レ・ミゼラブル

1957年作品
監督 ジャン=ポール・ル・シャノワ 出演 ジャン・ギャバン、ベルナール・ブリエ
(あらすじ)
19年の刑期を終えて出獄したジャン・バルジャンジャン・ギャバン)は、銀食器を盗んだ自分を庇ってくれた司教との出会いを通じ、善人として生まれ変わることを決意する。その数年後、黒玉の製造により巨万の富を得た彼は、学校や病院を市に寄付して市長に推挙されるまでに出世するが、新任の警察署長として赴任してきたジャベール(ベルナール・ブリエ)に正体を感付かれてしまう….


ヴィクトル・ユーゴー1862年に発表したロマン主義大河小説の映画化。

有名な、1本のパンを盗んだ罪に関しては、4度に及ぶ脱走の罪を含めてきちんと償っているのだが、改心する直前、通りかかった少年の持っていた一枚のコインを取り上げてしまった件に関しては“逃亡中”ということになっており、警察に逮捕されれば2度目の犯行ということで、即終身刑になってしまうとのこと。

まあ、例によって、ユーゴーの小説は読んだことが無いのだが、ネットで調べたところによると、186分という上映時間の中で、岩波文庫全4巻に及ぶ原作のほとんどをカバーしているらしく、ストーリーを3時間強に圧縮する必要から、コゼットの成長等、時間の経過を表現しなければならない部分での描写が駆け足になってしまっているのが残念ではあるが、全体として見ればなかなか立派な大作映画に仕上げられている。

特に、1832年に実際に起きた六月暴動のエピソードに関しては、本作のクライマックス部分ということで、その描写に相当の時間が費やされており、見応えも十分。一方、それに続くジャン・バルジャンの孤独な晩年を描くシーンに関しては、付け足し程度で全く不十分な内容であり、できるだけ原作の多くをカバーしたいという製作意図は分からないではないが、思い切ってカットした方が作品としての完成度は高まっていただろう。

また、ちょっと不思議だったのは、作品全体を通してのヒロインであるコゼットの“個性”が観客にほとんど伝わってこないところ。特に成長してからは、美人なだけの能天気なお嬢様になってしまっており、その責任が原作にあるのか、それともこの映画のせいなのか、いつか確かめてみたいと思う。

ということで、その前にトム・フーパーの監督によるミュージカル版「レ・ミゼラブル」がいよいよこの年末に公開される予定。コゼット役は、アン・ハサウェイではなく、アマンダ・セイフライドが努めるらしいのだが、どんなキャラクターとして描かれているのか、今のうちからとても楽しみです。

 ファウスト

言わずと知れたドイツの文豪ゲーテの代表作。

古くは水木しげる原作のTVドラマ「悪魔くん」から、先日、DVDで拝見したルネ・クレールの「悪魔の美しさ(1949年)」に至るまで、本作の影響を受けた作品にはこれまで数多く接してきており、いつかは読まなければならない作品だとは思っていたのだが、直接のきっかけになったのが「魔法少女まどか☆マギカ」だというのは、本人としてもちょっとビックリ。

さて、今回は岩波文庫版で読んだのだが、グレートヒェンとの悲恋で幕を閉じる第一部についてはあらかじめ覚悟していたよりずっととっつきやすく、胸躍らせながら第二部に取り掛かったのだが、内容、スタイルともに第一部とはガラッと変わっており、なかなかページが先に進まない。

いや、悪魔がギリシア神話の世界を苦手にしていたり、人生に前向きな人工生命体が登場するなど、卓越したアイデアは豊富であり、盲目となった主人公が皮肉としか言いようがない勘違いによって“瞬間よ止まれ、汝はいかにも美しい”と叫んでしまうラストも十分に残酷なのだが、それらが占めているのは全体の1割程度であり、残りの9割はテーマに直接関係がないと思われる雑多なエピソードの洪水。

まあ、原文の言語的な美しさの助けがあれば何とか耐えられるのかもしれないが、語学力も詩の素養もない俺にとっては到底無理な相談であり、正直、第一部の巻末に載っている丁寧な解説(=第二部のあらすじも書いてある。)を読んだところで済ませてしまった方が良かったような気もする。

ということで、できるだけ舞台上でどのように演じられるのかをイメージしながら読んでいたのだが、俺の貧弱な想像力では、発表当時、問題の第二部がどのような形で上演されたのか想像もつかない。逆に、現代のCG技術を駆使して映像化してみれば、イメージの奔流のような素晴らしいSF映画になるのかもしれません。