残雪の後袈裟丸山

今日は、群馬県との県境にある袈裟丸山を歩いてきた。

残雪の状況がちょっと心配だったが、この山はアカヤシオが有名らしく、もうしばらくするとそれ目当ての登山客が大挙押寄せて来るということで、一足お先に、軽アイゼンをザックに忍ばせて午前5時49分に塔ノ沢口の駐車場を出発。しばらく林道を歩いた後、橋(5時54分)を渡って沢沿いの登山道に入る。

袈裟丸山には3つの登山口があり、名物の寝釈迦像を見たい人はこの一番距離の長い塔ノ沢口を利用することになる。まあ、例によって俺は寝釈迦に興味がある訳ではなく、単にロングコースを歩きたかっただけなのだが、それ用に設置された標識が良い目印になる。二つの沢の合流地点にあった“ねじゃか/さいの河原”というお手製の標識(6時20分)のちょっと先で寝釈迦(6時27分)に到着。

階段を上って直方体の石に刻まれたお釈迦様のご尊顔を拝した後、沢沿いの登山道をさらに進んでいく。“賽の河原0.8km”の標識(6時46分)を過ぎ、安中山の会製の標識(6時53分)の先の辺りで、そろそろ沢を外れて左手の尾根に上って行く筈なのだが、なかなかそれらしきルートが見つからない。

何度か微かな踏み跡らしきものを辿って斜面を上ってみたものの、しばらくすると決まって背の低い笹原の中に消失してしまう。これが低山であれば強行突破の一手なのだが、まあ、そこは関東百名山の顔を立てて何とか正式のルートを発見しようと、数十分間、沢の左側の斜面をウロウロしてみたが、どうしてもそれらしき踏み跡は見つからない。

結局、正式ルートを諦め、適当なところから笹の急斜面を強引に上っていくと、7時38分、広々とした尾根道に出るが、そのすぐ先に小ぶりな展望台が立っており、ここが弓の手コースの途中らしいことが判る。どうやら、本来より少々手前で尾根に取り付いてしまったらしいのだが、とりあえず結果オーライということにして、7時41分に賽の河原到着。

この先、林の中の踏み跡は幾筋にも分かれていてちょっと判りづらいのだが、どれを選んでも大きな問題は無いということで、雨量観測器(7時54分)の脇を通って、8時15分に小丸山の山頂(1,676m)に着く。この辺りから周囲に残雪が目立つようになり、カマボコ型避難小屋(8時25分)の付近では一面の雪景色。

しかし、雪の上には沢山の靴跡が付けられているため、滑らないようにそれを慎重に辿って、9時6分に前袈裟丸山(1,878m)到着。実は、ここから先をどうしようか迷っていたのだが、俺が着いて間も無く、先に着いていた三人組が後袈裟方面に進んで行ったため、俺も大急ぎで軽アイゼンを取り付け、アンパンを半分食べただけで彼等の後を追うことにした。

ところが、十数mも行かないうちに引き返してきた先程の三人組と遭遇。彼等の話しによると、この先は誰も歩いた形跡がないようなので後袈裟は諦めたとのこと。しかし、見ると彼等の足元にはアイゼンも無く、また、何といっても正面に聳える後袈裟へと続く稜線がとても魅力的ということで、もう少し行けるところまで行ってみることにした。

幸い、シャクナゲの上に積もった大量の残雪はしっかりしており、アイゼンが良く効いてくれる。尾根は痩せているということだったので、雪の下にちゃんと地面があるかどうか細心の注意を払いながら下っていくと、最難関の八反張(9時35分)には雪が無く、もうこうなったら途中で引き返す理由は何も無い。

後袈裟への急登も雪で滑りやすいが、辺りに生えている笹を鷲掴みにして上っていくと、9時51分にようやく後袈裟丸山の山頂(1,908m)へと辿り着く。前袈裟山頂と異なり、こちらには誰も居ないので最高の見晴らしを独り占め出来るが、ちょっと寂しすぎるため、自宅にメールして早々に下山。自分の付けた足跡を反対に辿って前袈裟(10時23分)に戻り、ここで早めの昼食をとった。

帰りは、カマボコ型避難小屋(10時58分)〜小丸山山頂(11時8分)を通って11時36分に賽の河原到着。ここからは往路で歩けなかった正式ルートを進んで行くのだが、避難小屋(11時40分)の先に続く踏み跡は何と沢の左側を高巻きするような格好で付いていた。要するに、往路で沢から外れるときには、沢の左側ではなく、一度、右側の斜面を上っていかなければならなかったんだねえ。

ということで、この後は寝釈迦を12時11分に通過し、12時44分に駐車場に戻ってきた。自宅に戻ってから確認したGPSログは、前回の石裂山と同様、往路の表示が不正確なのが気になるが、まあ、もう少し様子を見てみることにしましょう。