昔の新聞切り抜きから

  退職して家に籠もるようになった者がまず始めるであろうことの一つ、自分の部屋の大整理を敢行しました。本や書類などを高さにして1メートルくらい廃棄することができてすっきりしたのですが、その過程で出てきたのが、茶色く変色した大昔の新聞の切り抜き。思わず懐かしく読み返したのですが、とても良いことが書いてあって、このまま無くなってしまはないよう、このブログに転載して保存しておくことにしました。昔取っていた朝日新聞の声欄などに市井の人が寄せた文章です。

朝日新聞 声欄
「真の中流は内から輝く」 (東京都 馬瀬涼子  会社員 49歳)
  世はあげて中流意識中流指向。政治の貧困何するものぞ、と意気盛んな昨今である。
  しかし、中流と自称するならば、いま一歩、内なるもの、つまり精神面を、とくと、ながめてみたい。 
  私の知る限り、昔の、いわゆる中流階級と称せられた家庭を思うに、子女たちへのしつけの厳しさは、格別のものであった。礼儀しかり、節度しかり、弱者、他人への思いやり、物に対するいとおしみ、すべからくに感謝の心を、等々。
  こうして青年期までの幾星霜、無数の教えに支えられて、優れた人格、品性が培われてきたと思う。故に、自らをして中流と唱えずとも、内なる輝きが、雄弁に、その生い立ちを物語ってくれる。
  当節、枚挙にいとまがない、どこかの国の悪徳高官連にしてしかり。灰色の栄光に追いすがる生きざまは、問わずして、精神構造の貧しさ、粗末さを披瀝して余りある。
  外観を飾るはやさしい。だが、長い時間をかけてはぐくみ、みがき抜かれたものの結晶が、言語、動作、姿の上に花をそえ、冒しがたい品位となって人を魅了する。
  真に中流たらんとするからは、それらのことに心せねばなるまい。 》


朝日新聞 談話室
「貧しくとも平和な余生送りたい」 (群馬県 島山保治 小売業 67歳)
  私の親は、父が八十、母が八十一で亡くなった。ごく平凡な、あるいは他人の目には平凡以下に見えたかも知れぬ。そんな父母の老後に対して、既に老年を迎えた私たち夫婦も、父母のような老後であってほしいと思っている。
  私の父も母も貧乏な家の生まれで、二人とも文盲に近く、従って小作百姓で生涯を送ったと言える。苦労して収穫した米も、半分くらいは地主に納めねばならず、小作料の納め時など、米俵を荷車に積み、父が引き、子供の私が後を押し、大尽様の門をくぐった。そんな時、子供心にも貧乏は悲しいものだとつくづく思った。そんな父を助けるために、母も必死に働いた。
  しかし、そんな父母にも冷たい冬ばかりではなかった。やがて春が来る。子供たちが成長し、兄が後を継ぎ、三男の私は外へ出て妻を迎えた。妻は、何かの用で私が実家を訪ねる時など、決まっておじいちゃん、おばあちゃへのお小遣いと言って、わずかだが私のポケットに入れるのである。それを父母に渡すときの幸福感、受けとる父母のうれしそうな顔。
  私たちもこの先どのくらい生きられるか知らないが、亡き父母の老後のように、貧しくとも平和な老後であってほしい。 》

  以上2編。メモしていないので掲載年月日は不明なのですが、30年以上も前、その当時の私の心に響くものがあったために切り抜いて、しばらくは机上のガラス板の下に入れていたような気がします。

  まず最初の投書ですが、高度経済成長もあって人々の暮らしが良くなり、「一億総中流」といわれる時代ともなったが、物質的豊かさを求める半面で、人々の精神的豊かさはどうなのかを問うています。かつての中流階級の家庭で大切にされてきた価値観が失われつつあるのを嘆かれているのだと思い、当時「中流の下」くらいの経済状態と思っていた我が家における、私自身の生き方や、子どもたちへのしつけの心構えとして参考にしたいと思いました。
  で、それから幾星霜、そのような価値観を体現できたかどうかですが、自分自身は真面目に生きてきて、礼儀や節度、思いやりなどはそこそこ持っているつもりですが、客観的に見られたら自信がないといったところです。子どもはそのように育てたかということでは、息子が小学校上級生の頃、焼き肉食べ放題の店に連れて行ったら、何皿でも頼むので、こういう店は品位を損なうと気がつき、以後行かなくしたことがあった程度の教育はしましたが、果たして中流らしく育ったかどうか・・・。
 一方、世の中一般に目を転じれば、現在でも、国会に証人喚問された学校法人理事長や親子2代にわたって女性スキャンダルを起こした衆議院議員など、いかがわしい人士が後を絶ちません。一億総中流どころか、子どもの貧困とかも問題となる格差社会現代社会において、貧しくとも立派な倫理観や価値観を持って過ごしている人々が沢山いるのに、社会のリーダー層にある人々の一部が起こし続ける問題状況には、昔以上に厳しく対処していく必要があると思います。
 
  2番目の投書には、本当に心が洗われます。貧しくとも懸命に生き、温かい家庭を築いてきた人たちの幸せ。まさに、1番目の投書者が問題にしているような、経済的に豊かであっても貧しい精神構造しか持ち合わせていない人たちの生活とは対極的なものです。亡きご両親と投書者ご夫婦。この投書に綴られた、配偶者の親に対する敬愛も含めた深い親子愛や夫婦愛に改めて感動を覚え、現代社会にもこのような家族関係が普通のこととしてつくられていくことを願っています。