スノーホワイト

今日も受験生の娘は模擬テストということで、例によって、彼女が試験問題と格闘している間を利用し、妻と一緒に「スノーホワイト」を見てきた。

本作を選んだ理由は、時間的に都合が良かったこと(=8割)と“戦う白雪姫”というキャッチコピーにちょっぴり興味を持ったこと(=2割)。しかし、映画が始まっても、悪の女王ラヴェンナに乗っ取られたお城からスノーホワイトが逃亡するというシーンが長々と続くばかりで、彼女が戦うシーンはいっこうに出てこない。

しかも、その逃避行の最中に「もののけ姫(1997年)」のパクリシーンまでが登場し、スノーホワイトは、“戦う白雪姫”とは真逆の“生命の源”にされてしまう始末。ラスト近くになって、ようやく甲冑に身を包んだお姿が拝めるものの、彼女に伝授された“必殺技”は痴漢撃退法に毛が生えた程度のショボいものであり、ラヴェンナとの対決シーンも大した盛り上がりもないままにあっさりと終わってしまう。

まあ、それ以外にも色々と問題はあるのだが、本作の最大の難点は作品全体のペース配分が全くなっていないところ。お城からの逃亡シーンを早々に切り上げ、余った時間で、主人公が“戦う白雪姫”へと変貌を遂げていく過程や、猟師&王子との恋の三角関係なんかを丁寧に描いていたら、もう少し内容のある作品になっていたかもしれない。

ということで、本来なら中盤のクライマックスになるべき毒リンゴのエピソードも散々な扱いなのだが、そういった数々の弱点にもかかわらず、CGを駆使した映像の見事さだけは天下一品。この手による“往年の名作の焼き直し”は、今ハリウッドで大流行中なのだが、我が国のCGレベルでは、ちょっと真似できそうもないのが残念です。

 折れた槍

1954年作品
監督 エドワード・ドミトリク 出演 スペンサー・トレイシー、ロバート・ワグナー
(あらすじ)
3年間の刑期を終えたジョー・デヴロー(ロバート・ワグナー)は、出所後、半ば強制的に州知事のオフィスに連れて行かれ、そこでベンをはじめとする3人の異母兄と久しぶりの再会を果たす。大牧場主だった亡父マット・デヴロー(スペンサー・トレイシー)の事業を引き継いだベンは、ジョーに1万ドルの手切れ金を支払い、早々に町を出て行くよう命じるが、ジョーはその申し出を拒絶する….


先住民族に対する差別問題を扱ったエドワード・ドミトリク監督の異色西部劇。

その後、ストーリーは3年前の回想シーンへと切り替わり、デヴロー家の複雑な家庭事情が次第に明らかにされていく。まあ、簡単に言うと腹違いの兄弟同士による兄弟ゲンカの話なのだが、彼等の不和の背景には2つの要素が絡み合っており、そのうちの1つが父親であるマット・デヴローとの関係。

マットは、無一文の状態から大牧場主まで一代で上り詰めた人物であり、彼の息子たちの生育環境も生まれた時期によって雲泥の差がある。彼から使用人同然に扱われ、青春時代を棒に振ったという長男のベン(リチャード・ウィドマーク)は今でもそのことで父親を恨んでいるのに対し、生活が豊かになっていく中でスクスクと素直な青年に成長した末っ子のジョーは父親の大のお気に入り。当然、ベンはそのことを面白く思っていない。

もう一つの(当時としては)大きな問題は、マットの後妻、すなわちジョーの母親が先住民族の出身であるということ。周囲からは、スペイン人のように“セニョーラ”と呼ばれているものの、マットの古くからの友人たちでさえ、内心では彼女の存在を不快に思っており、ベンもそのことで世間に対して引け目を感じていたんだろう。

そして、これら諸問題の元凶(?)となっているのがスペンサー・トレイシー演じるところのマット・デヴローであり、一家の独裁者として君臨する彼は、法や秩序には頼らず、何事も自分の力で解決しようとする超保守的な人物なのだが、同時に、先住民族に関しては自然の一部として何の偏見も持たずに受け入れてしまうというなかなか興味深いキャラクター。本作の面白さの8割くらいは、彼の魅力によって支えられているといってよい。

ということで、やはり先住民族と白人との関係を取り上げた「折れた矢(1950年)」の4年後の作品であるが、本作のトラブルの直接の原因となるのが銅の精錬所が垂れ流す廃液であったり、マットが自分の財産を息子たちに譲り渡すきっかけが彼の訴訟対策であったりと、差別の問題以外にも“現代”がそこかしこに顔をのぞかせており、公開当時には西部劇の新しい流れを感じさせる作品だったものと思われます。