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枯れた知識の水平思考 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-08-17

ゲームにキャラクターは必要なのか?〜ゴーストトリックレビュー〜

 非常に極端な話をすれば、ゲームにおけるキャラクターとは、ブラックコーヒーに入れる砂糖のようなものである。


 砂糖を入れることによって確実にコーヒーという飲み物の間口は広くなるし、そこから別の可能性が開けることだってある、だが、どこかで純粋なコーヒーに対してノイズとして機能してしまう。


 ゲームは動詞によって出来ていると言ったのは田尻智だが、この言葉は、同じ動詞さえ行使できるのであらば、ゲームキャラクターはどのようなものでも入れ替え可能であるということも示している。スーパーマリオブラザーズにおいてマリオルイージがまったく同じ軌跡でジャンプすることが可能なことからもそれは明らかだ。


 ゲームキャラクターはゲームにとってなんのために存在するのか?どこまでいってもゲームにとってキャラクターとは客寄せパンダの域を出ないのだろうか?


 僕がゴーストトリックというゲームを評価するのは、そのような問いに一つの解答を示しているのではないかと考えるからである。


 このゲームで主人公のキャラクター、「シセル」は開始と同時に命を失い、過去の記憶を失い、自分というキャラクターについての情報が一切明かされないところからスタートする。彼に出来るのは、様々なモノにトリツクこととアヤツルこと、つまり様々なモノに対して動詞を行使することだけである。


 そう、このゲームは、TVゲームにおけるキャラクターというものが如何に曖昧で不安定で下手すれば簡単に入れ替えも可能な存在であるということを物語の核心に据えたゲームなのだ。自分というキャラクターに対する問いかけこそがこのゲームの推進力なのである。


 自分についての一切を知らず、動詞を行使することだけが出来る主人公が辿りつくゴールには何が待っているのか、それは実際にゲームをプレイすることで確かめて欲しい。良質な佳作で留めておくには惜しい、TVゲームに対する根源的な問いかけがなされている傑作である。

鳥 2010/08/18 01:27 揚げ足取りみたいでアレなんですが、“良質な佳作”というのはちょっとw
悪質な佳作なんてないですから。

hamatsuhamatsu 2010/08/18 01:48 悪質な佳作ってもの存在はします。シェンムーとかw

-- 2010/08/18 10:33 該当作をプレイしていないので的外れの可能性は大きいのですが、疑問に思ったので。
「同じ動詞さえ行使できるのであらば、ゲームキャラクターはどのようなものでも入れ替え可能」というのは判ります。そして、同様に「おなじ体験を行使できないので、作品ジャンルは入れ替え不能である」ということも思います。
マリオをジャンプさせて難所を越えていく体験は「ゲームでしか」ありえません。コーヒーの味がコーヒーでしか味わえないように。
そこで質問なのですが、本エントリの「主人公が辿りつくゴールに待つもの」や「物語」は「ゲームでしか」ありえないものなのでしょうか。それは小説や(ビジュアルつきの)漫画、(音も付いた)映画等では表現不能の「コーヒー」なのでしょうか。
もしそうでないのなら、それは「ノイズとして機能」する「コーヒーに入れる砂糖」なのでは?

hamatsuhamatsu 2010/08/18 10:42 ネタばれしないようにお答えしましょう。

ゴーストトリックでやっているのは「砂糖自体をコーヒー豆に変換する」ということです。
他のメディアでも似たようなことは出来ますし実際そういう作品ありますけど味わいは変わります。
あとはゲームやってね〜ん。

-- 2010/08/19 14:33 >「砂糖自体をコーヒー豆に変換する」
そんな莫迦な…
マリオのジャンプ、小説の「文章表現」、漫画のコマ運び、etc,etc,…それらは「絶対的に変換不能」だから「コーヒー」なはずなのに。
味わいの違いレベルで変換可能なら、それは「砂糖」じゃないですか? マリオとルイージのビジュアルを変えたって味わいは違うんですから。
今回の話はせいぜい「コーヒーの歴史を踏まえた特別の砂糖を用意した」という話でしかないように思います。もちろんそれは素晴らしいのですよ。問題はそれをそうとただしく評しているかです。
なにか根本的に混乱しておられるのではないでしょうか。

hamatsuhamatsu 2010/08/19 14:49 まあちょっと例えが走り過ぎたのは認めるよ…。

でも漫画のコマとか文章表現ってのはゲーム中に再現することって可能なんですよ。
電子書籍ってのは既存のメディアとゲームとの境界をきわめて曖昧にしてるの。
まああとはゲームやってから語って。

hamatsuhamatsu 2010/08/19 23:43 うーん、悩んだけど、もうちょっと書いとくとゴーストトリックってシステムとゲームと結びつきが強いゲームでもあるんで、できるだけネタバレしたくなかったからシステム面にあまり踏み込まなかったんだけど、やっぱ踏み込むね。

 ゴーストトリックは多くの人が既に指摘してるようにキャラクターだったりオブジェクトの動きが良く出来てるゲームでそれはゲームにとっての単なる装飾なのかと言えばそんなことは無く、ユーモラスなキャラクター達のおりなすムービーパートが、ゲームパートになると一転して「動的なレベルデザイン」に変質するわけだ。これって砂糖がコーヒー豆に変質する瞬間なんですよ。

 そしてこのゲームはそれだけじゃなくて、色んなオブジェにとりつくんだけど、オブジェにとりついた瞬間にそのオブジェは主人公が操作するキャラクターであり、主人公にとっての身体になるんだけど、そのオブジェクトのゲームにおける唯一無二性というか取り替えのきかなさってのもあるわけだ。まあこれ説明するのが難しいし、面倒だし、自分自身まとめきれてないんで書いてなかったんだけど。

hamatsuhamatsu 2010/08/19 23:44 ひでえ文章になってるw
まあいいやもうちょっと続く。

hamatsuhamatsu 2010/08/19 23:48 キャラクターの身体転移性ってのはゲームにおいて非常に重要なファクターです。
GTAの主人公が車を盗んで車を操縦した瞬間にゲームにおける「身体」は人間から車へと転移しています。
FPSにおける銃を拾って武器の交換をする行為もゲームにおける身体転移と呼べます。

日本のゲームだと、ゼルダの伝説とか星のカービィなんかが身体転移の代表的なゲームでしょうか。リンクは様々な武器やアイテムを操りますが、アイテムを得るたんびにリンクの身体性に変化(転移)が起こっているわけです。カービィに至っては説明する必要すらないですね。カービィのコピー機能は身体転移そのものです。

hamatsuhamatsu 2010/08/19 23:53 以上、勝手に身体転移性って言語を作ってしまいましたが、その言葉を用いればゴーストトリックがどのようなゲームなのかわかるのではないでしょうか。わかんないか?

hamatsuhamatsu 2010/08/19 23:56 んで、ゴーストトリックで転移していくオブジェクトってのはそのオブジェクトならではなアクションを起こすわけなんだけど、このオブジェクトならではのアクションってのは、純粋に機能的であることによって生まれるゲームならではの、交換不能な「キャラクター」なんじゃないかって思うんだよ。

hamatsuhamatsu 2010/08/20 00:00 例えば電気スタンドはいかにも電気スタンドな動きをする。明かりを灯したりもする。この「キャラクター」をゲーム性に変化を与えずに入れ替えることは可能だろうか?俺はかなり難しいんじゃないかと思う。このゲームにおいて形や動きに変化を加えるということは、ゲーム性の根幹に関わる変化になる。

hamatsuhamatsu 2010/08/20 00:01 自分で書いててわけわかんなくなってきた…。

hamatsuhamatsu 2010/08/20 00:03 多くのゲームはキャラクターってか、人間はゲーム性に変化を加えず入れ替える事は可能なんだけど、人間の操る道具を入れ替える場合はゲーム性に変化が起こり易い。なぜなら道具は「機能」だから。

わーいわーい電波文章わっしょいわっしょい。

hamatsuhamatsu 2010/08/20 00:07 日本のRPGがあんなわけわかんない方向に突き進んだのは、人間の「性能」を際限なく肥大化させることを可能にしてしまったからである。内面の変化に注力し過ぎたとも言える。だから世界を綺麗に描く技術は発達しても世界を「機能的に」描く技術はあまり発達しなかった。

hamatsuhamatsu 2010/08/20 00:09 ゼノブレイドはまだプレイしてないんだけど、おそらくついにJRPGが世界の「機能」を描き始めたってことなんだと思う。

では世界の「機能」とは何か?ガイア思想とかそんなんではない。
小高い丘が見えたらそこへ登る事ができるってことであり、丘の上に立てば遠くまで景色が見渡せるってことである。

hamatsuhamatsu 2010/08/20 00:10 やばいまったくまとまらん…。
でももう止める。

TOMOTAKATOMOTAKA 2010/08/20 00:43 いつもRSSで拝読させて頂いております。おもしろいエントリーですね。

以前、ゲーム制作者が集まる酒の席で「開発段階でおもしろいゲームを作るには、どう工夫したらよいか(別の言い方をすると、どうすれば糞ゲーを作らなくてすむか)」というテーマで盛り上がったことがあります。
そのなかで「あらゆる要素を○や△、棒人間にしてプロトタイプを作ってみる」という手法を聞いて、なるほどと思った記憶があります。
どんなに予算や時間をかけたとしても、シンプルな図形で動かしたときに面白さや心地よさが伝わらなければ、たいていの場合つまらないゲームに仕上がる、という話でした。
その人、ノベルゲームのキャラクターすら記号で制作し「記号でもね、萌えるのですよ。フフフ」と発言したため、変態の烙印を押されておりましたが。

hamatsuさんのエントリとコメントを読んで、この話に近いのかもなぁと思ったのでコメントしてみました。

hamatsuhamatsu 2010/08/20 00:48 はいはい、そういうことを考えております。

んで、そこからもうちょっと進んでマーブルオブマッドネスみたいに球体っていうこれ以上なくシンプルなキャラクターをあえてボックスとかにしちゃうとゲーム性に変化は起きるのか?ってことを妄想してるわけです。

hamatsuhamatsu 2010/08/20 00:51 あとゲーム性とキャラクター性の間って意味ではピクミンなんかも気になります。ピクミンって仕草もカワイイですが、健気に労働してる時、つまりゲーム的に機能してる時が一番カワイイですよね(断定)。

ってことはピクミンのグラフィックをものすごくシンプルな球体とかにしてもピクミンの可愛さって表現できちゃうんじゃ?みたいなことを考えるわけです。

TOMOTAKATOMOTAKA 2010/08/20 01:21 できると思います。しかし、とても難しい仕事になるでしょうね。
この話はタイポグラフィやロゴデザインにも通じるように思えます。
文字を装飾し、企業の文化や理念を表現したものがロゴデザインなわけですが、
文字自体は本来、情報を伝えるための機能しかありません。

明朝体にしてスマートなイメージを醸し出したり、角を丸くしてポップな雰囲気を出したり、
活動的な印象を与えるため赤色にしたり、信頼感を伝えるために青色を選んだり。
シンプルな文字のフォルムと何日も睨めっこし、デザイナーは企業の姿を小さなロゴひとつで表現します。
装飾がないぶん、表現の敷居は上がります。
シンプルであるということは、逃げ道がないのです。

ですので、
球体でピクミンの可愛らしさを表現したり、
三角形が喋るノベルゲームで面白さを伝えるのは、
不可能ではないながらも、とても難しいと思います。
あるいは、ゲームプレイヤーの卓越した想像力で、記号キャラを萌えキャラに脳内変換しなければなりません。
要するに、売れにくいゲームとして企画書は通らないでしょうね。残念ながら。

しかし、記号でも成立するゲームは良作であるとは思います。

とおりすがりとおりすがり 2010/08/20 13:24 よくわかんないけどとりあえずゴーストトリックはやってみようと思った

hamatsuhamatsu 2010/08/21 01:20 いや、なんていうか球体のピクミンを売りたいってよりは、魅力の根源がどこにあるのかを見極めたいんですよね。
結局そういう見極めが出来てる人だとムービーだらけのゲームつくっても結局はゲームの勘所はキッチリ抑えたゲームになるんじゃないのかなと。

宮本茂がマリオギャラクシー2で小泉さんと5時間くらい語り合ったってのも結局はそこの見極めをきっちりさせるためだったんじゃないのかなとか。

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