hammett dot orz

2018-05-18

[] ジョン・ウィック:チャプター2 18:29

2017年

監督 チャド・スタエルスキ 出演 キアヌ・リーヴスリッカルド・スカマルチョ

(あらすじ)

ロシアン・マフィアから愛車を取り戻し、再び平穏な生活に戻ろうとしていたジョン・ウィックキアヌ・リーヴス)のもとへ、今度はイタリアンマフィアのサンティーノ(リッカルド・スカマルチョ)が訪ねてくる。要件は彼の実姉ジアナの暗殺依頼であり、一度は断ろうとしたジョンであったが、前回、裏社会から足を洗うときに交わした誓印の掟には逆らえず、あまり気乗りのしないままローマへと旅立つ…


ロシアン・マフィアへの“復讐”を描いた「ジョン・ウィック2014年)」の続編。

都合が付かずに映画館では見逃してしまったのだが、やはり前作の最後に出て来た犬(=ピットブルという種類らしい。)の安否は気に掛かる(?)ということで、娘が借りてきたDVDを一緒に鑑賞。幸い、ピットブル犬は元気そうだったが、その活躍が見られるのは次回作になるのかな。

さて、前作で、愛犬の復讐のために裏社会に舞い戻った殺し屋界のレジェンド、ジョン・ウィックの活躍が描かれているのだが、ストーリーは前作以上に単純であり、気乗りのしないジアナの暗殺と、今は亡き愛妻の思い出がいっぱい詰まった我が家を焼き払ったサンティーノへの復讐が描かれているだけ。

要するに本作の主目的は、次から次へと流れるように行われていく連続殺戮シーンを観客に見せつけることにある訳であり、ストーリーはそのためのBGMにすぎない。まあ、本シリーズのファンにとってみれば当たり前のことなんだろうが、アクション物に疎い俺は二作目にしてようやく本シリーズの醍醐味を理解することが出来た。

そう思いながら見ていると、本作のアクションシーンは確かに良く出来ており、敵の出てくる方向やタイミングはすべて計算し尽くされているっていう感じ。当然、そのためにリアリティは多少犠牲にされてしまっているのだが、それはミュージカル映画と同じことであり、観客は口をポカンと開けてキアヌ・リーヴスの華麗なアクションシーンを楽しめば良い。

ということで、次回作では、これまで散々お世話になったコンチネンタル・グループを敵に回してしまったジョン・ウィックの苦闘が描かれる予定であり、ピットブル犬のみならず、ローレンス・フィッシュバーン扮するバワリー・キングの活躍も期待できそう。全米公開時の評判が良さそうなら、今度こそ映画館で鑑賞させて頂くつもりです。

2018-05-15

[] 動物農場 06:40

ジョージ・オーウェルが「1984年」の4年前に発表したもう一冊のディストピア小説。

動物が主役の寓話として創作されたストーリーは比較的単純であり、人間の農場主に搾取されていることに気づいた動物たちが革命を起こして人間を追い出すことに成功するが、指導者であるブタの独裁を許したことから、再び奴隷のような苦しい生活を強いられるようになってしまう、というもの。

山形浩生が「訳者あとがき」で指摘しているとおり、今となっては「実にストレートでまっとうなソ連スターリニズム批判」として読めるのだが、本書が出版された1945年にはスターリン(〜1953年)はまだ存命だった訳であり、フルシチョフによるスターリン批判が行われたのはそれから10年以上経ってから。

要するにスターリニズムに対する評価がまだ定まってない時点で執筆された訳であり、当時の出版社が本書を引き受けるのを躊躇したというのもよく分かる。その後、「冷戦の深化にともなってアメリカ反共政策のツールとして」受容されてしまったのはオーウェルにとっても心外だったろうが、“右でも左でも全体主義は認めない”という思想の持ち主だったからこそ、いち早くスターリニズム批判をすることが出来たのだろう。

正直、「ロシア革命戯画化」にこだわりすぎたため、「1984年」に比べるとやや普遍性に乏しいような気もするが、山形の言うとおり本書を「ある種の権力の在り方すべてに対する批判をこめた作品」として読むことも十分可能であり、単純明快な「七戒」に無用の留保を付け加えることによって空文化させてしまうのは、現政権が主張している“9条第3項”と全く同じ手口。

また、「本書の転回点がブタによるリンゴとミルクの独占なのだ」とすると、現在の森友・加計問題に見られる国家の私物化をうやむやにしてしまうことが、我が国民主主義にとって致命傷になってしまう可能性大であり、やはり何としても現政権に対してその責任を取らせるよう追及していく必要があるのだろう。

ということで、本書の伝えてくれる究極のメッセージは、右でも左でも「権力は腐敗する」という単純な真実であり、“だから革命なんか起こさなければ良かったんだ”ということでは決してない。左右どちらを支持するかは人それぞれだが、ときの権力者を盲信し、その支持を馬鹿の一つ覚えのように喚き立てるヒツジにだけはなりたくないものです。

2018-05-13

[] ゲット・アウト 06:38

2017年

監督 ジョーダン・ピール 出演 ダニエル・カルーヤ、アリソン・ウィリアムズ

(あらすじ)

黒人青年のクリス・ワシントンダニエル・カルーヤ)は、白人の恋人ローズ・アーミテージ(アリソン・ウィリアムズ)の求めに応じ、彼女の実家で数日間滞在することになる。娘の恋人が黒人とは知らされていない彼女の両親の反応に不安を抱くクリスだったが、閑静な湖畔の一軒家に住んでいるアーミテージ家の人々はとても友好的であり、彼を暖かく歓迎してくれたが…


今年のアカデミー章で脚本賞に輝いたジョーダン・ピール監督のホラー映画。

脚本賞の大本命だった「スリー・ビルボード2017年)」を押しのけて受賞を果たしたのが、コメディアン出身の新人監督が脚本も手掛けた作品ということで、どんな内容なのか見る前から興味津々。実は、劇場公開時における高評価を娘から聞いてはいたのだが、お互いホラー映画は苦手ということで映画館での鑑賞を見送った経緯がある。

さて、恐怖感に耐えられるよう晴天の昼間に拝見したのだが、人が次々に惨殺されていくというようなストーリーではないので、正直、見ていてそんなには怖くない。鹿との接触事故や深夜の全力疾走のシーンではドキッとさせられたものの、どちらかというと不気味な雰囲気をジワジワと盛り上げていくような系列の作品らしい。

まあ、その後も決して退屈するようなことは無いものの、終盤、字幕に出て来た“凝固法”の意味が良く理解できず、“これで脚本賞?”という思いがチラッと脳裏をかすめたときに発せられる“おじいちゃん”の一言ですべての伏線を一気に回収。うん、このスッキリ感は間違いなくアカデミー賞レベルだね!

鑑賞後、改めて思い返してみると、“おじいちゃん”がオリンピック候補の座を黒人選手に奪われた陸上選手だったことや、アーミテージ家のホームパーティーに招待された別の黒人男性が黒人流の挨拶に慣れていなかったこと等、見ているときにはピンとこなかった小ネタが満載。もう一度見直してみたら新たな発見が沢山見つかるのかもしれないなあ。

ということで、表面的には歪んだ黒人崇拝が犯行動機のように見えるのだが、黒人の肉体だけを求めるという行為は彼らの人格を否定していることに他ならず、やはり立派な黒人差別になるのだろう。アーミテージ家のホームパーティーに招かれたゲストの中に日本人らしき人物が紛れていたのがとても残念です。

2018-05-08

[] 戦時期日本の精神史 06:37

鶴見俊輔1979年カナダのマッギル大学で行った講義用のノートを書籍化したもの。

副題に「1931−1945年」とあるとおり、著者は第二次世界大戦の始まりを1931年に起きた中日戦争と考え、それと太平洋戦争とをひと続きのものとして捉える“15年戦争”の立場に立っており、その間に起こった様々な出来事を通して日本という国の精神史を解き明かそうと試みる。

その際のキーワードになるのが「転向」であり、「日本で1920年に使われ始めた言葉で、1930年代に入って広く使われるように」なったというこの言葉が意味する現象には、「(国家による)強制力が働くということと自発性がある」という2つの側面が存在するらしいのだが、著者はこれを必ずしも否定的なものとして考えていない。

その理由は「まちがいのなかに含まれている真実のほうが、真実のなかに含まれている真実よりよりわれわれにとって大切だと考えるから」であり、灯台社の明石順三にみられる「完全な常識人」としての感性や女性転向者である九津見房子の「日本の男性知識人のあいだに見出すことの珍しい弾力性」といったものを高く評価している。

おそらくそれはリリアン・ヘルマンマッカーシズムの嵐の吹き荒れる中で最後の拠り所とした彼女自身の「まともさの感覚」にも通じるものなのだろうが、最後の「ふりかえって」の章を読んでいると、こういった庶民的な、まあ、誤解を恐れずに言ってしまうとプリミティヴな感覚を「知識人によって使いこなされるイデオロギーの道具よりも大切」と過大評価してしまうことには若干の危惧を覚える。

正直、我が国鎖国性に対する著者の評価には良く分からない点が多く、俺の誤読である可能性も高いのだが、「国土として土地を保証されている」という一種の“安心感”みたいなものが「普遍的原理を無理に定立しない」という“寛容さ”を産み、その結果、「生活のほとんど全ての側面にわたって異議申し立ての例」が見つけられるような社会が構築された、という著者の認識はちょっと楽天的すぎるんじゃないのかなあ。(まあ、この明るさが鶴見の魅力ではあるのだが。)

また、仮にそうだったとしても、所詮、鎖国性に由来する寛容さや「多数派のやさしさ」なんてものは身内だけに通用する話であり、「地球上のちがう民族のあいだの思想の受け渡し」において有効に機能するとは到底思えない。(しかし、現政権下における無様な外交の責任をそれだけに帰してしまうのもまた誤りであろう。)

ということで、約40年前の講義ノートにもかかわらず、家族旅行で訪れたばかりの広島や今話題の米朝首脳会談の“発端”ともいえる日韓併合に関する話題から、「グレイテスト・ショーマン2017年)」のP.T.バーナムの名前を冠したリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナムに至るまで、何故か最近の俺の生活と関わりのあるエピソードが満載。最終章で「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男(2015年)」のダルトン・トランボの名前が出て来たときには、思わず笑ってしまいました。

2018-05-06

[] トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 06:36

2015年

監督 ジェイ・ローチ 出演 ブライアン・クランストンダイアン・レイン

(あらすじ)

1940年代のハリウッド。売れっ子の脚本家であるダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)は映画会社のMGMと破格の金額で契約を更新するが、そんな彼の元へワシントンD.C.で開かれる公聴会に出席せよとの召喚状が届く。そこでの“共産主義者か否か”という質問にまともに取り合おうとしなかった彼は議会侮辱罪で告発され、2年の実刑判決を受けてしまう…


ハリウッド・テンのメンバーであったダルトン・トランボの受難を描いた作品。

アカデミー脚本賞に輝いた「ローマの休日1953年)」の真の脚本家が(クレジットされているイアン・マクレラン・ハンターではなく)彼であることは映画ファンの間ではもはや周知の事実であり、見る前はネタとして少々新鮮味に乏しいのではと思っていたのだが、そんな心配は無用のなかなか興味深い作品だった。

もちろん「ローマの休日」に関するエピソードも出てくるが、そちらは意外にあっさりとした扱いであり、むしろ中心になって描かれているのは生活費を稼ぐためにB級映画の脚本を匿名で大量生産するエピソード。供給先はキング・ブラザーズという二流の映画会社なのだが、トランボの窮地を救ったのが金と女のことしか考えない映画人というのは、事実としても皮肉が効いていてとても面白い。

また、1940〜50年代のハリウッドが舞台ということでちょっと懐かしい映画関係者が数多く顔を揃えており、当時のフィルム映像のみならず、そっくりさん(?)の皆さんがカーク・ダグラスオットー・プレミンジャーといった個性的なキャラクターを熱演しているのを拝見できるのがとても面白い。

一方、同じそっくりさんでも、主人公たちをイジメる側に回るジョン・ウェインやサム・ウッド、エドワード・G.ロビンソン等の姿を見るのはちょっと辛いところであり、もちろん、彼らもアメリカン・ヒューマニズムの熱心な信奉者には違いないのだろうが、残念ながらその射程距離がちょっと短すぎたようである。

ということで、鑑賞後、映画評論家町山智浩氏による本作の解説をネット上で発見。それによると、コーエン兄弟が「ヘイル、シーザー!2016年)」でハリウッド・テンのメンバーを茶化してみせたのは、彼らの子どもっぽい共産主義への憧れを批判するためだったそうであり、成程と思わず納得してしまいました。