重さの物語としての「かぐや姫の物語」

 公開ギリギリでようやくかぐや姫の物語を観てきた。


 前々から喧伝されてる通り、手書き風絵のアニメーションのクオリティはそれは恐ろしいものだったが、自分が目を引かれたのは、重さを感じるアニメート表現だった。



 このアニメでは皆自分の身体という重さを抱えて生きている。だからこの映画のキャラクターはまあよくよろけたり転んだりするし、走ってもすぐには止まれない。アニメーションとして重みのある表現なんてのは初歩の表現なんだろうけど、この映画はそこがかなり徹底されてるように自分には見えた。


 最初の竹を切るシーンなんかも目を見張るものがある、重みの重心は竹の芯部分にあるけど、竹は密集して生えてるから葉っぱが絡んですぐには倒れてこない。自分は山育ちなんでこの辺のリアリティあふれる表現にいきなり持ってかれてしまったんだけど、高畑勳って山で働いたことあるのか?後にでてくる崖からずり落ちるシーンとかも一々アニメートが完璧で唸ってしまった。


 話を戻そう。冒頭のかぐや姫を見つけるところから重みの重要性は顕著だ。最初見つけたときの姫はまるで重みの無い妖精のような状態で見つかる。それが、竹取りの翁と媼に育てられることになって赤ん坊になった瞬間から重みが発生し始める。この時の微妙に重心がずれて抱えてる手からずり落ちそうになったりひっくり返ったりしそうになる動きがまた見事なんですけどね。小さい子供とかまあ子猫でも子犬でも小さくて自分の意志と無関係に動く存在を抱えたことのある人なら映像だけで共感せずにはいられないのではないでしょうか。


 ではなぜこの映画ではそこまで「重さ」の表現を重要視するのかと言えば、それは当然、この物語の本質であり訴えたいテーマに直結しているからだろう。


 重みのある身体を抱えた世界だからこそ、煩わしくもあるし、想うようにならない。重みによって呪縛されていると言っても良い。空を自由に飛べる鳥ですら完全に重さから自由という訳ではない。序盤で捕まえられるキジのシーンも見事だったけど、自分がこの映画の本質が重みにあると確信したのは、かごの中の鳥を逃がすシーンだ。確かに羽ばたいている間は空に向かって飛んでいくのに、羽ばたくの一瞬止めた瞬間に、落下をし始める、又すぐ羽ばたけば飛ぶけど、止めたら又落ちる。この世界における重さがあらゆる存在にとって等しく存在することが示されているのだ。


 じゃあこの映画が重みにどうしようもなく縛られる世界を描いた暗い映画なのかと言えばそういうわけでもない、重みをもってコロコロ転んだりよろけたりしながら走り回る人達は愛らしくもあるし、桜が舞い落ちるシーンは重みが存在する故に生まれる事が出来た美しさなのだ。重みをもつことの呪縛性と同時にそれがどれほど愛おしく悦びに満ちているかということも描いているのである。これを言葉による説明じゃなくてあくまでもアニメーションの力で描き切っているのがこの映画の素晴らしいところだろう。


 そして、この映画では「重さ」から逃れて文字通り「飛ぶ」シーンが二つある。


 その「飛ぶ」シーンはクライマックスに連発で起きる。一つは重さという呪縛からほんの一時ではあるが解放される悦びに満ちたシーンとして、そしてもう一つは、まあ映画見なくても皆が知ってる例のアレ、月に連れてかれるヤツです。


 前者の飛翔シーンは圧倒的で、この映画の最大の見せ場と言っていい場面だろう。さんざんキャラクターを縛っていた重みの存在すらこのシーンでは飛ぶことの引き立て役になっている。最後はまた重みに捕われて落下したとしても、この飛翔の記憶自体は永遠と呼んでも良いようなものだ。


 問題は、後者の飛翔シーンだ。


 皆様ご存知の通りに、最後は月からのお迎えがくるわけなんですが、この月の人達、地球ではあらゆる人物であり生命でありモノが縛られる重みとか関係ない世界から来ちゃってるもんだから、丸っきりこっちの事情とか察してくれないし、こっちの理屈が全く通じてないのね。


 かぐや姫が奥の部屋からお迎えのところに引き寄せられるシーンは心底ゾッとした、いままであれほど重みに満ちた動きをしていたかぐや姫がいきなり等速運動してる!3DCGでとりあえず初心者が作るような動きしてる!


 2時間近くかけて積み上げてきたアニメートが最後の最後で唐突にぶった切られる瞬間である。羽衣着せられて急に記憶失う瞬間もすごかったね。背筋が凍りました。高畑勳怖い!


 こうして二つの全く異なる「飛ぶ」シーンを並べることで、単純な言葉による説明に堕さずアニメーションの力を観客に見せつけるのが監督である高畑勳の意図であることは明白だろう。重みを伴った世界と重みに代表されるような煩わしいものが何もない世界、どっちが素晴らしい?と。


 でも自分としては、最後のぶった切り方の容赦無さっぷりに圧倒されてしまい呆然とするばかりなのでした。高畑勳マジこえーよ。


 最後に、かぐや姫は涙を流す。涙が落ちると言ったほうがいいかもしれない。地上のような重みの無い月の世界であっても涙だけは等しく落ちる。最後の最後まで、この映画は「重さ」についての映画だったのである。自分にとってかぐや姫の物語とは、そのような物語である。