伝書鳩が帰ってこない

最近、とても涙もろくなった。
というよりは決壊したままになっていて常にうるうるなのである。
本を読んでも新聞のニュースも音楽を聴いても、うるうるがぽろぽろになってしまう。
場所の制限もないものだから、道を歩いてても電車の中でも湿度100%である。
そうか、これが梅雨というものなのかと無理に納得して面白がっている。


そういう意味で私の雨季はいつも4月だった。
多くの人が五月病にかかる一足前に、私はバイオリズムの低迷期という雨季を迎える。
けれども今年は3.11以後非日常を必死で漕ぎ進んだわけで、
世の中のバランスが崩れている渦中で私の慣性も例外ではなかったと言うべきか。
ただし、必ずしも落ち込んでいる訳でもない、今年は特別仕様の雨季。
これはなかなか良いと思っている。
涙が流れると気持ちがすっきりして穏やかになるのでね。


庭の塀の上を今日も妊婦の猫が通る。
妊婦と思っていたがいつまで経ってもそのままなのでただの肥満かもしれない。
珍しくこっちをふり向いたのでピースサインをしたらじっと見つめ、
またふいっと前方を見据え、
私が再びピースサインをしたらまたもやじっと見つめていた。
何度かそれを繰り返したのち猫は隣家へするりと音もなくすべり込んで行った。

言い伝えの変容

京都は夜が早く訪れる街である。
東京があまりに眠らない街だったことの裏返しでそう感じるんだろう。
スロースターターの私は気がつくと一日何も出来ないまま、
とっぷりと暮れた空気の底面で後悔している。
それもあってこちらでは本ばかり読み耽っている。
いい本屋さんは多いので連日遅くに出向き、時には店主さんとお喋りもし、
わっしわっしと読んで読んで飲み込んでいる。
そして、具体的に何を読んでどう思ったかはツイッタに書いていっている。
けれども、自分にとって何もかも事足りていた環境から早く脱却して、
我が身の動き方を定めなければならない。
方位磁石のないままふらりふらりとしているのは辛いし、第一だらしがない。
でも考えていたより難しいよ。


時には日も浴びて光合成をして、結実も待つよ。

葵祭、下賀茂神社流鏑馬を見て、胸を打たれた。
疾走する馬を乗りこなす姿の迫力と言ったらなかったよ。

暑い暑い日、日傘を差して哲学の道を辿って終着は銀閣寺。

緑がしっとりと濡れて美しく、まるで庵のように佇む銀閣寺だった。

橙がたわわに実った樹が境内にあるこちらは、広隆寺
弥勒菩薩半跏思惟像の御前にもお供えしてある。

聖徳太子の発願により秦河勝が建立した太秦のお太子さん。
現存する京都最古の寺院とのこと。

京都御苑にほど近い、相国寺
壮麗な伽藍が見たくて訪れたのだった。

雨の日にした水が満ちないという水路があって、
ちょうど雨上がりだったのでその様子が見られた。


今の私の結実って一体なんだろうか。

ツイッタ始めました

世の中の流れに2周りくらい遅れて、Twitterとやらに加わりました。
折角iphoneなのと新しく住み始めた土地で右も左も分からないのとで、
毎日の中で楽しいことが見つけられたらいいなあと思い始めてみました。
今までは、
blogがこれ以上疎かになったら良くないぞと手を出さずにいましたが、
自分がなんとなく使い分け方を掴んだのでこちらでお知らせします。
主に読書メモとお散歩中継となっております。
いまいち使い方が分かっておらず、リプライって、ハッシュタグって一体?
というありさまで手間取っておりますがのんびりと楽しんでみます。
お気に召したらお気軽にフォロー(@orion_labo)してみて下さいね。
http://twitter.com/#!/orion_labo


久しぶりに食べ物写真でも載せてみることとします。

さらば東京の前にどうしても行きたかった、
フルーツパーラーフクナガの苺たっぷりのフルーツサンドを締めくくりに。
今頃はさくらんぼのパフェかな…食べられないのが残念です。

レモンすりおろしをたっぷり使ったケーキ、の最後のひとかけらです。
柚子もオレンジも良いけれど、レモン&はちみつのあの芳香は抗えないもの。

関西ではメロンパンというと白あん入りのアーモンド型と聞いていて、
確かにこっちでは多くのパン屋さんで並んでいるのを見ます。
そもそもメロンパンもメロンのパンじゃないのに、
こうまで独立したパンになるとは不思議で、楽しくて、そして美味しい。

引っ越した当初から庭にあるアレは苺の葉ではないか…と睨んでいたものが、
思惑通り苺で、しかも立派に実を結んだのでした。
人間の食べられる苺でしたが私は新入りなので虫たちに譲りました。

久しぶりにお菓子を焼いたのがカモミールのシフォンケーキでありました。
少々ミントも入っているので焼き菓子には珍しく清涼感もあり。
リラックス効果が高いカモミールのお陰で食べるとむにゃむにゃ、眠くなりました。

萌え出のち晴れ

GW後半は母親が上洛し遊びにやってきたので、
お日様ぴかぴかの暑い日に一緒に府立植物園へゆきました。
ここの植物達は本当に生き生きと呼吸をしているのがよくわかる。
整備されすぎず奔放に育っていて、やんちゃな雰囲気です。
まるで親戚の家の畑でも見ているような微笑ましさが溢れています。

水玉柄になって可愛いのは、大きな木の下、雑草の充ちたカーペットです。

花蛍という植物の造形は妙に惹きつけられるのでした。
ぱつぱつのドーム、針山にして手首にくるりと巻きつければあなたもお針子。

なんとも可憐な1、2cmのこんまい百合でした。
名前は分かりませんが、品があって漂う香りも一味違う気がしました。

蔦がくるくる渦巻いて先に成る実は藍色、
シルエットそのまま浴衣の柄にでもしたいと思った。

甘食とベーグルとドーナツの店のよう。

古都の軒先、番傘のような趣き。

傘重ねあうも何かの縁の三兄弟…と一人っ子。
 
ゆで卵の輪切りみたいで美味しそうです。
白と黄色って赤ちゃんを連想するのはもとが卵だからなのか。

芥子はどこか妖しげで少し恐い感じがする。

だってほら若いときからこんなにもじゃもじゃして、
正体がつかめないし、正面も向いてくれないし…。

この幹から根にかけての筋張った線、きっとこのヒトの性格を表しています。
地中でも帯状のまま金脈みたいに延びているのかも。
 
ぽってり丸みのある葉が枝垂れて美しい緑のテントを形作っています。
この下を通り抜けると世界の色彩が変わります。


ちょいと暑さにやられつつも、楽しい植物達と会えて満足しました。

HOSONOVA

GWは一時東京に戻り細野晴臣さんのライブHOSONOVAを見に行きました。
なんとまあ指定席ライブでは人生初の最前列でして、
しかもこの世で一番好きなミュージシャンの細野さんのライブで。幸せです。
馥郁とした香りに満ちた音と音の狭間で揺られて来ました。
素晴らしくて、何度も涙ぐみました。
陳腐な言い方だけど音楽って人を変える力があるんだと思いました。
放射能の事にも触れ、ガイガーカウンターを常に持ち歩いているとか。
KraftwerkのRadioaktivitatを豪華メンバーで演奏されました。
とてもかっこよかった。でも日常ってとても儚いものなんだと考えてしまう。
「テクノを無理矢理フォークでやります」
「フォークをテクノでやるのは…YMOにまかせます」
「任せますって言ったって自動的に自分もやらなきゃいけないんだけど」
放射能汚染の強い土壌や水には気をつけないといけないけどライブには行ける」
なんて言っておられました。


細野さんの最近の言葉にこういうものがあります。
「社会的な意味で、人類にとって未知の領域に突入した時代。
津波の前の引き潮のような感じ。
押す力と引く力が拮抗しているような気分もあり。
希望が絶望の影に隠蔽されているような…。」
そこに、言葉にできない感情を喚起するものとして音楽があると。
何か胸の深いところで納得しました。

クローバー絨毯によせて

どこもかしこも鮮やかな緑でふちどられて美しい季節になりました。
新緑の5月は1年のうちで一番好きなので晴れの日はもれなく散歩をします。

東京の住処を引き払い京都へやって来ました。
3月11日から2ヶ月が過ぎ、コペルニクス的でんぐり返し、今私は元気です。
地震の日より毎晩苦しんでいた悪夢にもようやく解放されて、
神経性胃腸炎も治って、ああ良かった。
世の中はとっくに息を吹き返ししているのに、
自分自身の再起動にこうまで時間がかかるとは、
つくづく社会的欠陥人間なのだと思い知らされたよ。
それでも、今回色んなことを考えて次の幕を上げることにしました。


以下、ちょいと堅苦しい語り口です。
東京では放射能汚染を危惧する事を冷ややかな目で見られることが多かった。
私は、未来のいつか健康な赤ちゃんを産みたいからという理由で決断したけど、
東京が大好きだったし離れるなんて考えたこともなかった。
自分なりに負荷を担う覚悟で行動したことにヤイヤイ言う人は、悲しいです。
危ないものを恐がることをなぜ非難されなければいけない?
非難するなら納得できるだけの情報収集を自分でしてみての結果なのか。
「TVが言ってるから大丈夫」も「一緒に頑張ろう」も、おかしい。
実害は実害であって、精神論でどうにかなる範囲などとうに超えている。


で、関西に来てみて思ったこといろいろ。
放射能汚染を避けて移動した個人や企業が思いのほか多いことを知りました。
そして引越しの理由を言ったときの反応が冷たくない。
それであの関東の過敏反応層の疑問が少し解けてきました。
恐らく、それをキーキー言う人は、
自分は今の生活を変えることが出来ないというもどかしさ、
怒り、悔しさなどから噴出しているのかもしれません。
そう考えると全ては被害者です。とても難しい。
私も今も自分の選択はずるかったのかな、とか、考えると涙が出ます。


けれどもそんな涙などは宇宙から見れば小さい事です。
それより原発をなくすために意識を濁らせないようにして、
にこにこ笑いながら京都の素敵なところをもりもり見つけたいと思います。
さあはじまり。

美術館いろいろ

引越しの前に行っておきたくて駆け回った展示いろいろのことを、
忘れないように少しずつ記しておきたいと思います。
節電や設備修繕でプランが大幅に狂い企画者側も本当に大変だったことと思います。
そんな中でも、そんな時だからこそか、行ったことで私は心が落ち着きました。
ふーっと肩のこわばりがとれて、
目の前のものに対する感覚だけで生きていられてほどけるような気持ちでした。
周りにもそんな表情をしている観客が多く、きっとみんな同じだったのでしょう。


フェルメール<地理学者>とオランダ・フランドル絵画展@文化村
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/11_vermeer/index.html
フェルメールは陽だまりに愛されている。
透明感に溢れる絵画はとても優しく柔らかくまるで音楽みたいだった。
一方、大航海時代のあれこれ(地球儀や天体儀や地図やコンパス)を
随所に見つける楽しみもあったりして。
時代の科学が顔を覗かせているので今までない見方が出来た。


●フレンチ・ウィンドウ展@森美術館
http://www.mori.art.museum/contents/french_window/index.html
窓の全く意識が変わるその不思議な隔たりを開いてみる。
コンセプトは良いんだが内容自体は個人的にはまあまあ、かもしれない。
ニコラ・ムーラン、フィリップ・ラメットが見られたのは良かったが、
何かを打破するエネルギーというのはあまり感じられず、終始上品という印象。
現代美術はやっぱり今アジアが一番面白いと思うな私は…。


●シュールリアリスム展@国立新美術館
http://www.sur2011.jp/
期待を裏切らない楽しさ、まさしくワンダーランドだった。
シュールリアリスムって「人間の無意識の世界の探求をおこない、
日常的な現実を超えた新しい美と真実を発見し、
生の変革を実現しようと試みるもの」なんて言われている。
難しいようだけど要は何かをする時に邪魔をする壁がないことだと思う。
大好きなマックス・エルンストもたっぷり見られて満足した。
私の趣味は、幼い頃から父親がポール・デルヴォーやキリコを見せに
美術館に連れて行ってくれたからだろうと思うが、とても感謝している。
子供が見ても絶対に楽しいもの。


●幕末の絵師狩野一信 五百羅漢@江戸東京博物館
http://500rakan.exhn.jp/
引越しに間に合わずどうしても諦められなくて、わざわざ上京して観に行った。
安っぽい言葉だがそこらのサイケよりサイケデリックで連れさられること請け合い。
実際、途中何度も意識が遠のいて倒れそうになった(寝不足もあるけど)。
執拗な書き込みは日本人の執念深さが良い意味で現れている。書き手も観客も巻き込んで。
さらに洋風の陰影法、遠近法を取り入れたその画風は圧倒されること間違いなし…。
狩野一信は大昔の別冊太陽のデロリ特集か何かで知ったのだったが、
なんじゃこりゃーと思ってそれ以来忘れられずに居たから全百幅見られるなんて夢みたいだ。
おまけ情報!
最新号の芸術新潮の狩野一信特集はよく出来ていて見やすく、本展の図録買うよりもお勧め。
芸術新潮 2011年 05月号 [雑誌]


ヘンリー・ダーガー展@ラフォーレミュージアム
http://www.lapnet.jp/event/event_l110423/
ヘンリー・ダーガーとは謎に包まれた人で、
非現実の大国という物語の制作は、
人に見せるためでも余暇の楽しみでもなくて自分が自分であるための砦、箱庭だった。
それが何にも敵わないところだなあと思うところがある。寒気を感じる。
そういう他人に見せないはずのものを見ているのだから、
私達はそれ相応のショックをそれは受けるはずだ。
少女のイノセンスと殺戮シーンの差をどうのこうの言う人が居るがあれは当たり前だ。
しかし淡い色合いの可愛らしい洋服と花畑というチュールを纏ってそれは美しかったよ。


岡本太郎展@国立近代美術館
http://www.momat.go.jp/Honkan/okamoto_taro/index.html
岡本太郎こそはその場で見て感じる、それだけなので何も言わない。
代わりに渋谷駅に飾られている「明日の神話」にまつわることを描こうと思う。

作品の右下に新たに付け加えられた福島第一原発事故をモチーフとしている絵の件は、
ニュースにもなって一時的に騒がれたけれど、
チンポム(アート集団)の仕業だったと聞いて、割と好きな人達なので凄く納得した。
実際に私もそこを訪れて見たけれども、
面白い事をするなあ、芸術ってこういう風にあるものだなあって肯定的に思った。
作品を傷つけるわけでもなく更新していて、
おまけに自身の展示の布石になっているなんて上手いことをする。ある意味時代の寵児
岡本太郎や敏子さんは空の上から笑って面白がっただろうね。