人情紙風船

1937年作品
監督 山中貞雄 出演 中村翫右衛門河原崎長十郎
(あらすじ)
江戸のオンボロ長屋で年老いた浪人の首つり自殺があり、向いに住む髪結の新三(中村翫右衛門)の発案で通夜をすることになるが、いつの間にか長屋をあげての大宴会になってしまう。そんな新三の壁一つ隔てた隣には浪人の海野又十郎(河原崎長十郎)が妻のおたきと二人で住んでおり、彼は亡父の知合いである毛利三左衛門に仕官の口を頼もうとしていた….


1938年9月、日中戦争で中国を転戦中に病死した山中貞雄監督の遺作。

新三は口八兆手八丁の遊び人。本職の髪結いはそっちのけでもぐり(?)の賭場を開いていたが、これがヤクザの大親分弥太五郎源七にバレて一文無しになってしまう。一方の海野又十郎は真面目だけが取り柄の著しく生活力に乏しい人物であり、仕官を頼みに行った毛利三左衛門に全く相手にしてもらえないばかりか、そのことを妻に話せないでいる。

そんなある夜、新三がいたずら半分に悪徳質屋である白子屋の一人娘お駒を誘拐したことが大騒動に発展。お駒を養女にして家老の息子に嫁がせるつもりでいた毛利は事が表沙汰にならないか気が気でないし、白子屋の用心棒でもある弥太五郎は子分を使ってお駒を返してくれるよう新三に頼みこむが、けんもほろろの対応で彼の面子は丸潰れになってしまう。

まあ、この誘拐騒ぎに関しては、業突く張りの長屋の大家が勝手に両者の間に入り、白子屋から大金をせしめてきたことによって一件落着。毛利=白子屋=弥太五郎という“権力者”によって日頃虐げられてきた長屋の住人達のささやかな勝利となった訳であるが、残念ながら物語はここで終わらず、この後、新三と海野には悲惨な運命が待っている・・・

時代劇にしては結構複雑なストーリーであり、単なる長屋の隣人同士に過ぎなかった新三と海野がお駒の誘拐事件によってお互いに関わりを持つようになるのは作品の後半になってから。それまでは物語がどちらの方向に進展するのか見当がつかずにちょっとイライラするのだが、見終わってしまうとそんな不満はどこへやら。確かに噂に違わぬ見応えのある作品であった。

映画の雰囲気も、新三がメインのときと海野(とその妻)がメインのとき、そしてそれ以外の長屋の住人達がメインのときとで相当異なるため、本作を悲劇に分類すべきなのか、喜劇とすべきなのか大いに迷うところであるが、それらが混然一体となって最後に言いようのないような印象を残す、というのが本作の大きな魅力なのだろう。

ということで、これで山中貞雄の現存する三作品を一とおり見たことになるが、いずれも優れた作品ばかりであり、時代劇ならではの様式美の中でスピード感あふれる演出を楽しませてくれるあたりはやはり天才と言って良いのだろう。彼の失われてしまった作品リストの中には「国定忠次」、「怪盗白頭巾」、「森の石松」といった魅力的なタイトルの作品が数多くあり、いつの日かこれらの作品のうち一本でも良いから再発見される奇跡が起きることを願わずにはいられません。