hamaji junichi

composer saxophonist

《変容の対象》2011年2月13-14-15小節目

《変容の対象》2011年2月13-14小節目を福島諭さんから受け取る。http://www.mimiz.org/index.php?ID=567

14-15小節目を送る。





ジャッキー・ブラウンを観てその勢いで、次の日pulp fictionを観て、サミュエル・L・ジャクソンの聖書の一節を読む声にやられる。


昨日は地元で室内楽を聴きに行った。ピアノは村田千佳さん、ヴァイオリンは瀧村依里さん。モーツァルト、ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ホ短調 作品304。モーツアルトのかすかに薫るデーモニッシュ。

他にベートーヴェン、ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第5番作品24「春」第1楽章、ブラームス ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第2番 作品100など聴けた。

地元でこういった編成の室内楽が聴けるのはとても良かったのだが、個人的に残念だったのはアンコールで地元出身のフォーク歌手の曲をピアノとヴァイオリン用に編曲して演奏されたことには悲しくなったのだった。演奏会の主旨がチャリティーであり、その関係で(つまり主催の意向、リクエストで演奏をお願いされたと推測するけれど)その曲が採用されたことはなんとなくわかったが、そもそもクラシックの演奏会でフォークを聴きたいと思う聴衆がいるのだろうかと純粋に思う。そういった音楽はそれを望む聴衆がいる場があるだろうと思う。自分は音楽作品の構造を楽しむように聴くので、べートーヴェンやモーツァルトブラームスの高度な音韻情報を聴いた後、フォーク音楽の良く言えばシンプルすぎる音韻構造を聴かされたうんざり感があとあとまで残り、とてもとても残念だった。演奏者には非はまったく無い。

この演奏会の目的のひとつとして地元に「質の高い文化イヴェントを」とプログラムにもあった。そうであるなら、「場」を提供する者としてももっと洗練された審美眼を主催者がもたなければならないと思う。地元の芸術に触れる機会の極端に少ないことは自分も承知していて、こういった運動は本当に素晴らしいと思う。だから、なおさら残念に思ったのだった。「質の高いもの」を標榜するのなら、むりやり地元への関連性を演出したり、チャリティーであることを(この場合楽曲で)演出したりすることはやってはいけないと思う。聴衆をばかにすることに繋がるからだ。