Hatena::ブログ(Diary)

Classic 8-bit/16-bit Topics

Classic 8-bit/16-bit Topicsでは、海外での出来事を中心に、旧世代のコンピュータ/ゲーム機に関する雑多な話題を書き散らしています。ただしゲームミュージックやチップチューンなどに関してはVORCで専門に扱っていますので、ご興味がおありのかたはそちらもどうぞ。

2014/05/29 長年放置しておりまして、申し訳ございません。ここやVORCで書いていたような研究は現在、主に各種『ゲームサイド』誌に書き綴っております。よろしければご覧くださいませ。またそのほか最近の動向に関してはtwitter:@hallyvorcにてお知らせしております。いずれ更新を再開したいとは思っております。



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08.27.2005

[] 『Retro Gamer』廃刊か

今月頭に隔月刊化の話が出たばかりの『Retro Gamer』誌ですが、出版元のライヴパブリッシング社が深刻な経営危機にあることが発覚し、急転直下で廃刊に追い込まれようとしています。同社は今日明日じゅうにも営業停止する見込みで、『Retro Gamer』編集スタッフはこれに先だって月曜日に解雇されていたそうです。C64 Portalによると、すでに他社が引き継ぎを計画しているという噂も出ているようですが、先日イギリスの機種別ゲーム情報誌がのきなみ大幅に売上を落としていると報じられたところでもあり、見通しはかなり厳しいものになるのではないかと思われます。

kazmatkazmat 2005/08/31 20:18 この間、年間購読を更新したばっかなのに、、、orz

hallyhally 2005/09/07 01:22 うは、それはまた災難な。
こちらにも定期購読者たちの不安の声が寄せられています。
http://www.blitzbasic.com/Community/posts.php?topic=50492
残念ながらしばし様子見のほかないようですね…。

08.22.2005

[] Commodore 128 生誕20周年記念映像 公開

今年はアミーガだけでなく、コモドール128もまたひっそりと20歳の誕生日を迎えています。コモドール128というのは、6502系とZ80の両方を搭載したツインCPU仕様のコモドール64上位互換機です。標準でCP/Mが付属しており、これによってコモドール64の入り込めなかったビジネスマーケットをも開拓しようとする意図だったのですが、CP/Mは通常の半分程度の速度でしか動作せず、またすでにビジネス機の主流がCP/MからMS-DOSへ移行していたこともあって、目論みどおりの成功を得ることはできませんでした。結局マルチプロセサを活かした専用ソフトウェアはあまり開発されず (有名なのはGEOSくらい)、コモドール128の生産は64より早い1989年に打ちきられることになるのですが、それでも5年間で400万台を売ったといいますから、単なる上位機種としてみればそれなりの成功を収めたといえるでしょう。

今回公開されたこのビデオでは、コモドール64以降のさまざまな機種をデザインしてきたビル・ハード氏とデイヴ・ヘイニー氏が、試作基板や試作機を紹介しながら、コモドール128をはじめとするマイナー機たちの開発経緯を語っています。試作機は現存しないと思われていたコモドールLCD (世界初のラップトップパソコン。東芝T-1100より古い) や、幻のアドヴァンスド・アミーガ・アーキテクチャ (コモドール倒産とともに開発中止となった次世代アミーガ) の基板などが登場するあたりは、とくに見逃せないところです。

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08.16.2005

[] Homebrew Computer Club ニュースレター集 オンライン公開

パーソナルコンピュータの起源というのは定義次第でいろいろ変わってくるものですが、ユーザー文化の出発点はどこかということになれば、ホームブルー・コンピュータ・クラブ (HCC) をおいて他にないでしょう。それはパーソナルコンピュータに魅せられた人々によるはじめての集いであり、ここから生まれたプロセサ・テクノロジやクロメンコといった周辺機器メーカーの貢献こそが、何もできないアルテア8800を本当の意味でのパーソナルコンピュータに仕立てたのだといっても過言ではありません。アップルもまた、HCC抜きにしては存在しえなかった会社です。リー・フェルゼンシュタイン氏という良きリーダーに導かれながら、ホビーコンピューティングのあるべき姿を模索していたHCC。その最盛期である1975年から1977年にかけてのニュースレター21通が、DigiBarn Computer Museumにおいてオンライン公開されました。

ざっと目を通してみて印象的だったのは、ソフトウェアプログラマの不足が早くも創刊第2号から囁かれ、以後もたびたびプログラムを求める声が散見されることでした。いわゆるホビイストには当初圧倒的にハードウェア寄りの人間が多かったので、これは無理もない話です。ビル・ゲイツを激怒させたMITS BASIC流出事件 (Volume 2 issue 1, p2) は、よくハッカー倫理とソフトウェア販売の衝突として描かれますが、末端ユーザーにとってはハッカー倫理よりも何よりも、ソフトウェアの欠乏こそがもっとも深刻な問題だったといえそうです。「このBASICがなければアルテアは使い物にならなかった」(Volume 2 issue 2, p2) という読者の声からも、そのあたりの切実さが伝わってきます。皮肉なことに、ソフトウェア関連の記事は、この事件の後から増えはじめるのですが。

もうひとつ印象深いのは、テレビ出力インターフェイスの製作記事がやたらに出てくることです。需要が大きかったのは当然としても、アルテア程度のマシンにとって、家庭用テレビに画面表示するのは結構な重荷だったはずなのですが、不思議なことに創刊当初から、当たり前のように家庭用テレビの使用を前提とした話が出てきたりします。何故なのかと思ったら、あちらではパーソナルコンピュータよりも先にTVタイプライタなるものが登場していて、これをコンピュータのディスプレイに応用しうるということに、皆気付いていたからなのですね。TVタイプライタはアルテア8800がアナウンスされたのとちょうど同じ月に、同じ『ラジオ・エレクトロニクス』誌上で本格的にターミナル化されています。当時アルテアを予約した人の多くは、こういうものを組み合わせて使用する可能性まで視野に入れていたのでしょう。

(ところで実をいえば、家庭用テレビをコンピュータのディスプレイにする方法を最初に考案したのは日立の浜田長晴氏です。その特許は1968年に出願されています。このかたは他にもいくつかパソコンのディスプレイ史に重要な貢献をしているのですが、そのあたりはいずれ改めて)。

なにしろパソコン創世期の最古級史料ということで、その他にも幻のAstral 2000についての記事だとか、IMSAI8080のマルチプロセサモジュールだとか、興味の種は尽きないのですが、今回はとりあえずこのへんで。

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08.15.2005

[] NESはかつてAVSだった (FORT90)

今年5月にニューヨークでオープンした任天堂直営店・ニンテンドー・ワールドには、ちょっとした博物館スペースがあり、過去の任天堂を彩ったさまざまな製品たちが展示されているそうです。歴代のゲーム機はもちろん、花札や各種ゲーム&ウォッチまでもずらりと並んで、なかなかに壮観のようですが、注目したいのはアメリカならではの展示物たちです。湾岸戦争でボロボロになったゲームボーイなんていうのはいかにもですね。しかし白眉はなんといっても、アドヴァンスド・ヴィデオ・システム (AVS) が鎮座ましましていることでしょう。

AVSとは海外向けに設計されたファミリーコンピュータの試作型、つまりニンテンドー・エンタテイメント・システム (NES) の先祖にあたるマシンです。1985年1月のCESで発表されたそれは、日本版のファミコンと違い、よりコンピュータ色を強めた革新的な製品としてアナウンスされました。しかし業界の評判は芳しくなく、結局はエンタテイメント寄りに再設計を施され、NESとしてデビューすることになるわけです。

AVSは最初のお披露目いらい人前に姿を見せることはなく、その実態がどのようなものだったのかはよく分からないままになっていました。したがって、カートリッジスロットが日本版ファミコンと同じ仕様だったこと、BASIC用のキーボードが用意されていたこと、ワイヤレスコントローラが特徴だったことなど、これまでは当時の雑誌記事などから断片的な情報を窺い知るのが精一杯のところだったのです。しかしこうして20年ぶりにAVSが出展されたことにより、さらなる詳細を垣間見ることができるようになりました。写真に並ぶ操縦桿型ジョイスティック、光線銃、データレコーダ、ミュージックキーボードなどは、これまで形状さえほとんど知られていなかった周辺機器たちです。NESの基本的なデザインコンセプトは、この時期すでにかなりまとまっていたことが改めてよく分かりますが、光線銃はNESのものとはまったく違って、えらくシンプルというか未来的な形状をしていますね。

キーボードの配列がくっきり分かるのも貴重なところでしょうか。『Beep』1985年4月号によると、AVSのBASIC (Advanced BASIC System) はファミリーBASICとは違うオリジナル仕様で、ゲーム開発エディット機能が強化されているという噂があったそうです。しかしこの写真を見ると、キーボードそのものは本質的にファミリーBASICと同じものだったことが分かりますね。

[] なぜAVSは評価されなかったのか

AVSが市場の興味を惹かなかったのは、アメリカでは「アタリショック」の傷跡が生々しかったためだというのが通説です。しかしこれはもともと任天堂アメリカの言い分であって、実際のところは商品コンセプトにも明らかに欠陥があったといわざるを得ません。

AVSは任天堂アメリカが考えていたほどには画期的な製品ではありませんでした。ゲームマシンのアーキテクチャに入門者向けコンピュータの性質を被せるという手法には、すでにアタリ・マイ・ファースト・コンピュータインテレビジョン・エンタテイメント・コンピュータ・システムコレコ・アダムなど、いくつもの失敗例があったのです。なかでも、絶好調だったはずのコレコを死に態に追い込んだアダムの惨劇はまだ昨日今日の話で、業界関係者の脳裏には生々しい記憶として残っていたはずです。

つまりAVSは、先人たちがさんざん失敗してきたことを、また蒸し返しにやってきたようにしか見えなかったわけです。いかにアーケードの大御所とはいえ、任天堂だけ例外的に成功しうるなどとは、誰も思いはしなかったでしょう。少なくとも任天堂アメリカは、この時点では光線銃以上の独創性を誇示できていませんでした。どちらにしても、AVSが中途半端にホームコンピュータとしての性質を残したまま走り出していたら、のちのちコモドールやアタリとの住み分けが厳しいことになっていたはずです。あえてコンピュータとしての性質を捨てさること。それは結局、任天堂アメリカの下した最大にして最良の決断となったのです。

[参考]: Pascal Blancaneaux: Le Projet NES AVSに関する情報を提供している数少ないサイトのひとつ。初期のデザイン資料を見ることができる。

takamitakami 2005/08/17 16:12 拝見させていただきました。
ひとつの要素一本で市場を築いてからでないと、付加価値というものは良い方向に働かないのですね。
現在のゲーム機の話になりますが、PlayStation3 が Linux を搭載するということで、これらに近いものを感じてしまいます。
もちろん、これらと違ってどちらもブランド力や普及率があるため失敗はしないと思いますが、
ゲーム機としての機能と、パソコンとしての機能の兼任で市場がどういった反応を示すのか興味深いところです。
1ユーザーとしてみれば、ハードウェア対応の貧弱さでマルチメディア処理に弱かった Linux が、PS3のハードウェア構成に最適化されることによって、マルチメディア面で使いやすくなるのはとても魅力的に感じております。
ゲーム等のマルチメディア面において、ハードウェア構成が一定であるというのは大きな強みなんですよね。

hallyhally 2005/08/18 09:14 長期的な視野に立てば、ゲームコンソールというものはいずれ必ずパソコンに吸収されていく運命であって、じつは1983年にはすでにそういう見方が一般的でした。じっさい当時はCommodore 64の存在がその証明になっていたわけですが、パソコンでプレイできない種類のゲームをNESが豊富にもたらしたことによって、当時パソコンが捨て去りつつあったスプライトアーキテクチャへの揺り戻しが起こり、ヴィデオゲーム機とパソコンは再び二分化への道を歩みはじめることになります。しかしAVSの段階では、任天堂はまだその二分化の潮流を、自分たち自身よく分かっていなかったわけですね。

現在はこの二分化構造にほぼ終止符が打たれています。パソコンでは実現不可能という種類のゲームも激減しました。その意味で、いまゲーム産業は1983年のスタンダードに戻りつつあるのだといえます。ですからPlaystation3が試そうとしていることは、AVS的な付加価値の創出ではなくて、もっと本質を突いたアプローチといえるのではないでしょうか。もっとも今後ふたたび、何らかのかたちでゲーム専用アーキテクチャへの揺り戻しが来ないとは限りませんが。

workshopworkshop 2005/08/20 16:15 ゲーム専用機とパソコンの関わり、色々参考になりました。個人的な思い入れとしては、ゲーム専用機の方に強く肩入れしたいw ところです。

08.13.2005

[] 元最高齢ヴィデオゲームチャンプ、タイトル奪還に燃える

1984年、58歳にして「Q*バート」の世界チャンピオンに輝いたドリス・セルフという女性が、79歳になる今年、再びチャンピオンの座に挑戦するそうです。

セルフ女史のツイン・ギャラクシーズ公認記録は1,112,300点。この記録そのものは翌年には抜かれてしまったそうですが、それでも以後20年近くにわたって、最高齢のチャンピオン経験者という座は守り続けていたそうです。ところが2003年、ジョン・ロートンという72歳の人物が「デプスチャージ」のトップスコアラとなったため、その記録も塗り替えられてしまったとのこと。セルフ女史が再び「Q*バート」の記録に挑もうと決意したのは、そのためです。

「友人たちは私の『Q*バート』に対する意欲を変だというわ。だけどこれが私の人生」そう言い切る彼女の挑戦の舞台は、ちょうど本日開催のクラシック・ゲーミング・エキスポUKとなります。結果が待たれるところですね。

まあそれにしても、かなり運に左右されるゲームであるとはいえ「デプスチャージ」の72歳記録保持者というのも相当なものですし、去年にも「ポン」の世界大会に1979年のオーストラリアチャンプが出場なんていう話がありましたし、海外には年齢差もへったくれもあるかという元気なご老人が多いことですね。ふと思ったのですが、かつての日本のインベーダーチャンプたちは今何をしているのでしょうか (現在お名前をよく拝見するのは冨田勝氏くらい?)。

[追記]: 一夜明けて話題になっていないところを見ると、どうもタイトル奪還は不成功に終わったようです。残念。

[][] Play TV Legends Outrun 2019 / Play TV Legends Menacer 発売中

ここのところプラグ&プレイ機方面はアタリ以外ずいぶん大人しいな―――と思っていたら、いつの間にかラディカゲームズから新作が登場していました。

ともにワンチップメガドライブをベースにした製品で、ひとつはハンドル型コントローラをフィーチャした「プレイTVレジェンズ・アウトラン2019」。収録は表題タイトルのみで、実売価格は25ドル前後。もうひとつはガンコントローラタイプの「プレイTVレジェンズ・メナサー」。ジェネシスのみで発売されたメナサー・ガンという光線銃システムを同梱のソフト6本とともに復活させたものですが、銃の形状はまったく異なり、よくあるガンタイプになっています。これも25ドル前後で販売中

どちらも国内外問わず評価の高くない (というよりむしろファンを失望させた) タイトルなので、よくまあ発売に踏みきったものだなというのが正直な感想ですが、最近プラグ&プレイの本流は低年齢対象製品になりつつあるので、これらもレトロ層を対象にしたものではなく、コントロールの面白さで十分に楽しめるローティーン以下の子供たちにアプローチしようとしているのでしょうね。

hiyokoyahiyokoya 2005/08/15 00:07  79歳というのはすごいですね…。
 冨田勝氏(というか私にとっては冨田先生ですが)、とは昔一度だけゲームをご一緒にさせていただいたことがありますが、ものすごく強かったですね。ボーリング、大富豪、卓球、と何をやらせても勝負にかける意気込みと集中力がハンパではなかったです。まったく相手になりませんでした。
 ゲームのみならず天才とはこういうものなのか!と、いう印象が強く残っています。

hallyhally 2005/08/15 07:21 hiyokoyaさんは慶応でしたか。それはなんとも興味深いお話ですね。当時のインベーダー名人がその後も継続的にスコアラとして活躍したケースは非常に少ないと思うのですが、冨田氏は続けていればいろいろ記録を残していたかもしれませんね。ぜひ一度、最近のゲームで本気プレイを披露してもらいたいところです。

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08.12.2005

[] 北、80年代初めにマイクロコンピューターを開発

北朝鮮の初期コンピュータ開発事情に触れた珍しい文章ということで、やや古い記事ではありますが、ご紹介させていただきます。

一読するとどうも「マイクロコンピュータ」という言葉の用い方に違和感を感じますが、元記事は「초 미니컴퓨터」(超ミニコンピュータ) と記しているようです。問題のコンピュータはフランスのMitra 15がベースになっているということですから、これはやはりミニコンピュータと読んだほうがいいでしょう。

このMitra 15というのは、フランスのCII (Compagnie Industrielle pour l'Informatique) 社が1971年に開発したラックサイズの16ビット機です。制御用途を重視した設計で、TTL ICと磁気コアメモリにより構成されています。のちにはソ連に輸出され、ハンガリーでもライセンス製造されていたというので、共産圏では比較的よく知られたコンピュータだったのでしょう。また実際に軍事用として販売されていた実績があるので、そのために北朝鮮の注目するところとなったのかもしれません。

Mitra 15は最初からマイクロプログラム方式を採用しているので、「ここに開発チームが独自に研究したマイクロプログラム制御方式を適用した」という記述はどういうことなのかいまいち判然としません。そのあとパーソナルコンピュータとの比較が出てくるのもよく分からないところで、北朝鮮がその恩恵に与ったのはだいぶ後の話だと思うのですが (コメント欄にて水城徹氏に教えていただいた記事によると、1981年からMZ-80系機種が大量に輸入されていた模様)、いずれにせよ白頭山102号はあまり有効には活用されなかったようですね。

参考: BULL computers chronological history

水城徹水城徹 2005/08/12 22:40 北朝鮮のコンピュータ開発については、以下のような記事も参考までに。
http://hackjaponaise.cosm.co.jp/NorthKorea/bbslogs/nkoreabbs380.html
http://hackjaponaise.cosm.co.jp/NorthKorea/bbslogs/nkoreabbs325.html
http://hackjaponaise.cosm.co.jp/NorthKorea/bbslogs/nkoreabbs116.html
http://hackjaponaise.cosm.co.jp/NorthKorea/bbslogs/nkoreabbs1734.html

hallyhally 2005/08/13 07:33 これはどうもありがとうございます。どれも非常に興味深いですが、特に最初の記事に驚かされました。日本から大量に輸入されたZ-80コンピュータというのは、たぶんMZ-80シリーズのことなのでしょうね (CP/M互換機の総称かなとも思いましたが、豊富というほどゲームプログラムがあったはずもありませんし)。

「テコンドーゲーム」というのは、こりゃ間違いなく「カラテカ」のことですね。ということは多分Apple IIも入ってきていたのでしょうが、まさかあの敵キャラクタが共産党員を想起させ、検閲の対象にされていたとは。コンピュータゲームに対する思想的弾圧としては、たぶんもっとも早いケースのひとつなのではないでしょうか。

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08.11.2005

[] Stop The Express

ZXスペクトラムのゲームについてあれこれ調べていたら、ハドソンがこの機種にもいくつか作品を残していたことに気が付きました。

国内のゲームメーカーでスペクトラムに直接関わっていた会社は存在しないと思っていたので、それだけでも驚きなのですが、その中の1タイトルに「ストップ・ジ・エクスプレス」なんていう名前のソフトがあるではないですか。「チャレンジャー」(ファミコン) の一面に出てくるメッセージそのままのタイトル。これはもしやと思って、早速ダウンロードしてエミュレータで走らせてみたところ…… (注:シンクレア・リサーチ社経由で出たソフトはすべてフリー公開されています)

ご覧の通り、やはり「チャレンジャー」の一面に酷似した内容のゲームでした。主人公がナイフを投げない (かわりに敵が投げてくる)、スクロール方向が逆転している、敵の種類が圧倒的に少ないなど、いくつか顕著な違いが見られるものの、「チャレンジャー」のオリジナルアイデアがこのゲームにあるのは間違いないところでしょう。

「チャレンジャー」はハドソン初期のファミコン作品では唯一の完全オリジナル作品だと思われていただけに、これさえ原作付きだったという事実は、私にはちょっとした衝撃でした。というか完全オリジナルタイトルは結局「忍者ハットリくん」までなかったことになるわけですか。

[] ハドソン初期ファミコン作品一覧 (1984-1985)

タイトル 発売日 オリジナル機種 オリジナル発売年 オリジナル開発元
ナッツ&ミルク 1984/07/28 FM-7 1983 ハドソン
ロードランナー 1984/07/31 Apple II 1983 ブローダーバンド
バンゲリングベイ 1985/02/22 Commodore 64 1984 ブローダーバンド (「レイド・オン・バンゲリングベイ」)
チャンピオンシップロードランナー 1985/04/17 Apple II 1983 ブローダーバンド
スターフォース 1985/06/25 アーケード 1984 テーカン
プーヤン 1985/09/20 アーケード 1982 コナミ
チャレンジャー 1985/10/15 ZX Spectrum 1983 ハドソン (「ストップ・ジ・エクスプレス」)
バイナリィランド 1985/12/19 FM-7 1983 ハドソン
ボンバーマン 1985/12/19 PC-6001 1982? ハドソン(「爆弾男」)

改めて考えてみるにつけ、ファミコン初期のハドソンは原作の消化能力に抜群に長けた会社だったのだなと思わされます。以上の全作品に共通していえるのは、オリジナルのテイストを歪まない程度にときほぐしながら、ファミコンらしい親しみやすさを前提にアレンジを加えていることでしょう (「バンゲリングベイ」には異論もありましょうが) 。しかし「ボンバーマン」以降のハドソンは、そういった姿勢からの脱却を計り、オリジナル主体の会社へと大きく舵を切っていきます。

「ストップ・ジ・エクスプレス」に話を戻しましょう。このゲームは大ヒットこそしなかったものの、知る人ぞ知るタイトルとして、英国では一部で高い評価を得ていたようです。発売翌年にはコモドール64にも移植されました。これはハドソンによる最初で最後のコモドール64作品です。

デモ画面には「STOP THE "ITA EXPRESS"」なんていうメッセージが出てきます。そのことからも分かるように、開発者は板垣史彦氏。「ボンバーマン」をはじめとするファミコン作品や、X68000用ITA-TOOL BOXなどで知られる人物ですが、当時は他にFM-7などにも作品があり、広範に及ぶ才能には驚かされるばかりです。現在も引き続きハドソンで活躍中、映像/音声プロセサなどハードウェア開発に注力しておられるようですね。

loderunloderun 2005/08/12 02:04 はじめまして。いつも拝見させて頂いています。
この作品は『暴走特急SOS』という名でMSXでもリリースされているようですね。
http://www4.airnet.ne.jp/makuta/tagoo/s_check.cgi?LINE=312

tikaranotikarano 2005/08/12 10:36 バンゲリングベイはAppleIIではでていないのでは?Googleで調べたところでは、C64で1984年のようです。

tikaranotikarano 2005/08/12 10:37 あれ?そうなってますね。勘違いでしたorz

hallyhally 2005/08/12 18:19 loderunさん: ご指摘ありがとうございます。いや、これは全然知りませんでした。タイトルも全然違いますし、日本じゃ埋もれてしまっていたのでしょうかね。X1にも出ていた形跡があるようなので、もう少し追跡調査してみたいと思います。
tikaranoさん: あいや、最初はそのように記してしまっていました。ポスト後しばらくして気付いたので、あわてて訂正させていただいたです^^;

よしまつTUQよしまつTUQ 2005/08/14 19:44 「暴走特急SOS」はX1にも出ています。持ってますので間違いありません。X1Dの3インチディスク版で、メディアが物珍しいので去年買いました。

hallyhally 2005/08/15 06:26 うは、3インチディスクですか。お知らせいただきありがとうございます。当時のハドソンの傾向を考えると、たぶんテープメディアでも出ていたのでしょうが、ただでも不遇なゲームの3インチ版、けっこう貴重なような気がします。

katsumin1024katsumin1024 2014/03/26 16:23 1983年のハドソンは、とにかく微妙な評価のマシン語ゲームを信じられないほどのペースで発売し、国内メジャーな8bitパソコンのほとんどに移植していたという印象でした。
開発者様のHPを見るとX1版からMSX,C64,Spectrumの順で移植されたようです。
私の記憶では、暴走特急SOSは3インチ内蔵のX1D用に先行発売したいくつかのタイトルのうちの一つでした。
当時のハドソンのゲームはほとんどがX1が最初で、そこから88,60mk2,FMへと移植されていたと思いますが、暴走特急SOSあたりからファミコンやMSX主体へと比重を移し、88やFMにはデゼニランドなどアドベンチャーのみになっていきました。
(表のナッツ&ミルク、バイナリランド、爆弾男って本当にFM-7や60がオリジナルでしょうか?)

hallyhally 2014/05/29 23:09 お詳しい情報ありがとうございます。FM-7や60がオリジナルかどうかは確証ありません。この記事を執筆した当時の少ない資料に基づくデータです。

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08.05.2005

[][] Atari Flashback 2 Hacking

先日ついにアタリ・フラッシュバック2.0が発売されました。僅かながら初期不良を抱えた製品があるようですが、全体的な再現精度は上々とのこと。で、さっそく件のカートリッジスロット加工方法が紹介されています。本体にコネクタ内蔵という話でしたが、正確には結線箇所が基板上に用意されているだけで、コネクタそのものは自前で調達して取り付けてやらなければならないようです。それほど入手困難なものでもないようですが、パターンカットですぐ動作とならないのはちょっと残念 (改造版を売るとか言っている人もいるようですが)。

[] 『Retro Gamer』が隔月刊化へ

季刊のはずがいきなり隔月刊化し、あっという間に月刊となってしまった『Retro Gamer』誌ですが、今月より隔月刊ペースに戻るそうです。ここのところゲームギア特集とかMSX特集とかアタリ7800特集とか、イギリス人向けとしてはやや苦しい方面に走っていたような気がするので、多少やむを得ないところではあるのでしょう。ペースは落としも上質な誌面を維持して欲しいところです。

[] アミーガ生誕20周年

日本ではファンの間でももうひとつ盛り上がっていない感じですが、欧米ではアミーガ生誕20周年を祝う声があちらこちらで聞こえます。各種のアミーガ関連イベントも例年になく盛況なようですね。イッギ・ドロゥーゲ氏のAmiGBG 2005現地レポート写真から、その雰囲気が伝わって来るのではないかと思います。ええ、こんな素敵なケーキとかからも。

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08.04.2005

[] 「ブロックアウト」誕生の経緯

「ブロックアウト」といえば、テクノスジャパンとしては異色の3D「テトリス」としてご記憶のかたも多いと思います。これはカリフォルニア・ドリームズという海外メーカーによる作品の移植なわけですが、名前からしてアメリカの会社に違いないと思い込んでいたら、そうではなくてポーランドの会社らしいという情報を、コメント欄にてこうやまさんから戴いて驚きました。

英語圏の情報サイトでさえ普通にカリフォルニアの会社と書いていたりするので、にわかには信じ難かったのですが、改めて調べてみると、さらなるオリジナルの制作元として、PZ Karen (現Karen Notebook) の名前が浮かび上がってきました。PZ Karenはかつてポーランドのアタリ正規ディーラとして一時代を築き、ポーランドを名うてのアタリ大国に発展させたことで知られる企業ですから、ポーランド原産というのはどうも間違いなさそうです。「ブロックアウト」はポーランドのゲーム産業が生んだはじめてのインターナショナル・ヒットということになるわけですね。

PZ Karenの名前はしかし、アーケード版には残されていません。アーケード版の時点でオリジナル版の表記はカリフォルニア・ドリームズに一本化されるわけですが、これは結局何者なのかというと、同じくポーランドのパソコンディーラ兼ソフトウェア会社である、ロジカルデザインワークス (LDW) 社の一部門です。LDWは当初、米ストラテジック・シミュレーション (SSI) 社の下請けとして、主にIBM-PCへの移植作業に従事したりしていたようです。しかし1987年頃からオリジナルソフトウェアの開発およびその国際流通にも着手。このときにカリフォルニア・ドリームズというゲーム専門ブランドが生まれました。初期の主な対象機種はコモドール64/アミーガ/IBM-PCで、「ヴェガス・ギャンブラー」や「クラブ・バックギャモン」を皮切りに、スタンダードなカード/ボードゲームをいくつか送り出しています。

こういった作品やビジネスソフトのリリースによってある程度流通基盤が整ったところに、同じポーランドのPZ Karenから「ブロックアウト」がもたらされたわけです。PZ Karenも優れたソフトウェア開発能力を持ち、やはり早くから西側にソフトを提供していたといいますが、LDWのように国際マーケティング能力を磨いてはいませんでした。この自信作を世界展開するためには、LDWの流通網を借りる必要があったのでしょう。

「ブロックアウト」は1989年に、まずIBM-PCで登場し、次いでアミーガとコモドール64にも矢継ぎ早に移植されました。そしてそれからあまり間を置かずに、アーケード版が続きます。ライセンスものにあまり熱心ではなかったテクノスジャパンが、かくも早い段階でアクションを起こしていることには驚かされます。テクノスジャパンはこれより数年前、欧米における「ダブルドラゴン」の一大ヒットを契機にアメリカ法人を設立しており、いまだアーケード不況を引きずるアメリカにおいて、もっとも信頼される業務用ヴィデオゲームメーカのひとつとなっていました。したがって事業拡張の意欲も高まっていたでしょうし、LDWの眼にも真っ先にアプローチをかけるべき相手と映ったことでしょう。

「ブロックアウト」は結局テクノスの思惑ほどヒットせず、PZ Kazanもこのあと「ストリートロッド」「ストリートロッド2」(Amiga/IBM-PC) の2作をリリースしたきり、コンピュータ/ヴィデオゲーム史から姿を消していきます。しかしこれらはアコレイドの「テストドライヴ」と並ぶカスタマイズ主体レースゲームの先駆として、高い評価を得ています。

こうやまこうやま 2005/08/05 07:34 早やっ!…これだけであんまりなので(^_^;)所感を。そもそもこれを聞いたのはhallyさんも注目した「Takaさんの洋ゲー研究所」を作るきっかけとなった「Arcade Game Data Base」(既消滅)での「Block Out」の説明文が元です。たまたま東欧の話題でしたし、私は落ち物は得意不得意が激しく上、これが結構好きなので、書いてみました。洋ゲーに詳しいと言う事から、もしかするとこれもTakaさんの情報提供なのかも知れません。Takaさんと連絡がとれていればhallyさんに紹介したかったのですが、残念。

hallyhally 2005/08/11 16:11 なるほど。Arcade Game Data Baseは未見でした。「Block Out」は私はどちらかといえば苦手なゲームなのですが、出自を考えるともう少し注目されてもいいのではないかと思うようになってきました。これを書いたあと、幸運にも当時のPZ Karenの方と連絡を取ることができまして、後日もう少し詳しい話をお伝えできるのではないかと思います。Takaさんには機会があればぜひ一度いろいろご教授願いたいです。もうご連絡がなくなってだいぶ経つのでしょうか?

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08.01.2005

[] All About 光速船 開設

光速船/ヴェクトレクスについて詳細かつ丁寧にまとめた日本語サイトを、okaz氏がオープンされました。豊富な写真によるゲームソフト紹介や、各国版の特徴解説まで、見所たっぷりの内容です。日本でもヴィンテージ層には特に人気の高いゲーム機ですが、ここまで気合いの入った総合情報サイトは、たぶん初めてでしょう。

欲をいえば、オリジナル版ヴェクトレクスの開発経緯にもう少し突っ込んで欲しかったところです。ご存知のうえで端折っているのだとは思いますが、もともとヴェクトレクスはジェネラル・コンシューマ・エレクトリック (GCE) 社が開発したものではなく、ウェスタン・テクノロジ (スミス・エンジニアリング) という会社で考案されたものです。しかも近年の開発関係者インタビュによると、試作型ヴェクトレクス「ミニアーケード」は、1インチというきわめて小さなオシロスコープを使用しており、当初は携帯型ゲーム機を想定していたといいます。位置付けとしては、マイクロヴィジョンの後継機というところだったのでしょう。これも同じくウェスタン・テクノロジが開発したもので、ゲームボーイのご先祖様ともいうべき、プログラム方式の液晶ゲーム機弟一号です。

「ミニアーケード」の企画は、1981年にフィギュア大手であるKenner社に持ち込まれました。このときオシロスコープのサイズを5インチに拡大するよう注文が付き、携帯ハードウェア構想から一歩遠ざかることになるのですが、Kenerによる製品化は結局流れてしまいます。その後ウェスタン・テクノロジはもう一度売り込み先を探し、今度は電卓・液晶ゲームメーカーであるGCEとライセンスを締結。ここで9インチという家庭用テレビに近いサイズのオシロスコープ採用が決まり、我々の知る光速船のデザインに到達します。

ちなみに公式英文FAQには「後年ハンディ機を計画したがゲームボーイの普及により断念」とある、ギャグなんだがマジなんだか区別が付かんねコレ。

これはようするにオリジナルアイデアに回帰しようとしていたわけですね。

余談: 光速船のコインオペ版、私が幼い頃に玩具店で見たものは、本体にコインボックスと土台だったか足だったかが付いているだけという、アーケード筐体にはほど遠いものでした。あれはもしかするとオフィシャルなものではなかったのかなあ。

okazokaz 2005/08/02 00:26 うわ、ご紹介ありがとうございます!

スミスエンジニアリングの件は公式FAQにもあるので知ってましたが、何分英文力が不足している身ですのでミニアーケードの詳細までは知りませんでした。解説ありがとうございます。

コインオペ版は諸説あって色々と謎です。実物を見ている同年代の友人も何人か居るので今度記憶を突き合わせて確認しようかと思います。

suga-tourusuga-touru 2005/08/02 02:20  私が見たことがあるのはコインシューターと覆いが付いている程度の物ですね。それに金属の細い足(椅子のようなイメージ)がついていたように思います。イメージ的にはガチャガチャみたいなものです。

AX56000AX56000 2005/08/02 20:46 普通の光速船本体に
旅館のTVによく付いてるコインタイマー
というのは見た事ありますが違いますか?

こうやまこうやま 2005/08/03 03:58 あーいうコンテンツをやってる関係上、私もベクタースキャンは好きです。以前神田のゲーセンで光速船を常時デモってた(ただのディスプレイでプレイ不可)所があり、自分のHPにも載せていたのですが、閉店してしまいました。P.S.こんな場所ですがreplicornさんどうもです。サイト拝見しました。hallyさんの様に同じコンテンツごとの目次があると嬉しいですね。スペースキング2は横浜ドリームランドにありました。

hallyhally 2005/08/04 14:00 私が見たのもイメージでいえばガチャガチャです。足が金属製だったかどうかは忘れましたが、小学校低学年でも普通に画面を覗くことができたので、同じような親近感を抱いていました。コインボックスはたしかに旅館テレビのように後付けのものでした。いずれにせよ本体剥き出しというのは共通項ですね。

replicornreplicorn 2005/08/13 10:23 こうやまさん、どうもです。コンテンツごとというのは「STG年表」のことでしょうか? 将来的にはそこまで手を広げていく予定です。とりあえず未発掘のゲームを掘り起こしたいです。International Arcard Museumになくてもピンボール愛好者のサイトではリストに上がっていたりと難儀しています。ちなみにブログのほうは雑多に書き連ねています。これをまとめて本陣へ反映していたりします。
 スペースキング2は横浜ドリームランドで現役だったのですか。うーん、やってみたかった・・・

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