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2013-01-08

新清士の問題点

 ゲーム業界を代表するジャーナリスト新清士という人の問題点は紹介する書籍や考え方は面白いんだけど、そこから展開する持論が高い確率でグダグダであるってことに尽きる。


損失感がソーシャルゲームの継続率に関係する-ゲームと心理学(3)


 これなんかもね、人間は一万円得た時より一万円失ったときの方が、衝撃が大きいって紹介してる考え方自体は、面白いし良いんですよ。新しい考え方や書籍の紹介者として見たら新清士って人は決して悪くないんです。最近だと新清士ってだけでまともに相手しない人もいると思いますが、彼の紹介してる考え方には多くの場合悪くないんで、読んでみるといいと思います。


 んで、問題はこの後なんです。彼の紹介する考えは確かに傾聴に値するんですが、その後がグダグダになるんですね。一万円得た時より一万円失った時を恐怖する、それは良いんですが、じゃあなんでこの世にはギャンブルソーシャルゲームのガチャにハマる人が続出するんでしょうか?課金してガチャ回して期待通りのアイテムやらカードやらが手に入らなかったらその損失感からソーシャルゲーム止める人が続出して、ガチャなんて流行る前に滅んでそうなものなのに、その事実を丸っきり無いものとして話を進めちゃってるんですよ。


 一万円得るより一万円失う方が恐怖感を強く感じるのが圧倒的多数派で、そのことから、割の良いギャンブルだとしても、損失することを過剰に恐れて勝負から降りる人が続出するのであれば、この世からとっくにギャンブルなんて無くなってるし、怪盗ロワイヤルだって時代を象徴するようなヒットタイトルになってるわけないでしょうに。なぜそんな当たり前のことがこの人は見えてないんでしょう?ギャンブルに狂うのは、一万円得ることに大きな快楽を得て、一万円失うことに対して痛みを覚えない、頭のイカれた連中ばっかなんでしょうか?


 俺はむしろ逆なんじゃないかと思うんです。人間は失うのが怖いからこそ、失うという現実に直面した際に、即座にその失った分を取り戻そうとするんじゃないかと思うんですよ。カイジの限定ジャンケンでも似たようなこと言ってたよね?狂躁がどうとかって。だからこそ、ギャンブルに熱くなり、ハマっていくんです。ってか俺自身そういう傾向が強いんだけど。ギャンブルに熱くなりハマる人と脱落する人の差なんて紙一重だと思うんですよね。


 上記の文章の冒頭で提示してる賭けの例にしても、確かに賭けが一発勝負だったら、そんなに乗る人は多くないんでしょうけど、複数回勝負出来るんだったら、皆ホイホイ勝負しますよね。だって掛け金より戻りのが大きいし、確率二分の一で戻りが大きいなら複数回勝負出来れば出来るほどこちらに有利だし。大抵のギャンブルの妙って何度も繰り返し勝負出来るところにあると思うんですが、その辺の胆が本当にわかってないんですね。つーかだからこそガチャにハマる人が続出するんでしょうが。もしかしたら一回目で激レアアイテムが手に入るかもしれないし、百回試してもスカしか引かないかもしれない、でも101回目には起死回生の一発がくるかもしれない。それは試してみないことにはわからない。だからこそ、人はギャンブルに魅了されてしまうし、ガチャを回してしまうんです。ギャンブルの魅力の根本って損失感と表裏一体の期待感にあるんです。そしてその期待感は試行回数やら様々な条件によって、様々な変化をするものなんです。


 あと怪盗ロワイアルにはゲーム的な偶然性が少ないって書いてあるけど、これってどういう意味なんだろ?偶然性の高いゲームなんてそんなある?普通のゲームって大抵、プレイヤーの技能とか経験値とかが高まれば高まるほどに安定したプレーが可能になり、偶然性が排除されてくのが普通だと思うんだけど。その技能や経験値に該当すんのが怪盗ロワイアルだと課金額ってことになるわけでさ、普通に意味がわからん。マリオカートとかか?つーか改めてじっくり読めば読むほど突っ込みどころが多過ぎる。助けて。


 最後に、繰り返しになるんですが、多くの人は何かを得た時より同様のものを失った時の方がショックがデカイって考え方自体は本当に興味深い考え方なんです。新清士の文章がどんだけグダグダでもそこの部分だけは重要な指摘なんですよ。でもだからこそ、なんでそこからこうもグダグダな展開になるのかが俺は本当に不思議だし、失望が毎度毎度デカイんです。


新清士さんが統計と情報とデータをごっちゃにして語ってる件で: やまもといちろうBLOG(ブログ)


↑これで突っ込まれてるのも俺が言ってるのと似たような事例ですね。冒頭のワイン云々は興味深いんだけど、その後の展開が荒いにも程があるっていう。冬の日本海かっていう。


疲れたんでこの辺で終いにするけど、本当に新清士に突っ込み入れるのは止めにしたいので、ブログに書いた。おしまい。

2009-08-27

誰かを再評価したいなら、代わりに誰かを貶めてはならない

 誰かを再評価したいなら代わりに誰かを貶めてはならない。なぜなら、その時代わりに貶めた人が後に再評価されて、せっかく再評価した人がまた貶められるから。

2009-06-07

なんでネットの有料システムにお金を支払うのに気がひけるのか

 ネットの有料システムって大抵マックで一回食事するより断然安いのに、なんであんなに加入するのに気が引けるんだろう?


 それはおそらくネットの課金システムに加入することで、ずっとお金を取り立てられるという「関係性」を結んでしまうことが、とても重く感じられるからではないかと思う。逃げられない契約を結んでしまったような束縛感というか。


 全然関係ないかもしれないけど、映画監督の黒沢清が、ホラー映画というのは、人間が「だんだん変貌していく」ことによってたちまちのうちに誕生するってなことを言ってたけど。僕にとっての課金システムに加入するってのはまさにホラーのそれで、だんだん僕のお金が目減りすることに対する抵抗感がどうしても生まれてしまうのです。システムに対する恐れを抱いてしまうのです。


 自分で何を言ってるのかわからなくなって参りましたが、どうせなら5000円一発払えば3年間有料システム使い放題とか、二万円払えば永久に使用可能とかの方がサクッとお金支払えるような気がします。ネットの課金システムってお金を使うことの楽しさが微塵も感じられないんですよね。大抵の場合。


 そんな内気でひ弱なボーイだった僕でも加入しているはてなプラス、おすすめです!!

 

2009-05-12

文章力もなく特別な経験がなくても読まれる記事を書く方法

 文章力が無くて、特別な経験があるわけでもない、特に書くようなことが見当たらない人間でも読まれる記事を書く方法を教えましょう。結論から書きます。


 昔のネットの話題を掘り返す


 これだけです。ネットの話題ってよくループしてるって言うでしょう?

そこを狙いましょう。ちょっと昔の話題やらネタをまたしゃあしゃあと蒸し返せばいいんですよ。そのへんを考慮しつつ、多くの反響を頂いた記事がこれでした。

任天堂失敗列伝〜第一回〜「64DD版MOTHER3の巻」 - 枯れた知識の水平思考


 この記事の肝は僕の書いた文章などではなくて、ほぼ日の岩田、宮本、糸井によるマザー3発売中止についての座談会です。


 当時は一本の人気ソフトが中止になりましたっていう反省会が、時間を経ることで、任天堂という会社の一つの転機を記録した貴重な座談会として生まれ変わってたってのが反響を呼んだ要因だったと自分では思います。


 これって強引にこじつけちゃうとネットの文章における枯れた技術の水平思考なんでないかと思うわけですよ。いや温故知新でもいいんですけどね。時を経て、いい具合に枯れたからこそ、過去の記事の本質的な価値を汲み取り易くなるっていう。未来を知ってる今だからこそ過去に行われた未来予測の正確な答え合わせだって出来てしまうわけです。以前に、WiiとかDSなんて売れないって予測してたアナリスト達が現在どんなこと言ってるのかを過去と照らしあわしてみるなんて意地の悪い記事とか面白そうですね。自分じゃ書きませんけど。


 最先端の情報ばっかり追い求めなくても、ちょっと過去を掘り起こせば皆が意外と知らない、または当時とは意味や価値が変質している面白いネタってネット上にも結構転がってるものですよ。ネットの海は広大だわ。

参考

読まれる記事を書くために、文章技術よりもはるかに有効なこと - 分裂勘違い君劇場

2009-02-07

ゆとり乙と言ってはいけない


ゆとり乙という言葉によって失われる、摩擦や違和感、そしてそれによって生まれていた筈の思考の蓄積は、我々の想像以上に大きい。


逆に当のゆとり世代はゆとりという十字架を無理矢理背負わされることで、思考の足掛かりみたいなものをいきなり手に入れてしまっている。


橋本治が昔はダサいという言葉がないんだけど、ダサいという状態は普通に存在してたので、それを適切な言葉で説明するのにすごく苦労したみたいなことを言っていた。


そして、ダサいという言葉が無かったからこそダサいということを別の言葉で言い表すために自分の思考が養われて結果的に良かったとも言っている。


上の世代ってのは大体下の世代に冷淡なものだけど、それにしてもゆとり世代ってのはあまりにも便利過ぎる言葉だと思う。


たぶん当のゆとり世代の人達はそのゆとりって言葉を逆手にとるような形で上の世代に対抗してくるんじゃないかな。ってか既にそうなってるか?


そうなると言い方悪いけど耐性ついたタフなウィルスみたいな下の世代にゆとり世代なんて便利過ぎる言葉に頼り過ぎてた上の世代はあっという間に駆逐されそうな気がする。



今更な話だしそもそもそんな世代間抗争起きんのか?って話だけど、自戒をこめて書いておく。


多分ゆとりと同じような言葉として、派遣や派遣村があるんじゃないだろうか。

2008-11-06

定義することで停止するのは思考でなく感覚なのではないか

ハックルベリーに会いに行く

 いい加減、aureliano氏のブログに言及するのは止めようかなとか思うんだけれども、自分なりに、触発される部分があるのも確かなので、言及させて頂こう。こういう部分ではやはり彼には感謝してるんだよ。いやマジでマジで。


 彼は、やたらめったらに定義を求める人を思考停止してる人としているが、自分の考えは、ちょっと違う。思考には、きっちり定義をすることで、駆動する思考と、明確に定義し辛い問題と向き合うことで駆動する思考の2種類があると思うのだ。


 たとえば、レースで勝ちたい車を作りたかったら、厳密な速度や、重量などの定義に従って、車を設計し、試運転をしたときも正確に時間を計測し、そこで時間の定義に沿って出た結果を謙虚に受け止め、さらなる性能向上を図らなければ、勝てる車は作れない。勝つための思考は導きだせない。


 なんか速い感じしない?とか、ちょっと重くね?なんて実際の数字を無視して、適当な感覚でものを言うエンジニアでは、すぐさまお払い箱だろう。このような世界では、生半可な自分の感覚などはとっとと切り捨てて、目の前に冷徹に提示される「厳密な定義によって導き出される事実」と向き合うことが求められるのだ。


 つまり、定義を求めている人というのは、思考を停止したいのではなく、思考を駆動ために必要な燃料を求めているのではないかと俺は思うのだ。そうしないとレースは始まらないのだ。


 逆に、「スピード感」を感じることが出来る、楽しい車を作りましょうってことになったら、話は180度変わる。「スピードが出る」=「スピード感がある」ということではないからだ。この場合に必要なのは、ごくごくありふれたスピードを感じる「感覚」なのだ。大量生産する製品なのだから、普通の感覚であればあるほど良い。そのような感覚を元に思考を進めなければならない。


 自分のブログらしく、ゲームの、特にレースゲームの話に絡めて話すと、スピード感というのは、ただ、直線を走ってる時より、カーブを曲がっている時の方が、感じやすい。


 カーブを曲がってるときというのは、自分を中心に重心や、進行方向や、周りの景色が、めまぐるしく変化するため、瞬間的に起こっている情報量の変化が、直線に比べてはるかに多く、結果として、「スピード感」を得易いのだ。


 だから、マリオカートの目玉の操作である、「ドリフト」をしている時は、基本的に減速をしないし、ドリフト中に特定の操作をすることで、ドリフトダッシュという加速すらできるようになっているのだ。


 だが、これは、実際の物理法則には明らかに背いている。マリオカートというゲームは、現実世界の物理の定義よりも、人間が身体的に感じ易い「感覚」に寄り添う形で思考され、設計されたゲームなのだ。


 このような物理の定義に背くことで面白さを生み出すのが、レースゲームの常套手段だったのだが、その流れに真っ向から背くような形で、登場したのが、「グランツーリスモ」というゲームである。現在ではレースゲームの王道中の王道のようなタイトルになっているが、このゲームが提示していたのは、従来のレースゲームへの究極のアンチテーゼなのだ。


 しかし、そんなグランツーリスモというゲームも完全なるリアルなのかと言えばそんなことは無く、グランツーリスモはグランツーリスモなりの「リアル感」というものをユーザーの感覚に寄り添う形で演出しているのだという話をしてるとややこしくなる一方なので、この話はまた別の機会に。


 とまあこのように思考の仕方にも色々な種類があるよというお話でした。

あんまりまとまってないけど眠いので寝ます。おやすみなさい。

  

2008-10-17

素直なバカが無限に得をするのがインターネットの特徴

ハックルベリーに会いに行く

↑このエントリに書いてある内容は基本的にその通りで、自分がわからない領域、理解の浅い領域に対して、果敢に発言していくことで、外部からのフィードバックが得られる、そうすることで、結果的に、その領域のことを深く理解できるようになる。そのような営みのことを俺は議論と呼ぶ。


 人間はやっぱり議論を経ることによってより磨かれていくものなのだと俺は思う。そもそも自分の頭で考えるってことは、自分の頭で色んな意見を対立させたり、同調させたりっていう、議論を自分の中で行うことだと思うのだ。


 そして、インターネットがより広い領域からのフィードバックを得やすいというのもその通りで、インターネットには、賢くてサービス精神豊富な御仁が沢山いるため、バカな人間は、その言葉に素直に耳を傾けるだけで、自然に賢くなっていけるのだ。それに、バカな人間はそのバカさゆえに隙だらけの発言をしたりするが、インターネットには、賢くてお節介焼きな御仁も沢山いるので、その人たちの意見を有難く受けとめるだけで、どんどん人間的に磨かれていくことが出来るのだ。


 俺は、インターネットっていうのは、素直なバカが一番得をする場所なんだと思う。素直なバカは、自分の間違いや自分の弱い部分を素直に認めることが出来るから、よりよい内容に触れれば、それに素直に染まることもできる。でもやっぱりバカだから色々失敗したりもするんだけど、賢い人たちのアドバイスを受けることで、その失敗も糧にできる。色んな人たち色んなフィードバックを受けることでどんどん人間的に成長できる。


 あんまりインターネットで得を出来無そうなのは、隙の無い人だ。言い方がちょっと悪いが、小賢しい人と言ってもいい。そういう人は、隙をなくすことに全力を注いでしまうので、結局というか、苦労の甲斐あってというか、あんまり大したフィードバックも得られず、大きく成長することも出来なくなってしまうのだ。労力はたっぷり隙を無くすことに注いでる分、損してるとも言える。


 そして、最も損してるというか、人生を喪ってるとも言えるのが、自分の間違いや理解の不足を認めない人、要は性質の悪い馬鹿だ。こういう人は、インターネット上で、自分の馬鹿さを取り繕ったり、現実をまともに見ようとしないことに、全力を注いでしまうので、どんどん馬鹿が加速してしまう。馬鹿の無間地獄に落ちているとも言える。


 インターネットっていうのは、素直なバカと、性質の悪い馬鹿の人間的能力の二極化を極限まで進めてしまうメディアなんじゃないだろうか。素直に、有益なフィードバックを得続け、磨かれ続ける人間と、他人から何らかのフィードバックを得ることを一切拒絶した人間との深い溝が、今後、深刻な社会問題化するんじゃないだろうか(もうなってるか?)


 それはそれで、憂慮すべき問題だとは思うけど、俺は、それより、インターネットによって磨かれ続けた人間が切り開く、輝かしい未来に期待したい。


 インターネットで目立つのは、どうしても、性質の悪い馬鹿の方だ。素直に学びを続けている人間が、学んでる時点でフロントに出るのはどう考えても難しい。今まさに学んでる人間の成果が現れるのは、きっともっと後だ。今日も、どっかで、性質の悪い馬鹿が大騒ぎしたりしてるんだろうけど、俺はきっとそんな馬鹿の醜態からも、なんらかの教訓を素直に学んでしまうバカが沢山いるんだと信じている。そして、俺自身も、もっと素直な気持ちのバカになることで、色んな議論をしたり間違ったりしながら、よりよく磨かれて行きたいと思っている。


 え?お前はあまりにもインターネットの可能性を楽観的に考えてるって?インターネットなんてそんな大したもんじゃないだろだって?


 インターネットとはそういう悲観的に将来を見ておくことや、自分自身を疑う姿勢の大切さもただちに教えてくれる賢い人たちが多数いるメディアなのだ。やっぱり素晴らしい場所だと俺は思うよ。

2008-10-04

惑星開発委員会の宇野さんは

小さな成熟が〜とか言えば言うほど、「野望の王国」の柿崎の顔がチラつくのはなんでだろうね?

無人島に持って行きたい〜は何?っていう質問する奴は大馬鹿だと思うよ。

 たまに、無人島に持っていきたいレコードは?とか小説は?みたいな質問を見かけますが、ハッキリ言ってそういう質問する奴って大馬鹿だと思う。


 普通に考えて無人島に唐突に行ったりしたら、そんなレコード聴いたり、小説読んだりする閑あるかよ?その場に適応するのが精一杯でそんな場合じゃねえだろ。

 

 そういうこと言うと、「イヤイヤ、そんなサバイバルな状況じゃないんですよ。生活の心配とかはない、無人島で一人っきりでのびのびと過ごせる状況がきたらどうしますってことですよ。」なんてことをいけ好かない面してのたまうんだと思うんだけど、そんなバカンスみたいな状況だったら、それこそ何もしないで寝てるわ


 結局こういう質問をなんの疑問もなく繰り出せる奴ってそれぞれの作品を受容する上で、最も重要な「環境」への視線がゴッソリ抜け落ちてると思うんだよな。こういう人って何を語っても全てが薄っぺらく見える。

追記

最近、個人的な好み以上に環境って優先するんじゃないか?とよく思うのです。

南の島に行けば、ハワイアンとか沖縄音楽みたいなのがグッとくるし、寒い地方なら寒い地方なりの音楽がグッとくるようになるんじゃね?っていう。

だったらいっそ獄中に持っていきたい本やレコードのほうが、素直にベストに近い内容になると思うよ。

2008-09-30

自分の娘を風俗に就職させたくない本当の理由

色んな人の意見に耳を傾けつつ、色々考えたけど、自分の娘が風俗に働かせたくないのは、ハイリスクな仕事だってのもあるし、世間の目が厳しいよってのもあるけど、それ以上に単純に自分の娘を他の男のものにしたくないっていう、男親としてのわがままってのもあるなと思った。


風俗以前に単純に娘から「彼氏できましたー」とか「結婚しまーす」みたいな報告受けるだけで結構狼狽しそう俺。そりゃ嫁の貰い手がまるでない娘ってのもアレなんだけど。


でも、仮に、自分の息子がホストなります。とか今後おそらく増えるであろう女性向けポルノの担い手になりますってのはあんまり抵抗ないんだよな。テメエの面、鏡でよーく見ろや!とか酷いこと色々言って喧嘩にはなりそうだけど。ま、最終的には、勝手にやればいいんでね?って感じ。人を不当に騙して儲けるようなことしなきゃまあ許せる範囲。


聞いた話なんだけど、まだ幼い息子と娘の二人のお子さんを持つ人で、息子が幼稚園で、女の子と仲良くしてるのを見ると、「いったれいったれ!」みたいな気分になるのに、娘が男の子に話し掛けられてるのみると、「何、家の娘に手出してんだテメエ!」みたいな気分になるそうなんだけど、俺なんてまだ結婚もしてないけど、なんかスゴイ納得したんだよね。


これって結局は男による女性への差別意識からこう思ってしまうのかもしれない。風俗嬢に娘をしたくない理由って風俗っていう職業への差別意識以上に、もっと根深い女性全体への差別意識があんのかなって思う。男親による娘への過剰な所有欲というか。息子なんかは野に放つって感じで、適当に見てられるのに。


でもこの意識って自分で深く自覚して、自省したとしても取り除くのは相当難しいな。彼氏できたとか結婚とかは、内心「えー」とか思ってもまあ渋々自分を納得させること出来そうだけど、風俗の場合は、うーむ…。特定の一人でも、狼狽するのに、不特定多数だもんなあ…。



まあでもハイリスクな仕事であること、世間の目が冷たくなること、さらに俺自身がイヤイヤーって見苦しく駄々こねまくることの三点に向き合って、それすら乗り越えてなお働くことを希望する娘には風俗で働くことを認めるとまではいかなくても、冷静かつ真剣に話し合いを続けるしかないだろうな。最終的には認めるって選択肢も視野に入れないと駄目なんだろう。


現時点のオイラにわかるのはここまでだと思う。

後は結婚して子供生まれてからゆっくり考えます。

クーソーしてから寝てください。

2008-09-29

非モテ、ホームレス等の話題ははてなーにとっての説教し易い風俗嬢なんでないの?

非モテだのホームレスだのマッチョウィンプだのは性欲こそ刺激しないけど、支配欲だの征服欲だの高みにたって見下ろす優越感を刺激する、はてな村の住人にとっての説教し易い風俗嬢みたいな存在なんじゃないの?



例を示します。


非モテに密かに欲情するはてな住人たちは、

非モテを見下すことで、

その恥辱と罪悪をすべて非モテに押しつけてごまかすのだ。

非モテたちに密かに欲情する醜悪な自分を隠蔽して、自尊心を守ろうとするのだ。


もう一つどうぞ


ウィンプに密かに欲情するはてな住人たちは、

ウィンプを見下すことで、

その恥辱と罪悪をすべてウィンプに押しつけて(自己責任!)ごまかすのだ。

ウィンプたちに密かに欲情する醜悪な自分を隠蔽して、自尊心を守ろうとするのだ。


ほらほら、なんか似てない?ちょっと違う?

いまどき支配欲だの征服欲を全開にしちゃうのって後ろめたいもんです。はてなでブックマークもらったり、はてなスターをもらうことで、自分が注目を浴びるのは気持ちいいもんです。そこで、非モテを容赦なくぶった切ったり、ホームレスに人権など無い!なんて高みにたって自分の言いたいことブチかましてさらに、ブコメなんかで賞賛された日には拙者の愚息も昇天だと思うんですよね。

下手打つと「これはひどい」なんて言われちゃうんだけどさ。


それにネットの話題だと後引かないから、言うだけ言って「釣りでしたー」とか「劇場でーす」とか言えば、ああそういうことだったんだねってことでみんな深く追求したりしないしね。この辺の刹那な感じも風俗っぽいよね。



痛くない風俗嬢との接し方

当然のことだけど、風俗嬢の「身体」を金で買ってるわけだから、「心」を求めてはいけないよってことだよね。だからあいつらは「心」が浅ましいとか「心」が美しいなんて言っちゃう人はやっぱり痛いんだよ。それ別に売ってないわけだから。サービス受けてる間にわかることなんて「感じのいい子だなあ」とか「愛想ねえなあ」とかそれくらいのもんだしね。


だから風俗嬢は身体、及びもってる技能を誉め称えるなり、貶すなりすればいいんだよ。でも身体って好みは十人十色だし、写真指名とかの時点で分かれよって話だからこの辺は自己責任なんだよね。だから身体を貶したりはすんな。自己責任教の信者でサーセン。


ってことで、好みの身体でスゴイテク持ってる子なら思う様褒め称えちゃえばいいし、技能があんまり超絶モンだったら神聖視したっていいんじゃないの?って思うんだよね。拙者の愚息も昇天!ってなもんでさ。


逆に、テクがまるでない嬢に当たったらそら説教の一つもかましていいんじゃないかと思うんだ。お前の仕事はなんなんだよ?ってな感じでさ、そっから更にテクの一つも伝授できたらちょっとカッコ良くないか?…あんまり良くないですね。すいません。


どっちみち大事なのは「身体」と「技能」でしょってこと。それを踏まえれば風俗嬢への痛くない接し方なんて決まってくるよね。あとは病気に気をつけろってだけだよね。


でも心を求めちゃう人の気持ちもわからなくはないんだ。風俗ってそれこそ心が弱って弱って惨めの果てみたいな気分の時に慰めが欲しくて行っちゃったりするもんだし、そんなときに風俗嬢にエライ思い入れして、見下したり、説教したり、崇めたりするのも痛々しいんだけど、慰めを欲しがってる人間がそういう態度に出ちゃってもしょうがなくないか?と思うんだ。人間だもの。


むしろそういう人間の惨めな本性を白日の下に暴こうとしちゃってる人の方が理解できないんだよね。そういう人って惨めで惨めで泣きたくなって死にたくなって金で買った身体だけの関係だとしても、精神的な慰めが欲しくなる人の気持ちがわからないのかな?それとも、そういう人間の惨めな本性を丸ごと抹消しようとしてるのか?それってかなり恐ろしいことじゃないのか?


惨めな状態に安住して、そこに留まるのはヤバイと思うけど、惨めな自分を認めてまたそこからスタートできるなら、それでいいんじゃないのと俺は思う。サービスするついでのお愛想だったとしても、慰めにやさしい言葉の一つもかけてくれる風俗嬢がいるなら気のいい子だなって好ましく思う。慰られてる時なんてやっぱり人目には触れたくないもんだし、そういうのを歓楽街の片隅でひっそり営んでるだけなんだから、ほっといてやればいいのねえって俺なんかは思うんだけどね。


しかし、こういう秘め事をしゃあしゃあとブログに書くのは痛いですね。今は反省しています。

追記

そもそも、みんな風俗嬢の仕事場を離れた素の状態での接し方とかについても話してたんだな。なんか変だなと思ったよ。ってかそんなん普通に接すればいいだろJKとしか考えていませんでした。風俗ガイドみたいな低脳文章ばっかり書き連ねて本当に申し訳御座いませんでした。


参考

ハックルベリーに会いに行く

「風俗嬢に説教たれる人々が痛い理由」と「売春を合法化し、厚生労働省売春管理局を作る案」 - 分裂勘違い君劇場