くてもうまくいっている機種は、先に一強皆弱態勢を固めていますね)。こういう機種でやたらに高普及率を示すソフトは、キラータイトルというよりは手堅い定番ソフトといった趣のほうが強いように思います。

ところで、こうやって相対的に見ると、「スーパーマリオブラザーズ」や「ポケットモンスター」のような誰もが認めるキラータイトルでさえ、せいぜい3人〜4人に1人くらいにしか普及していないことに改めて気が付かされます。見落としがちなことですが、キラータイトルに魅力を感じてハードウェアを購入する人はあくまで全ユーザーの1/3程度までで、残り2/3はキラー以外のタイトルに魅力を感じて購入しているわけです。1本のタイトルで1/3を開拓できてしまう効果はもちろん計り知れませんが、キラータイトルの普及率はスーパーファミコン、プレイステーション、プレイステーション2と世代を重ねるにつれて下がっているので、過度な期待ができないものになりつつあることは確かなようです。

miraimangamiraimanga 2005/07/05 10:57 確かにキラータイトルへの考え方は大きく変わってきているとは思います。○○の続編ばっかり並んでいても逆に以前の印象が足を引っ張って購入意欲が萎えちゃう場合もあります。今回の三つ巴の次世代機戦争で昔ながらのキラータイトルを提示していた任天堂ですがDSのキラータイトルがNINTENDOGSというのを考えると方向転換の必要性はあるのではないでしょうか。因みに私のPS2キラータイトルはGTA3でしたー。

hallyhally 2005/07/09 18:27 社会現象を起こすようなキラーは「ポケットモンスター」を最後に10年近く出ていないわけですから、古典的なキラー神話が今日なお信じられていること自体、考えてみれば変な話なのかもしれませんね。Nintendogsも http://homepage3.nifty.com/TAKU64/ を見てみると、キラーなのにハード台数を大きく押し上げないという最近の任天堂機にありがちな傾向がやはり見られます。この傾向がやがて任天堂を窮地に追い込むことにならなければいいですが。

miraimangamiraimanga 2005/07/10 12:58 確かに売れてるって言う割に牽引力が弱いんすかね、うちの娘やゲームをしないカミさんが欲しがるっていうのはすごいとは思うんですが、ハードの伸びがいまいちなのとスタートでつまづいたはずのPSPの健闘ぶりをみると、うかうかしてらんないですね。先日のCONTINUEでの丸山氏のインタビューで「任天堂さんが育ててくれたゲームファンをSCEが取り込んでいる」という発言なんか特にその辺を感じた次第、でも丸山さんてゲームに対する嗅覚がスゲーなと感心しました。

sabakansabakan 2005/07/13 20:10 確かに面白いデータだと思います。
ただ、ゲームの場合、「貸し・借り・中古」などもありますから、売り上げだけで依存度は測れないと思います。
例えば、マリオやドラゴンクエストのプレイ率は依存度より
遥かに上だと思います。

hallyhally 2005/07/14 00:12 そうですね。これはあくまで市場の依存度です。プレイヤ側の実情とは必ずしも一致しないでしょう。中古市場がまだ発展途上だったファミコン時代と今とが同じ尺度で測れないことは、とくに注意しておかなければならないところだと思います。

hallyhally 2005/07/14 21:21 [7/14] xboxタイトルの漏れをいくつかご指摘いただいたので、追加しておきました。あとメガドライブはどうしたという声がちらほらありますが、これは本当に1本もないようです (「ぷよぷよ」はランクインしそうな気がするのですが、データが見当たりません)。

pcengine_userpcengine_user 2005/07/19 19:00 PCエンジン狂の詩(http://www.pcengine.jp/)というサイトの掲示板で、”『天外II』はCD-ROMソフトですから、Huカードマシンの出荷台数「392万台」ではなく、CD-ROM^2(Duoシリーズ含む)の出荷台数「192万台」を分母にして「26.0%」とした方が良いような気もしますが”という指摘が書いてあったのですが、これについてはいかがでしょう?

hallyhally 2005/07/19 19:32 ご指摘ありがとうございます。備考欄に記しておきました。ついでにファミコンディスクシステムの『スーパーマリオブラザーズ2』も同様に集計すべきだと気が付きましたので、これも追加しています。

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