hamaji junichi

composer saxophonist

第17回文化庁メディア芸術祭(回想)

ミレイの「オフェーリア」は、やはり、、、


2月5日に東京に入る。五反田にホテルをとり、眠る。ほとんど街を見ることもなく、ホテルのなかで食事をすます。


2月6日。午前中に福島諭さんと連絡をとり、六本木にむかう前、渋谷で待ち合わせをする。待ち合わせの時間、ハチ公口の横の喫煙エリアで煙草を吸い、もうこういったことに苛立ちすら感じなくなっている。少し遅れそうとの連絡をうけ、ユニオンに行ってみる。多分買うものはないのだけれど、昔東京に住んでいた頃にはほとんど頭のおかしいぐらい通っていたところだ。JAZZ。その道すがら、ミレイの「オフェーリア」がデパートの壁面に大きく掲げられているのを見た。六本木、森ビルで開催されている。行かないわけにはいかない。ほとんど啓示である。自分がこれから演奏するのも六本木。以前演奏したうっすらとした記憶では近かったはずだ。今日演奏するうちの一曲の題名はオフェーリアが含まれている。主題として。福島さんと見なければならない。ハチ公の近くにもどり、サークル型ベンチにすわり小説を読み始める。すぐに福島さんのお父さんに声をかけられる。お父さんも今回は一緒に上京され、我々の発表を見てくれるという。



2月6日。渋谷に向かう前、山手線車中。グッチのモノグラムイカットスニーカー、伊達眼鏡はクロムハーツウェリントン型でレンズ抜き、えんじ色のスキニーに濃紺のPコート、なかに着たニットはさりげなく上質であり、右手中指に嵌めたリングは繊細で洗練された形状をしている、、、どう見ても20代そこそこの肌の透けるように白い女の子が居た。顔は彼女は座っていてうつむき、自分は斜めから立って俯瞰している為髪の具合ではっきりとは見えない。が、美しいと思わせるだけの何かはあり、、、と見ていたら、目の前の席に座った人たち彼女を含め全てスマートフォンで何かやっている。現象。

2月6日。六本木。ひとまずsuper deluxeに入る。ゲネ。

2月11日。御坊市(和歌山)にトルベール・カルテットを聴きに行く。サックスの調整をしてもらっている岡崎さんが教えてくれた。演奏は素晴らしく、リヴィエ「クラーベとプレスト」ピエルネ「民謡風ロンドの主題による序奏と変奏」が聴きどころだった。クラシック・サクソフォンのヴィルトゥオーソ4人の演奏。僕のようなものでもサクソフォン・カルテットは生で聴く機会が今までなかった。それを和歌山で聴けるとは思わなかった。三井住友海上文化財団のコンサート故にこういうことが可能なのだろう。それ故チケットも信じられないぐらい安価で聴ける。これはあたりまえのことではない。

2月14日。福島諭さんより《変容の対象》2014・2月第1小節目が送られてくる。冒頭文とともに引用された説明文が添えられている。


2月15日。1−2小節目を書く。少し晦渋するような気が昨日はしていたが、1小節目の途中まで書いて、今日最後の拍、16分音符、付点8分音符を書いて2小節目に書くべき動きを得る。


0時少し前に送る。

2月6日。super delux。ゲネの前、煙草のことを聞く。いつもは煙草はOKのはずだ(前に演奏したことがあるから。前述。)が、誰も吸っていない。聞くと、どうやらこの日は全面禁煙ということだった。楽屋裏に煙草のスペースをつくってもらった。夢のように面倒だが今さら煙草はやめられないし、素直にありがたかった。他にも吸われる人もいるはずだが、ほとんどもう吸う人は少ないようだった。あまりそのスペースで人と出くわさなかったことからも、そういうことなのだろう。マイノリティーでもこういうマイノリティー性は誇るべき根拠がない。そうしてやり場が無い。悪いのは差別にまで振れるマスイメージと連動した声のでかい偽善者たちである。総意を形成する大衆心理には意思など無いのは今にはじまったことではない。だから大きく振れる。ああ、やめよう。文化庁メディア芸術祭のスタッフだろうか、、、多分そうだ、、、が数人フライヤーを纏めている。ひとり、笑顔の尋常ではなく美しい女の子が居た。グリーンの服。なんとも美しいので、少し心に残った。それだけ。ゲネがはじまり、譜面と前段階のメール、あるいは電話などの打ち合わせ以外準備の時間、機会がない我々だが、そういう限られた条件下でも初演作品が演奏可能になってきたのはやはり長い時間を今まで共有していた成果のひとつなのだろう。ゲネの時間さえあればどうにかなるのは最早あたりまえのように、我々はそれを意識すらしなくなっている。



《slapstream》(2014) 作曲:濱地潤一

meta弦楽四重奏構造をもつショートピース。コンピュータ処理はインデックス69個の数列で管理される。

《分断する旋律のむこうにうかぶオフィーリアの肖像。その死に顔》(2013-2014) 作曲:濱地潤一

2013年に第1稿が書かれ、その譜面をre-constraction(第1稿が原曲とするならまったく別物の様相を示す)したものをさらに新第1稿とする書式が採用されている。その時点で2013年に書かれた第1稿は消えるが、背後にはその原曲が息づいている。さらにコンピュータ処理はその時間軸に於ける過去性、現在性の反映を行い、表題とリンクして機能する。



《Patrinia Yellow》改訂版(2014) 作曲:福島諭

昨年、韓国で初演されたコンピュータとクラリネット作品のサクソフォンver.



そういった背景もあり、ゲネではゆるされる限り一通り演奏したいとは思っていた。どうにかぎりぎり時間をいただけ、福島さんとお父さんと外に出た。見晴るかす高層ビル群。吹き抜ける風は舞うだけ舞って上空に吸い込まれてゆくようだ。幻。森タワーに入り、すかすにも程があるほど「すかした」インフォメーションの「おねいさん」のクール極まる案内にちょっとだけ気分が落ちるが、それが東京というものである。悪意などないのだ。受取手の問題。いや、人の問題だ本当は。コミュニケーションの階層、差異、断層。「ラファエル前派展」ここにかのミレイの「オフェーリア」が展示されている。前述の初演作品の2曲目《分断する旋律のむこうにうかぶオフィーリアの肖像。その死に顔》の最初のskypeミーティングで、このミレイの絵画の顔を見て下さいと福島さんに言ったことを憶えている。第1稿の譜面を書いた後のことだ。ほとんど啓示と書いたのはそういうこと。符号の一致もこう見事に決まると必然、運命的なものを感じると言いたくもなるが、偶然のマトリクス上で起こる反応でしかない。のはわかっているがこっちにはくる。説明文ではミレイは当時あまりの写実主義の為、まわりから認められなかったとある。愚。実際に「オフィーリア」を見たら泣いてしまうのではないか。と思っていたが泣きはしないがその死に顔にはやはりやられてしまった。背景の精緻な描写もクリアすぎる。その瞳。こんな絵を描かせてしまうシェークスピアにも畏敬の念をもった。展示のなかではシェークスピアの部屋と題された絵画もあり、福島さんが見入っていた。オフィーリアの死の場面はそれほど大袈裟なシーンとしては書かれていない。それだけにこの絵画がオフィーリアの悲劇性を後世にある輪郭を与えたのは確かなようにも思われる。美のひとつの極点であることは確かだ。生きているものにとって。


2月17日。《変容の対象》2014・2月第2−3小節目を福島諭さんより受け取る。


3−4小節目を送る。


2月6日。本番。まず最初に我々の初演3作品を演奏した後、モデレーターの久保田 晃弘さんと森 翔太さんの2名が進行をしてくださって作品について話させていただく。受賞作品は《変容の対象》なのだが、我々が演奏したのはそれではない。それらの作品は時系列で言えば《変容の対象》以前から進めている作品の文脈上にあり、それらは我々が演奏することを前提に書かれている作品であり、《変容の対象》は我々が演奏することを前提にしない作品であること、、、そういったこともあり、今回のオファーがあった時我々がとり得る選択肢としては奏者に依頼して《変容の対象》を演奏してもらうか、もしくは我々が演奏するかの2つであったわけなのだが、《変容の対象》を演奏するにはプログラム上も、会場も困難であるし、奏者の手配なども間に合いそうにはなかったので、必然的にトークの場で《変容の対象》のことは補完し、「あれを書く」人間の演奏を聴いていただこうということになった。とはいえ、今回演奏した作品も《変容の対象》と同じく譜面というメディアなしでは成立し得ないし、我々にとっては《変容の対象》と双璧を為す文脈を形成する概念をもった作品たちなので、それらは相応しいはずのものであった。トークでは幾分その日の演奏のことに時間をとられてしまい、《変容の対象》について用意していた半分も話せなかったのは少し想定外だったけれど、時間の制約もあり、その時の流れというものもあるからまた機会があればと思った。《分断する旋律のむこうにうかぶオフィーリアの肖像。その死に顔》は今回の初演でサクソフォン・スコアとコンピュータ・プロセッシングあるいはシステムが決定稿となったのは大きな成果で、どこかで再演を是非したいと思っている。《slapstream》は改変するはずだ。福島さんの《patrinia yellow》のpart2のサクソフォン・トリガーの機能が実際に奏者として経験できたのは大きい。再演もされるだろう。クラリネットver.の初演を委嘱された鈴木さんは当日会場には同時間に演奏があって来られなかったと後で福島さんに聞いたが、お会いしたかったし、またクラシック関係の方々がメディア芸術祭関連のイヴェントに足を運んでも良い機会ではなかったか。会場にはどなたかおられたのかもしれないけれど。


2月19日。《変容の対象》2014・2月第4−5小節目が福島諭さんより送られてくる。

5−6小節目を書く。


2月21日。《変容の対象》2014・2月第6−7小節目が福島諭さんより送られてくる。

ここ数日は互いに速い。

7−8小節目を書く。

今日も速い。


送る。


2月6日。終演後、福島さん、福島さんのお父さんと渋谷に。少しの時間打ち上げのような時を過ごす。お父さんは数年前から僕らの発表を少なからず見てくれていて、お父さんなりの解釈で僕らの作品を論じてくれた。少し控え目な語り口で。

2月7日。昼頃に新宿で待ち合わせる。福島さんのお父さんがオーディオを探しているそうで、美術館に行く前にそれを済ませたいとのことだった。新宿南口を出て、途中ユナイテッド・アローズに入り、ウールダウンベストの良いものがないか見た。無かった。今さらないわな、そりゃ。時間があればタワーレコードの現代音楽のコーナー(ここは福島さんと良く待ち合わせする場所である。そして結構良い作品が置いてある。)や、ユニオンのクラシックの中古盤などを探したりしたい気もしたが、今日は《変容の対象》の展示を見るための日なので、そんな時間はなかった。南口から右手に坂を降り、さらに交差点を右に。途中で福島さんが迎えにきてくれてオーディオ売り場に。お父さんがオーディオの商談をしている間、少し昨日の演奏の録音を聴かせてもらった。高級オーディオの売り場は人があまり居なく、テーブルと席があって、そこで福島さんはラップトップを開け、なにやらやっていたというわけだ。一時間あまり経ち、まだ少しかかりそうとのことなので、僕らは先に国立新美術館に向かうことにする。今日は3月2日。電車や、道中で福島さんと何を話したのか記憶にない。いつもなら発表があった時にはすぐに何やら回顧をはじめ、記憶の新しいうちにそれを済ますのだけれど、今回はそんな時間的余裕がなかったし、《変容の対象》は帰ってからも当然続いているわけでそれに埋没する夜も多く、そうこうしている間に途中まで書いていたこの回顧録は放置し、変容も2月をfineし、さらにmacのOSをいよいよ新しいのに変更しないといけなかったので、夜は埋まっていった。今使っているmacは2008lateのもので丸5年あたりでOSを変更しないと使い物にだんだんならなくなってくるということは、、、あんぐりというか、呆れるより他ないけれど、そういう意味では楽器のもつ付帯時間というのはものすごく長いものだなと、ヴァイオリンなんかヴィンテージという枠を完全に超越しているし、歴史的に見て割合新しい楽器であるサックスでも、僕のはもう60年はつくられてから経っているわけで、それで、ばりばりに動く。computerというのはそういうものだろうけれど。国立新美術館に着き、作品を見てまわった。ナム・ジュン・パイクが使っていた機材がまず目にとまり二人で見た。それから我々の作品の展示を確認し、少し問題点があったのでそういうことを話しながら別々に見てまわった。平日にもかかわらず多くの(ほんとうにたくさんのお客さんがいた)観覧する人々の放つ熱気が印象的だった。折に触れ行く時のような美術館のそれではなかったのだ。飛行機の時間も迫ってきたので、美術館のカフェで少し遅れてきたお父さんとも話し、僕は先に美術館を出た。美術館の坂のところでガラスに映った我々の写真を撮って握手して別れた。


写真を福島さんがあげてくれていた。http://mimiz.org/index.php?ID=1061